8話 カールセン伯爵家の現状
王都にあるタウンハウスで、カールセン伯爵夫人ビオレッタとしてわたしは暮らしていた。
女主人として腕を振るって、義姉から奪い取ったマクシス様に愛されて幸せな生活を送る——はずだった。
「ビオレッタ様、またメイドがひとり辞めました」
「そう、まったく最近の子は根性がないわね。ちょっと怒ったらすぐ辞めちゃうんだから」
庭の東屋までやってきた執事長のトレバーが、眉間にシワを寄せて報告してくる。またいつものように、わたしにああしろこうしろと言いたいのだろう。
天気もよくて、いい気分でお茶を楽しんでいたのに台無しだ。だから間を空けず言葉を続けた。
「これからはメイドが辞めるなんて人事の報告は不要よ。トレバーの方でうまくやってちょうだい」
「ですが、もうずっと募集をかけていても人が来ない状態です。これ以上メイドが辞めてしまうと屋敷の管理にも支障をきたします。つきましては、ビオレッタ様もメイドに対して感情的になるようなことは控えて——」
やっぱりわたしに文句を言ってきた。これだからトレバーと会話するのが嫌になるのだ。わたしはこのカールセン伯爵家の女主人だというのに、堂々と意見を言う態度が本当に癇に障る。
「もう! 本当にうるさいわねっ!! 足りなくなったらナダリー公爵家から借りればいいでしょ!?」
「それでしたらビオレッタ様かマクシス様で、手紙などのご用意をお願いします」
「だったらマクシス様に言ってよ!! 公爵家はマクシス様の実家なんだから!!」
「……承知いたしました」
大声で叫んで、やっとトレバーが頭を下げて部屋から出ていった。
伯爵家に長く仕えているからと、ずっと文句ばかり言ってきて本当に面倒な男だ。次になにか言ってきたら、その時こそクビにしてやろう。
蓄積されていた苛立ちは、トレバーが泣きすがってくる場面を想像したらなんだか落ち着いてきた。あの年でクビにされたら行くところなんてないだろうから、きっと泣きついてくるに違いない。
トレバーの代わりなどいくらでもいると、切り捨てるのが楽しみだ。
気持ちが落ち着いてきたところで、今度は蜂蜜入りの紅茶が飲みたくなって呼び鈴を振った。
メイドがパタパタと足音を鳴らしてやってくるが遅い。わたしが呼び鈴を鳴らしたら、十秒以内に来いと言っているのにとっくに三十秒は過ぎていた。
「ちょっと! すぐに要件を聞きにきなさいと言っているでしょう! 本当に鈍臭いわね!」
「も、申し訳ございません……! 他の仕事をしておりましたので遅れました!」
「わたしの専属メイドなら他の仕事なんて必要ないでしょ!?」
「それが……先日メイドが辞めたので、どうしても手が回らず見かねて手伝いを——」
いつまでも言い訳ばかりのメイドに腹が立って、ティーポッドごと投げつけた。まだ湯気の立っているお茶がメイドの肩にかかり、醜い悲鳴を上げて膝をつく。
「ぎゃあっ!! ああっ……ゔゔゔ!!」
「口答えが多すぎるのよ。わたしは蜂蜜入りのお茶が飲みたいの。さっさと準備してきなさい」
メイドはうずくまって耐えていたが、よろよろと立ち上がり厨房へと向かった。口答えするメイドや態度の悪いメイドには、こうやって躾をするのもわたしの役目だ。
せめてマクシス様がこの屋敷に常駐していればいいのだが、年の三分の二は領地に行っていて不在にしている。戻ってくるのは社交シーズンと、王都での仕事がある時だけだ。
わたしに愛を囁いて大切にしてくれていたのは、結婚してから最初の一年間だけだった。カールセン家の領地経営のために度々あの田舎まで行っていたけど、だんだんと王都のタウンハウスに戻ってこなくなった。
領地で愛人を囲っているのだと気付いたのは、結婚して二年が経った頃だ。
わたしには領地経営なんてできないし、あんな田舎町で生活するのは嫌だったから愛人の存在は黙認してきた。貴族が愛人を囲うなんて貴族ではよくあることで、カールセン伯爵夫人として優雅な暮らしができるなら問題なかった。
マクシス様は、義姉からこのカールセン家を奪うために必要だっただけだ。
他の女に夢中になっているのは腹が立つけど、後継者のわたしを捨てることはできない。
せいぜい見た目のいい夫として役に立ってくれればよかった。わたしも愛人を作って好きにやってきたし、相手に困ることもなかった。
それなのに、国王から呼び出され出席したパーティーでわたしは大きな衝撃を受けた。
パーティー会場には国王から呼び出された貴族たちが集まり、社交の場になっている。重大発表についても、さまざまな憶測が飛び交っていた。
内容は王太子が王位に就くだの、帝国と戦争が始まるだの、新しい婚約者ができただの、好き勝手話していた。
その話を小耳に挟んだ見た目だけの夫が、持論を展開しはじめる。
「いくらなんでも、先日婚約を解消されたばかりだというのに、次の相手が決まったというのはさすがにないだろう。即位するにも伴侶は必要だし、おそらく帝国関係の知らせではないか? 転移の魔道具で呼び出すほどだから、ことさら重要な話なのだろう」
