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5話 過激な毒物チェック

 翌日から食事や休憩で飲食する時は、フェンリルが私の足元に寄り添うようになった。


 毎食ではないがフェンリルが反応して下げられるメニューがある。それはパンだったり、スープだったり、メインディッシュだったりまちまちだけれど、決まって私の食事に毒が盛られているようだった。


 その日は飲み物に毒が混入されていて、グラスも全部差し替えになった。これだけフィル様が対策しても毒物を盛れる犯人とは誰なのか。明確な敵意があることだけは間違いなく、気が抜けない毎日だ。


 人払いされた食堂でフィル様と食後の時間を過ごしていると、珍しくフェンリルが影から現れた。


《なあ、主人。あの毒だけど、普通となんか違う気がする》

「……どういうことだ?」

《毒を盛った奴の匂いも残っててもおかしくないのに、なにも匂わねえんだ》

「犯人の匂いがしない……?」

《ああ、なんかおかしいと思うぞ》

「そうか、わかった。これからもなにかあれば教えてくれ」

《おう、任せろ》


 そう言ってフェンリルはまた私の影の中に潜り込む。フェンリルの嗅覚は幻獣の中でも特に鋭いと聞いていたので、今回の進言は犯人を特定するのに役立つかもしれない。


 難しい顔をしてフィル様は考え込んでいた。考え事の邪魔をしたくなくて私も静かに妃教育の本を読んでいる。十分ほどしてフィル様が口を開いた。


「ラティ」

「はい、なんでしょうか」

「どうも今回の敵は一筋縄ではいかないらしい。そこでひとつ提案なんだけど」


 フィル様はそこで言葉を区切って、私の腰に手を回して抱き寄せる。その行動の意味がわからなくて、されるがままになってしまった。


「毎食後ラティが口付けをしてくれる時に、毒を摂取していないか僕なりの方法で調べたいのだけどいいかな?」


 これは私がうっかり約束してしまったことだった。フィル様の妃教育の盗み見をやめさせるため、朝昼晩と愛の告白と私から口付けすることになってしまったのだ。


 つい口走ってしまい恥ずかしい思いをしながらも、日課としてこなしている。


「フィル様の方法ですか?」

「うん、フェンリルにも毒のチェックを頼んでいるけれど、それだけでは僕が不安なんだ」

「そうですよね……わかりました。お願いできますか?」


 私が倒れて眠っている間に心配をかけてしまったのが心苦しかったのもあって、素直にフィル様にお願いすることにした。それでフィル様が安心するなら安いものだ。


「うん、じゃあ、まずいつものようにラティからキスしてくれる?」

「は、はい……」


 目を閉じたフィル様の頬に手を添えて、触れるだけのキスをした。これだけでも精一杯なのに、フィル様は私の後頭部に手を回して熱を帯びた舌でその先を促してくる。


「ラティが毒物を摂取していないか調べるから、口を開いて」

「こ、ここまでしなくても……!」

「僕なら毒物の味もわかるからこの方法で調べられるんだ。ラティも同意してくれたし、これも業務命令だよ? ていうか、まだ足りない」

「ひえっ……待っ……んんっ!」


 貪るような深いキスに翻弄されて抵抗もままならない。フィル様の舌が歯列をなぞり、上顎を擦って私の舌に絡みつく。クラクラと意識が遠のきそうで、フィル様の胸板を押し除けた。


 やっと解放されたと思ったけれど、フィル様の空色の瞳は私に狙いを定めたままだ。


「ラティ、これは毒物チェックなんだからあきらめて」

「そんなぁ……」

「ほら、もっと口を開いて」

「ふぁ……っ、んっ」

「は……ヤバい。理性ぶっ飛びそう」


 フィル様の危険な囁きは、溶けきった私の頭に入ってこなかった。




 フェンリルとフィル様の毒物チェックが始まって一週間後、私は朝食後にフィル様と治癒室へと向かっていた。この日はフィル様が国議に参加するので、エリアス室長のもとで過ごすことになっている。

 懐かしい職場に笑みを浮かべていると、フィル様がエリアス室長の前まで進んで黒い笑顔で口を開いた。


「エリアス、わかっていると思うけど、ラティが治療するのは女性患者だけだ。決して男は近づけないでくれ」

「事務作業の手伝いをメインに頼むつもりなのでご安心ください」

「うん、それなら安心だね。では治癒室の諸君も()()()()()()よろしく頼むよ」


 その場にいる治癒士たちは高速で首を上下に動かしている。フィル様のあまりのドス黒いオーラに圧倒されているようだった。それからフィル様はくるりと向きを変えて、甘くとろけるような微笑みで私を抱きしめる。


