1954年9月11日 午後8時30分 天気 快晴
1954年9月11日 午後8時30分 天気 快晴
私があの船に乗ったのが間違いだったのかもしれない。
この島はあまりにも常軌を逸している。
いや、これは海洋学者としての性に従ったまでの結果。
これは事故であって、然るべき因果に則った罰ではない――――そう信じなければ、私の気が狂いそうだ。
幸いにして、まだ私の手元には先の尖った鉛筆、それから貢の有り余った帳面がある。
生き延びて、ここを出た時の為にも、この漂流の出来事と、漂流に至るまでを記しておくとしよう。
どれほど長く、この島に居る事になるかはわからないが、いざ人――文明人に会って、まず何をどういった経緯でここに居る羽目になったのかを語る時に困るかもしれないのだから。
私の語彙、語学力は幼子にも劣るかもしれないが、それでも伝えるための台本くらいには昨日するだろうし。
事の発端は、詳細は伏せるが私が研究分野としている海洋における、人工物の放流による影響についての論文を書くための、調査船に乗っている時の事。
東京湾から出港し、大島付近を漂い、船酔いと戦いながらも、廃水に汚れていく海を眺めては、その一部を入れ、あるいは周辺の魚類をかき集めていた。
論文の材料足りえる情報は少なく、私はいっその事この分野から降りて、海の生態についてまとめた論文を再構築し、学会に発表した方が余程有意義かに思っていた。
出発の時刻は――記憶が正しければ8日の午前7時。
寒気だつ、秋の始まりを感じる朝に、「ようそろ」の声を聞いたのが、最後に聞いたまともな人間の言葉だった。
波止場から出てしばらくすると、陸地からは煙を吐き出す工場地帯が見える。
静かな海の中に染み渡る、黒々としてグロテスクな工業廃水を垂れ流しながら、空をも侵す工場は、私にとっては、肥大化していく、人間が作り出した化け物かのように思えてしかたがない。
少し前まで、この国は外国によって、大打撃を受けていたというのに、どうやら人間というのは傷を受けて尚、それどころかむしろもっと傲慢になっていく生き物らしい。
おっと、これは無駄な空間の使い方をした。
もしこれが軍人や役人の眼に入ったのなら、私はどんな目にあわされよう。
私は、昔から海というものに対して、深い惧れと、親しみの入り混じった、信仰に近い物を抱えていた。
例えば、貝というのは、縄文時代から食べられていた身近な食べ物で、古代より、海からの贈り物といっても良い。
魚も、知恵を絞れば、わんさと獲れるし、その魚は陸という異郷に上がればすぐに腐ってしまう。
海というのは、大事にするべき宝の山なのだ。
遊ぶには楽しく、仕事場とするには恵まれた場所――であり、厳しくも雄々しい、まるで理想の父とでも呼ぶべき存在。
それが、私にとっての海だった。
ここまでの信仰を持っていても、この無慈悲な環境の前には、それが如何に無力で、勝手な想像力に任せた価値観だという事に気付かされる。
嗚呼、父なる海よ、どうかお慈悲を。
東京湾を出て、大島へと向かっていた途中に、空は暗雲に染まって行った。
こういう海上ではよくある事で、私はさっさと船内に引きこもって居よう、そう決め込んでいたのだが――運が悪すぎようだ。
記憶が確かなら、10日の午後2時頃。
閃光が視界の全てを白に包んでいった。
次に訪れたのは、あの日の爆撃にも似た轟音。
それは、人類の憎しみの権化でもなく、自然からやってきた雷。
私はこの時、意識を持っていたかどうかはわからない。
ただ、漠然としたその光景だけが脳裏に焼き付いている。
気が付いた時には、この大島なのかも解らない島の海岸に辿り着いていた。
いや、ここが大島である筈はない。
遠くに見える、あの紫一色の森はなんだ!