「そうね、だったらわたしには関係のないことだわ。マクシス様さえお話を聞ければ問題ないでしょう?」
「だが、夫婦で出席するように通達が来ていたから無視できないだろう。わがままばかり言うな」
たまに顔を合わせても、以前のような甘い空気はどこにもない。
お互いに愛人もいて、よくある冷め切った貴族夫婦だ。やっと準備が整ったのか、国王陛下を先頭に王族たちが入場してきた。
国王陛下、王妃様、それに続いてフィルレス殿下。そこまではいつもの光景だ。
「——え……嘘。まさか……!?」
フィルレス殿下にエスコートされて一緒に入場してきたのは、かつて伯爵家から追い出したはずの義姉、ラティシアだった。
隣のマクシス様もラティシアに気付いたのか、これでもかと両目を見開いている。
ラティシアの身にまとうドレスや宝石が、わたしでは手が出せないほど高級なものだとすぐにわかった。平民のようなラティシアが、なぜあんな格好をしているのか疑問に思う。
「皆、本日はよく集まってくれた。今日は大変めでたい知らせがある!」
国王陛下の声が会場中に届いた。堂々と王族とともに壇上に立つラティシアを睨むように見つめる。
嘘だ、まさか、あり得ない。だってラティシアからはすべて奪って追い出したはずだ。最初からいろんなものを持っていたラティシアが憎くてしかたなくて、全部わたしのものにしたはずだ。
「王太子フィルレスの婚約者を紹介する! ラティシア・カールセンだ!」
それなのに、あの女はまた手に入れたのだ。
絶対にわたしが手を出せない王太子という宝を。
絶対にわたしが逆らえない、王太子妃という立場を。
そしていずれ、あの女が王妃に——
強く握りしめた拳は怒りで震え、ぎりっと奥歯を噛みしめる。
あの女……!!
いいわ、今度は王太子を奪ってやるから、覚悟していなさい……!!
数日後、上等なドレスに着替えて、憎たらしいラティシアへ会うために王城にやってきた。これでも義理とはいえ姉妹なのだから、約束はなくとも面会はできるだろうと思っていた。
「申し訳ございませんが、ラティシア様に関しましてはお約束がないと面会ができません」
「どうして!? わたしがカールセン伯爵夫人だって、調べればすぐわかるでしょう!?」
「確かにカールセン伯爵夫人様と確認は取れましたが、ラティシア様との面会はフィルレス殿下の許可が必要です」
「はあ? なぜ、フィルレス殿下の許可が……?」
わたしは王城に入ることさえ叶わず、門番に足止めされていた。いくら王太子の婚約者だといっても、家族への面会くらいはできるだろう。そうでなければあまりにも非人道的だ。
「ラティシア様はフィルレス殿下の専属治癒士でもありますので、殿下の許可が必要なのです。面会されたくばラティシア様かフィルレス殿下とお約束ください」
「専属治癒士? あの女が専属治癒士になったというの!?」
わたしの叫びに門番が眉をひそめる。
専属治癒士なんて、よほどの才能がなければなれない職業だ。確かに死んだ義父も義兄たちも専属治癒士だったけれど、まさかラティシアまで抜擢されるなんて思っていなかった。
衝撃が大きかったけれど、わたしはすぐに考えを切り替える。
それならラティシアに言って、義兄になるのだからと王太子に会わせて貰えばいいんだわ。会うことさえできれば、ラティシアよりもわたしの方がいいって思うはず——
わたしはすぐにタウンハウスに戻って、ラティシアに手紙を書いた。いつ面会できるか、王太子にも義妹として挨拶をすると書けば、あの女は頭が固くて真面目が取り柄の女だったから、必ずセッティングするはずだ。
だけど二週間も待ってもラティシアからの返事はなかった。それまでに五通は送っているから、すべてが届いていないとは考えにくい。仕方ないので、また王城へ出向き門番へ知らせが来ていないか確認しみることにした。
「うーん、申し訳ないですが、ラティシア様への面会者の話は聞いてないですね」
「そんなはずないわ! もう五通も手紙を出しているのよ!? なにか行き違いがあったはずよ!!」
「でも知らせが来ていないので通すことはできません。お帰りください」
「ちょっと! 誰に向かって口を利いているの!? 門番のくせに態度がでかいのよ!! いいからわたしを通しなさい!!」
まったく話の通じない門番に痺れを切らして、むりやり通ろうと足を進める。
「これ以上進んだら、侵入者として捕縛します。牢屋に入りたいのですか?」
「牢屋ですって!?」
「許可なく立ち入るのだから、侵入者となります」
そんなこともわからないのかと馬鹿にした顔で、門番はわたしを見下ろす。悔しくて腹が立ったけど、牢屋になんて入りたくない。
「本当にあんたは無礼だわ!!」
それだけ言って踵を返した。
もう手の届かない存在になってしまったラティシアに、わたしはなにもできなかった。