15話 王妃暗殺の罠
私がフィル様に嫉妬の気持ちをぶつけた三日後、事件は起きた。
この三日間はフィル様の執務室への書類配達がなく、王妃様の執務室へ行くと無謀な量の仕事を回されるだけで比較的平和に過ごせていた。
「今日は趣向を変えて、貴女の礼儀作法をチェックするわ」
「……はい、承知しました」
王妃様からこんな申し出をされたのは初めてだ。もしかして私が書類仕事であまりダメージを受けていないから、やり方を変えたのかもしれない。
王族としての礼儀作法はすでに教わっているけど、実践するのは初めてになる。些細なミスもしないように神経を張り巡らせた。
椅子へかけるタイミングも、座り方も、目線の角度も、すべて気を抜くことなく教わった通りにこなしていく。
「あらあら、貴女それでも妃教育を受けたの? まったく洗練されていないし、田舎臭さが抜けきってないのよねえ……まあ、顔の作りもパッとしないから仕方ないのかしら」
「申し訳ございません」
教師たちからは完璧だとお墨付きをもらっているので、文句をつけたいだけだと割り切ってスルーした。
「はあ、ちょっとそちらにあるマカロンとマドレーヌを取ってちょうだい」
「承知いたしました」
侍女たちは壁際で控えているため、私の目の前にあるお菓子をトングで皿に移して王妃様へ渡す。きっと嫌がらせの一環で、侍女がやるような仕事を私にやらせたいのだろう。
「ちょっと、この盛り付けはなんなのよ。本当にセンスの欠片もないわね」
そんな嫌味を聞き流しながら、お茶の時間は進んでいく。
しばらくして、王妃様がカチャリと大きな音を立ててカップを置いた。
お茶や食事の際に大きな音を立てるのは、貴族のマナーとしてもっとも嫌われる部分だ。不思議に思って王妃様の様子を観察すると、どうも様子がおかしい。
「あ、う……ゔゔ……!」
言葉にならない声を発して、王妃様はテーブルの上に突っ伏した。
「王妃様!?」
「お、王妃様!」
室内いた侍女たちが真っ青になって駆け寄ってきた。
私もすぐに状態を確認しようと近寄ったところで、王妃様はテーブルから崩れ落ちてクロスごと床へ横たわる。そのまま嘔吐し、苦しげな表情でだんだん呼吸も弱くなっているようだ。
これは、毒物を摂取した——!?
私は床に膝をついて、王妃様の身体を横に向けたまますぐに治癒魔法をかける。
「癒しの光!」
白い光が室内に広がり、王妃様を包み込んだ。魔力を込めながら治癒の手応えを感じ取る。
やがて光が収まると王妃様の呼吸は安定して安らかな表情になった。脈も力強くすぐに目を覚ましそうだ。
「お、王妃様! 目を覚ましてください! 王妃様!」
「いったいなにがあったの!? 専属治癒士も呼んで!」
侍女たちがバタバタと駆けずり回り騒然としている。
「おい、なにがあった? ……母上!」
そこへやってきたのはアルテミオ様だ。床に横たわる王妃様を見て驚きの表情を浮かべている。
「アルテミオ様、王妃様とお茶を飲んでいたら突然様子がおかしくなり、倒れられたのです。治癒魔法をかけましたので、もう大丈夫です」
「倒れただと!?」
毒物を摂取したと伝えようとしたところで、王妃様の身体がピクリと反応を示した。
「うっ……」
王妃様は意識を取り戻し、ゆっくりと起き上がったがまだ立つことはできないようだ。青ざめた顔で私を睨みつけて、こう言い放った。
「貴女、よくもやってくれたわね!」
「——え?」
怨恨のこもった眼差しを向けられ、私は困惑するばかりだ。たった今治癒魔法をかけて王妃様を治したけれど、理解してもらえてないのか。
「あの、王妃様。どうやら毒を摂取されたようでしたので、緊急事態だと判断し治癒魔法をおかけしました。私は専属治癒師でもありますので、資格もあり問題ないと……」
「嘘おっしゃい! わかっているのよ! 貴女はわざと毒物を仕込んでわたくしを治癒したように見せかけたかったのでしょう!?」
「いえ、そのようなことはカールセンの名に誓っていたしません」
