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11話 なんなら私が養います

「ふうん、そういう流れだったんだ」

「はい。あの、なにか予定と違うのですか?」

「そもそも、王太子妃の教育を王妃が務める慣習なんてないよ。たまにお茶を飲んだり、相談相手になるくらいだね。国王の手腕や、王妃と我が国の関係性によって求められる役割が異なるから、専門の教師をつけることになっているんだ」


 フィル様の話を聞いてなるほどと思った。確かに外交が得意な国王もいれば、戦が得意な国王もいるだろう。


 そして王妃が他国から嫁いだのであれば、その国との架け橋になることを求められているということだ。自国の貴族であれば国王の地盤固めを求められる。


 その時々の状況によって変わるだから、王妃様からすべてを学ぶのは難しいかもしれない。


「では、今回はどうして王妃様が教師になられたのですか?」


 私はカールセン家の血を引いている。フィル様は政治も得意だし、国民の人気も高い。それに魔力だって歴代王族の中でもトップクラスだ。


 そう考えると私に求められているのは、治癒力だと察しがつく。どんな怪我や病でも私が治療することで、フィル様は政務に集中できるのだ。


 もはや誰も逆らえないほど有能な国王の誕生ではないだろうか。


「そうだな。こう言ってはなんだけど、おそらくラティを認めたくなくて、なんとかして引き摺り下ろしたいだけだと思う。まあ、僕がそんなことさせないけどね」

「そうですか……ですが、できれば私は王妃様にもアルテミオ様にも認めてもらいたいと思います」


 やっとここで自分の気持ちを伝えることができた。王妃様はフィル様の生みの母であるし、アルテミオ様は血を分けた兄弟だ。


「それは必要ない」


 フィル様の氷のようなひと言に、私は固まった。


 切り捨てるように拒絶されたのは初めてだ。どんな時も穏やかで甘い言葉を返してくれていたので、すぐに反応できない。


 私が戸惑っていると、フィル様は起き上がり執務机に戻っていく。


「ラティ、国王と王妃については接点を持つ必要はないよ。教師の件も僕から断りを入れておく」

「フィル様……どうしてそこまで実の両親を拒絶されるのですか?」


 私は思い切ってフィル様に尋ねてみたが、そう聞いたのをすぐに後悔した。フィル様の表情が抜け落ちて、瞳から光が消えた。慌てて質問を撤回する言葉を口にする。


「不躾なことを尋ねて申し訳ありません」

「……ラティにとっていつも最善を考えているから、それだけは理解してほしい」

「はい、もちろんです。私もフィル様のためにできることはなんでもします」


 私は治癒室でさまざまな人間関係を見てきた。例え血縁関係であっても愛や優しさがあるとは限らない現実を知っていたのに、迂闊な自分の発言を強く反省し申し訳なさでいっぱいになる。


「なんでも?」


 今度はフィル様の瞳がギラリと光った。いつもと違う雰囲気に背中を嫌な汗が伝う。私はなにか選択を誤ったのかもしれない。


「そう……それなら、こっちに来てくれる?」


 その言葉に逆らうなんてできなくて、素直にフィル様のかける椅子の隣に立った。


「あっ!」


 フィル様は無言で私の腕を引いた。突然のことだったので、私はバランスを崩して椅子に座っているフィル様の膝の上に乗ってしまう。まるで食事を食べさせてもらう時のような姿勢になった。


