8話 心強い友人たち
聖女ブリジット様と会ってから三日が過ぎた。
この日は妃教育が休みだったので、午前中は治癒室の手伝いに行って戻ってくる時に王族の食事を作る専用の厨房へ顔を出した。
「お疲れ様です。今お邪魔してもよろしいでしょうか?」
一斉にコックたちの視線が私に集まり、コックたちが驚きの表情を浮かべる。
「は……え!? ラティシア様!?」
「も、申し訳ございません! なにか粗相がありましたでしょうか!?」
私がフィル様の婚約者であることは厨房のコックたちも知っていて、コック長が前に出てきて真っ青な顔で謝罪されてしまった。
先日毒物混入があったばかりだから、またなにかあったのかと心配させてしまったようだ。
「あ、ごめんなさい、そうではないの。いつもおいしく調理していただいているから、今日は感謝の気持ちをお伝えしたかったのです」
「……え? 本当に? なにか食事で不手際があったのではなく?」
「不手際なんてとんでもない! 少し騒ぎが起きてしまったけれど、食事を駄目にされて私も本当に悔しかったです。それから、いつもおいしい食事を作っていただきありがとうございます」
「…………」
お礼を伝えて頭を下げたけれど、コックたちからの反応がない。なにかマズいこと言ったのかと顔を上げたら、ポカンとした顔で私を見ていた。
「あの……ごめんなさい。おかしなことを言ってしまったかしら」
「はっ! いえいえ、滅相もございません! むしろ逆です。私どもはこれが仕事ですし、まさかこんな風にお礼を言われるなんて思ってなくて……」
「そうなのですか? いつも食事のたびに感謝しております。これからもよろしくお願いしますね」
そう言って笑顔を浮かべると、なんとコック長が滝のような涙を流し始めた。
「ラティシア様! 私は、私はこれからも貴女様のために、全身全霊で食事を作り続けます!!」
「あ、ありがとうございます……」
なんだか大袈裟なきもしたけれど、感謝の気持ちが伝わったようでホッと胸を撫で下ろした。
コックたちの笑顔に別れを告げて、昼食の時間なので食堂へと向かった。
「ラティ、なにかいいことがあった?」
「え、わかりますか? 実はこの食事を作ってくれるコックたちに、日頃のお礼を伝えてきたのです。そうしたらみんな喜んでくれて、私も嬉しくて」
「あー……なるほどね。またファンが増えたのか」
フィル様が半眼で遠くを見つめている。今回はフィル様の膝の上ではなく、きちんと椅子に座って食事をしていた。
「よくわかりませんが、これからもおいしい食事を作ってくれると宣言してくれました」
「うん、そうなるよね。わかってる。でもね」
満面の笑みを浮かべたフィル様は、私の手を掬い上げ指を絡ませる。
「あまり嫉妬させないでほしいな」
「え? そんなつもりはないのですが……」
「ラティが理解していないのが問題だよね。僕の独占欲を理解してもらうには、今までの方法では生ぬるいみたいだから、やっぱりアレしかないかな」
そう言ってフィル様は立ち上がり、風魔法を巧みに操って私を宙に浮かせた。
「ええっ! フィル様、ちょっと待ってください!」
私の言葉ににっこりと笑顔を返し、つい先程まで座っていた席に腰を下ろしふわりと膝の上に私を乗せる。
「これからずっと、ふたりで食事をする時はこの体勢ね。今日の夕食からそのように準備させるから」
「待ってください、それでは毒が盛られたらフィル様にも危険が及びます!」
「ああ、それはラティもいるし大丈夫でしょう? あれから毒も防げているし、今後は問題ないよ」
「そんな……落ち着いて食べたいのに……!」
結局、お昼の休憩が終わるまでハチミツみたいに甘い時間を過ごすことになった。
いつもよりメンタルを削られた昼食の後は、久しぶりに面会の予定が入っている。
前回の判定試験を通して、私にはかけがえのない友人ができた。その友人たちとのお茶会をするため、庭園の東屋へ来ていた。
「ラティシア様、すっかりお元気になられたようで安心しましたわ」
「そうです! 知らせを聞いた時は本当に驚きました……お姉様がご無事でなによりです」
そう話しかけてくれたのはアリステル公爵令嬢のイライザ様と、今はヒューレット王国へ留学しているアトランカ帝国のエルビーナ皇女だ。
エルビーナ様は私を姉のように慕ってくれて、以前のような傲慢な態度は消え真面目に王立学院に通い汚名返上に励んでいる。
「無事でよかったが、月の女神の末裔なのに自分には治癒魔法が使えないなんて、不便なものだな」
さらに今日はアトランカ帝国の皇太子グラントリー様まで一緒に来ている。グラントリー様も今では互いに名前で呼び合うほど気を許せる存在になっていた。
