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ベルサイユ1793 ②

(くだん)のはなし」(日本の主に中国地方に伝わる怪奇譚)


その村では十数年に一度、(くだん)が生まれる。

件は牛の身体に人の頭、あるいは人の身体に牛の頭の妖怪である。人間と牛の間に生まれるのかどうかは定かで無い。

件は生まれてすぐに死ぬ。

生まれると同時に予言をする。予言をしてから自らの手で首を刎ねて死ぬ。


人の頭を持つ件の予言は吉兆である。

豊穣豊作であることが多いが、あるいは戦の勝利や乾期であれば降雨を告げる場合もある。


だが牛の頭を持つ件は大きな災いを知らせるために生まれてくる。

大飢饉がやってくる、大地震や大洪水などの危機的な天災が訪れるなど、国が滅ぶほどの不吉な予言をする。


予言はけっして外れることはない。件の言うことは警告ではなく運命である。


そしてどちらの件も首になった状態で、誰かにもう一言何かを告げて本当の死を迎える。

その言葉を聞いた者の寿命は長くない。

近く奇怪な死を迎えることになる。


件の前でけして好奇心を露わにしてはならない。

好奇心は禍を招く種子である。









パリの第三区にある古く小さな区役所の一室で私は枝出と語っている。

どうみても日本の総理が訪れるような場所とは思えないが、枝出は嬉しそうだ。

ただし腫れがまだ引いていない私の頬には時折何とも言えない視線をチラチラと向けていた。

広いテーブルの上には炭酸水と、大きく頑丈そうで古めかしい木の箱が置かれている。


「…教授、まさか本当にここに?」

枝出が白い手袋をした手で中央の木の箱を指さした。

彼の声はかすれて震えていたが、その指の先も震えている。


「まったく、まったく」

黒縁眼鏡をクイッと人差し指で持ち上げながら、緊張感無く口を出したのはアルパルスラン、先日私を拉致した(あるいは拉致しようとした)3人組のリーダーだ。


私はちらりとアルパルスランを睨み、炭酸水に口をつけた。

「まだ頬の腫れが引かない。日本なら今頃、君と僕は原告被告に別れていたところだ」


アルパルスランは悪びれるふうもない。

「ここが私の故郷なら今頃、私と先生は生者と死者に別れていたかもしれませんよ。幸運でしたね」


枝出が苦笑して間に入った。

「まあまあ、教授。あんな目にあったのですからご立腹は当然ですが、まずは」


「本当の『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』か確かめましょう」

私が許すとも何も言う前にアルパルスランが言う。








ホテルで殴打された私はすっかり大人しくなった。これは幻の奇書どころの問題ではない。ヘタをすればどこか遠い国に連れて行かれて命の危機だ。


「できることは何でも協力する。安全を保証してくれ」

私はヒリヒリと痛む頬をさすりながら、真ん中の男に話しかけた。


「もちろんですよ、教授。ただあなたのお探しの本は我々の国の文化遺産なのです。私ももう十年以上探し続けています」


その後の話では、どうやら彼らは中東のとある宗教組織の幹部らしい。本拠地はクシテフォン…『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』が生まれただろうと考えられるチグリス川沿岸の街だ。

ニュースで聞いたことのあるその組織の名前に私は震え上がった。


だが彼らも勘違いをしていることがわかった。

アルパルスランは私をキリスト教系の過激派組織かなにかの人間と思っていたようだ。


「…では本当に興味本位で『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』を捜していると…」


この答えが生死の分かれ目やもしれぬ。私は懸命に説明する。

「何度も言っている通り、私は単なる日本の学者で、いかなる政治的宗教的な背景も存在しない」

それから気がついたが言葉には出さない。

(いや、依頼者が総理大臣だからまったく政治的背景がないとは言えないか)


