16話 自滅する王妃
「王妃様。それなら私が毒を盛った犯人でないと証明できます」
「なんですって!?」
「テトラキシンは劇薬です。特殊な方法でしか採取されない毒であり、すべて国の管理下に置かれ不正に持ち出すのは不可能なのです。つまり毒物を管理する部門に問い合わせれば、私が手にしていないと証明できます」
「嘘よ……そんな! 嘘よ!! そんな毒を……!?」
王妃様は信じられないという表情で、ブルブルと震え出した。専属治癒士は残念そうにため息をついて、私の説明を肯定するように言葉を続ける。
「カールセン伯爵のおっしゃることは事実です。専属治癒士といえども劇薬については徹底的に管理されていますので、誰が手にしたのか調べればすぐにわかります。これも王族の毒殺を防ぐためのシステムだったのですが……」
「なによ、そんなものどうにでもできるでしょう!」
ここまで沈黙していたアルテミオ様が口を開いた。
「母上、残念です。せっかくご自分の命までかけたのに無駄になりましたね」
「アルテミオ……?」
「母上が自ら毒を服用し、ラティシア様に冤罪をなすりつけようとしたと明白です。こんな犯罪を犯す人間が王妃とは笑えますね」
「ちょっと、貴方……どうしたの?」
アルテミオ様の豹変ぶりに王妃様だけでなく、私もついていけていない。あんなに慕っているように見えたのに、母を切り捨てたということだろうか。
そこでアルテミオ様は、なぜか扉の方へ向かって声をかけた。
「兄上、満期なのでもういいですよね? そろそろ引導を渡してください」
「そうだね。戯言を聞くのはもう飽きたな」
開けっぱなしの扉から現れたのは、背筋が凍るほど冷めた瞳をしたフィル様だった。
兄弟なのだから接点があるのはわかるけど、このやり取りはアルテミオ様が最初からフィル様の味方のように聞こえる。
「アルテミオ! 貴方はわたくしの味方でしょう!?」
「はあ……なにを言っているのですか? 私は最初から兄上の味方ですよ」
「なっ、まさか……!」
「王妃様、僕とアルテミオは幼い頃から仲がよかったのですよ。ラティに手を出さなければ、もう少し王妃として楽しめたのに浅はかですね」
アルテミオ様とフィル様の言葉に王妃様はなにも言えなくなっていた。ハクハクと口は動くものの、なにも言葉が出てこない。それほどの衝撃を受けたようだった。
「では最後の慈悲として選択肢を与えます」
フィル様の無情な声に王妃様がビクッと肩を震わせた。
「このまま王妃を続けて僕に首を切られるか、国に帰っておとなしく蟄居するか好きな方を選んでください」
「そ、そんなの、どっちも嫌よ! わたくしはこの国の王妃なのよ!? あの毒だって用意したのはあの人なのに! これもお前みたいな化け物を産んだからこんな目に……! お前のような化け物など、産まなければよ——」
「王妃様!!」
思わず叫んで、気がついたら王妃様の口を塞いでいた。
その言葉をフィル様に聞かせたくない。
王妃様から放たれる『産まなければよかった』なんて言葉を、絶対にフィル様に聞かせたくない。これ以上、私の大切な人を傷つけてほしくなかった。
「お願いですから、それ以上言わないでください」
「ふごっ! ふがふがっ!」
不敬だとはわかっているけれど他の方法が思いつかなくて、王妃様にギリギリと両腕を掴まれても必死に抵抗する。
「ラティ、ありがとう。もういいよ」
背後からフィル様に抱きしめられて、抵抗していた力が緩む。私の手が外れて王妃様が言葉を続けようとしたが、フィル様がそれを阻んだ。
王妃様の眼前に突き出されたフィル様の右手で炎が揺れている。今にも王妃様の顔を焦しそうな紅蓮の炎に、さすがの王妃様も口を閉ざした。
「黙れ。ラティの腕を離せ。どちらか選ばないなら、今すぐその醜い顔を焼く」
「……こ、殺さないで! 国に帰るから……! この国から出ていくから、殺さないで!」
「そう。じゃあ、明日には出ていってね。明後日までいた場合は……わかるよね?」
王妃様は真っ青な顔で頷く。
侍女たちに荷物をまとめるよう指示を出し、翌日にはヒューデント王国から姿を消した。
王妃様の服毒事件の二日後、王城はものすごい騒ぎになっていた。
本当は置き手紙ひとつで姿を消した王妃様だったが、公には難病が発覚し静養することになったと国王陛下が発表された。
発表せざるを得なかったのは、同じ内容の手紙を三大公爵家にも送っていて隠し通すことができなかったためらしい。
朝食の席でそう聞いたけれど、フィル様は黒い笑みを浮かべていたからきっと裏で手を回したのだろう。
貴族たちも王妃様を支援していた派閥は右往左往しており、しばらくは混乱した状態が続きそうだ。
そんな状況でもフィル様の執務室は平和そのものである。変化があったとすれば、新しい顔ぶれが増えたことくらいだ。
「義姉上、おはようございます」
「アルテミオ様、おはようございます」
