19話 愚者たちの申し立て
ラティがかわいい。
いつもは凛として僕にすら平然と意見してくるのに、いまだにキスで恥じらう様子や、同衾は結婚してからとか言う奥ゆかしさがたまらない。
そんな恥ずかしがるラティを思う存分堪能して、僕の愛を刻みつけてドロドロに溶かしたい。
朝食の後もしっかりとラティを堪能して執務室へやってきたけど、愛して止まない婚約者のことが頭から離れない。
そこで僕はチャンスを逃さないために準備を進めることにした。
「アイザック、婚姻宣誓書を用意しておいてくれ」
「結婚式はまだ半年ほど先ですが?」
「ラティがかわいすぎて耐えられそうにないから、タイミングを見てサインをもらう」
「……承知しました」
なんとも言えない表情でアイザックが僕を見つめているけれど、そんなことはスルーして手元の書類に視線を落とした。
僕が手にしている書類は、反対派から寄せられた婚約者不適格に関する意見書だ。すべて事実無根だし、こんなことをしている暇があったら聖女の認定試験を手伝えばいいのに相手を引きずり落とすことしか考えていないらしい。
「僕なら完膚なきまでの結果を出して、合格をもぎ取るけどねえ」
「聖女様の認定試験ですか? シアンから途中経過の報告書が来ています。ご覧になりますか?」
「予想はついているけど見せてもらえる?」
アイザックから報告書を受け取り、ざっと目を通していく。
「……これ、盛ってないよね?」
「はい、ありのままを報告するよう命令しています。聖女様の実力ではその程度が妥当かと思いますが。そもそも女神の如きラティシア様と張り合うのは無理があります」
先日ラティが疲れた様子のアイザックに治癒魔法をかけてから、さらに崇拝するようになったようだ。『アイザック様が元気な方がフィル様のためになると思います!』とラティがかわいいことを言うから許可したけど、早まったかもしれない。
ラティが人気を得るのは嬉しくもあり、僕の独占欲を煽るものでもあり。こんな気持ちが初めてで持て余し気味になっている。
「そうだね。そもそも今回の認定試験はラティよりいい結果を出さないといけないのに、わかってないのか?」
「おそらく、通常の認定試験と同様に考えておられるのではないですか? ルノルマン公爵家もアリステル公爵家も、通常であればその程度で合格を出しますから」
「まあ、こちらが指摘することでもないし、結果は明白かな。コートデール公爵も結果報告のために出立する頃か……」
——コンコンコンコンコンッ!
そこでノックの音が執務室へ響いた。今日は午前中の面会の予定はなかったはずだ。アイザックへ目配せして対応させる。
「恐れ入ります、本日は面会の予定はございませんが」
「本日はラティシア様に関してのご報告があるのだ! フィルレス殿下へ至急の面会を希望する!!」
「構わない、入れ」
そろそろ来る頃かと思っていた。アイザックへ視線を向けると、すぐに映像記録の水晶を起動させていた。
興奮した様子の五名の貴族たちが、ズカズカと執務室へ入り僕の机の前に並ぶ。真ん中に立っている貴族が中心人物なのか、書類の束をバンッと音を立てて机上へ叩きつけた。
地味にうるさくて苛立ったけれど、いつものように穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。
「約束もなしに来るとは、緊急事態なのかな?」
「そうです! フィルレス殿下! あのラティシア・カールセンはとんだ嘘つき女です!!」
「根拠は?」
ラティを悪くいう言葉を耳にして思わず、低く冷たい声になってしまった。貴族たちはゴクリと唾を飲み込み、言葉を続ける。
「我々が治癒室を利用した際にラティシア・カールセンが治療を担当したのですが、いずれも適当な治療ばかりで怪我が治りきっていなかったのです! そんな杜撰な治療をする人間がフィルレス殿下の婚約者でいることは許せません!!」
「私も同じです! 屋敷に戻ってから気が付いたのですが完治しておらず、再度出向いたら治療し直した後に全裸になれと言われたのです! しかもふたりがかりでチェックすると言い出し、恥をかかされました!」
「フィルレス殿下、あの女は殿下の婚約者であることを盾にして、好き勝手にやっています!」
「そんな女が殿下の婚約者とは認められません! 今すぐお考え直しください!」
口々に治癒室での出来事を話しはじめる貴族たちが、うるさくてかなわない。こらえきれずに右手をあげて言葉を制した。
「もういい。そこまでだ」
「ですが——」
