20話 国議前夜
「ブリジット様、明日はこちらの衣装でよろしいでしょうか?」
明日の国議でいよいよ認定試験の結果が発表される。そのためわたしも参加することになり、王城に用意された部屋で衣装を選んでいた。
わたしがフィルレス様の婚約者になると発表されれば、ガラリと生活が変わるだろう。あの女はすぐに王城から追い出して、わたしの妃教育が始まる。でも、その前にあの女が絶望に染まる顔を見たい。
これからはわたしがフィルレス様の隣に立つのだと、知らしめなければ。
「そうね、アクセサリーはサファイアにしてくれる? フィルレス様の瞳の色なの」
「かしこまりました。それではイヤリングとセットになっているこちらはいかがでしょうか?」
「それでいいわ。明日の準備ができたらもう下がってちょうだい。これから忙しくなるだろうから、今のうちにゆっくりしたいわ」
「承知いたしました」
フィルレス様の瞳の色を身につけたわたしが並べば、あの女は悔しがっていい顔を見せてくれるに違いない。ソファーでくつろぎながら、香り高いお茶を口に含んだ。
「うふふ、明日が楽しみだわ。ねえ、ユニコーン。貴方にとっても明日は特別な日になるわよ」
《……そうだな》
最近はますます無口だったユニコーンが、いつの間にか姿を現してソファーに座るわたしを見下ろしている。
「あら、返事するなんて珍しいわね。いいことが起きる前触れかしら?」
ますます気分がよくなったわたしは、あることを思いついた。明日の国議でさらにあの女に恥をかかせてやろう。
この時間ならまだ妃教育を受けているはずだ。まったく無駄な努力を続けているのに、気が付かないなんて可哀想で仕方ない。ついでに教えてやった方が親切というものだ。
そこで、先日街で買ったひと口サイズの焼き菓子が目に入る。カラフルな色合いに惹かれて手にしたが、まだ開封もしていないしサイズもちょうどいい。
「ユニコーン、このピンクの焼き菓子に毒を仕込んで。そうね……吐き気と腹痛あたりで苦しむくらいがいいかしら? 前に仕込んだ分は気付かれていたみたいだから、今回はちゃんと工夫してよ」
《……わかった》
そう言うとユニコーンは額から伸びる角を焼き菓子が入った瓶へ近づける。角が淡く光ったかと思ったら、感情の読めない青い瞳をわたしに向けた。
《この菓子の中心部に毒を注入し、結界で覆ってある。温度変化で結界が崩れるようにしたから、口に含めば確実に毒を飲ませられる》
「へえ、そんなことができるの? それならもっと早くやりなさいよ! まあ、いいわ。これからあの女のところに行くからついてきて」
《…………》
また無言になったユニコーンは結界で身を隠して、わたしの視界から姿を消した。
* * *
明日は国議で、フィル様の婚約者である私も出席するように言われていた。そのことを妃教育で礼儀作法の先生に尋ねてみる。
「先生。明日は聖女様の認定試験の結果発表があるため、私も国議へ参加するように言われたのですが、なにか注意すべき点などありますか?」
「まあ、国議へ? そうですわね……現在はラティシア様が婚約者ということに違いはありませんので、そのまま堂々となさっていればよろしいかと」
つまり王太子妃としてふさわしい立ち居振る舞いをしろということだ。胸を張って正々堂々と、冷静に穏やかに微笑みを絶やさず——まるでフィル様のように。
妃教育を受けて改めて理解した。
フィル様が穏やかで優美かつ威厳あふれる姿を見せるために、本心を覆い隠してどれほど孤独でいたのか。周りが望むまま偽りの自分を演じるのが、どれほど心を削るのか。
でも、これからは私が寄り添いたい。ひとりじゃないと伝えたい。本当の貴方を知っていると、そんなフィル様を愛していると伝えたい。
そこへ侍女がやってきて、おずおずと口を開いた。
「ラティシア様、失礼いたします。聖女ブリジット様がお見えになっています」
「えっ、ブリジット様が? 約束もしていないし、今は妃教育を受けているのだけど……」
「ラティシア様さえよろしければ、妃教育の実践の場もできますよ」
「……わかりました。それではブリジット様をこちらへ通してください」
胸に広がるモヤッとした気持ちには蓋をして、王太子妃として振る舞うことへ集中した。
すぐにブリジット様が部屋へ入ってきて、私に声をかける。
「ラティシア様、お元気そうでなによりですわ」
にっこりと笑みを浮かべて、ブリジット様が挨拶の言葉を口にした。
聖女は特別な存在とはいえ、王太子の婚約者への挨拶としては砕けすぎている。ここで言葉を返すとこの無礼な挨拶を認めたことになるので、私は微笑みを浮かべたままジッとブリジット様を見つめた。
「ちょっと、聖女のわたしが声をかけているのだから、返事くらいしなさ——」
苛立ったブリジット様を止めたのは、同席した先生だ。
「ブリジット侯爵令嬢。恐れ入りますが、ラティシア様は王太子殿下の婚約者で伯爵家の当主でございます。確かに貴女様は聖女でございますが、先程の挨拶では不敬となります」
