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イスタンブール1453 ①

『アラビアンナイト』という物語の全体像は意外と知られていない。

有名な『シンドバッドの冒険』も『アリババと40人の盗賊』も『アラジンと魔法のランプ』もすべて『アラビアンナイト物語(千夜一夜物語)』の一部分であり、その千編に及ぶ物語を結ぶ縦糸はシャフリヤール王とシェラザード姫の長い長いラブストーリーである。


我々が一般的に知る『アラビアンナイト・エンターテインメント』は1704年にフランスで、その2年後にイギリスで出版された大ベストセラーだ。


『アラビアンナイト物語』またの名を『千夜一夜物語』はフランス人の東洋学者アントワーヌ・ガランの著作であり、まずはルイ14世を喜ばせるために書かれた。


ガランの著作はフランス王室並びにヨーロッパマーケットへの対応のため、多分に脚色されている。本来の『千夜一夜物語』はもっとおどろおどろしくて残酷で、直接的な欲望に満ち…だからこそ純粋で美しい。


そのバグダットに伝わる王と姫の遙かな愛の叙事詩…原題は『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』という。




2019年の夏、私はイスタンブールにいた。枝出(しいで)の要請に応じた形だが、いささか気がかりなこともあった。

『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』の完全版にまつわるある噂だ。

最終話を最後まで読んでしまった者には不幸が訪れるという都市伝説の如き噂だが、私は気にしていた。何しろ彼は日本の最高権力者なのだ。万が一にでも何かがあったら。


「何を馬鹿な。そんな与太話を信じるのですか?」

枝出は笑い飛ばしたが、何しろ敵は千年以上の歴史を持ち、噂の上とはいえ様々な王と国を滅ぼしている(らしい)。


「そんな馬鹿な冗談はどうでもいいですが」

一切枝出は気に留めない。

「あの『イスマエル・サラス書簡』が見つかったらしいんです」


「えっ、それは…」

大発見だ。少なくともミステリー系の古文書マニアの間では。



イスマエル・サラスは15世紀の半ばまで活動していた史家であるといわれている。ササン朝ペルシアの歴史研究で名をなした人でエディルネというトルコの最西端の都市出身であるらしい。

「いわれている」とか「らしい」という言葉どおり、あまり確かな事実がわかっていない人物なのだが、『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』完本の行方を探索する上では重要な人間には違いない。


かの完本の所在(もし実在すれば、の話なのだが)を記した、または手がかりの文献として考えられるのはこの『イスマエル・サラス書簡』と例のフランスのガランが残したとされる『ガランの日記』および『クシテフォン考察』の3種類のみであるといわれる。

そうは言っても『サラス書簡』はコンスタンティノープルの陥落時に、『クシテフォン考察』はフランス革命の時に行方不明なっている。


唯一公式に閲覧できる『ガランの日記』から読み取れることがある。

ガランは『アルフ・ライラ・ワ・ライラ完本』をイラン高原やエジプト近辺まで探し求めたらしい。少なくとも彼はその完本の存在を信じていたわけだ。

彼がその調査の末、目的の本を入手できたかどうか結論は書かれていない。『探索に探索を重ねた。非常な苦労であった』というようなことが記されている。これは所在地を明記して盗難や略奪の元となるのを避けたのだという説があり、入手の可能性を私は五分五分くらいと見ている。


さて、そのガラン、こうも書いている。


『イスマエル・サラスが手に入れた完本は東ローマ帝国最後の王が読んだ。アラベスクの絨毯に乗った王はその1年以内にオスマン軍に惨殺され、帝国は滅亡した』

『赤い帝国の王もその本を読み、炎に焼かれた。世界のすべての王が呪われる』





永らく行方不明であった『イスマエル・サラス書簡』がアンカラにある大統領府国民図書館の地下書庫深くで見つかったという。トルコ大統領から極秘裏に入った情報を元に、枝出は私をこの地に送ったのだった。

「東方先生、我々が千夜一夜の結末を読めるチャンスはこれが最初で最後かもしれません。可能性があるならば、捜してみてほしいのです」



イスタンブールにある日本大使館、その最奥にある貴賓室に私は通されている。

アンカラの地下から埃を払ってイスタンブールにやってきた500年以上前の紙の束には何が記されているのか。

眼の前の本来なら『マニア垂涎の文書』に私はなかなか手を伸ばすことができずにいたのだった。

いやな予感がするのだ。








アルフ・ライラ・ワ・ライラ 第七百二夜 「アリと40人の首切り盗賊」


バグダットの西の外れにアリという男がいた。いい歳をして遊び人の彼は普段から自分の生活態度について煩い兄カシムを黙らせ、出来ることならその財産を自分のものにしようと謀を巡らしている。


