4話 変わらぬ愛情
気が付いたら、私は真っ暗闇の中にいた。
そしてここは夢の中だとぼんやりした意識で理解する。
地面はあるみたいだけど、すべてが闇に包まれてなにも見えない。怖くて動けなくて、私はただ俯いて耐えていた。いつの間にかつま先から闇に呑まれて、足首まで真っ黒になっている。
このまま闇に呑まれて消えるのだと思った。
『ラティシア』
そんな時、私の胸を締めつける懐かしい声が聞こえた。
『ラティシア、こっちよ』
『下ばっかり見てたら、はぐれちゃうだろ。ラティシア』
『そうだよ、ほら前を向いて。ラティシア、こっちだぞ』
声に従って顔を上げると、あれほど会いたいとこいねがった愛しい人たちがいた。
お父様、お母様、それから双子のお兄様たち。
「お父様! お母様! お兄様!!」
会いたかった、ずっとずっと会いたかった。
夢でもいいから、会いたくてたまらなかった。
記憶の中と変わらない優しい笑みを浮かべて、ゆっくりと私に背を向けて歩き出す。
「待って、置いていかないで!!」
少しずつ距離があいていく家族に追いつきたくて、必死に足を動かした。絡みついてくる闇をなんとか振り払って、懸命に走った。
『ラティシア、偉いな』
『よく頑張ったね、ラティシア』
「お兄様……!」
双子のお兄様たちにやっとのことで追いついた。満面の笑みを浮かべたお兄様たちは、私が追いつくとギュッと両サイドから抱きしめてくれる。あの時、屋敷で見送った時のように。そして笑顔のまま暗闇に溶けるように消えていった。こらえきれない涙が頬を伝う。
視線を前に向けるとお母様が両手を広げて待ってくれている。
私は涙もそのままで、また駆け出した。
「お母様!」
『ラティシア。幸せになるのよ』
私の耳元でお母様が囁く。抱きしめてくれた温もりを残して、お母様も闇に溶けていった。お父様は背中を向けたままゆっくりと歩いている。
「お父様、待って!」
ようやくお父様に追いつき、今度は回り込んで置いていかれないようにした。
『ラティシア。私たちはいつでもお前を見守っているよ』
「お願い、消えないで……!」
お父様は困ったように微笑んで、私の頭を優しく撫でた。そして、やっぱり暗闇に溶けて消えていく。
止まらない涙がポタポタと頬を伝って落ちていく。でも私の足元はもう真っ暗闇ではなかった。背後から差し込む光が、闇を打ち消している。
いつの間にか私のお腹に腕が回されていて、背中に感じる温もりがこの世界で一番愛しい人のものだとすぐに気が付いた。
「ラティ」
耳元で聞こえる掠れた声。その声音は聞いたことがないくらい心許ない。こんなフィル様は初めてだ。
「早く目を覚まして」
ここで私はハッと我に返る。
そうだ、私は毒症状が出て意識を失ったのだ。このままここにいてはいけない、そう思った。
目を開けると、ぼんやりと天井が見える。すっかり慣れ親しんだ天井を見て、ここが寝室だと理解した。きっと意識を失って誰かが運んでくれたのだろう。
目が覚めてだんだんと意識が鮮明になってくる。部屋には朝日が差し込み、幾つも光の筋を作っていた。どれくらい眠っていたのか喉がカラカラだ。
目が覚めても夢と同じ温もりに包まれていることに疑問を感じて、横を向くと超絶麗しいフィル様の御尊顔が目の前にあった。
いつもの腹黒さなんて微塵も感じない、穏やかな寝顔。まつ毛は長くて、目を閉じていても整った造形と陶器のような肌が朝日を浴びて輝いて見える。
「ぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「うわっ! って、え、ラティ!?」
近距離すぎて思わず絶叫して飛び起き、ガッチリと毛布で身を守りベッドの端まで移動した。私の叫び声でフィル様もガバッと起き上がり、とても驚いた様子でこちらを見つめている。
どうしてフィル様が私のベッドで眠っているのか意味がわかららない。確かに私はフィル様の婚約者だけれど、さすがにこれはやりすぎではないだろうか?