もしかして毒を盛られたショックで、王妃様は混乱しているのかもしれない。ここは落ち着いて状況を説明した方がよさそうだ。
「確かに王妃様とお茶を一緒に飲んでいましたが、王妃様が口にされたものには触れておりません。途中から様子がおかしくなられたので、どうしたのかと思った矢先にお倒れになったのです」
「いいえ、騙されないわよ! 貴女が盛ったお菓子を食べたらどんどんおかしくなったのだから!! そうでもしないと認めてもらえないと思っていたのでしょう!?」
私はようやく王妃様の罠に嵌ったのだと理解した。
今日の妃教育がお茶会なのも、侍女を壁際に立たせたのも、私にお菓子を取らせたのも、すべてこの状況にするためだったのだ。
「ですが王妃様の目の前で盛り付けましたし、私はおかしなことなどしておりません」
弁明はするけれど、果たしてどれほどの説得力があるのだろうか。
妃教育も兼ねたお茶会で、私が盛り付けたお菓子を食べて王妃様が体調を崩したのは事実だ。先ほど責められたように、自作自演を疑われれば私が治癒魔法をかけたことすら怪しく見える。
言い訳すらできない状況に奥歯を噛みしめた。
糸が張り詰めたような空気を崩したのは、駆けつけてきた王妃様の専属治癒士だった。
「お待たせいたしました! 王妃様は……おや?」
壮年の男性専属治癒士は急いで駆けつけたようだが、王妃様の顔を見て不思議そうにしている。私と目が合って、治癒魔法をかけた後だと状況を見て理解したらしく笑みを浮かべて頷いた。
「遅いわよ! 私がちゃんと治っているか早く診なさい!」
「申し訳ございません。では失礼いたします」
王妃様の専属治癒士が丁寧に診察を始める。患者を動かしていい状態なのか判断できないので、この場で診断するのだ。
「ふむ、なるほど……では問診をしますが、最初にどのような症状が出てお倒れになったのでしょうか?」
「最初は……なんだか口がおかしくなって、そのうちにカップを持つのも上手くできなくなったわね。おかしいと思っているうちに身体の自由が効かなくなって、とにかく苦しかったのよ」
「カップを持てなかったというのは、力が入らなかったのでしょうか? それとも痺れや麻痺の症状でしたか?」
「指先がビリビリしていたから痺れかしら」
専属治癒士は厳しい表情でさらに詳しく聞いていく。
「嘔吐もされたようですが……?」
「そうなのよ! 気持ち悪くて吐いたけれど、苦しくて息ができなくて身体に力も入らなかったわ。でも白い光に包まれたら楽になって、意識が遠のいたの」
「なるほど。症状を伺う限り、テトラキシン中毒ですね。治癒の痕跡も確認しましたが対処は完璧ですし、もう完全に解毒されています」
やはり毒物だった。しかもテトラキシンなんて致死率の高い毒物で、状態によっては解毒薬では手遅れになる場合もある。助けられてよかったと胸を撫で下ろした。
「王妃様、運がよかったですね。カールセン伯爵家の治癒士でなければ、ここまで綺麗に治っていませんでした」
「な、なんですって……? そ、そんな危険な毒物だなんて聞いてないわ……!」
「母上。それはどういうことですか?」
アルテミオ様の低い声が室内に響く。フィル様を彷彿させる黒いオーラをまとい、射るように王妃様を見つめた。
「なんでもないわ。こっちの話よ」
「ごまかさないでください。確かに『そんな危険な毒物だと聞いていない』とおっしゃいました。毒を盛られたというなら、なぜ事前に知っていたような口ぶりなのですか?」
「それは……情報を掴んでいたのよ。事前にその女が毒を盛ると情報を掴んでいたのよ! だからいざという時のために毒消しだって用意していたの!」
そう言いながら王妃様はドレスのポケットから小さな小瓶を取り出した。
「確かにその毒消しは数日前に私が処方したものです」
専属治癒士の証言もあり、王妃様の話す内容に矛盾はない。
でも、毒を用意した犯人は致命的なミスを犯している。
——私はそれに気が付いた。






