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29話 上司は国王陛下

 俺はアイザック・ルース。つい先日まで王太子の側近として、どんな命令もこなしてきた。


 その敬愛する王太子殿下がついにこの国の王となり、月の女神の末裔であるラティシア様を妻に迎えたのだ。


 この俺もフィルレス様の推薦で宰相に任命され、これからもおふたりのために尽くしていきたいと思っている。

 それにしても、ここまで本当にいろいろなことがあった。


 もう二十年も臣下として仕えてきたが、あんなに取り乱したフィルレス様を見たのは初めてだった。




 あれはラティシア様が正式な婚約者になってから半年が経った頃だった。


 それまでフィルレス様は実の両親に思うところはありつつも、わりと平穏な毎日を過ごしていたと思う。俺はいつものように各部署へ書類を届け、諜報活動をおこなうため王城を歩き回っていた。


 財政部の内通者から国王陛下の財政状況をそれとなく聞き出し、次は騎士団長のもとへ向かうため階段を降りよう廊下を曲がった。


 そこで俺の目に飛び込んできたのは、床にうずくまり意識をなくしたラティシア様の姿だった。


『ラ……ラティシア様!?』


  慌てて駆け寄ると、手足が痙攣していくら呼びかけても意識がない。


 フィルレス様で見慣れていた俺は、これが毒物症状だとすぐに気が付いた。この通路はこの時間、ほとんど人通りがない。舌打ちして真っ先に向かったのは治癒室だ。


『エリアス室長はいるか!? 』

『はい、私ですが……なにか?』

『ラティシア様がお倒れになった。至急診てほしい』


 こうしてラティシア様を寝室へ運び、エリアス室長へ診察を頼んだ。それから急いで報告したが、俺の言葉を聞いたフィルレス様は執務室から飛び出していった。


 政務を放り出して、この後の面会もすべてキャンセルして、フィルレス様はラティシア様のもとへ駆けつけた。フィルレス様がどれほどラティシア様を愛しているかわかっていたから、本当に胸が切り裂かれるような思いだった。


 その日の夜遅く、フィルレス様は一度執務室へ戻ってきた。


『アイザック。詳しく話せ』


 抑揚のない声に、ゾクッと寒気が走る。ここまで感情をなくしたフィルレス様は初めてだった。濁った闇のような瞳が、悲痛な叫びをあげている。


 俺はラティシア様を見つけた状況を詳しく話した。フィルレス様は執務机で両手を組み額に当てたまま、静かに話を聞いている。


『なるほど……食後三十分ほどで倒れたのか。アンバーの鑑定眼も確認が必要だな』


 長く深いため息を吐いたフィルレス様は『ラティのそばにいる』と言い残し、執務室を後にした。


 それからラティシア様が目覚めるまで、フィルレス様は無口だった。事情を知らない貴族たちの前ではいつも通りに振る舞っているけれど、そのギャップが痛々しくて見ていられない。


 なぜ、フィルレス様なのだろうか。両親の愛も知らず、周りはその孤独を理解せず理想を押し付け、やっと見つけた最愛の女性すら失いそうになっている。


 この時ばかりは神なんてこの世にいないとすら感じていた。




 それから数日してラティシア様がようやく目覚め、フィルレス様に笑顔が戻った。都合がよすぎるかもしれないが、太陽の創世神に感謝を捧げた。


 フィルレス様は毒を盛った犯人の目星がついているのか、的確な捜査指示を出している。俺はそれに従い、日々情報を集めていた。


 聖女の件については内通者から聞いていて、ラティシア様がいる治癒室へ訪れ騒ぎを起こしたのも耳にしていた。ラティシア様の後輩治癒士でユーリという女性が、事の成り行きを細かく教えてくれたのだ。


 ユーリは密かにラティシア様を月の女神様だと呼び、今でも強く慕っている。ユーリがラティシア様のことを語る際の、キラキラした表情が眩しくて目が離せない。


 今後の調査のために彼女に決まった相手がいるのか調べてみよう。これはあくまで今後の諜報活動を円滑におこなうためなのだと、自分に言い聞かせた。


 その夜、フィルレス様から新たな指示を受けた。


『そうだ、アイザック。さっきユニコーンを見つけたから、契約してきたよ』

『はい? ユニコーンって……聖女に寄り添う幻獣ではないですか?』

『うん、そうだけど。幻獣なんだから契約できるでしょ。しばらくはあいつらの尻尾を掴むために秘密だけどね』


 フィルレス様はやはり規格外のお方だ。犯人たちはもう、破滅する未来しか残されていないのだろう。そもそも作略に長け、神竜と神獣二体を従わせて、魔力も随一のフィルレス様に敵う相手などいるのか? アトランカ帝国すら簡単に手に入れそうだ。


