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ベルサイユ1793 ①

パリ 1793年1月21日午前10時22分


ルイ・オーギュストの乗る馬車は2万人の群衆が集まる革命広場に入場し、中央の死刑台の前で停車した。群衆が様々な野次を飛ばす中、元国王だった男は手枷をつけられたまま馬車から降り、断頭台に向かってゆっくりと階段を歩んだ。


そこにはギロチンといわれる死刑台が彼を待っている。

その設計者の一人には機械工学が趣味であった彼自身も加わっていた。


死刑台を見上げて彼は思う。

(確かに私は世の中の流れを見誤った。財政の改革も出来なかった。だが、ここで『民衆の敵』として死刑になるような罪を犯しただろうか)


ルイ・オーギュスト…フランス最後の絶対君主にして最初の立憲君主、ルイ16世は民衆に向かって静かに語りかけた。

「我が民よ。私は無実のうちに死ぬ。だが私は私の運命や私の死を作り出した者を呪ったりはしない」


元々集団ヒステリーに近い歴史の濁流のような何かによって彼は首を落とされようとしている。

祖父や父の軍事的放蕩によって大きく傾いた国家財政は平民の生活を苦しめた。


だが彼は経済学者や銀行家を政治に参画させ改革に取り組んだ。その取り組みは成功とはいえなかったが、まだ始まったばかりだったし経済状況は好転の兆しも見せてはいたのである。

また彼は人権的な思想を持っていた。

伝統的な拷問は彼の手で廃止され、平民の意見を吸い上げるための三部会も招集された。

さらにアメリカ合衆国の独立を後押しし、新大陸での利権も確保した。


彼は時代が違えば改革の旗手として賞賛されてもおかしくなかっただろう。


それでも彼は今からギロチン台に自らの首を入れねばならない。

もう一度ルイ16世は真正面を向いて誰かに何かを言った。

だがそれはごく小声であり近辺にいた数人の立会人、例えばかのアントワーヌ・ガランの孫であるセルジェ・ガランなどに聞こえただけであった。


「砂漠の呪いは世が続く限り無くならぬ。山羊の子よ、世界中の王をアラベスクに載せん」


それがルイ16世最後の言葉となった。

絶対王政が民衆の力の大きなうねりの中、それこそ砂漠の楼閣のごとく崩れていくのは止められない流れであっただろう。

だが後にセルジェ・ガランは思うことになる。この王の無残な最後は呪いのせいではなかったのかと。

そして『フランス王国の滅亡』とそれに続く恐怖政治の始まりも彼があの本を読んだときから始まったのではないかと。


そう…砂漠の呪いは続いている。『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』の呪いだ。








イスタンブールで拉致をされた私はその一月後、パリで枝出(しいで)と再会していた。


「先生、本当に申し訳なかった。まさかトルコ側にこんな危険分子が紛れているとは予想外でした」

枝出はまだ右の頬を腫らしている私に深々と頭を下げた。


さすがに『気にするな』と私は言えず、ため息をついて手で頭を上げるよう促した。

「彼らにとってあの本の価値や意味は私たちの文化圏とは随分違うもののようです」

私はあの後、彼らから聞いた言葉を思い出していた。


「東方教授、貴方が探している本が砂漠の民にとってどれだけ特別なものかおわかりですか?」






イスタンブールの新市街で私は三人の男に攫われ、意識を失った。

その私が再び目を開けたのはどこかのホテルの一室のようだった。

私はまだ自分の人生にこんなB級映画のようなことが起こったことを受け入れられずに、ベッドに転がされたままボンヤリとしていた。

少しずつ頭がハッキリしてくるにしたがって恐ろしく不安な気持ちになってくる。


それでも周囲を見渡してホテルの高級さを感じたり、自分の身が拘束されていないことを確認したりして、どうやらある程度『大切な客または人質』的な扱いを受けていることに気がついた。

それが安心していい要因かどうかはまた別の問題だが。


「気がつきましたか。すみません、手荒なことになってしまって」

私が目を開けたのに気づいてあの黒縁眼鏡が私に話しかける。

「先生とお話をしたい。そしてご協力願えれば必ず無事に日本にお送りします」


それでホッとしてお礼を言うほど私もお人好しではない。

「当たり前だろう。私は総理の依頼でこの街に来たのだ。私に何かあったら国際問題だぞ。責任を取れるのか、君たちは」


言い終わるなり私は拳骨で頬を殴られ、またベッドに倒れ込んだ。

殴ったのは三人組のうち私に『関係職員』と名乗った大男だ。

「国際問題になるかどうかはお前が決めることじゃない。間違えるな。ただの邦人行方不明者になる可能性だってある」


暴力とその言葉の両方の衝撃で私は言葉が出ない。

それでも起き上がってベッドに座り直す。歯が折れていないか、鼻血は出ていないかと口の中と顔を触ったが頬骨が酷く熱いだけで大怪我にはなっていなさそうだった。

「ううう…何が目的だ。私は本当にただの学者なのだ」


「先生、貴方は理解していますか」


その時、黒縁から出た言葉が「『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』が砂漠の民にとってどれだけ特別なものか理解しているか」だった。







