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3話 早く目を覚まして

「フィルレス様っ!!」


 執務室に戻り、どうやってオズバーン侯爵たちを追い詰めるか思案していると、アイザックが息を切らして入ってきた。


「アイザック、どうし——」

「ラティシア様が毒を摂取し、お倒れになりました」


 一瞬、聞き間違いかと思った。タチの悪い冗談だと思いたかった。でも、アイザックの悲痛な表情に嘘はなく、現実なんだと理解する。

 その報告を受けて、気が付いたら走り出していた。


 ——嘘だ、嘘だ、嘘だ。


 ラティが毒を盛られただって?

 僕の目の前で毒を口にしていただって?

 そんなことありえない。毒には僕も常に注意を払っている。食材も食事を作る場所も、コックも食事を運ぶ使用人たちもすべて僕自ら選び抜いた人材だ。

 それにラティにつけた専属メイドは、僕の専属の影で毒が入っていたなら鑑定眼でわかるはずなんだ。あの場にもいたし見落とすなんて考えられない。


 それなのに、毒を盛られた……?


 ギリッと奥歯をかんでラティが休んでいると聞いた寝室へ、息を切らして戻ってきた。部屋に入ると、治癒室の室長を務めるエリアス・ハミルトン室長がラティを診察している。


「フィルレス殿下……!」

「……ラティの容体は?」

「はい、ラティシア様には治癒魔法を施し、今は症状が落ち着いています。しかし私が診察するまでに毒が回っており、完全に解毒できたか微妙なところです。しばらくは経過観察と、治癒魔法での継続治療が必要かと存じます」


 この男は平民ゆえに専属治癒士になれなかっただけで腕は確かだ。しかもラティの元上司でもあるし、なにより彼女を娘のように面倒を見てきたと聞いている。治療はそのまま任せて問題ないだろう。


 ベッドの上で静かに眠るラティは、真っ白な顔色で生気がまるで感じられない。頬を撫でると驚くほど冷えていた。


「僕の部屋にさまざまな解毒剤がある。エリアスの見立てを聞きたい」

「……症状は嘔吐と痙攣です。その他に治癒魔法をかけた手応えからすると、ユキワリソウの毒症状かと思われます。製法によっては胃腸の痛み止めの薬になるのですが……アルカロイド系の毒に効く薬はお持ちでしょうか?」

「わかった。該当する物をすべてこちらに運ぶから試してくれ。足りなければすぐに手配する」

「ありがとうございます。絶対にラティシア様を回復させます……!」


 それからずっと僕はラティのそばで寄り添った。

 エリアスがさまざまな薬を試し、治癒魔法も重ねがけしていく。その間は政務を他の担当に振り分け、食事も寝室でとり、夜はラティの冷えた身体を温めるため同じベッドで眠った。


 ラティの診察時間を使って、ラティの専属メイドとしてつけた影に事情聴取もした。寝室の隣の私室に僕の影でもあるアンバーを呼び出す。茶髪をひとつにまとめ、ヘーゼルの瞳には後悔の念が浮かんでいた。