「なぜ日本人があの本を捜すのだ」

大男Aが私を見た。どうにも理解できないという表情だ。彼らには思いも寄らないことらしい。


「それも…その、つまり学術的興味だ。私は歴史的古書のマニア…いや、研究者なのだ」


私が何をどう説明すれば自分の命に危険が及ばないか考えながら喋っていると、先ほど私を殴った方の大男Bが黒縁眼鏡の方を向いた。

「大佐、どうも意味が不明です。いったん連れて帰った方が」


私は心底震え上がる。こんな訳のわからない組織の根拠地に連れこまれたら私などまさに闇から闇だ。

明らかに日本より命の価値が低い国の存在は私でも知っている。


そこで部屋の電話が鳴った。フロントから何らかのメッセージが届いたという。




それからしばらくして私は「ほぼ解放」された。


さすがに彼らも私が誰であろうともとりあえず攫って葬ろうというほど乱暴ではなかったらしい。

彼らの母国と日本政府を通して私の身分照会がなされたという。同時に『日本政府の上層部』から「その人物に何かあった場合は必ず外交問題とする」という日本にしては珍しい恫喝めいた伝言が添えられていたという。枝出の指示であることはすぐわかった。


「ふん、政治的背景が無くはないな」

『アルパルスラン大佐』は私を睨んだが、それでもどうにか助かったのは事実だった。


ようやく私は自由の身になったが、同時にこの拉致暴行事件も「なかったこと」になったらしい。

どんな取引があったのかはわからないけれど。


そして…なぜか翌日からアルパルスランが私と行動を共にしている。










さてその日、私は大男のトルコ人に頬を殴られた瞬間、突然天啓を得たのだった。

不思議なものだ。なぜ今まで気がつかなかったかと思うようなことだ。


これまで追ってきた『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』の行方、古の砂漠の王が破滅したという言い伝えからコンスタンティノープルで東ローマ帝国皇帝が惨殺され、間にオスマンの皇帝の誰かが含まれるかもしれないが、とにかくこの本を閲覧した王は無残な死を迎え王国も破滅に向かう(という伝説だ)。


しかしそれなら…ガランが本当に完本を手に入れたのなら、何故その寄贈先であるべきルイ14世は当時としては異例の76歳という長寿を全うし、フランスが革命を迎えるまでに100年近い年月がかかったのか。

私が受けた天啓とはこの胡散臭い破滅伝説と別の人物の存在だ。


ガランはもう一人いる。

1704年に「アラビアンナイト」第1巻を出版したのが我々の普段話題にしている東洋学者のアントワーヌ・ガランだ。

しかしもう一人、その65年後、宮廷に経済学者として政治参画した「ガラン」がいる。

セルジェ・ガラン…アントワーヌ・ガランの孫だ。


私がその名前を思い出したのは全くの偶然であった。

別の用件でルーブル美術館に関する古書の資料を漁っているとき、経済学者のその名を見つけた。

その時は何も思わなかったのだが仕方ない。

文学やオカルトといったこととほぼ無関係の学者の名前なのだ。


フランス革命で失われたことになっている『クシテフォン書簡』…それが「王室と国家収支の出納帳」、つまり彼の家計簿だったとは。




『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』の完本が1453年にコンスタンティノープルにあったというのは事実だろう。サラスの書簡にはそう書いてある。問題はその後の行方だ。


オスマン王はサラスに命じた。

「砂漠の知恵と呪いの結晶を海の十字架の元へ。赤き月をアラベスクに載せよ」


『砂漠の知恵と呪いの結晶』は間違いなくこの本のことで、『海の十字架』はエーゲ海近辺の十字軍の根拠地ではなかったか。

『赤き月をアラベスクに載せよ』の意味は不明だが、これとよく似た表現がアントワーヌ・ガランの日記にある。


『イスマエル・サラスが手に入れた完本は東ローマ帝国最後の王が読んだ。アラベスクの絨毯に乗った王はその1年以内にオスマン軍に惨殺され、帝国は滅亡した』

『赤い帝国の王もその本を読み、炎に焼かれた。世界のすべての王が呪われる』


つまり『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』を読んだ東ローマ帝国の皇帝が呪われて死に、帝国は滅亡した。本を持って脱出したサラスは十字軍の支配するどこかの島へそれを隠した。

