27話 新しい風が吹く
日を改めて残った貴族たちで人材の調整などを話し合い、ヒューデント王国は新しい体制で運用を始めた。
フィル様は国王として政治を中心に辣腕を振い、アイザック様は宰相として任命された。アルテミオ様は統括騎士団長として軍事を管理することになり、いずれも納得の人事だ。
フィル様の手足となって動いていた諜報員たちは、そのまま王家の影として活動を続けるらしい。なぜかフィル様が接触させたくないようで、女性の諜報員以外は存在さえ教えてもらえない。
シアンとグレイという男性の諜報員は、ルノルマン公爵のお茶会以来、見かけることすらなかった。
それから私は王太子妃の教育しか受けていないと思っていたのだが、ある日の朝食でフィル様がそれはもう素晴らしい笑顔でこう言った。
「そういえばラティ、王妃教育のカリキュラムはすべて終わったみたいだね」
「……は? 今なんて?」
「王妃教育のカリキュラムが終わったって言ったけど?」
いやいやいや、ちょっと待って。私が受けていたのは王太子妃の教育ではなかったのか?
確かに貴族令嬢として受けた教育よりも、かなりグレードアップしていたし覚えることが多くて大変だったけど!!
「待ってください、いつから王妃教育だったのですか!?」
「うーん、ラティが毒を盛られてからかな。あの時点で犯人の目星もついていたし、国王を排除するって決めてたから、早めに終わらせたほうがいいかと思って」
「そ……そんな前から……」
私はガックリと肩を落とした。
てっきり今後は王妃教育が始まり、政務をこなしながら乗り越えていくのだと覚悟を決めていた。教育が終わっているならそれはそれでいいことだけど、なんだか釈然としない。
「フィル様、今後このような隠し事はしないでください」
「えー、楽しみがひとつ減っちゃうな……ラティの驚いた顔も愛しくてたまらないんだけど」
後半はいいとしても前半がいただけないし、こんなことを楽しまないでもらいたい。
半眼でフィル様を睨みつけると、眉尻を下げて困ったような笑みを浮かべる。「ラティ」と私の名を呼び、風魔法を器用に操って私をフィル様の膝の上に座らせた。
「ごめんね。あの時は情報規制も必要だったから、きちんと説明できなかったんだ。それに妃教育の進捗具合を見ても、ラティなら難なくこなせると確信していたよ」
「では、これからは秘密はなしにしてください。これでも私は王妃なのです。口にしても問題ないことと、そうでないことの区別はつきます。どうしても言えない場合は、事情があって話せないとおっしゃってください」
今までのようになにも言われないのは、妻として信用してもらえてないみたいで悲しい。フィル様は政治的手腕も優れているし、私が出しゃばることはないけれど。
「うん、そうだね。もう隠し事はしないし、あらかじめ話をするよ」
「では今現在、隠し事はありませんか?」
「……サプライズは隠し事になるのかな?」
「そ……んぐ!」
私が口を開いたタイミングで、フィル様がベイリーマスカットを放り込んでくる。甘く爽やかな果汁が口の中で広がり、思わず瑞々しい果肉を味わって喉の奥へ流し込んだ。
「も……はむっ!」
今度はひと口大にカットされたオレンジ色のメロンが口中へ入ってきて、品のある極上の甘さに夢中になった。
ダメだ、このままでは餌付けされてうやむやにされてしまう。私は口を開くのをやめて、フィル様の空色の瞳をジッと見つめた。
「…………」
「ラティ、サプライズは事前に話したらサプライズにならないでしょう? だからこれだけは許可してくれないかな?」
私の視線を悠々と受け止めて、フィル様はもっともなことを言う。
「ではサプライズ以外は隠し事をしない方向でお願いします」
「うん、わかったよ。では早速、サプライズがあるんだけど」
にっこり笑ったフィル様に連れてこられたのは執務室だ。そろそろ業務開始の時間になるが、ここでどんなサプライズがあるのだろう。