「黙れと言ったのが聞こえなかったか?」
僕の軽蔑を込めた視線と怒りをはらんだ声に気が付いたのか、やっと静かになった。パラパラと机に置かれた書類をめくってみるが、どれもこれも明確な証拠はなく言いがかりばかりだ。
「ではひとりずつ確認しようか。まずはジョージ・ヘルキス。君は治癒を受け三日後に治癒室へ来たと書かれているけれど、なぜこんなに日数が空いているんだ?」
「それは、治ったと思っていたので怪我が残っていることに気が付かなかったのです!」
「ふうん、では質問だ。毎日入浴しているか? 着替えは使用人が手を貸すか?」
「は? はい、毎日汗を流しますし、着替えもメイドが手伝います」
「それなら三日間も脇腹の怪我に気が付かないのはおかしいね。そもそもラティの治癒魔法は全身魔法だから、脇腹だけ怪我が残るなんて考えにくい」
自分で身体を洗うにしろ、使用人に洗わせていたにしろ目につかないわけがない。
「それに、完治証明にはサインをしているけど、これはどういうこと?」
僕は事前にエリアスから受け取っていた、完治証明の複写を机の上に出した。二件目のクレームが来た時にエリアスから報告を受け、関連資料を取り寄せていたのだ。
「その時は完全に治ったと思って……」
「この完治証明には、サインをした後は治癒士のミスが明らかな場合を除き、再度治療はおこなわないと書かれている。だからサインをした時点で申し立てる権利はない」
「ですから、治療にミスがあったのです!」
「ではその物的証拠を示せ。証言のみでは不十分だ」
ヘルキス子爵は無言で歯を食いしばっている。もう言葉は出てこないようだ。
「次、バッド・キャロウ伯爵。再度治癒室へ行き、治癒魔法をかけた後の対処に不満があると?」
「そ、そうです! あんな周囲に人がいる治癒室でカーテンだけで区切ったところで全裸になれなど、侮辱以外のなにものでもないです!」
「これは治癒室のマニュアルだ。エリアス室長から預かってきた。五十四ページの十行目を読め」
「……なお、再治療の際は治療後に二名以上の治癒士立会いのもと患者の全身を確認し、完治証明にサインをもらうこと」
最後の方はボソボソとしていて聞き取りにくかったが、内容が伝われば問題ない。青ざめた顔でマニュアルを握りしめているキャロウ伯爵へ、僕は容赦なく追い打ちをかける。
「ラティはマニュアル通りにしただけだ。マニュアルに不満があるならエリアスに話を通すが?」
「い、いえ……ですが、あのような場所でカーテンのみで区切られた場所で——」
「二十八ページ、十五行目」
「患者からの希望があった場合は、状況に応じて個室や特別室を使用すること」
「で、希望は出したのか?」
「いえ……」
その後も次々におかしな点を指摘していたら、室内は痛いくらいの静寂に包まれた。こんな杜撰なクレームでラティが悲しんだかと思うと、はらわたが煮えくりかえる。
「……要するに、僕の婚約者を貶めるためにこんなクレームをつけたということだな?」
「いえ! そのようなことは決してございません!」
「そうです! 私たちはただ、命令されて……!」
「おい! お前、なにを口走っているのだ!?」
「へえ、命令ね。誰から?」
犯人はすでにわかっているけれど、こいつらが僕に有利な証言をしたら後が楽だ。ラティを悲しませた罪はそれくらいでは消えないが、役に立つなら罰を軽くしてやってもいいとは思う。
「……そっ、それは」
「この場ですべて白状するなら、処罰については考慮する」
貴族たちは互いに視線を合わせ、打ち明けるかどうか探り合っている様子だ。それなら白状しやすいように背中を押してやろう。
「首謀者はわかっているから隠しても無駄だ。嘘をつけば王家への叛逆とみなし、神竜が天罰を下す。僕への忠誠を示すなら今しかないけど、どうする?」
この言葉で観念した貴族たちは、重い口を開いた。
「……聖女ブリジット様の父であるヘルメルト・オズバーン侯爵から命令されました」
「それだけ?」
「——国王陛下もその場にいらっしゃいました。成功した暁には我々を陞爵してくださると、お約束いただきました」
「では次の国議には全員参加するように。それまではいつも通りに過ごせ」
貴族たちはホッとした様子で執務室から出ていった。あいつらは勘違いしているようだが、僕は処罰しないとは言っていない。それでも満足のいく答えを聞き出せたので、国議までは処罰を保留することにした。
「アイザック、次の国議で決着をつける」
「はい、承知しました」
アイザックが手にした映像記録の水晶を受け取り、僕は笑みを浮かべた。