 僕は気にせず、アンバーの前に液体の入った五個のグラスを並べる。


「アンバー。この中から毒入りのグラスを選べ」

「フィルレス様、大変申し訳ございません。私の失態でラティシア様に——」

「言い訳はいらない。質問に答えろ」

「は、はい……恐れ入りますが、こちらのグラスには毒が入っておりません」

「そうか」


 そう言って、僕はグラスとは別のカップに入った紅茶を飲もうと手に取った。


「フィルレス様、恐れ入りますがそちらのカップは毒入りでございます。口にしないでください」

「……正解だ。鑑定眼に狂いはないな」

「はい。自分でも当日すぐに確かめました」


 カップを元の位置に戻して、アンバーの能力が正常であることを確認した。あらゆる可能性を探るため、あえて試すような行動をしたのだ。


「試すようなことをして悪かった。では当日の配膳でなにか変わったことはなかったか?」

「いいえ、疑うのは当然のことです。ですが当日運んだお食事は、どれも毒入りではございませんでした」

「だとすると、僕の目の前で毒を盛ったことになるのか……?」

「あ、気になることといえば、お食事を運んでいる時になにかの気配がしました。実際は誰もいなくて、鑑定眼でも変化が見られなかったので気のせいかと思ったのですが……」


 アンバーは鑑定眼が使える影で、あらゆる物の本質を見抜く。物に込められた念まで読み取り、悪意なども敏感に感じ取るのだ。


「それはラティに向けられた悪意か?」

「悪意ではなかったです。どちらかというと、後ろめたさというか……そんな感じでした」

「ふうん……後ろめたさね……」


 それがラティに毒を盛った犯人に繋がるかわからない。

 ただアンバーが感じ取ったなら、そこになんらかの事象があったいうことだ。


 そんな簡単に答えは出ないか……。


 深いため息をついて、毒の入った紅茶からゆらゆらと上る湯気を眺めていた。




 すっかり解毒できたと太鼓判をもらえたのは、それから三日後のことだった。


「うん、もう毒は残っていないので、明日か明後日には目覚めるでしょう」

「そうか……よかった……ラティ」


 震える手でラティの細い指を掬い上げる。温もりを取り戻しつつある指先にホッとして、そっと口付けを落とした。


 早く目を覚まして、あのアメジストの瞳で僕を見つめてほしい。

 僕の暴走しがちな愛情表現を時にはたしなめて、最後には受け止めて。

 そして柔らかな微笑みで僕の名を呼んでほしい。


「フィルレス殿下。失礼を承知で申し上げてもよろしいでしょうか」


 エリアスが眉間に皺を寄せて僕を見据えている。鋭い視線には、わずかな敵意がにじんでいた。僕は視線でその先を促す。


「ラティシア様は……どんな逆境でもあきらめずに、前を向いて歩くようなお方です。きっと毒を盛られたとしても、そんなことで逃げるような性格ではありません。これまでだってしなくてもいい苦労をしてきた子なんです。ですから、ここで誓ってください」


 射るような視線が僕に突き刺さった。エリアスはラティの親に近い存在だ。カールセン家を追い出され、なんとか務め始めた治癒室で孤独だったラティをとても気にかけていたと聞いている。


「必ず、ラティシア様を守り抜くと。必ず、あの子を幸せにすると」

「そんなこと、言われるまでもない」


 誰よりもラティを愛して、大切にしているのはこの僕だ。ラティがいない世界など壊したって構わないと思っている。


「では、次にこのようなことがあったら……ラティシアを解放してください」

「……二度目はない」


 ラティを手離すなんてできるわけがない。

 僕はラティには決して見せない冷酷無慈悲な表情で、エリアスを見返した。


「そんなこと、この僕が許さない。たとえ相手が世界だろうが、神だろうが、敵なら排除するだけだ」


 そんな僕の変化を目の当たりにしたエリアスは、ゴクリと生唾を飲み込む。ようやく僕の本心を理解したのか、納得した様子で口を開いた。


「……わかりました。差し出がましいことを申しました」

「いや、君の気持ちはわかる。ラティの父親代わりとして世話してくれていたと知っているよ」


 パッといつもの僕に戻って、重苦しくなった空気を変えた。安堵のため息をついたエリアスはまた明日来ると言って、寝室を後にして治癒室へと戻っていった。


 僕はベッドに横たわるラティを眺めた。紙のように真っ白だった顔色は、血色がよくなり頬や唇は薄紅色に色づいている。静かに上下する胸元を見て、確かにラティは生きていると実感した。


「僕の目の前でこんなことをするとは……よほど死にたいらしい」


 ざわりと僕の胸の奥で、ドス黒い感情が渦を巻く。

 僕からラティを奪うというのは、それ相応の覚悟があってのことだろう。あれほど僕がラティを寵愛していると見せてきたのに、それでも手を出すのだから。


 まずは誰が関わっているのか調べて、それからついでに反対派の奴らもまとめて片付けようか。

 そういえば、アイザックから国王たちが不穏な動きをしていると報告があった。もっと詳しく探らせよう。害をなすなら徹底的に排除するまでだ。


「フェンリル」

《主人! ラティシアはどうだ?》

「解毒は済んだ。それよりお前、毒の匂いはわかるか?」

《毒の匂いか? 当然だ! 幻獣一の嗅覚だからな》

「今後はラティの食事に毒の匂いがしないかチェックしろ」

《おう! 任せておけ! オレたちのラティシアは絶対に守ってやる!》


 フェンリルは狼型の神獣だから鼻が利く。いつもと違いを感じたものは、証拠を取ってからすべて処分すればいい。フェンリルなら、なにかを嗅ぎ分けられるかもしれない。


「失敗したら……わかってるな?」

《だ、大丈夫だって言ってんだろ!?》

「それならいい」


 念のためにフェンリルに釘を刺したら、すぐに僕の影の中に入り込んでしまった。若干怯えた様子だったが毒物チェックには問題ないだろう。


「ラティ……」


 ここ数日間、同じベッドに入って眠った。日に日にラティの体温が上がっていくのが感じられて、今日こそは目を覚ますだろうかと期待してはガッカリするのを繰り返している。

 今夜もラティの身体を温めるため、そっとベッドに入って手を握った。


「早く目を覚まして」


 ラティが明日こそ目覚めるように祈りながら目を閉じる。目を閉じる瞬間、視界の端で空間が揺らめいた。でも、この三日間はろくに眠れていなかったから、睡魔に抗えずそのまま意識は闇の中に落ちていった。




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