21話 不適格な婚約者
フィル様の婚約者として誰がふさわしいのか、今日の国議で決定される。そのため普段は国議に参加しないような地方の貴族たちも招集され王城に集まっていた。
朝の準備を済ませ、私はバルコニーから王都の景色を見下ろす。
空は青く澄み渡り、冬の寒さを運ぶ風が私の頬をかすめていった。今日の国議の内容によってはこの景色も見納めかもしれないと、心残りがないようしっかりと目に焼き付ける。
フィル様との朝食も味わって食べたし、毒物チェックという名目の口づけも心に刻みつけた。
本当はどんなことをしてもフィル様の隣にいたい。立場も忘れて嫉妬するほど好きで好きでたまらないし、私以外の誰かと並んでいるところなんて見たくない。どんなに努力しても、どんなに誠実であっても、大切なものほど私の手からこぼれ落ちていく現実に押しつぶされそうだった。
もしブリジット様が認定試験に合格して、国王陛下が聖女の方がフィル様の婚約者にふさわしいと言って正式な発表をされたら抗うことはできない。
「ラティ、準備はできてる?」
愛しい人の声とともに背中から抱きしめられ驚いて振り返ると、いつもの穏やかな笑顔がそこにあった。
「フィル様!」
「ごめんね、ノックをしたけれど返事がなくて入ってきたよ。そんな不安そうな顔をしないで。今日の国議もなにも問題ないから」
「……そうですね。私はできる限りのことをするだけです」
「うーん、ラティはニコニコしたまま座っているだけで構わないよ?」
フィル様は私が婚約者のままだと言わんばかりだ。いつもと同じように接してくれるけれど、やはり不安が消えない。
「ですが……」
「だって、僕がラティを手離すわけがないでしょう?」
いつもよりどす黒いフィル様の笑顔を見て、本当になんとかしそうだと思った。
「わかりました、私はフィル様を信じます」
少し心が軽くなり、いよいよ国議が開かれる会議室へと向かう。会議室へ入ると一斉に視線が集まるけれど、妃教育で学んだように背筋を伸ばして堂々と振る舞った。
会議室にはアルテミオ様や三大公爵家をはじめ、国中から貴族たちが集まっている。ブリジット様も認定試験の結果発表があるからこの場にいて目が合ったが、驚きと悔しさが入り混じった表情を浮かべていた。
昨日の毒物のことが頭をよぎり、同時にフィル様から解毒薬を飲まされたことも思い出して慌てて思考を中断する。
会議室は入り口から見て正面奥に国王陛下の席があり、国王陛下から見て左手にフィル様と私の席が、右手にアルテミオ様と聖女であるブリジット様の席が配置されていた。
貴族たちの席は国王陛下の前にある証言台を囲むように半円状に配置され、国王陛下に近い席から高位貴族が順に並んでいる。後方の席へ行くほど座席が高くなり、どの席からも証言台が確認できるようになっていた。
私はフィル様の隣の席へ座り、しばらくすると国王陛下も入室し開始の言葉を告げた。
「それではこれより国議を始める! 本日は王太子フィルレスの婚約者、ラティシア・カールセンが不適格ではないかと意見書が届いた。これについて審議する」
いよいよ始まった。フィル様をチラリと見るけれど、前を見据えて沈黙を守っている。私も静かに会議の進行を見守った。
「まずはラティシア・カールセンについての意見書を読み上げよ」
国王陛下の言葉で証言台の後ろに座っていた事務官が立ち上がり、手元の書類を読み上げていく。
「ラティシア・カールセンは治癒室にて明らかに手を抜いた治療をして、多数のクレームが寄せられております。また自身が月の女神の末裔であると根拠のない話を王太子にして、婚約者の座を手にしました。さらに異性と不適切な関係であるという証言がヘルメルト・オズバーン侯爵様より上がっております」
オズバーン侯爵が証言台へ進み、自信満々に胸を張る。
心当たりがあるのは最初だけで、それだって言いがかりだ。月の女神の末裔については確かにそうだけど、そんなことを伝える前に婚約者になっていた。最後の異性と不適切な関係についてはまったく意味がわからない。
「オズバーン侯爵、この内容について相違ないか?」
「はい。この内容は私が直接貴族たちから話を聞き、まとめた報告書でございます。いずれも証拠と一緒に提出いたしました」
