7話 大地の神の使い
「えっ、フィルレス様!? 結界を破ったのですね……本当に素晴らしい才能ですわ」
最初は焦った様子だったが、フィル様の実力を垣間見てブリジット様が頬を染め熱のこもった視線を向ける。
ついさっきまで私に向けていた態度とはガラリと雰囲気が変わった。今のブリジット様は、清楚で儚げで思わず手を差し伸べたくなる。
いくらフィル様が冷たい態度を取ったとしても、王命が下されてしまったら私にはどうにもできない。ブリジット様の様子を見て、チリチリと焦げ付くような焦燥感が胸に込み上げた。
「オズバーン侯爵令嬢。ラティになにをしていた」
「申し訳ございません、ただお話をしていただけなのです。わたしが婚約者候補になりましたのでご挨拶をさせていただきました」
「それは不要だし、僕の正式な婚約者はラティだけだ」
「そうですわね。ですが試験に合格すれば、家格も素質もわたしの方が優れているのですもの、すぐに交代することになるでしょう。ですからラティシア様に前もってお伝えしたかったのです」
そう……なの? ブリジット様もあの判定試験を受けるの?
もし合格したら、フィル様の婚約者は聖女で侯爵令嬢のブリジット様になってしまうの?
不安に駆られてフィル様を見上げるけれど、凍てつく視線をブリジット様に向けている。
「ラティより優秀な成績を収めない限り合格はないよ。そしてそれはそんなに簡単なことじゃない」
「幸いわたしは大地の神のご加護を受けておりますし、助けてくださる方もたくさんおります。ラティシア様のように治癒魔法しか使えず血筋に不安があると、反対意見が出ることもございません」
ブリジット様の言葉にジクリと胸が痛む。
確かに私は治癒魔法しか使えない。でも、今はまだ私がフィル様の婚約者なのだ。ふたりのやり取りを聞きたくなくて、強引に話に割り込んだ。
「ブリジット様、ここは診察室です。受診されないのならお引き取りください。他の患者様のご迷惑になります」
「そうですわね、お邪魔いたしました。フィルレス様、後で改めてご挨拶に伺いますわ。では失礼いたします」
儚げな微笑みを浮かべて、ブリジット様はやっと診察室から去っていった。
「ラティ、大丈夫? なにをされたの?」
「いえ、特になにもされていません。それよりよく幻獣ユニコーンの結界を壊せましたね」
「幻獣ユニコーン?」
「はい、すぐに消えてしまいましたが、ブリジット様に寄り添うように現れました」
「なるほど、ユニコーンねえ……」
スッと碧眼を細めたフィル様は楽しそうな笑みを浮かべる。どうやらまた腹黒いことを考えているようで、そのあとはずっと機嫌がよさそうだ。
フィル様の国議も終わったので、そのまま食堂に向かって昼食をとることになった。いつもの席に座ろうとしたら、フィル様に声をかけられる。
「ラティ。座るのはそこじゃないよね?」
「え? いつもこの席ですが」
「…………」
フィル様に視線を向けると、両手を広げてニコニコと笑い膝の上に座れと無言の圧をかけてきた。
「今朝は毒物チェックもできなかったから、ラティが足りない」
「……わかりました」
私が寝込んでいる間、とても心配をかけたのはわかっている。目覚めた時にフィル様は少しやつれていて目の下にくまもできていた。だから毒に関しては強く断れない。
フィル様の引き締まった太ももに腰を下ろすと、即座に私の腰はガッチリと抱え込まれた。
「ラティはなにから食べたい?」
「……では温野菜のサラダからお願いします」
「ふふ、はいあーんして」
素直に口を開けると、柔らかく蒸されたニンジンが舌の上に乗せられる。野菜本来の甘さと少し酸味のあるドレッシングが絶妙で、いくらでも食べられそうだ。
これもコックたちが日々の相手のことを思い腕を磨き、創意工夫しながら調理してくれるおかげだと理解している。どんな食材も本当においしく調理されているのに、毒を盛り食べられなくした犯人が許せない。