不思議に思いつつもフィル様の後に続いて執務室へ入ると、アイザック様と懐かしい人物が待っていた。
「エリアス室長! どうしてこちらに……?」
「ラティシア様、ご機嫌麗しゅう存じます。本日より妃殿下の専属治癒士として尽くすよう陛下から命じられました。何卒よろしくお願い申し上げます」
「エリアス室長が私の専属治癒士ですか!?」
「ええ、ですから妃殿下、私のことはエリアスと呼び捨てにしてください」
「そうですね。しばらく慣れないと思いますが、エリアスと呼ばせていただきます」
治癒士としての腕前は十分だし、父のように慕うエリアスが私の専属治癒士なら、これ以上心強いことはない。
「フィル様、お心遣い本当にありがとうございます」
「適正な人材を配置しただけだよ。これから治癒士になるものは身分を問わず人柄と能力で決めていくから、そのモデルケースとしてエリアスを採用したんだ。これで治癒士たちの未来も少しは明るくなるだろう」
フィル様はどこまで深く私のことを考えてくれるのだろう。治癒室は私の大切な居場所だった。彼らがこれからも笑顔で平和に過ごせるよう、いつも願っていた。
これから私はフィル様の優しさに包まれて、きっと歴代一幸せな王妃になるのだと思った。
フィル様はさらに言葉を続ける。
「それから、近々王都で『女神の末裔』という演劇を王室のバックアップで公演するんだ。治癒魔法しか使えない女性治癒士が、王太子の命を救って王妃にまで上り詰める話で——」
「ちょっと待ってください! それは聞いていませんが!?」
それはまんま私とフィル様の話ではないか。自分が演劇のネタにされるだなんて想像もしていなかったし、できることなら……いや、絶対に遠慮したい。
「うん、だってサプライズだから。これを流行らせて、治癒魔法の使い手に対する偏見をなくしたいんだよね」
「陛下のアイデアは無駄がなく、成功すれば一気に民の意識を変えられるでしょう。フィルレス様とラティシア様の愛が深いことも伝わりますし、月の女神の末裔が実在すると周知するのに役立ちます」
アイザック様まで熱く語り、演劇がいかに有効なのか落とし込んでくる。この場に味方がいるとしたら、エリアスしかいない。私が視線を向けると、以前と変わらない穏やかな笑みを浮かべてこう言った。
「ラティシア様、妻も娘も演劇を楽しみにしています。微力ですが宣伝もしますね」
完全に四面楚歌だった。
「ラティ、僕のサプライズは気に入ってくれたかな?」
フィル様が真っ黒なオーラを放って近づいてくる。一歩、また一歩と距離が縮まり、私の腰を引き寄せたフィル様に優しく抱きしめられた。
顎先を持ち上げられ、空色の瞳と視線が絡む。
「僕の女神に文句をつける馬鹿な人間がいなくなるよう、完璧に整えるから任せてね」
「あ、ありがとうございます……」
自分が演劇の題材になるなんてどんなん罰ゲームかと思ったけれど、お礼以外の言葉を口にすることができなかった。
私の評判が悪ければ、フィル様の足を引っ張ることになるのはよくわかっている。でも、わざわざ演劇にしてまで広めることなのだろうか?
そんな考えを見透かしたかのように、フィル様が物騒なことを言い始めた。
「もしラティを悪く言う奴がいたら、次は間違いなく極刑に処すからね」
「それはやりすぎでは!?」
「だから、そんなことにならないよう手を打ったんだよ。わかってくれる?」
「わ、わかりました……!」
私が悪口を言われたところでなんとも思わないけど、それがフィル様の耳に入ったら大変なことになる。仕方ない。私が恥ずかしいのをこらえれば、そんな危険性が減るのだ。
これは回り回ってフィル様が暴君になるのを防ぐためなのだと、自分に言い聞かせる。
私はここでやっと、夫の愛が重すぎではないだろうかと思い始めた。