「ラティ」


 耳元で囁くように名前を呼ばれ、私の心臓は壊れたみたいに鼓動している。空のように澄んだ青い瞳が私をジッと見つめていた。


「ごめん。僕の情報収集が生ぬるかった。これからはこんなことがないようにするから」

「いいえ、大丈夫です。ご挨拶できるいい機会でしたから」

「でも、お詫びに僕の愛を注いでもいいかな? なにがあってもラティが僕の気持ちを疑わないように、ね?」


 フィル様はそう言いながら私の頬やこめかみに優しくキスを落としてくる。いったいどのような方法で愛を注ぐのか、怖くて聞けない。


「え、あの、フィル様の気持ちを疑ったことなんてありませんから! 大丈夫ですから、離してください」

「やだ。僕がラティを離したくない」

「そ……っ!」


 反論しようとして、フィル様の熱い口付けに言葉を続けられなかった。


 食後の毒物チェックでも手を抜いていたのかと思うほど、情熱的に甘く激しくフィル様は私に愛を注ぐ。すっかり力が入らなくなった頃、やっと唇を解放された。


「ラティ、大丈夫? ちょっと止まらなくなっちゃって」

「フィル様……もう、やり過ぎです……!」


 涙目になってフィル様を睨みつけるけれど、まったく効果がないようでニコニコと上機嫌な笑顔でソファーまでお姫様抱っこで運ばれた。


 せっかくなのでフィル様の疲れを治癒魔法で取り、王妃様への伝言が嘘にならないようにする。いつもの笑みを浮かべて、フィル様は猛然と政務をこなした。


 途中でアイザック様が戻ってきたが、挨拶もそこそこにフィル様から書面を託されて執務室を後にする。再び戻ってきた時には一通の書簡を手にしていた。

 しかしアイザック様の表情は渋く、どうも嬉しくない知らせのようだ。


「フィルレス様、こちらは国王陛下からです」

「嬉しい内容ではなさそうだね」


 受け取った書簡に目を通したフィル様から、黒いオーラがだだ漏れしている。無言のままグシャリと書類を丸めて捨てた。


「はー……。アイザック、急ぎのものは終わらせてあるから後は頼む」

「かしこまりました」

「それからラティ」

「は、はい」


 突然声をかけられて私は驚いた。フィル様はアイザック様から薄手のローブを受け取りながら言葉を続ける。


「僕と散歩に行かない?」

「はい、行きます」


 今朝バハムートから聞いていた空中散歩だと思い、私は頷いた。




 一度私室へ戻り、簡易的なワンピースに着替える。季節は秋も半ばを迎え、空中散歩するには肌寒い時期だからショートローブを羽織った。


 バハムートは私とフィル様を乗せられる大きさになるため、王族しか入れない庭園で待っている。これはフィル様がバハムートのために用意した乗降場だ。


 足早で乗降場へ向かうとすでにフィル様はバハムートの背中に乗っていた。


「ラティ、おいで」


 優しく微笑むフィル様の手を取り、バハムートに乗って空へ舞い上がる。大きく羽ばたく翼は上空の風を捉えてさらに高度を上げた。


 青く澄んだ空と薄く広がるすじ雲が視界いっぱいに広がる。頬に当たる風は地上よりも冷たいけれど、バハムートの風魔法によって軽減されているのでそれほど寒さを感じない。


 地平線にはうっすらと山影があり、眼下には紅く色づく山肌が流れていく。この季節ならではの彩りを楽しんでいると、フィル様が重々しく口を開いた。


「ラティ」

「はい、なんでしょうか?」

「王妃にラティの教師に着任するよう王命が下された」

「そうですか。王命なら仕方ありませんね。認めてもらえるよう頑張ります」


 このことを伝えたくて、フィル様は政務を切り上げて散歩に連れ出してくれたのだろうか? それにしては少々大袈裟な気がする。


「……ラティ、ごめんね。奴らが暴走してしまったけど、相応の報いを受けさせるから」


 フィル様の言葉に私は胸を抉られたようだった。

 実の両親を『奴ら』と呼び、そこにはまるで家族の情が感じられない。


 私が国王陛下や王妃様と関わるのを嫌がった理由はそこにあるのかと察した。フィル様の手を取り後ろを振り向くと、お腹に回されていた腕は簡単に解ける。


 愛しい婚約者は表情が抜け落ち、空色の瞳からは光が消えていた。なにかを求めているような、あきらめたような絶望に近い悲しみを感じて胸がぎゅっと締めつけられる。


「私はこれでも治癒室で鍛えられたので、多少のことではへこたれません。でも、フィル様が悲しむのは耐えられません」

「……悲しいわけじゃない。別に奴らが——」


 フィル様がなにか言いかけたけれど、私はそれを遮って言いたいことを口にした。


「私はフィル様を愛しています」


 空色の瞳が大きく見開いていく。視線を逸らさず、もう一度言葉にして伝える。


「誰よりも大切ですし、もしフィル様が没落しても、平民になっても大丈夫です。なんなら私が養ってあげます。これからも変わらずに、ずっとそばにいます」


 この治癒魔法があればどこでだって生きていける。その自信からの発言だったのに、フィル様はお腹を抱えて笑い出した。


「ふふっ……ははははっ! ラティに食べさせてもらうの、すごくいいね。そうか、平民になっても僕のそばにいてくれるんだ」

「当然です。だって王太子だから好きになったわけではないですし」

「ふふふ……ありがとう。そんな風に受け入れてもらえると思っていなかった」


 空色の瞳には光が戻り、くしゃりと表情が崩れたフィル様にきつく抱きしめられた。


「……本当に君には敵わない。僕も誰よりも、なによりもラティだけを愛してる」


 潤んだ瞳は笑いすぎたせいなのか、別の理由なのか。いつもよりキラキラと輝く碧眼から目が逸らせない。


 そしてとても寂しそうな笑みを浮かべて、フィル様は語り出した。


「僕は両親の愛を知らない。ずっと隔離塔で過ごして、その間は勉強のための本だけ送られてきて、手紙ひとつもらったことがない。アイザックとその母親だけが、僕と過ごしてくれたんだ」


 それはどれほどの孤独だったのだろう。


 確かに魔力が膨大な子供は、強力な結界が施された塔に隔離されるのがこの国の規則だ。それでも両親が手紙ひとつ寄越さないなんて、あまりにも悲しすぎる。


「アイザックたちはとてもよくしてくれたけど、国王と王妃はそんなアイザックたちを排除しようとした」

「そんな……」

「もちろん、実力で黙らせたけどね。それからは裏ではどんな汚いこともやってきた。そうやって自分と大切な人たちを守ってきたんだ」


 あまりにもフィル様がつらそうで、そっと頬に手を伸ばした。冷え切ったフィル様の手のひらに包まれ、ぎゅっと握りしめられる。


「奴らは生物学上の親だというだけだ。今は説得力がないと思うけど、絶対にラティを守り抜くから」

「大丈夫です。これでも治癒室の激務をこなしてきたので、王妃様の妃教育くらいなんでもありません」


 精一杯の笑顔を浮かべて、私は言った。


「私はフィル様を信じています。私が結婚式で永遠の愛を誓うのは、フィル様しかいません」

「僕もラティ以外を妻にするつもりはないよ。これは全力でラティの望みを叶えないとね」

「そうですよ。私の愛する人は世界一腹黒で有能なんですから」


 だからいつものフィル様に戻ってほしい。こんな悲しげなフィル様も(いと)しいけれど、やっぱり黒い笑みを浮かべるフィル様でないと落ち着かない。


 そっとフィル様と口付けを交わして、私は改めて妃教育をやり抜く覚悟を決めた。




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