魔王軍の暗殺者俺、殺すはずの聖女がどう見ても猫で困惑する
俺の名はアンサツ・デ・キーナイ。暗殺者だ。
赤ん坊の頃に魔王様に拾われ、アーク・ヤック魔将軍の元で鍛えられた魔王軍唯一の人族である。
人族を嫌う魔将軍による厳しい修行の末、途中でできた猫獣人の相棒スグ・ホーレルとともに立派な暗殺者へと育てられた。
そんな俺の任務は毎度過酷を極めた……しかし、死の淵を彷徨うような激務の数々によって俺は魔王軍でも認められ、ついに重要な任務を任されるに至った。
聖女の暗殺である。
ガバガーバ王国では悪意を持つ魔族を通さない絶対の聖結界が存在する。その結界は王族が囲い、人前には決して姿を出さない聖女によって張られているものだ。人族には効果のないその結界をこの俺と、亜人族であるホーレルとともに通り抜け、聖女の暗殺を行う。
それが俺に課された任務だ。
聖女を発見するまではそれなりに苦労するかもしれないが、暗殺自体は魔王軍の支配下にない強大な魔物を殺すよりもよほど楽なものである。
まず最初の難関は王国の中に入る際だ。旅人を装っている俺達は偽造された冒険者カードを手にして入国待ちをすること1時間。
「行くぞ相棒。相手は魔物と違って人間だが……いけるな?」
「もちろんだぜぇ相棒。オイラは人間になんて興味ねぇからなぁ」
「野良猫をナンパするのだけはやめろよ」
「あいよ。薄汚ねぇ野良にゃ興味ねーって」
小声でのやりとりをして入国した俺達は、街中のバルコニー越しに見えた白猫を口説こうとするホーレルを説得するのにさらに1時間かかり、前途多難な任務の幕開けを予感させた。
「にしてもどう聖女を見つかるかねぇ」
ぼやくホーレルを抱っこしながら俺は足早に酒場を目指す。
下手に自分で歩かせていると飼い猫をナンパしに行ってしまうからだ。
情報を集めるのなら酒場しかあるまい。そう決めつけて俺達は店の中に入る。すると、目を疑うような依頼書が貼られているのを発見した。
――
【聖女様のお世話係 募集!】
定員 二名
時間、報酬などは下記より連絡して応相談。
×××-×××-×××
――
「正気か?」
素早く魔石式端末に番号を入力。
発信すると、やけに明るい声の女による案内が開始され、あれやこれやといううちに内定した。
正気か?
猫獣人のホーレルのことを出した途端に採用! と叫ばれた気がする。
俺達は王国の罠かなにかなんじゃないかと警戒しながら王城へ向かうのだった。
◇
「こちらで聖女様がお待ちです」
本当にお城に入れてしまった。
いったいなにがどうなっているんだ!? 混乱している中、侍女らしき人間に部屋へと案内される。聖女が使うにしては質素な扉の普通の部屋に見える。
やはり騙されているのではないかと警戒を強め、ホーレルと頷きあってドアノブに手をかけた。
ごくりと喉が鳴る。
本当なら人知れず聖女の居場所を探ってやるべき任務だが、ここで対面できるというのならしてしまおう。
誰も知らない聖女の居場所を俺が知ったあとに聖女が暗殺されれば、俺だとすぐにバレるだろう。しかし、それでもいいのだ。俺は人間を嫌う魔王軍に所属している。俺達は拾ってくださった魔王様のためなら、この場で聖女を殺して結界が解けるのを見届け、そして自害したっていいのだから。
果たして扉を開けたその先には――猫がいた。
艶々とした真っ黒くて長い毛の、とんでもなく麗しい猫がいた。
見たこともないほど豪奢な椅子に乗せられたふかふかのくっしょんの中に沈むように寝転がっている、猫。
「ほわぁ!? お、お嬢さんこのオイラとデートしなっぐえええっ!?」
飛び出して行こうとするホーレルの首根っこを掴んで引き留める。
「あの、猫しかいないようですが……」
「このかたこそが聖女ミミたそ……ミミ様です」
耳を疑った。
耳を疑ったが、侍女に文句をつけようとする言葉を全力で飲み込んだ。
もし、これがなにかの試験であるとするなら、強く否定するのは悪手にしかならない。
まず、猫を出して驚かせて乱暴だったり、口汚く罵ったり文句を言うやからは追い返す。きっとそういうことに違いない。だから、俺は相棒で培った猫への対応力を発揮してみることにした。
「勤務時間はどれくらいでしょうか?」
「日が暮れるまでです。昼食や夕食はミミ様の分とともにお待ちいたします」
「分かりました。それと、猫用の玩具などは……」
「部屋の中にあります。いくつかは行方不明ですが……」
猫あるあるだなと思った。ホーレルもよくお気に入りのものを宿のベッドの下とかに入れて取れなくなっていることがある。
今日の仕事で猫の世話を完遂すれば、今度こそ本物の聖女に会えるだろう。
そう思って俺はホーレルを離し、部屋に入った。
「お嬢さぁ〜ん!! オイラ! ホーレルって言っへぶぁ!?」
勢いよく猫に近づいていったホーレルが見えない壁に阻まれてその場にぶっ倒れる。顔面を思いっきりぶつけていたから仕方ないことだろう。いや、しかしあの壁は……?