そんなある夜、アリは偶然バグダット東の砂漠に出没する盗賊団がそのアジトへと帰還するところに出くわす。

彼らの後を追跡したアリは盗賊団のねぐら兼宝物倉庫の場所を発見し、それだけでなくその開閉の方法を覚えた。

『イフタフ・ヤー・スィムスィム』と唱えれば外から岩の扉が開き、『イダー・ラミジェク・サクラサク』と唱えれば内から開く。


*イフタフ・ヤー・スィムスィム(ゴマよ開け) 

 イダー・ラミジェク・サクラサク(さもなくばお前の首が無くなる)



盗賊達のアジトに自由に出入りが出来るようになったアリは彼らの留守を狙ってはその宝物を盗み、たちまちのうちに大金持ちとなった。

大きな屋敷を街の中央、シンディ川のほとりに建て、豪奢な暮らしをし始める。


そんなアリを心配した兄は忠告をした。

「お前はどこかで悪事を働いているのではないか。もしお前の財産が真っ当な稼ぎで得たものでないのなら、すぐに返してくるのだ」


アリはそんなカシムに盗賊団のアジトの場所を自分の職場と偽って伝え、さらに外から岩の扉を開ける呪文のみを教えた。

「俺はここで稼いでいる。何ならどういうところか見てきてほしい」


兄は「入るのに呪文が必要とは何と怪しい職場だ」とは考えたが、多少の好奇心も湧いた。早速その晩、東の砂漠に行き、教えられた岩山の前で「イフタフ・ヤー・スィムスィム(ゴマよ開け)」と唱えた。

カシムはおびただしい財宝の山を見て驚愕する。

これは只事で無いと退散しようとしたカシムは再び扉の前で「ゴマよ開け」と言ったが、扉はビクともしない。閉じ込められた彼は途方に暮れつつ明け方となる。

そこに今夜は砂漠で隊商を襲っていた40人の盗賊達が帰ってきた。

ここしばらく少しずつ財宝が減っていたのに気がついていた頭領サフローバッド(岩山の王)はカシムを見つけて何が起こったかすぐに理解した。

「俺たちの財宝を盗んでいたのはお前だな。盗賊のものを盗むとは」


「すべて返せ。さもなくば」

サフローバッドが怒鳴ると、手下達がそれに合わせる。

「イダー・ラミジェク・サクラサク(さもなくばお前の首が無くなる)」


すると岩の扉が開いたのでカシムはアジトを飛び出そうとしたが、手下の一人が魔剣でカシムの首をポンと刎ねてしまった。

カシムは首なしのままアジトから逃げていった。

残されたカシムの首を頭領サフローバッドが拾って正面から眺める。

「おい、どうだ。首だけになった気分は」


驚いたことにカシムは首だけで生きていた。

「弟に騙されてこんなことになった。私は何も盗ってない」


首だけで嘘をつくことは出来ないので頭領もそれを信じ、カシムに言う。

「では今からお前の身体を追いかけてその弟、アリのもとへ行くことにする。アリから金貨を取り戻せたらお前の身体を返してやろう」




盗賊達は夜の闇に紛れてバグダッドの街に近づいた。

しかしさすがに街中の警備のことを考えると集団でアリの家まで行くのは憚られる。

サフローバッドは一計を案じた。


ラクダの大きな荷袋の中に手下達が隠れる。一匹のラクダに二人ずつの盗賊、20匹のラクダを引いて先頭にサフローバッドのラクダ…そしてそのラクダの首には大ぶりの水筒が結わえられている。

水筒の中には兄カシムの生首が入っており、穴から外を見て道案内をしていた。

間もなくアリの家へと一行は辿り着く。



「アリ・ババ(アリの野郎)め。よくも俺たちが命がけで盗んできたものをかすめとったな」

シンディ川のすぐ近くで素晴らしい立地、この大きな屋敷が自分たちの獲物を盗んで建てられたものだと思うと腹が立った。

怒りに震えるサフローバッドは財宝をすべて取り戻し家族を皆殺しにしたら、屋敷を焼き尽くすつもりで自分のラクダの両側にたっぷりの油がはいった壺をぶらさげている。





だが…そのしばらく前、アリは首の無い身体が家に駆け込んできたのを見つけ驚愕しつつ、抜け目なくその背景を探っていた。彼は首なし男をその服装や体型から兄カシムと確信し、下男達に命じて押さえつけた。