アルフ・ライラ・ワ・ライラ 第千夜 「シャフリヤール王とシェラザード姫の夜より」


2年と9ヶ月弱、シェラザード姫はこの残虐な王、シャフリヤールに夜な夜な物語を語ってきた。

昨夜は「空飛ぶ絨毯」の話をした。何気なく王位の継承をからめ、残虐な人間にはそれなりの報いがあるだろうという教訓を()()絡めたつもりである。

月明かりの砂漠に立つシャフリヤール王の別荘である宮殿、その広い庭に面した半露天の絨毯の上で姫は千話目の話を語ろうと王の近くに侍る。


すっかり安心している王は側仕えも護衛も天幕から遠巻きに配置してあるだけだ。

シャフリヤール王とシェラザード姫、二人きりの顔が松明の灯りで浮かび上がる。


だが今夜はいつもと王の様子が違う。

「どうなさいました、シャフリヤール様。お顔に憂いが見えます」


姫の言葉にシャフリヤール王は寝転んでいたクッションから上半身を起こした。

「姫よ、まだ俺には皆が言うような愛であるとか情であるとかそういったことはわからない」


シェラザード姫は彼の腿に手を置きながら頷く。


「だが、お前を失いたくないという気持ちは偽りがないものだ。信じてくれるか」

シャフリヤール王はその姫の手に自分の掌を重ねて、じっと見つめた。


シェラザード姫はこの3年近い歳月でようやく自分の願いが成就しようとしているのを感じ、ホロホロと大粒の涙を流した。

「偉大なる王よ。もちろんです。もちろんですとも」




シャフリヤール王は姫と出会う前はまさに「人の皮をかぶった(けだもの)」であった。

毎夜のごとく美しい姫を自分の手で殺した。不満があったとか姫が粗相をしたということではない。美しく若い女性をその手にかけることが何よりの愉悦だっただけのことである。


ただしそれはまさに王の言い分であっただろう。王宮に呼ばれた若い女性はたまったものではない。

シェラザード姫が宮殿に入るまでに数百人の美しい姫達が犠牲になった。




姫はある日決意する。

「私が止めてみせます。これ以上の犠牲者は出しません」


彼女はシャフリヤールに懇願した。

「毎夜一話ずつ私がお話をいたします。お気に召したら次の晩もお聞きください」


王は面白そうな顔で言う。

「ほう。ではつまらなかったらお前の首を刎ねてもいいのだな」


「王の御心のままに」


こうしてシェラザード姫の千一夜の物語が始まった。


一夜目、インドの王が二頭の象の鼻を蝶々結びにする話をした。

王は爆笑して彼女を生かした。


二夜目、エジプトの大きな鷹が月の妖精と恋に落ちる話をした。

王は夢見る瞳になって姫に翌夜も話をするよう命じた。


三夜目、四夜目、シェラザード姫の語る魔法と恋とそして呪いの話はシャフリヤール王の心を掴んでいった。


百五十二回目の夜にはバグダッドの蜂が王の父を弑する話をした。

シャフリヤール王はほんの少し眉を顰めたが「王の行いが蜂を狂わせたのだな」と深く頷いた。


七百二番目の夜にバグダッドの悪党同士の対決を面白おかしく語った後、口では忠誠を誓うが心の中では支配者に不満を持つ人々のことをチラリと添えた。

王はフフンと鼻白んだが「民衆の本当の心を聞かねば良い君主とは言えぬかもな」と付け加えた。


昨夜、九百九十九夜は王と王の後継者に纏わる因縁の話を語った。

王はしばらく考え込んでいたが「自分の子供達にはしっかりと道を示さねばな。まだ私に後継者はいないが」と言い「考えたこともなかった。自分の無き世をどうするかも王の責任であるのか」と瞠目した。


今夜シャフリヤール王、その人は真珠の涙を瞳に浮かべ言った。

「私は今本当に心細いのだ。其方を失うことは出来ない。其方の心が私から離れたならば、それは砂漠の真ん中に一人きり取り残されたようなものだ。ずっと私の側にいてほしい」





↓(ここより『千夜一夜物語通常版』最終話ラスト)


「もちろんです、シャフリヤール王様。幾晩もの夜を乗り越え、私も心から貴方を愛するようになりました」

シェラザード姫も美しく大きな瞳を王に向けて、その手を握った。


「おお、シェラザードよ。私が間違っていた。私はこれから其方を大切に、同じくらい国の民を大事にすると誓おう」


夜空には千とひとつの星が輝き、二人を祝福した。


そして平和と幸福の国で二人はずっと幸せに暮らしたのだった。





↓(こちらは『アルフ・ライラ・ワ・ライラ完全版』千夜目ラスト)