「あ、あ、す、すみません! というか、こ、これはどういう状況でしょうか!?」
「ラティ……!!」
フィル様が感極まった様子で私を強く抱きしめた。なんだかいつもと違う様子に私はされるがままになっている。私を抱きしめるフィル様の腕がわずかに震えているようだ。
それになんだかやつれた様子で、目の下にはくまができていた。どうやらかなり心配をかけてしまったようだ。そっと背中に手を回して、囁くように疲労回復の治癒魔法をかけた。治癒魔法の白い光も収まりすっかり疲れも回復したはずなのに、フィル様は私を抱きしめたまま離そうとしない。
「フィル様……?」
「よかった、やっとラティの目が覚めた……よかった」
「あの……なにがどうなっているのですか……?」
それから落ち着きを取り戻したフィル様が、私が倒れた後のことを聞かせてくれた。
驚くことに私が倒れてからすでに三日が経ち、本当に危険な状態だったらしい。果実水を飲みながら、ひと通り聞き終え私も倒れた時のことを尋ねられた。
「あの日、朝食の後にやたら喉が渇いていました。廊下を歩いていたら、吐き気と手足の痺れに襲われ、幻覚も見えたので毒物を摂取したと気が付きました。でも、助けを呼ぶことができずそのまま意識を失ったのです」
「食事はおかしなところはなかった?」
「……もしエリアス室長の見立て通りだとしたら、アルカロイド系の毒は苦味を感じることが多いので、サラダに毒物が混入していた可能性があります」
あの朝食で苦味を感じたのは、サラダだけだった。そういう風味かと思ったけれど、味だけでは気が付かなかったのだ。それに葉を刻まれてサラダに混ぜられた状態で出されたら、判別するのはなおさら難しい。
「そう……わかった。今後はフェンリルにも毒物のチェックはさせるから。それと僕も食事や休憩は時間を合わせるから犯人を片付けるまでは、ひとりの時に飲食は控えてほしい。不便な思いをさせて悪いけど、もうあんなラティを見たくないんだ。わかってくれる?」
「わかりました」
フィル様の心配は当然だろう。毒を盛られた食事を口にして三日間も寝込んでいたのだから、そんなことで安心してくれるなら多少の不便は仕方ない。
こうしてどこまでも私のことを大切にしてくれる、それがとても嬉しい。
「それと、今後は万が一のことを考えて食後はしばらく僕と一緒に過ごしてもらうよ。一緒にいられない時は治癒室にいってほしい。エリアスや他の治癒士がそばにいれば治療をすぐに受けられるだろう?」
「あ、それならついでに治癒室の手伝いをしてもよろしいですか? 治癒室でぼーっとしているのは多分無理なので」
「ふふ、いいよ。すぐに治療を受けられる状態でいてくれるなら好きにして」
「ありがとうございます」
私は治癒室での忙しい毎日を思い出していた。休憩時間もろくに取れないこともあったけれど、とてもやりがいのある仕事だった。なんだかんだ言っても、私は父の血を色濃く受け継いでいるのだ。
人々の傷を癒して笑顔になる瞬間がとても好きだった。
「ああ、それと——」
フィル様に視線を向けると、今まで見たことがないくらいのドス黒い笑顔でこう言った。
「今回の犯人を捕まえたら徹底的に排除するから、もしかしたらラティに影響が出るかもしれないけど、構わないよね?」
「え、影響ですか?」
「うん、大したことはないと思うけれど、役割や重責に変化が生じるかもしれない。いざとなったら僕もフォローするから」
「はい……それなら大丈夫かと思います」
「よかった。これで心置きなく仕事ができるよ」
王太子の婚約者が毒を盛られるなんて重大な事件だ。犯人は相当な罰を受けるに違いない。そうなると貴族のバランスも変わるから、もしかしたらカールセン伯爵家にも影響が出ると言いたいのだろう。
それに有能で腹黒いフィル様のことだから、もうなにか情報を掴んでいるのかもしれない。私はまだ妃教育の途中でもあるし、政務にかかわることに口出しできる状態ではないけど、相手が無事で済まないことだけは確実のようだ。
毒だって致死量を摂取しなければなんとかなるだろうし、その知識は自分にもある。今後はフェンリルも注意してくれるし、おかしな味だと思ったら残せばいいのだ。
それに、あの夢。きっと死の淵にいた私を助けるために、お父様たちは来てくれたのだと思った。
お父様たちの訃報を聞いてから、ずっとずっと叶わないとわかっていても求め続けていた。会って抱きしめて思いっ切り甘えたかった。
甘えることはできなかったけど、生前と変わらず私に愛を注いでくれていた。それだけでとても満たされた気持ちになっている。
だから私はここで毒を盛られて死ぬつもりはない。そんなことに負けたくない。
お父様たちが見守ってくれているから、きっと大丈夫だと心から思えた。