ものすごく豪華な顔ぶれのお茶会に一瞬だけ怯んだのは内緒だ。この三人は信頼できるので、フィル様に相談し了承してもらえたので、手紙で事情を知らせている。
「皆様にご心配をおかけして申し訳ありませんでした。すっかり全快したので大丈夫です」
「それでも心配ですわ。こちらの薬はわたくしの伝手で取り寄せた強力な解毒薬ですの。いざという時のためにお持ちになってくださいませ」
イライザ様が青い小瓶をテーブルに置いた。そんな心遣いが嬉しくて笑顔で受け取る。
「お姉様! こちらもお持ちください! これは皇族に伝わる万能薬です。解毒はできませんが、その後の体調回復なら効果があります」
エルビーナ様もピンクの小瓶をそっと差し出してくれた。
皇族の秘薬なんて受け取っていいのかと思ったけれど、翡翠の瞳の真っ直ぐな視線を受けて断れず受け取ることにした。
「おふたりとも本当にありがとうございます。貴重な薬は大切に使わせていただきます」
「なにをおっしゃるのですか。恩人であるラティシア様のためなら、いくらでも解毒薬を取り寄せますわ!」
「わたくしだってクラスメイトに協力してもらえば万能薬は作れますの! ですから遠慮せずにお使いください!」
嬉しい申し出にお礼を言って、私は今日の本題を切り出した。
「本当にありがとうございます。それで、今日は皆様にご相談があったのです」
「相談とは珍しいな。なんだ?」
真面目に話を聞いてくれるようで、グラントリー様が身を乗り出す。イライザ様もエルビーナ様もグラントリー様も、立場的に命を狙われることもある。だからこそ相談相手にぴったりだと思った。
「実は毒を克服したいのですが、なにか方法をご存じないでしょうか? 治癒士として解毒方法は勉強したのですが、毒を口にしても死なない方法は知らなくて……」
「つまり毒が効かない体質になりたいということか?」
「はい、そうすれば、万が一毒を口にしても問題ないかと思いますので」
「うーん、それはなくはないがかなり危険を伴うし、フィルレスが許可しないと思うが」
グラントリー様の返答は渋いが、方法があるなら試してみたい。多少の危険は覚悟の上だし、治癒室に通っている今ならなんとかなると思う。
「そうですわね。わたくしも公爵令嬢ですから心当たりはございますが、フィルレス様の耳に入ったらそれこそとんでもないことになりますわ」
イライザ様の言葉を聞いて、フィル様に知られた際の私の未来がやすやすと想像できた。
毒を盛られてからのフィル様の過保護っぷりは、はっきり言って限度を超えている。それにフィル様に内緒でことを進められる気がしない。
「……そうですね。私が浅はかでした」
「ご理解いただけてなによりですわ」
にっこり微笑んだイライザ様の笑顔が、食事の時のフィル様の笑顔と重なる。なんとも言えない気持ちでいると、グラントリー様が口を開いた。
「そういえば、ラティシア。今日は伝えたいことがあって来たんだ」
「伝えたいことですか?」
「ああ、やっとコートデール公爵家の三女ジャンヌと婚約が決まった。口添えしてくれて本当に感謝する」
「まあ、そうでしたか! それはおめでとうございます!」
エルビーナ様の留学にともなって、グラントリー様もヒューデント王国で花嫁探しを続けていたが、なんとジャンヌ様に一目惚れしたらしく仲介を頼まれていた。
コートデール公爵へ手紙を書き、今ではグラントリー様も心を改めたのでよき夫になるだろうとバックアップしたのだ。
おふたりとも憑き物が落ちたみたいに穏やかになっていたし、皇族として教育されただけあって、立ち居振る舞いも完璧だったので心から応援することができた。
「ジャンヌならもしオレが道を誤りそうになっても、しっかりと修正してくれるだろう。それに心から愛する女性と一緒にいられるのが、こんなにも幸せなことだと知らなかった。あの時は本当に申し訳ないことをした」
あの時とは、以前グラントリー様が無理やり私を婚約者にしようとした時のことだ。フィル様にコテンパンにされていたし、私としてはわかってもらえたら問題ない。
「いいえ、もう済んだことです。これからはジャンヌ様と幸せになってください」
「……この恩は忘れない。これからもラティシアの友人として力になると約束する」
「ありがとうございます」
毒を克服するのは無理そうだから、貴重な秘薬や解毒薬をいつも持ち歩くことにした。フェンリルも守ってくれているし、薬をお守り代わりにするしかないみたいだ。
私は気持ちを切り替え、心強い友人たちに囲まれた楽しいお茶の時間を過ごした。