「うむ、証拠をここへ」
国王陛下の指示で事務官が木箱に入れられた映像水晶を、証言台に置かれていた箱型の魔道具にセットする。これは映像水晶に記録された内容を大きく映し出す魔道具だ。
事務官が箱型の魔道具に魔力を注ぐと、空中にその映像が流れ始めた。
『お前の治療はなんだ!? 全然治ってないじゃないか! わしの時間を無駄に奪って、どうしてくれるのだ!?』
『治っていない……? 恐れ入りますが一度カルテを確認いたしますので、少々お待ちいただけますか?』
これはヘルキス子爵が治癒室へ来た時の映像だ。ヘルキス子爵はきっとこの日のために最初から映像を記録していたのだろう。
『お待たせいたしました。こちらは完治証明のサインもいただいていますので、先日の治療に関しては問題ないようでしたが……』
『なんだと!? ではなぜここに青あざがあるのだ!?』
『大変失礼いたしました。それではもう一度治療させていただきます』
ここで一度映像が切れている。その後も同じような映像が流れ、すべて再生するとオズバーン侯爵が再び口を開いた。
「今ご覧いただいた通り、ラティシア・カールセンの治癒魔法は完璧とは程遠く、専属治癒士として勤務していることも怪しいのです!」
確かに先ほどの映像だけ見れば、私の治癒士としての資質に疑問を持つかもしれない。こうやって冤罪が作られていくのかと、膝に乗せた手をぎゅっと握りしめた。
「続いて——」
ここでフィル様のよく通る声が、オズバーン侯爵の声を遮る。
「意義あり」
為政者として冷徹で他者を寄せつけない覇気がフィル様から放たれていて、思わず見惚れてしまった。
「まず、ラティシア・カールセンの治癒能力について。これは僕自身が体験しているが、他の専属治癒士以上の回復力があり、魔法の対象は全身に及ぶ。先ほどの映像は最初の治療後数日経ってからの訴えばかりであるのと、治療後の証明書へ本人自らサインもしている。従って先ほどのクレームは悪意をもって僕の婚約者を貶めようとしているものだ」
「恐れ入りますが、フィルレス殿下こそ証言のみで確固たる証拠がございません!」
「まさか僕が証拠もなしに発言すると思っているのか?」
「え……? し、証拠があると?」
フィル様が事務官へ視線を向けると手首につけた魔道具を使って、どこかへ合図を送った。程なくして別室で待機していたのか、アイザック様が映像水晶や書類を持ち会議室へ入室してきた。
オズバーン侯爵は一度席に戻り、今度はアイザック様が証言台に立つ。
「アイザック、最初は僕の執務室の映像だ」
「承知いたしました」
アイザック様はオズバーン侯爵の映像水晶と入れ替えて、新たな映像を流しはじめた。
会議室の中央に私が婚約者として不適格だと詰め寄る貴族たちと、それを論破していくフィル様が映像と音声で流れていく。
『……要するに、僕の婚約者を貶めるためにこんなクレームをつけたということだな?』
『いえ! そのようなことは決してございません!』
『そうです! 私たちはただ、命令されて……!』
『おい! お前、なにを口走っているのだ!?』
『へえ、命令ね。誰から?』
ここで会議室がざわりとどよめいた。映像の中のフィル様は、マクシス様とビオレッタを排除した時のように冷たく非情で、それが私のためだと思うと嬉しさが込み上げる。
『この場ですべて白状するなら、処罰については考慮する』
映像に映し出されている貴族たちは真っ青な顔で俯き震えている。その先の貴族たちの言葉を、首謀以外の全員が固唾を飲んで待った。
『……聖女ブリジット様の父であるヘルメルト・オズバーン侯爵から命令されました』
『それだけ?』
『——国王陛下もその場にいらっしゃいました。成功した暁には我々を陞爵してくださると、お約束いただきました』
『では次の国議には全員参加するように。それまではいつも通りに過ごせ』
ここで映像が途切れる。
首謀者はオズバーン侯爵と国王陛下。それが明らかになり、会議室はため息すら聞こえなそうなほどの静寂が流れた。
「さて、これはどういうことでしょうか。オズバーン侯爵、国王陛下。僕が納得できるだけの説明を求めます」
フィル様の言葉は鋭利な刃物のようで、この静けさを切り裂いた。