王妃様の事件でアルテミオ様がフィル様側の人間であると知れ渡ったので、堂々とおふたりは仲よくされている。今日は一緒に報告を受けてほしいと言われたので、早い時間からフィル様の執務室へ来ていた。
アルテミオ様とアイザック様はすでに準備を整え、ソファーにかけている。私とフィル様が並んで座ると、早速アルテミオ様が口を開いた。
「兄上、母上は魔道具を使ってすでに国へ帰還したと報告が入りました。東方の国へは母上の所業を書き記した親書を送ってありますので、高潔な民族である彼らに断罪されるのも時間の問題でしょうね」
「証拠は?」
「音声付き映像記録と、毒物摂取についての診断書。それからすべて事実であると宣誓した私の魔法契約書までつけたので、母上がいくらごまかしても無駄ですよ」
「わかった。アイザック、国王はどうだ?」
「陛下は独自に調べているようですが、侍女たちは王妃様と一緒に国外へ出ましたし、専属治癒士は魔法契約をしているため口外できません。事実を掴むまであと一週間ほどはかかるでしょう」
「なるほど、では次を仕掛けようか」
朝っぱらから腹黒い会話が飛び交っている。アイザック様に視線を向けると、お疲れなのかやつれたように感じる。治癒魔法をかけて、治癒士も愛用する元気が出るドリンクを箱で差し入れようと思った。
報告がひと段落したところで、私はずっと気になっていたことを尋ねた。
「ところでフィル様とアルテミオ様は昔から仲がよかったのですか?」
最初の頃、私に敵対心をむき出しにしていたアルテミオ様の態度は、本心だったと感じている。そうだとしたら、どんな心境の変化があったのか気になった。
「僕が隔離塔を出てから、すぐに打ち解けたかな」
「そんな前から仲がよかったのですね」
「ごめんね。アルテミオは王妃の動向を調べてもらっていたから、公にできなくてね」
フィル様が申し訳なさそうにしているけど、きっと仕方ないことだったのだと思う。自ら毒を飲んでまで私を排除しようとする相手なのだ。
彼らがミスをしてなかったら、私は自分の無実を証明できなかったかもしれない。
「ご事情があったのも理解できますから、仕方のないことです。最初の頃アルテミオ様が私を認めなかったのは、フィル様を思ってのことだったのですね」
「アルテミオ。僕のラティになにをした?」
私の迂闊な言葉にフィル様がすぐに反応する。せっかく仲がいいのに誤解を与えてはいけないと、慌てて言葉を続けた。
「フィル様、家族なら当然の反応ですから落ち着いてください。アルテミオ様はフィル様の婚約者がどんな人間か気になっただけなのです」
大切な家族の婚約者ともなる相手なら、きっとどんな人間なのか、家族が幸せになれるのか気になっていたに違いない。だからこそアルテミオ様は私をすぐに認められなかったのだと思った。
「義姉上のおっしゃる通りです。その節は本当に申し訳ありませんでした」
「いいえ、お気持ちはわかります。でもきっかけがなんだったのか気になってはいます」
「アルテミオ、正直に話せ。それならラティに働いた無礼は目をつぶろう」
苦笑いを浮かべたアルテミオ様は、私に優しげな視線を向けて話しはじめる。
「それは義姉上が母上の暴言を止めてくれたからです。あの時、私は身動きひとつできなかった。兄上が傷つくとわかっていながら、自分の過去が蘇ってなにもできませんでした」
「アルテミオ様もおつらい経験をされてきたのですね……」
「あの頃は兄上が戻られて、周囲は手のひらを返したように無関心になったのです。最初は兄上を恨みましたが、私の努力を認めてくれたのも兄上だけでした。あんな両親でしたが、おかげで兄弟仲はよかったですよ」
なんでもないことのように話しているけれど、ここまで乗り越えるのにどれだけの辛酸を舐めてきたのか想像に難くない。
フィル様が国王陛下たちを決して父と呼ばないのも、両親の愛を知らないと言い切るくらいの経験をしてきたからだ。
「とにかく、あの時に義姉上は心から兄上を大切にしてくださっているのだと理解しました。無礼を働いたことを改めてお詫びいたします」
「そうだったのですね。これからもフィル様を支えてくださるなら、もう大丈夫です」
「当然です! 兄上はもちろん、義姉上も支えていきます!」
やっと平和的な空気になり、そろそろ妃教育は始まる時間になる。私はお茶を飲み干し、チラリと時計に視線を向けた。
「それにしても兄上が義姉上にベタ惚れなのはよくわかりました」
「ラティは僕の女神だからね」
フィル様に視線を戻すと、うっとりするような笑みを浮かべて私の髪を掬いキスを落とす。
目の前にはアルテミオ様もアイザック様もいるのに甘ったるい空気が漂い、恥ずかしさに耐えられなくなった私は勢いよくソファーから立ち上がった。
「そ、それでは、私は妃教育がありますので、失礼いたします……!」
そう言って逃げるようにフィル様の執務室を後にした。






