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18話 自信喪失

 この日もフィル様が朝から会議だというので、私はいつものように治癒室へ来ていた。

 治癒士たちが忙しければ診察もしたし、かつての患者から指名が入ることもあって忙しく過ごしている。


 そこへ怒号を轟かせながら、ひとりの貴族が飛び込んできた。


「おい! ここにラティシア・カールセンはいるか!?」

「はい、私ですが……どうかされましたか?」


 真っ赤な顔で怒鳴り散らす貴族のもとへ駆け寄ると、突然胸ぐらを掴まれる。


「お前の治療はなんだ!? 全然治ってないじゃないか! わしの時間を無駄に奪って、どうしてくれるのだ!?」

「治っていない……? 恐れ入りますが一度カルテを確認いたしますので、少々お待ちいただけますか?」


 怒り心頭の患者を椅子に座らせ、私は急いで患者のカルテ一式を探した。


 私たち治癒士は後でこういったトラブルの発生を防ぐため、必ず記録をつけて本人から完治証明のサインをもらうことになっている。


 治癒魔法で治すと怪我や病気の痕跡がいっさいなくなってしまうからだ。その状態で新たに病にかかったり怪我をしたりして治ってないと言われたら、治癒士のミスなのか不正に治療したいのか判断がつかない。


 この貴族は前回治癒室へ来た時に私が治療した患者だ。名前はジョージ・ヘルキス。子爵家の当主で四三歳の男性、登城した際に階段で足を滑らせて転げ落ち治癒室へ運ばれてきた。大きな怪我はなかったが、後頭部を強打しており治癒魔法をかけたと記載されている。


 階段から落下したというので全身に『癒しの光(ルナヒール)』をかけたし、間違いなく完治のサインもあった。私の記憶とも相違ない。


「お待たせいたしました。こちらは完治証明のサインもいただいていますので、先日の治療に関しては問題ないようでしたが……」

「なんだと!? ではなぜここに青あざがあるのだ!?」


 そう言ってヘルキス子爵はシャツを捲り上げ脇腹を見せた。


 確かに細長い青あざができているが、もしできていたとしても全身に治癒魔法をかけているから完治しているはずだ。


 私は少しだけ考えて、心の中でため息をついた。こういったクレームは治癒室で勤務していれば誰もが経験するものだから、マニュアル通り対応することにした。


「大変失礼いたしました。それではもう一度治療させていただきます」

「ふんっ! わかればいいんだ! まったく、生意気な女だな!」


 笑みを浮かべて、次回のクレームを防ぐためにもう一度全身に治癒魔法をかける。怪我にしても病気にしても、悪い部分は脇腹の青あざだけだった。軽い打撲なので本来は治癒魔法も必要ないくらいの怪我である。


 ヘルキス子爵を包み込んでいた淡く白い光が収まり、私は声をかけた。


「これで全身の治療が終わりました。それではこちらに完治証明のサインをお願いしたいのですが……その前に、お召し物をすべて脱いでいただけますか? カーテンでしっかりと目隠しいたしますのでご安心くださいませ」


 治癒室は大きな部屋にベッドや椅子が等間隔で並べられているだけで、隣との間仕切りがない。その他に治癒士たちが事務仕事をするための机がチームごとにまとめて並んでいるだけだ。


 必要に応じて等間隔で設置されているカーテンで区切るか、特別室のような個室で診察や治療にあたる。どこで治療するのかは怪我や病気の程度、または治癒室や患者の状況によって臨機応変に対応するのだ。


「は? なんだと? なぜわしが脱ぐ必要があるのだ!?」

「完治証明にサインをいただくためです。二度とこのような問題が起きないようヘルキス子爵にもご協力いただき、完全に治癒したか確認した上でサインをいただきたいと存じます。また私ひとりでは見落とす可能性がございますので、立ち合いの治癒士も同席させていただきます」