オスマン軍(赤い月の帝国)の王もそれを読んで死んだ。帝国も衰退した。


本は何処へ行ったか。アントワーヌ・ガランが探し出せたかどうか、記してある(らしい)筈の『クシテフォン書簡』は何処にも無い。

当たり前だ。我々は東洋文化の専門家で文学者のガランが書いたものと思い込み、その書庫や文献をずっと調べていたのだから。


本気で呪いの本だと信じるのなら無残な最後を遂げたルイ16世の方を調べるべきだったのだ。

王のブレーンにいたセルジェ・ガランがその本について残した覚え書きは彼の残した大量の文書(それはほとんどフランス王国末期の経済情勢と政策に関するものだった)の中に紛れていた。


この覚え書きのことが「アラビアンナイトの原本の行方を書き記した書簡」「ガランという人の文書」「本はクシテフォンの地からパリへと流転」という断片的な箇条書きで伝聞に残ったに違いない。










アルフ・ライラ・ワ・ライラ 最終夜(千夜一夜) 「山羊の頭を持った子」


シェラザード姫の遺体は翌日王宮の中庭で火葬されることになった。

シャフリヤール王は見る影もないほどに憔悴しきって別人のようであり、誰かが話しかけても放心して返事が出来ぬ様子であった。


それでも姫の棺に火が点けられるという時、彼は立ち上がり涙を流しながらそれに縋りついた。

「もう一度、姫の顔を見せてくれ」


王の頼みで点火がいったん中止となったが、祈祷師も葬儀を司る司祭も開棺に反対した。

「王よ、死者の棺を開けるのは不吉です」

「この眠りを妨げるものに災いが訪れるといいます」


「嫌だ!私にシェラザード姫の美しい顔を見せよ。逆らうものは首を刎ねる」


この2年と9ヶ月、シェラザード姫のお陰で王宮に陰惨な刑罰は執行されていなかったが、もともとシャフリヤール王は毎日誰かの首を刎ねていたのだ。


誰もそれ以上は反対できず、薪を高く積み上げた火葬場から棺が降ろされた。

するとどうだろう。

棺の中から物音がする。

そこにいるすべての者が凍りつき、これを開けてはならないと思った。一人を除いて。


「姫は生きているのではないか!?すぐ開けよ。シェラザード姫を棺から救い出すのだ!」


王の命令で側近達が恐る恐る棺の蓋を開けた。


そこにはやはり美しい死に顔の姫が横たわっていたが、下腹部に蠢くものがあった。


「ああっ!何だ?これは…」

棺の近くにいた側近が恐ろしさに後ずさりする。


姫の下腹部が見る見るうちに膨れ上がり、盛り上がる。

誰も彼も恐怖に動けない。シャフリヤール王さえも蒼白な顔で立ち尽くす。


膨らんだ下腹部がついに裂けて、中から子供が現れた。

三歳児くらいの大きさで血みどろの姿だ。

頭が異常に大きく、血でわかりにくいが角があるように見える。

赤子は生まれたばかりであるのに立ち上がり、棺の外にその足を踏み出した。


我に返った祈祷師が胸の前で手を合わせ、震える声で祈りを唱える。

「闇から来し子よ。禁忌に触れし我らを許し闇に帰りたまえ」


その身を包んでいた夥しい血が流れ床に消えていくと、幼子の姿が露わになる。


「ああ、我らが神よ。お助けを」

司祭がその子を見て思わず天に許しを請うた。


そこには山羊の頭を持つ子供が裸で立っている。


「お、お前は誰だ。美しいシェラザードの子供ではあるまい」

シャフリヤール王が剣を抜いて声をあげたが、恐ろしさに近づくことはできない。


おぞましいことに山羊の頭をもつ子は笑った。歯を剥きだして大きな声で嘲るように笑った。

その笑い声に葬儀に立ち会っていた側仕えの女達は残らず気を失った。


その山羊の頭を持つ子は足先から歯の根元まで震えているシャフリヤール王に近づく。


「よ、寄るな。来るな…来ないでくれ」

王が懇願するが山羊の頭を持つその子は彼の目前まで歩を進める。


子はニヤニヤしながら王に告げた。

「シャフリヤール王よ。近くユーフラテスが海にその水を注ぐ地で大きく地がうねり、人々が数えきれぬほど死ぬ。お前の国は滅びを迎える。お前が首を刎ねた女達の呪詛がお前を滅ぼす」