「なっ……! わ、わかったわよ。大変失礼いたしました。ブリジット・オジバーンでございます。本日はお時間をいただきまして誠にありがとうございます」
ブリジット様は反論しかけたが、意外と素直に礼節をわきまえた挨拶を述べた。
「ごきげんよう、ブリジット様。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「はい、先日街でかわいらしい焼き菓子を見つけたので、ラティシア様へお贈りしたく持ってまいりました」
「……カラフルでかわいらしい焼き菓子ですね。ありがとうございます」
妃教育の賜物で微笑みを浮かべているが、正直なところフィル様と食事する以外で食べ物を口にしたくない。ブリジット様は私を排除したくてたまらないはずだし、先日の王妃様に冤罪をかけられそうになった件もある。
「いいえ、明日はわたしの認定試験の結果発表ですし、最後になるかもしれませんのでお話もしたかったのです」
確かに明日の国議で私がこのまま婚約者としていられるのか、それともブリジット様へ変更するのかはっきりする。それは嘘偽りのない、審判による判定だ。
もしかしたら認定試験を受けてブリジット様にも心境の変化があったのかもしれない。私だって試験の最中に、フィル様に対する気持ちもなにもかも大きく変化した。
「それではこちらにおかけください。お茶をご用意します」
「せっかくですから、こちらの焼き菓子もいただきませんか? ひと口サイズのフィナンシェでとても人気の商品なのです。特にピンク色のストロベリー味はジュレが仕込まれていて絶品ですわ」
「そうですね、せっかくですからいただきましょう」
それから認定試験の話や聖女の仕事について穏やかに会話し、何事もなくお茶の時間は終わった。勧められたピンクのフィナンシェもおいしくて、フェンリルも出てこなかったから問題ないようだった。
妃教育も終わりフィル様と夕食の時間になり食堂に向かうが、どうも体調がすぐれない。吐き気と腹痛に襲われ、食欲がない。どうにか食堂に来たけれど、このまま部屋へ戻ろうとフィル様へ視線を向けた。
「ラティ、顔が真っ青だよ!?」
目が合った途端フィル様が駆け寄ってきて、私を抱き上げていつも食後にくつろぐソファーへそっと座らせてくれた。
「すみません、吐き気と腹痛で食事は……」
「吐き気と腹痛? ラティ、この食堂以外でなにか口にした!?」
フィル様が必死な様子で話しかけてくるけど、腹痛も強くなり脂汗が額に浮いている。
「ごめん、少しだけ我慢して」
そう言って、フィル様は過激すぎる毒物チェックを始める。驚きのあまり一瞬だけ吐き気も腹痛も吹き飛んだ気がした。
五秒ほどされるがままになっていると、やっとフィル様から解放される。
「イルジン系か。解毒薬が僕の部屋にあるから——」
「解……毒薬……持って、ます」
ドレスのポケットからイライザ様が用意してくれた解毒薬を取り出した。イルジン系の毒ならこの解毒薬でも十分効果がある。
フィル様は私から解毒薬を取り上げ、一気に口に含んだ。そして、それを口移しで私に飲ませる。
解毒薬は甘く熱く、それは即効性のある解毒薬の効果なのか、フィル様の口移しだからなのかわからない。私が理解したのは、本当にフィル様はキスだけで毒物を絞り込めるのだということだ。
「はあ……よかった。解毒薬が効いたみたいだね」
「あ、ありがとうございます。もう吐き気も腹痛もないです」
「ところで……フェンリル」
黒い笑みのフィル様が、低く凍てついた声でフェンリルを呼び出した。
《わーっ! ちょっと待ってくれ! 本当になにも匂わなかったんだって!! 絶対なんか特殊なことやったはずだって!!》
影から飛び出したフェンリルは、私の背中に隠れて怯えている。可哀想なくらい震えているので、フェンリルのフォローをしようと思った。
「フィル様、私が口にしたのはブリジット様が持ってきた焼き菓子と、お茶だけです。昼食でも問題なかったので、毒を盛られたならそのどちらかです」
「…………」
「あの、フィル様。フェンリルを許してあげてください。私が不用意に食べ物を口にしたのがいけなかったのです」
これでフィル様の怒りが収まらないかと、無言のフィル様の手を包み込んだ。
「心配をかけて申し訳ありません、フィル様。もう大丈夫ですから」
フィル様が私をギュッと抱きしめた。背中に回された手がわずかに震えている。
「ラティを失うかと思った……」
「大丈夫です。そうだ、エルビーナ様からもらった万能薬も飲んでおきます!」
フィル様の不安を払拭しようと、ここで万能薬も使うことにする。解毒薬を飲んだとはいえ、身体にダメージは残っているのだ。
キュポンッと音を立てて蓋を開けたところで、ピンクの小瓶はフィル様に奪われた。
「僕が飲ませる」
「いえ、だ、大丈夫です! ひとりで飲めますから!」
「ラティ、業務命令だ。僕から万能薬を受け取れ」
そう言われて反論することなど許されず、貪るような深い口づけとともに万能薬を飲み込んだ。