「身体だけになって帰ってくるとは無様な。お前が頭を取り戻したかったら、俺の言うことを聞け。嫌なら煮えたぎる油で真っ黒に焦がしてやるぞ」


頭のない身体が跪いて両手を合わせ、それからひれ伏した。この身体は脅しに弱い。そしていったん服従を誓うと忠実な(しもべ)となるらしい。




そうとは知らぬ盗賊は大きなアリの屋敷をグルリと回って様子を伺う。

頭領がやれ正面から押し入ってやろうと馬首を上げた時、門から頭のないカシムの身体が飛び出て来て平伏した。

「やや、俺の身体だ。どうした。アリの奴は中にいるのか」


身体は何度も頷いてから、逆方向に指を指す。裏口から入れということらしい。

よく見ると正面の門、その内側にはかがり火がいくつか見える。


「なるほど、弟アリは襲撃を予想して用心棒を雇ったらしい」


「何と。では裏口から入って奇襲をかけるに限るな。手下ども、そのまま隠れていろ。中に入ったら飛び出てこい。奴らを皆殺しだ」

カシムの身体はしばらくラクダの周りをウロウロしていたが、ようやくサフローバッドの水筒を見つけ自分の頭を大事そうに抱えた。

「よくやった、俺の身体よ。これから弟を懲らしめるぞ」


自分の頭を持ったカシムを先頭に頭領と荷袋に隠れた40人の盗賊達が裏口からソロリと屋敷に侵入した。

賊が全員屋敷に足を踏み入れたその瞬間、カシム(正確には頭部を抱えた首なしのカシム)はかがり火をサフローバッドの壺に投げつけ、自らは門の外に飛び出た。

かがり火が壺の油に燃え移って爆発するように燃える。


「何をしやがる。おい、お前ら、袋から出ろ!」

サフローバッドはあっという間に燃え広がる炎から逃げつつ叫ぶが、荷袋がなかなか開かない。

首なしカシムが先ほどウロウロしている間にギュウと外からきつく結び直していたのだった。


「頭領、袋が開かない」

「助けてくれ!熱い!」

助けようにもラクダが炎を怖がって庭先を走り回り、手がつけられない。

大量の油が災いしてすぐに屋敷に火が回り、ついにラクダも荷袋も燃え始めた。


「くそ!やられた。屋敷の中は空っぽだ」

諦めたサフローバッドが外へ逃げようとするが、外からガッチリと閂がかけられ、釘で打ちつけられた屋敷には逃げ道がない。


「アリ・ババ、覚えていろ。必ず復讐する。お前を油で煮殺すまでは死なないぞ」

ラクダや手下達の悲鳴と屋敷の燃え落ちる轟音の中、サフローバッドが叫ぶ。

彼はまだ辛うじて形を保つ屋敷の屋根に登り、そこからシンディ川に思い切って飛び込んだ。



大怪我と大やけどを負ったが、彼は一命を取り留めた。

数年後この川で大規模な盗賊団が組織され、バグダッドの民を恐怖に陥れる。

『アリ・ババ』がその盗賊団の親玉『シンディ川賊の長(シンド・バッド)』と対決するのはまた別の夜の話としよう。


さてちなみに…アリ・ババの兄カシムは助かったものの、頭はアリを憎み、身体は彼に服従を誓うという奇妙な人物となってしまった。

これ以降、バグダッドの街には口では王に忠誠を誓いつつ、政府への反乱には進んで参加するという民が増えた。

その人々こそ、かのカシムの子孫である。







1453年5月29日の未明、オスマン帝国の大軍に包囲された東ローマ帝国最後の牙城、コンスタンティノープルは落城寸前であった。北西の城壁が崩されたのを契機にオスマン軍は城内に殺到する。

コンスタンティノス11世は数少なくなった親衛隊とともに最期の抵抗を試みていたが王宮にオスマンの旗が翻ったのを見て落胆した。

「あの物語を読んだのが不吉な出来事の始まりだったか…」


オスマン軍の乗るラクダの大群が親衛隊を蹴散らし始めた。さらに彼らによって城内の中央部に撒かれた油で大炎が巻き起こり、かつて栄華を誇った王宮近辺を赤く染めている。

その光景はかつて読んだ『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』の一節を彷彿とさせた。


そして王は驚愕する。

首のない男が自分の眼の前にいた。

目を凝らせば彼の胴鎧には双頭の鷲の紋章がある。

「これは余ではないか」


その時コンスタンティノス11世は初めて知った。いつの間にか自分の首は胴体から離れ、オスマン帝国の兵によって槍の先に突き刺さっていた。

彼は首から先だけで思い出す。あの物語の最終夜…千一夜目の結末を。

「わかっていた。あの時からこうなることは。おお、滅びの物語よ」


人々の叫びや敵の歓声、燃えさかる教会や王宮、そして未明の闇を明るく照らす炎の中でついにコンスタンティノープルは陥落した。






読んでいただきありがとうございます。

コンスタンティノープル(イスタンブール)編、書いてたら長くなりすぎて一話になりませんでした。

次回「イスタンブール1453 ②」です。様々な時代が入り組むので(作者の力不足で)判りにくいとは思いますが、ぜひおつきあいください。よろしくです。

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