「フィル様、絶対に犯人を捕まえてください。こんなおいしい料理をダメにする犯人は許せません」
今度コックたちにきちんと感謝の気持ちを伝えてこようと思った。だって自分の努力が無駄にされるのは、つらいことだと私は知っている。せめて私はちゃんと受け止めて評価していると伝えたい。
「うん、そうだね。ラティにあんなことをした時点で、僕が許さないけどね」
フィル様の黒い笑顔に、ああ、犯人はきっと悲惨なことになる……と私は悟った。
* * *
ラティと昼食を取った後、僕は王太子の執務室へ戻った。
すでにアイザックも休憩を終えたようで書類を眺めている。ソファに目を向けると、シアンとグレイの姿があった。
「フィルレス様、報告です」
アイザックが目を通していた書類を僕へ手渡す。
その報告書にはブリジット侯爵令嬢が数ヶ月前に聖女に選ばれ王城に来ていたこと、その際に国王と王妃に謁見していたことなどが書かれていた。
そしてラティの言った通り、ブリジットの隣にユニコーンの姿がたびたび目撃されている。
「なるほど。僕に対抗するために国王は聖女を抱き込んだんだね」
「そのようです。人払いし厳重体制で謁見したようで、なかなか情報が拾えませんでした」
「フィルレス様! それ聞き出したのオレなんで、ご褒美くださいよ〜」
グレイがすかさず自身の功績をアピールして、褒賞をねだってきた。確かにアイザックでも掴めなかった情報を手にしたことは褒めたいが、褒賞の内容による。
「なにが希望だ?」
「えーと、そろそろラティシア様に挨拶した——」
「却下だ」
「えええええ!! なんで!? なんでオレだけ除け者なんですか!?」
グレイをラティに近づけない理由なんて決まっている。あいつはあの美貌を使って、女をたらし込む天才だからだ。
ラティならそんなことで気持ちが動かないとわかっているけれど、僕が近づけたくないだけだ。グレイに決して教えるつもりはないけれど。
文句を言い続けるグレイを無視して僕は口を開いた。
「アイザックは反対派の貴族のリストと聖女の動向を、シアンとグレイはユニコーンがどんな能力を持っているのか調べてくれ」
「「「御意」」」
命令すれば渋々ながらグレイも従った。それから僕は国王の動向を注意深く窺うことにした。
それから三日後の夜。
僕は執務室で部下たちの報告書に目を通していた。反対派の貴族は先日の国議で反応を見た通りだった。裏でオズバーン侯爵が先導し資金提供もしているようだ。
資金提供を目的に反対派になっている貴族もいるようなので、リストからピックアップして僕の信奉者にすると決める。資金もそうだが王家が後ろ盾になると言えば、断る貴族はいない。
それからユニコーンについての調査資料には、興味深い内容が書かれていた。
「へえ……ユニコーンの特殊能力か」
ユニコーンは大地の神と使いとして存在する幻獣だ。古文書では太陽の神の使いはバハムート、月の女神の使いはフェンリルがいたと記されていたと書かれている。
あの犬が最初からラティに懐いていたのは、そういう理由もあったのかと納得した。
そして幻獣たちには特殊能力がある。バハムートはすべてを滅殺するブレス、フェンリルは影から影へ移動できるスキル。
そしてユニコーンには——
「穢れを取り込み毒として放てるねえ……まあ、ユニコーンが犯人なら不可解な状況も納得だな」
この前ラティを治癒室まで迎えにいった時、かなり強力な結界が張られていた。あれがユニコーンのものなら、自分の周囲に結界をはれば存在自体を隠すことができる。
その上で毒を放ったとしたら、臭いも残さず密かに暗殺することができるだろう。
「それなら、まずはユニコーンを捕まえないとね」
僕はやっと犯人を捕まえられる喜びで、笑みを浮かべた。