「国の結界と同じく、ミミ様の気に入らない者は弾く結界ですわ」
侍女の説明を聞いてゆっくりとその言葉を脳裏で反復する。
聖女が事前に張っておいたのか? という思いは、もう一度突撃していったホーレルが触れる間際に壁が出現するところを見てしまっては間違いだと言わざるをえないだろう。
国の結界と同じ。
なるほど。
「本当に猫が聖女なんですか!?」
「そうです。このかたが聖女様です」
自分の仕事に戻っていった侍女の背を眺めながら、俺は絶叫した。
「無理!!!!!」
「へへ、相棒もそうかい? オイラもこんな別嬪さんを殺すなんてとんでもない!!」
俺は魔王軍で育てられた完璧な暗殺者……好きなものは、猫。
俺達の弱点は、猫には危害を加えるなんてこと、できるわけがないってこと。
「詰んだ!!!!!」
王国の結界は思ったよりも堅牢である。
◇
「さすがですわ! 猫の獣人さんを連れているのでもしやと思いましたが……これほどとは! 合格です! 明日からもよろしくお願い致しますね!」
昼食が来る頃にはすでに、俺はミミちゃんを手懐けていた。変な撫でかたをするとすぐに文句を言う相棒がいるからこそのテクニックである。喉もご機嫌にゴロゴロだ。膝にも乗ってくれた。幸せである。
「ミミお嬢さん! オイラをあんたに永久就職させてくれねぇがふぁっ!?」
なお、ホーレルはずっと拒否られている。
一日中チャレンジしていたが、ついぞホーレルが気を許されることはなかった。
次の日。
「本日のミミ様の業務は喫茶店のバイトです」
「聖女がですか?」
「そうです」
正気か?
何度目か分からない言葉を心の中で呟く。
「出勤の時間が迫っています。30分後までに完璧に毛並みを整えてさしあげてください。キーナイ様、ホーレル様お二方も同行をお願い致します」
ブラシを手渡されて膝の上に丸まる猫を見下ろす。
混乱する脳内とは裏腹に澱みなくこの手は動いた。ツヤツヤのトゥルットゥルだ。
しかし、猫とはいえ聖女だ。広報か、それとも呪いにでもかかった哀れな民の救済か。いずれにしても聖女にしかできない崇高な仕事をするのだろう。
自ら下々の街で働くとは、やはり愚かな人族とは違って志が素晴らしいおかただ。
ん、いや待てよ? 聖女は外に出ないんじゃなかったのか?
……いや、もしかしたら身分は明かしていないのかもしれない。俺だって、猫が聖女だと言われても、結界を使う姿を目の当たりにしなければ冗談かなにかだと思っていたわけだし。へたに身分を明かすより、すごい力を持った猫だと紹介されたほうがミミちゃんの安全にも繋がる。
納得して俺は頷いた。
さて、猫に縋る民ってやつはどんなもんかを見に行くか。
◇
「聖女様、ご出勤で〜す」
「聖女様いらっしゃ〜い!」
「にゃお〜」
「みゃう」
「んな〜お」
可愛らしい喫茶店。
ゆったりとしたソファ。
店内から聞こえてくる猫、猫、猫、猫の声。バリエーション豊かな猫パラダイス。人族の従業員ももれなく猫耳を装着し、そこら中に猫がいる。
そう、ここは猫喫茶――。
「本当にバイトだった……」
「それ以外のなんだと思っていたのですか?」
最初から付き合いのあるお付きの侍女さんが手渡してきた猫耳をじっと見つめる。彼女はすでに猫耳を装着済みだ。さっきから気絶しそうなくらいこの場所に興奮しているホーレルがうるさいので喫茶店から蹴り出す。
「そんにゃあ〜!!」
「彼女達の機嫌を損ねると良くないからな……今日は外で遊んでてくれ」
無慈悲に扉を閉める。
悔しそうにしていたホーレルは窓にべったりと張り付いて中を見ていてホラーでしかない。
「客が逃げるからやめなさい!!」
「びゃん!!」
バツが悪そうに彼は歩き去っていった。哀愁漂う背中に罪悪感が込み上げるが、すぐにそれも引っ込んだ。この前のバルコニー越しに見た猫の家へ一直線に向かって行ったからだ。ブレない。
開店時間を迎えてから数時間。猫喫茶で働くミミちゃんの働きぶり……と言っても、ほぼ高嶺の花としておやつをもらいながらデンと構えてるだけなんだが……を眺めていると、新たな客が入ってきたのでそちらをチラ見して。
二度見した。
魔王様だった。
ガタッと思わず立ち上がると侍女さんに変な人を見る目で見られ、気まずくなって座り直す。
三度、目を向ける。
やっぱり魔王様だ。俺が見間違えるわけがない。
黒髪赤目でツノの生えた氷のような美貌の魔王様。赤ん坊だった俺を拾ってくださったかただ。子育ては残念ながら魔将軍にほぼ丸投げだったわけだが、それは仕方がない。彼は忙しいのだし。
しかしどうしてここに魔王様が!?