海岸に今埋まっている、骸骨達はなんだ。
腕時計の示している時刻は、午前9時。
いくら人嫌いの私でも、「おーーい」と叫んでは、島の海岸を一周してみたが、何もない。
歩けば歩くだけ、ただコートと靴の隙間から、砂利や海藻が飛び出していくだけで、なんら、成果は見られなかった。
私はまだ、諦めきる事が出来ず、今度は、森の奥深くへと入ってみた。
紫蘇の葉を思わせる、紫一色に染まった木の葉達の付いた樹木。
太い漆黒の幹の織り成した森林の、なんと悍ましく不気味な事。
足元の土は、まるで泥と言って差し支えない。
柔らかく、踏む度に足裏に糸を引いて纏わりついているようだ。
散策を始めてから、2時間程。
午前11時24分。
時計を確認するころには、精も根も尽き果てかけており、不気味な木にもたれかかって、荒い息を慰めていた。
腰は痛みを訴え、膝は既に悲鳴を上げてきしきし言うようだし、慣れない長時間の散策で、足首は今にも折れそうだった。
ここは一体どこなんだ。
よく冷静になって、振り返るが、どう考えても地図上には、東京の南には大島が有った筈。
それ以外の島なんて、どこにあろう。
だとしたら、最初から船長は進路を間違えていたというのだろうか。
否、それはありえない。
しばしの間、元気を回復させるべく座っていた時、私の手に、何か冷たくもぞもぞと蠢いて這うような感覚がした。
疲れによって、砂利が張り付いていたのが改めて感覚で解ったのだろう。
そう思って痒みを伝えに来る右手の甲を、左手で掻こうとした時。
柔らかく冷たい感触と、幼い頃聞いた事のあるような音がした。
この音は何と例えよう、牛の屠殺時にあげる悲鳴のようなもの――――とでも言えばわかりやすいだろうか。
そんな感じの音が耳元でなり、何だ、と思わず右手を上げると、そこには重みを感じた。
重みの正体、冷たさの正体は巨大な白光りする、芋虫だった。
芋虫の体は、よく見るとカブトムシの幼虫のようでもあり、ムカデのように複数本細く、毛深い脚が何本も生えている。
顔にあたるだろう部位からは、きらきらと光る、液を纏った糸を吐き出しているようだった。
でっぷりと肥えた、その体の異常さを物語るのは、規格外の大きさにある。
私は恐ろしく思えて、虫を腕で思い切り殴ると、虫は側の木に頭を叩きつけられ、それを見てからすぐに立ちがり、気力を全て振り絞って遠く、遠くへと走って行った。
そこが元居た場所か、目的地になりえるものの近くか等もはや、不気味な物に対する、逃走本能の虜になってしまった私にとっては些末な事だった。
しばらく走って、私の恐怖心はようやく満足してくれたらしく、歩みは止まった。
歩みが止まって、午後1時12分。
書いていて気付いたが、もうかれこれ、数十分は動いていたのか。
奇天烈で、閉鎖的なこの空間において、私が私として居られるのは、この銀座で買った腕時計、それから、今こうして書いて使っている鉛筆、帳面だけだった。
その後、危機感を覚えたのは、空腹感だった。
いくら漂流の事を考えていないとはいえ、駄菓子の一つでも持ってくるべきだったか。
こういった場所では、よく動かざるを得ないことは、素人たる私の頭でも想像に難く無い。
とはいえ、私の体は既に疲れ切り、動く限界を突破していた。
一時間だけ、と決めて、私はそのまま、疲れが促すままに瞼を閉じていった。
もしやすると、淡い期待ながら船旅が私に見せた幻覚、あるいは夢なのかもしれない。
そうだ、きっとそうだ。
もし次に船の上で、眠りこけているのを誰かに起こされた時には、嬉しさの欠伸を漏らす事だろう。
現実は、そんな期待を虚しい物として、私の眼を開かせていったわけで、ここに至ったのだが。
起きて、帳面の存在に気付いてここに至ったのだが、ここで見るものは、月すらも異常なようだ。
太陽のように明るく、皆既月食の際に、月は赤く染まるというが、全くの茶色だった。
月の代わりに、土塊の塊が覗いている、そんな気分にさせてならなかった。
とはいえ、束の間の眠りをもたらしてくれたことを、ありがたがるべきだろう。
何せ、空腹が私の胃を叩いてならない。
まず努めるべきは食糧の確保だろう。
気力を振り絞る為にも、自分を励ます文を添えて、一旦の終わりとしよう。
さぁ、立て私よ。
先人たちが如何にして、英知によって闇を切り開き、胃を満たしてきたのかを今こそ、再現する時だ。