9話 主従契約
ブリジットをフィルレスの婚約者候補だと発表してから十日後のことだった。わしは国王の執務室で右腕の宰相から突拍子もない話をされた。
「ユニコーンと主従契約を結ぶだと?」
「さようでございます、陛下」
聖女が連れていたユニコーンと太陽の創世神の末裔であるわしが、主従契約を結べるというのだ。
「しかし容易なことでなかろう。そもそも方法はわかっておるのか?」
「はい、古文書解読の担当者の話では、幻獣との間で合意があれば主従契約は結ばれると申しております。そうすれば主人に絶対服従となりますので、陛下の思いのままにユニコーンを操れるでしょう。さらに契約を交わした幻獣は神獣へと進化し、さらなる力を解放できるそうです」
宰相の言葉にわしは唸った。
確かにユニコーンを自分の思う通りに動かせたら、もっと確実にあの化け物に対抗できるだろう。しかしひとつだけ気掛かりなことがあった。
「聖女の浄化作業には影響ないのか?」
「はい、それも確認が済んでおります。特に影響はないようです」
「なるほど……それなら試す価値はあるな」
聖女ブリジットが今と同じように浄化ができるなら、いざという時にわしの命令に従う幻獣を用意しておけば安心だ。
「ふむ、では聖女を呼び出せ。ユニコーンと契約するぞ」
「かしこまりました」
それからほんの二時間ほどで聖女が執務室へやってきた。
「国王陛下、わたしをお呼びだと伺いまいりました。本日はどのようなご用件でしょうか」
落ち着かない様子のブリジットがわしの机の前に立つ。謁見室を使わなかったのは、あの化け物に情報が漏れるのを防ぐためだ。切り札は隠し持っておきたい。
「我がヒューデント王国が太陽の創世神の末裔であることは知っているであろう。そこでわしとユニコーンが主従契約することによって、幻獣の秘めたる力を使えるようになるのだ」
「そんなことが可能なのですか?」
「うむ、神の末裔である王族ならば可能だ。浄化の妨げにもならぬので問題はないだろう」
少し考え込んだ後、ブリジットは笑みを浮かべてユニコーンを呼び出した。
「ユニコーン、太陽の創世神の末裔と主従契約を結んでちょうだい。そうしたらこの世界のために、貴方の秘めた力を使えるようになるの」
なにもない空間が揺らめき、シャランと音を立ててユニコーンが姿を現す。普段は結界で身を包んでいるが、常に聖女に寄り添っていたようだ。
光を浴びた美しくしなやかな躯体、伏せられた瞳を飾る銀の長いまつ毛、きらきらと輝くたてがみ。どれも現実離れした幻想的な姿に思わず見惚れる。
「よし、ではユニコーン。わしと主従契約を結んでくれ」
《…………》
しばし沈黙が流れ、やがてユニコーンは大きくいなないた。前足を高く上げ勢いよく床に下ろしたと同時に、バリンッと音が響き透明の小さな欠片がユニコーンの周りを覆う。
小さな欠片が空気に溶けてなにも見えなくなると、背中には見事な銀翼が生えていた。ユニコーンはわしと同じ青い瞳でこちらを見つめている。
「陛下……お見事です! 幻獣と契約を結ばれ神獣ユニコーンへと進化を遂げました。この翼が神獣の証でございます!」
「そ、そうか……契約を結べたのだな! ははは……これでわしの治世は確固たるものになったぞ!」
ユニコーンがわしの下僕になったのだ。これほど素晴らしい日がやってくるとは想像もできなかった。これでいよいよ本格的に動けると王妃にも伝えねば。
「国王陛下、さすがでございます。わたしも今までにも増して、フィルレス様の婚約者になるべく積極的に行動いたしますわ」
「うむ、ブリジット、頼んだぞ。王太子にふさわしい婚約者は聖女しかおらんのだ」
「はい、お任せくださいませ」
そう言って笑みを浮かべる聖女に大きな期待を寄せつつ、王妃にも知らせを出した。身の程知らずな女と、今まで散々好きにしてきた化け物には現実をわからせる必要がある。
これからは、わしの時代が来るのだ。化け物に怯えることのない自由な日々を想像して心弾んだ。
* * *
南海の美姫と呼ばれていたわたくしはヒューデント王国へ嫁ぎ、ふたりの男児を産み、やがて王妃となった。
長男は魔力が膨大すぎてすぐ隔離され、次に対面したのは子供が十歳になった時だった。膨大な魔力を制御できるようになり、私の価値を高めてくれる最高の逸材だと期待して対面したのを覚えている。
しかし下賤の女がそばにいたからなのか、再会した時には冷酷で恐ろしい化け物になっていた。それでも見目麗しく能力も十分だから、わたくしが産んだ息子としては上出来だった。
一方次男アルテミオは長男ほど魔力が大きくはないけれど攻撃魔法が得意だし、わたくしの容姿を引き継いで中性的な美しい容姿でなにより扱いやすい。わたくしの王妃としてのプライドは長男が満たし、都合よく動くのが次男という状況だ。
「王妃様、国王陛下より知らせが届きました」
「そう、見せてちょうだい」
夫からの知らせに目を通すと、万事計画はうまく進んだので次の段階に入れと書かれている。つまりわたくしに王妃として動けと言っているのだ。
わたくしが唯一許せないのが、長男の婚約者があのカールセン伯爵家の娘だということだ。少し前に爵位を継いだと聞いたが、治癒魔法しか使えない家門など到底受け入れられない。高貴な血統にあんな出来損ないの女の血など混ざってはたまらないのだ。
「ふふふ、どうやってあの女を排除しようかしらね……」
長男の婚約者には聖女であり侯爵令嬢のブリジットがふさわしいだろう。
じわじわと追い詰めて辞退するように仕向けようか。それとも、わたくしの開くお茶会で恥をかかせて立場をなくしてやろうか。妃教育だと言って無理難題を申しつけて困っているのを見るのも楽しそうだ。
いっそのこと全部やってみるのもいいかもしれない。
「まあ、王太子の婚約者なら、わたくしの言うことにすべて従ってもらわなくてはね。そう思うでしょう? アルテミオ」
「はい。母上のおっしゃる通りです」
いつもこうしてわたくしに寄り添い、思うままに動いてくれるかわいい手駒に声をかけた。
太陽の末裔の血を引くアルテミオは、艶やかな長めの黒髪を揺らし空色の瞳を細める。薄桃色の唇がうっすらと弧を描いた。
「わたくしのアルテミオ、貴方も手伝ってもらうわよ」
「承知しました」
わたくしはあの邪魔者を排除するべく計画を練りはじめる。
「そうだわ、まずは明日からわたくしが妃教育をする時間を作りましょう。王太子妃としてすぐに使えるように厳しく鍛えないと。それからお茶会も開いて……三大公爵の血縁者は招待しない方がいいわね。随分甘い判定をされたのだから、信用ならないわ」
「……母上、兄上には内密に進めないと危険です」
「あら、そうね。そこが一番だわ。邪魔されたくないもの。先に関係者に手紙を書くから届けさせましょう」
手紙を書いて侍女へ内密に届けるように伝えて、お茶を口に含む。
調子に乗った下賤の女が困窮していく様子を思い浮かべて、思わずニヤリと笑みを浮かべた。