『さて、どうやって追い込もうか?』


 ラティシア様には決して見せない邪悪な笑みを浮かべて、フィルレス様は楽しそうに計画を練るのだった。




 そうして確実に証拠を集め、国議の場ですべての決着をつけてフィルレス様が国王になった。


 戴冠式を結婚式まで後一カ月というところまで迫った今、その準備に忙殺されている。そのせいで執務室は殺伐とした空気が漂っていた。


「アイザック。次の案件」

「こちらです」

「これは環境部門長の判断で裁決していい。次」

「かしこまりました。ではこちらを」

「……戴冠式の衣装合わせ? 必要ない」

「フィルレス様。すでに何度も延期され、ここで合わせませんと衣装が間に合いません。諸外国へのお披露目の場ですから、適当に済ませることもできませんので」

「これがなければ、ラティと夕食の時間を合わせられるだろう。いい加減、ラティが足りないんだよ」


 フィルレス様の気持ちはわからなくもない。おふたりが正式に夫婦となってから、毎日毎日砂糖みたいな甘ったるい空気をまき散らして、散々惚気を聞かされていた。


 それくらい仲睦まじく過ごされていたし、フィルレス様がラティシア様を溺愛しているのは国中どころかアトランカ帝国にまで知れ渡っている。


「では夕食後に衣装合わせも兼ねてラティシア様へ披露してはいかがですか?」


 これならラティシア様も喜んでくれるに違いないし、余裕ができたフィルレス様ならもうひとつの提案もしやすくなる。


「なにそれ、最高だね。アイザック、そのように手配してくれ」

「承知いたしました」

「あ、この案件の返答が来ているね」


 少しだけ機嫌がよくなったフィルレス様だったが、すぐに次の政務に取りかかったので俺は言葉を飲み込んだ。




「——という感じだ。グレイとシアンの結婚式への参加はとてもじゃないが、言い出せないな」

「えええ、いつになったら王妃様に挨拶できるんだよ!?」

「グレイは顔がよすぎるから多分一生無理だ。ていうか、俺もダメなのが納得いかない」

「理不尽かよ! オレ、この顔に生まれて初めて後悔した」


 いつものようにグレイとシアンの三人で近況報告も兼ねて酒場で飲んでいた。念のため、認識阻害と会話が周りに漏れないよう魔道具を使っている。


 フィルレス様は男性の影たち……というかこのふたりをラティシア様へ近づけたがらない。おそらくそれは飛び抜けて見た目がよく、ハニートラップを仕掛けたら百発百中だからなんだと思う。


 俺からすればそんなことを気にする必要なんてないと思うのだが、フィルレス様は心配で仕方がないらしい。いや、他の男に見惚れるラティシア様を見たくないのか?


「影移動しても、すぐにあの狼に邪魔されるからコソッと近寄ることもできないしなあ」

「なあ、アイザック。なんとかなんねえの? 王妃様に挨拶して、お祝いしたいだけなんだけど?」

「ただ主人を祝って、これだけベタ惚れしてる王妃様を見たいだけなんだけどダメなのか?」


 グレイとシアンの気持ちもよくわかる。俺だってフィルレス様が結婚して幸せになるのを、心から祝福したい。フィルレス様に絶対の忠誠を誓うこいつらだって同じなのだ。


 どうにかしてやりたいと、結婚式の進行表を頭の中で振り返る。


「そうだな……結婚式の参列者に紛れるくらいなら、あるいは……」

「マジで!? それなら変化の魔法もかけたらばれないんじゃね?」

「でも結婚式は大聖堂だろ。あそこは結界が張ってあって魔法も魔道具も使えないぞ」

「それじゃあ、絶対見つかるじゃん」

「まあ、見つかったら即行で逃げるんだな」


 不憫な同僚にできる範囲の協力はしてやろう。それにしても、我が主人の伴侶は人の心を惹きつけるお方だとつくづく思った。


 愛を知らなかったフィルレス様に惜しみなく愛を与え、ラティシア様はいつの間にか周りにいる者の心を掴んでしまう。


 優しさにあふれ、こんな俺にも気を配ってくださる。ラティシア様がいるだけでフィルレス様の心は平安だし、ラティシア様のためにより豊かで穏やかな国にしようとする。


 ラティシア様はこのヒューデント王国にとって、愛を注いで富をもたらす繁栄の女神に違いない。




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