悪意のある魔族は結界が弾くというし、俺は攻め入るために必要だからと魔将軍様から結界を壊すよう任務を言い渡されているのだ。結界を壊すためには聖女を暗殺しなければならない。ひいては魔王様のためになることである。それを実行できない以上、まさか俺を直々に処罰しにきたのだろうか。魔王様ほどのかたであれば結界などものともしないということか。すごいかただ。配下達のために結界をどうにかするよう魔将軍様に伝えていたのだろう。それを、俺は……期待を、う、裏切って、しまったのだし……。
「どの子をご指名ですか?」
「ま、待て……!」
魔王様に近づいていく従業員に思わず声を張り上げ走り出す。
数時間とはいえミミちゃんを崇拝する同志なのである。むざむざ死なせてしまっては目覚めが悪い。しかし、あと一歩俺の制止は届かなかった。
「今日もミミたんで……頼む」
「はい! ミミちゃん〜」
頭から床に激突する。
真っ黒な魔王様は恍惚とした顔で同じく真っ黒なミミちゃんを抱き上げてふわりと笑った。尊い。じゃなくて。
「ま、魔王……さま」
「うん? お前は……もしやキーナイか? おお、大きくなったものだ。ここにはお前も通っているのか?」
「い、いえ、その……」
言い淀んでから俺は魔王様の横につく。
他に話を聞かれては困るからだ。
「ミミちゃんのお世話係を……しておりまして。魔王様もご機嫌麗しゅう」
「拙い敬語だな。いや、畏まらなくてもよい。おれとお前の仲だからな。マオと呼ぶがいい……しかし世話係か、なんと羨ましい!」
魔王様の言葉はどう見ても本気である。なにがどうしてこうなった?
「いえ、あの…………人族の国へ攻め入るために、聖女の暗殺を頼まれていまして…………隠されてはおりましたが、その猫が聖女だったと知ったのです」
極限まで小声にして魔王様に報告を行うと、目を丸くして彼はこちらを見る。
「なに? そのような計画は立てておらんぞ。誰の差金だ? そもそも、このような素晴らしい店のある国を襲うなどと……そんなことするはずがないであろう」
「えっ」
俺は言っても良いものだろうかと迷った。
迷った末に、言う。
「魔将軍様です」
「なるほど、あいつか……確かにあいつは犬派だったな」
「そこ?」
「うん?」
「あ、いえ、なんでもアリマセン」
「しかし安心するがいい、キーナイ。この国には聖騎士ダルメシアンという恐ろしくも美しい犬の騎士がおる。あやつもこれにはたまらんだろう」
「そういう問題なのでしょうか……」
え、俺がおかしいのか?
「それよりも、ミミたんだ。ほお〜らおやつだぞ。欲しいであろう?」
「んなぁ〜」
魔王様の腕の中で、手だけを伸ばしておやつを取ろうとする真剣な様子に彼は笑った。
「可愛いだろう」
「ええ、もちろん」
俺も、今は困惑が大きいが思わず笑顔になってしまう。
つまり、魔王様は最初から侵攻なんてする気はなくて、下の魔族達が勝手に人族を目の敵にして密かに動いていたということなのだろう。俺が過ごしてきた十年間を話せば、魔王様は虐待だと怒ってくださった。俺にはそれだけで十分だった。
そうして魔王様とともにミミちゃんと戯れながら夕方まで過ごし、退勤時間。
ちょうど帰ってきたホーレルが目を丸くして何事かを叫ぼうとして……魔王様に口を塞がれる。
「〜! 〜〜〜!」
多分! 魔王様!? なぜここに!? と言いたいのだろう。
「残念だけど、それもうやったんだよ」
魔王様は帰還ししだい、腐った人族排斥派の魔族達を片っ端から犬猫の沼に落とすため動くそうだ。その間、俺はこのままこの国と友好な関係を築いていればいいらしい。
「ところで、こちらのゴタゴタが終わったあかつきにはミミたんのお世話係を代わってくれたりなどは……」
「しません」
「で、あろうな……また来る」
「これだけは譲れませんね。それでは、また」
「ああ、また」
こうして、猫の力によって世界平和が訪れましたとさ。めでたし、めでたし。