 ニッコリと笑みを浮かべて全裸になってくれと丁重にお願いする。そして立ち会いのため男性治癒士がカーテンを引き始めると、ヘルキス子爵は激昂して立ち上がった。


「わしがサインすればそれで終わりであろう! さっさと書類を渡せ!」

「いえ、私のミスを防ぐためにも、ここはお譲りできません。さあ、お願いいたします」


 いくら貴族で世話をされることに慣れていても、カーテンで仕切られただけの空間で全裸になることには抵抗があるらしい。


「わかった! もういい! これで失礼する!」


 そう言ってヘルキス子爵は治癒室から逃げるように去っていった。


「ラティシアさん、大丈夫ですか? 災難でしたね」

「ユーリ、ありがとう。大丈夫よ。みんなも騒がせてごめんなさい」

「いやー、どう考えてもいちゃもんつけてるだけなのはわかってますから! そもそもラティシアさんは専属治癒士になるほど優秀なのに、治療残しがあるなんて誰も思ってませんよ」

「そんな風に信じてくれるだけで嬉しいわ」


 エリアス室長へ視線を向けると「グッジョブ」と言って、親指を立てていた。


 その後も私の治療に対してのクレームが相次ぎ、エリアス室長に迷惑をかけたくなくて治癒室では積極的に治癒しなくなった。




 ところが王妃様の政務がフィル様に回ってきたことで忙しくなり、午前中に治癒室へ行く回数は増えている。

 忙しいみんなを横目に事務仕事しかできない日々に、いつの間にかモヤモヤとした気持ちが溜まっていた。


「ラティ、最近元気ないね」

「え、そうですか?」


 私の気持ちを敏感に察知したフィル様が、寝室で衝立の向こうから声をかけてきた。


「うん、もしかして治癒室のクレームの件?」

「……フィル様の耳にも入っていたのですね」

「エリアスから報告は受けていたよ。でもあれはラティのせいじゃない」

「いえ、あれだけクレームが来たのですから私が至らないのです」


 毛布を掴む指先に力が入る。


 そうだ、ひとりやふたりなら当たりが悪かったで済むけれど、もう両手で足りないほどクレームを受けた。

 しばらく現場を離れている間に腕が落ちたのか、それとも私の対応が悪すぎて患者を不快にさせてしまったのか、どちらにしても私に非があるとしか思えない。


「本当に違うよ。クレームをつけてきた貴族たちは反対派の奴らだから」

「……え?」

「わざと怪我をしてラティに治療させて、後でクレームを入れて治癒の腕に難癖をつけて評判を貶めたかったんだよ。まあ、それについては近々手は打つけどね」

「そんな、まさか……怪我もわざとなんて……」


 確かに私を指名する貴族が多かったけれど、それは『癒しの光(ルナヒール)』があるからだと思っていた。それでもクレームが止まなくて自信をなくしそうになっている。


「ラティの治癒魔法が別格だと、その実力は以前より磨きがかかっていると僕は知っている。誰よりも努力して、誰よりも気高い志でラティが人々を治療しているのもわかっているよ」


 フィル様の言葉に心がふわっと軽くなる。


 理解してくれる人がいる。私の頑張りを見てくれる人がいる。その事実が自信をなくしそうになっていた私の心を鼓舞してくれた。


「フィル様……ありがとうございます」


 愛しい婚約者がいとも簡単に私の心を軽くしてくれる。


「ラティを悲しませた反対派は、そろそろおとなしくなるはずだから安心して」


 衝立の向こうのフィル様は黒い笑みを浮かべているのだろうと想像したら、笑いが込み上げた。


「ふふっ、さすがフィル様です。でもそういう理由でよかったです。もしかしたら、私の腕が落ちて重大な見落としをしていたのかもしれないと、自信を無くしかけていました」

「……もっと厳罰に処すか」


 なんだか物騒な台詞が聞こえてきたので、慌てて言葉をつけ足した。


「でも、フィル様のおかげで自信を取り戻せました! フィル様は私にとってなににも代え難い存在です!」

「うわ、そんな愛情表現されたらヤバいな。いっそ衝立は撤去しちゃう?」

「それはダメです。け、結婚するまでは……このままでお願いします」


 結婚宣誓書にサインして夫婦になるまで、寝顔を晒すなんて恥ずかしいことはできない。


「倒れたラティと三日も同衾したから、もういいと思うけど」

「寝込んでいた時のアレは、ノーカウントです!」

「ふふっ、わかったよ。ラティは本当にかわいいね」

「おやすみなさい!」


 これ以上フィル様に翻弄されたくなくて、強引に話を切り上げた。でも恥ずかしさで火照った身体はなかなか冷めず、しばらく寝付くことができなかった。




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