シェラザード姫は顔をあげる。呪いが成就する夜が遂に来た。

星は悪魔のようにキラキラと瞬いている。


「シャフリヤール王よ。貴方が殺した百番目の女は私の姉です。私は彼女を心から愛していました」


王は姫の顔をハッと見る。

「すまなかった。姫よ。砂漠の水や黄金千枚でも償えない」


「そうです。償えない罪を貴方は犯したのです」

さらに一息つくと立ち上がって王を見下ろす。

「百一番目の女は私の従姉妹でした。彼女の両親は最愛の娘が貴方に殺されたことに悲しみ、ユーフラテスの河口にその身を投げました」


「…姫よ」


「百二番目の女は私の妹ドゥンヤザード、大きな碧色の瞳がいつも好奇心で輝いている娘でした。貴方はあの娘の瞳をくり抜いたそうですね」


「許せ!許してくれ!姫!」

王は少しずつ後ずさっていくが、姫は逃がさない。


松明がユラユラと二人の影を天幕に映しだしている。



「シャフリヤール王、貴方にはかけがえのない者が無くなっていく悲しみ、喪失感、絶望を味わっていただきます」

姫はアラベスクの鮮やかなペルシア絨毯の裏側から一振りの長剣を取り出した。


「さようなら。愛していました」

そのまま彼女は自分の喉に切っ先を突き刺し、一瞬で絶命する。微笑みを浮かべて。


シャフリヤール王は腰を抜かしたかのように目を見開き、何も出来ないでそれを見ていた。


数刻の後、王の絶叫が砂漠の天幕に響いた。

護衛と側仕えがすぐにやってきた。

そこには美しい死に顔を血の海に浮かべるシェラザード姫と、取り乱し四つん這いで絨毯を握りしめる王の姿があった。







1792年8月のパリ、それは恐ろしく暑かった。

夏の陽射しもさることながら、社会の変革に立ち上がった人々の熱狂がパリを燃え立たせている。


ルイ16世はこの年の6月末、密かにパリから逃亡しようと家族とともに馬車に乗ったが、国境近い村ヴァレンヌで捕縛され、パリで幽閉の身となった。


さらに8月、民衆はその宮殿を襲撃し、幽閉されていた王とその家族を引きずり出した。

この時点で彼は『ルイ16世』ではなくなった。


修道院を改装した牢獄「タンプル塔」の薄暗い一室で彼は考えている。

「私は何を間違えたのか。私の罪とは何であろう」


あの『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』という奇妙な古本をガランに見せて貰ってから様々なことがすべて裏目に出ていった気もする。

だがあの本をどうしても見たいと言ったのは自分自身だったし、この革命の波がすべて本の呪いだというつもりもない。



王はふと人生を振り返る。

家族などいなかった。祖父も父も母も自分を見る目は肉親のそれではなかった。

ある時、気がつく。両親の自分への視線は儀式でのみ宝物庫から出される王冠に向けるものと同じだった。祖父王は『朕は国家なり』と言い放ったと聞かされた。

では私も国家そのものなのか。だから彼らは私を人間を見る目で見てくれないのだろうか。



ルイ16世一家はパリに一家で幽閉され、初めて家族となった。

ヴァレンヌで捕まったとき役人から私をかばった妻マリー、「私の夫に触らないで!」と。

けっして睦まじい夫婦というわけではなかった。二人の子供も誰の子かと疑ったりした。

誰の子であろうと、それさえ些細なことだと死刑台へ向かう馬車の中で彼は思う。


4人で身を寄せ合い、励ましながら宮殿で過ごす。息子と娘に自分のパンを与えて微笑む王と王妃。

ルイ・オーギュストがもっとも幸せな日々だったかもしれない。




しばらくして群衆が宮殿に詰めかけ、彼は家族と離ればなれになった。

家族が連れ去られるとき、彼は叫んだ。

「私がすべての罪を引き受ける!家族を大事に扱え!いや、扱ってくれ。頼む!」


だが民衆の一人が言った。

「お前は俺たちの大事な誰かを犠牲にして裕福に暮らしてきたのではないか」


同意の声があがる。

「大切な誰かを失う悲しみを今こそ味わえ」


大切な者など、それまでは誰もいなかった。

王という身分や財産を失って初めて彼はそれを得たのだった。


彼はタンプル塔の薄汚れた絨毯、そのアラベスクの上で慟哭した。




ルイ16世の遺体はまず集団墓地に葬られた。後に王政復古が到来すると、新しく国王となったルイ18世は兄夫婦の遺体の捜索を命じた。発見されたルイ16世の亡骸は一部であったが掘り起こされ、その22回目の命日である1815年1月21日、歴代のフランス国王が眠るサン=ドニ大聖堂に妻マリー・アントワネットと共に改葬された。





読んでいただきありがとうございました。

次回最終回の予定でしたが、終わりませんでした。うむむ。

来週末、頑張って「ベルサイユその2」、そして最終回「東京」へと続く予定です。

よろしければおつきあいください。


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