蒼白の王は後方に倒れ、尻餅をついた。


「アハハハハハハ…」

山羊の顔が歯を剥きだして爆笑する。

次の瞬間、彼は王の剣を取り上げ、自らの首を刎ねた。


人間の子供の身体は血を吹いてそこに立ち尽くしたままだが、山羊の首だけが王の眼前にゴロリと落ちた。

そして首のまま、ニヤニヤ笑いを消さないまま、何かを王に呟いた。

「मृत्योः अनन्तरम्شما穢 לא יכולप्राप्नुवन् एव مجاز 怨نیستیدאנילסלוח 死ねלך גם अपि दुःखं 」


王の絶叫が王宮に響く。

そこにいた他の誰も理解出来なかったが、王には確かに聞こえたのだった。











2022年の夏、京都駅前のバスターミナルに元総理である枝出晋太郎は姿を現した。

群衆が大きな拍手で迎える。

昨年、いくつかのスキャンダルの責任を取る形で総理の職を辞したが彼にはまだ依然として国民的な人気があった。

この日、彼は自党の候補者の選挙応援に来た。沢山の候補者から応援の要請があり、たまたまスケジュールの都合がよかった選挙区に来たといっていい。本当に()()()()()


枝出には一昨年パリサミットに出席した後、生気を失っているという評判があった。

実際そこで何があったのか、本人に聞いてもついぞ話すことは無かった。

サミット自体は大きな成果もなかったかわりに、特別落ち度もなくマスコミからは「安定した役割を果たした」という評価が画面と紙面をささやかに飾った程度である。


だが周囲は彼の明らかな憔悴ぶりを憶測した。

プライベートで何かがあったのだろうか、渡仏したときとは別人のような顔色だった。


ただ側近中の側近と言われる秘書官に一言だけ「山羊の子から話しかけられた」と漏らしたが、もちろんそれが何を意味するのか彼にはわからない。


それでも…総理の座を明け渡しても彼は周囲から「キングメイカー」と目される存在であり続けた。

彼自身もしばらくして「いつもの彼」に戻って働き始めたので、その時の様子はすぐ忘れ去られた。





枝出が候補者の応援演説を始めてしばらくした時、若者の一人が背後から不自然に接近したが()()()()()()()()()()()()


銃弾が彼の首筋をかすめて逆に動脈を激しく損傷させた。

枝出は自分が撃たれたとは最初思わず、自分の首が妙に熱く感じただけだった。

それでも身体から力が抜け、ゆっくりとアスファルトに彼は倒れる。


次の瞬間、不思議なことに意識は上空にあった。

「そうか、俺は蜂に刺されたのか」


大騒ぎになっている駅前を冷静に見る余裕さえある。

どういう視点の転換か、東京で立ち尽くしてテレビを見つめる東方が彼の眼下にいた。


「ああ、東方先生。すみません。図書館でご一緒する話は駄目になりました」


だが、まあそれはいい。

東方には別の大学で好待遇を与えてある。彼は彼でどうにかやってくれるだろう。


家族のことも党のことも心配ではあるけれど、自分で無いとどうしようもないという役割は今さらあるまい。…それも寂しいことではあるけれど。


暗く青い空を彷徨いながら、彼は想う。

「国が滅ぶ」か。どうなんだろう。あれは只の古書だ都市伝説だと言い切るのは難しいな。


それもこれも最早手遅れか。


滅ぶのか。




読んでいただきありがとうございます。

おぞましい話を書きましたが、もっとおぞましくするにはどうしたらいいでしょう。

…で次回は最終回「東京2024」です。

よろしければぜひ。

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