「ラティ。午前中は一緒にいられないけれど、ここで待っていて。国議が終わり次第迎えにくるから」

「わ、わかりましたから、フィル様、どうか離してください」


 元職場の同僚たちに、フィル様に抱きしめられているところを見られて気恥ずかしさが真っ先にやってくる。いたたまれなくて放った言葉が、フィル様の癇に障ってしまった。


「ラティ」


 私を呼ぶ声がワントーン低かった。しまったと思った時にはすでに時遅く。

 フィル様の右手が私の顎を捕らえ、強制的に視線を合わせてそれはもう艶然と微笑んだまま口付けを落とした。


 元職場で元同僚たちに囲まれて、みんなの視線を集める中でされたキスに私は石のように固まる。恥ずかしさと気まずさ、それからフィル様の強烈な独占欲に喜びを感じた自分が情けなくて、息をするのも忘れてしまった。


「では、また後でね。ラティ」


 フィル様は耳元でそっと囁いて治癒室を後にした。


「っっっはぁぁぁぁ……!」


 やっと息ができて深呼吸を繰り返す。顔も耳も火照って熱い。どうしようかと思っていたら、かわいがっていた後輩の声が耳に届いた。


「ラティシアさん! めちゃくちゃ溺愛されてますね〜!!」

「ユーリ!」

「いやあ、フィルレス殿下があんなに嫉妬深いとは思いませんでしたよ! あれヤバくないですか!?」

「あははっ、貴女は相変わらずね」

「そうですね〜、これくらいでないと治癒室勤務は務まりませんから」


 以前と変わらない様子のユーリと話しているうちにすっかり火照りも治って、歓迎ムードの元同僚たちに笑顔を向けた。


「みんなも久しぶりね。元気そうでよかったわ」

「ラティシアさん、今日は手伝いなんですよね? まあ、フィルレス殿下に嫉妬されない程度でお願いします」

「あんなフィルレス殿下は初めて見ましたよ」

「でもラティシアさんならあれくらい愛されても納得だわ」

「ああ、確かにねー! 相手がフィルレス殿下なのも納得だよなあ」


 私がひと声かけると治癒士たちは以前と変わらない様子で雑談を始めた。こんな風に和気あいあいとしていたと、懐かしさが込み上げる。


「ほら、そろそろ診察の準備をしろよ。騎士団の訓練が始まるから忙しくなるぞ」

「はいはーい」

「了解です、エリアス室長」

「じゃあ、ラティシアさん、また後で!」

「ええ、後でね」


 エリアス室長の声掛けで集まっていた治癒士たちがそれぞれの仕事を始める。症状によっては治癒魔法だけでなく回復薬や傷薬も使うので、残量のチェックや納品物の確認、不足している薬の発注、患者様のカルテの整理など仕事はたくさんある。


「ラティシア……でいいか? ここだとどうもお前が部下だった頃の気分が抜けないんだが」

「ふふ、もちろんです。エリアス室長。今日は手伝いもしますので、なんでも言いつけてください」

「そうしてもらえると助かるよ。じゃあ、早速だがここにあるカルテの整理を頼めるか?」

「はい、かしこまりました」


 積み上がったカルテを名前順に戸棚に戻していく。細々とした雑務をしながら体調に変化がないか注意していたけれどなにも変化はなく、そろそろ昼近くになった。

 国議は午前中だと聞いていたので、フィル様が迎えにくるかとソワソワし始める。


 そこへユーリが申し訳なさそうに声をかけてきた。


「ラティシアさん、すみません。ご指名で治癒してほしいと言われてまして、お願いできますか?」

「……私を指名なの?」

「はい、どうしてかここにいるとご存じのようで、お願いできますか?」


 私はフィル様の専属治癒士だけど、いざという時は誰でも治癒をすると宣言してあるし、フィル様もそれを理解してくれているから診るのは問題ない。

 でも私がここにいることを知っているのは極少数だから、指名と言われたら身構えてしまう。


「よほど緊急なのかしら……いいわ。私が診察するわね」

「ありがとうございます! 患者様はこちらです」


 ユーリに案内されて、高貴なご令嬢やご婦人が診察を受けるための専用診察室へ入る。これは高貴な方へ配慮した結果、隔離した空間が必要ということで用意された部屋で防音性も高くプライバシーがしっかりと確保されていた。


「失礼いたします。私がラティシア・カールセンです。ご指名と伺いまいりました」


 声かけの後に診察室へ入ると、ライトブラウンの髪をくるくると指に巻きつけ、つまらなさそうに頬杖をついた女性が椅子に座っていた。

 真紅の瞳を私に向けて口を開く。


「貴女がラティシア様ね? わたしは大地の神に認められた聖女ブリジット・オズバーンです。本日はフィルレス様の婚約者候補になったのでご挨拶にきました。もし婚約者を交代することになった際は引き継ぎをよろしくお願いいたします」

「——え?」


 突然の宣言に頭がついていかない。

 大地の神に認められた聖女……?

 フィル様の婚約者候補になった?

 婚約者を……交代する?


 なにも言い返せないまま、ただ聖女だと名乗る女性をジッと見つめる。

 その時、チラリと銀色のものが視界に入って消えたけれど、動揺していた私はそれがなんなのか深く考えることができなかった。




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