1話 忍耐の終わり
第二部スタートです(*´꒳`*)
毎日一話ずつの公開となります。よろしくお願いいたします。
ヒューレット王国の国王ハルバートであるわしは、ずっと耐え忍んできた。
化け物のような我が子に怯え、国王としての采配すらまともにさせてもらえず傀儡王に成り果てていたのだ。わしの国王としての人生はあの化け物が隔離塔を出た日に終わりを迎えていた。
それがどれほどの屈辱と絶望だったか、正しく理解できるものはいないだろう。
そんなわしの現状に耐えに耐えてついに希望の光が見えた。
「まあ! 貴女がブリジットね! 本当に清らかで美しいご令嬢だわ」
「ふむ、其方ならわしの……いや、我が国の守りを任せられるな……!」
目の前に静かに佇む侯爵令嬢ブリジット・オズバーンは、微笑みを浮かべ慈愛に満ちた瞳でわしと王妃ステファニアを見つめている。
謁見室に差し込む光を浴びて、柔らかく輝くハニーブラウンの髪がサラリと肩を滑り落ちた。ルビーのような真紅に輝く瞳を細め、口元は優雅に弧を描き透き通るような声を発する。
「ご安心くださいませ、国王陛下、王妃殿下。わたしは大地の神に選ばれし、聖浄の乙女でございます。聖なる幻獣ユニコーンとともに、ヒューレット王国をお守りいたしますわ」
大地の神に選ばれた聖浄の乙女——通称聖女は、この世界で特別な存在だ。
この世界の創世神、太陽の神の末裔であるヒューレット王族はすべてを破壊尽くす攻撃魔法を操り、大地の神の末裔であるアトランカ皇族は鉄壁の守りを誇る。その大地の神から加護を与えられたのが、世界の穢れを清める聖女だと伝わっている。
その証として聖なる幻獣ユニコーンが聖女に寄り添い、世界に溜まった穢れを祓うのだ。ユニコーンも結界や浄化の力を操る存在で、その力は未知数だ。
聖女も聖なる幻獣もアトランカ皇族には及ばないが、結界を操る貴重な存在だ。しかしそのアトランカ皇族は最近魔力が落ちたと聞く。事実上聖女が世界で一番大地の神に近い存在だ。
その聖女が現れたと連絡が入ったのは、つい三日ほど前のことだ。そのままフィルレスの耳に入らないよう箝口令を敷き水面下で面会の準備を進めてきた。
聖女と聖なる幻獣が自分の背後につけば、もうあの化け物に怯えて暮らさなくても済むのだ。
「うむ、心強い言葉だ。これからは存分にわしのために働いてもらうぞ」
「あんな治癒士上がりの年増より、大地の神に認められたブリジットの方が何倍も婚約者にふさわしいわ」
王妃が忌々しげに眉をひそめた。王妃の言いたいこともわかる。
ただの宮廷治癒士を専属治癒士したところまでは理解できるが、フィルレスはなぜそんな女を婚約者にしたのか理解できなかった。
月の女神の末裔だと言っていたが、胡散臭くてわしも王妃もそんなものは信じていない。証明するものが古びた文献だけで信憑性にかけるし、そもそも治癒魔法しか使えない役立たずなのだ。
わしが整え直したエルビーナとの婚約も蹴って、結婚式の日程まで勝手に決めてしまった。せめて結婚式の前になんとか婚約者をすげ替えて、国王としての威厳を示したい。
「そうだな……ブリジット。この場でわしに絶対の忠誠を誓えるか?」
「はい、もちろんでございます。わたしはヒューレット王国の聖女なのですから」
「では、其方もユニコーンもわしのために動くということで間違いないな?」
「国王陛下のお望みのままに。それにユニコーンは大地を清めるための特殊な能力があります。それを使えば、お役に立てるかと存じます」
ブリジットは可憐に微笑み、気持ちを示すためにユニコーンの隠された能力まで口にした。そこまで言うのなら、少しは信用してもいいかもしれない。
「ほう、其方に策があるというのか?」
「策というほどではございませんが……能力を最大限に活用していただきたいと思っております」
「ふむ、申してみよ」
「はい。それは——」
わしは聖女から詳しく話を聞き、策略を練った。
あの化け物を相手にするのだ。ひとつやふたつの策では安心できない。王妃にも協力させて、わしを支持する貴族どもをうまく使い追い込むしかない。
「ふむ、なるほど……わかった。それでは今後はわしから指示を出すゆえ、そちらに従ってもらおう。よいな?」
「承知いたしました」
そう言って、聖女は謁見室を去っていった。
やっと、わしが国政を取り戻せる。やっと、わしがこのヒューレットを正しく導けるのだ。
わしは武者震いに笑みを浮かべた。
* * *
国王陛下との謁見が終わり、わたし、ブリジット・オズバーンは王城に用意された貴賓室でゆっくりとくつろいでいた。香り高い紅茶を口に含んで、優雅な仕草でカップを戻す。
「ふう、これでわたしがこの国の王妃になる道ができたわ……ねえ、ユニコーン。貴方も頼むわよ」
シャランと音を立てて、銀色に輝く幻獣が姿を見せる。たてがみも瞳もすべてが美しく光り、凛とした立ち姿は他者を寄せつけない。
《…………》
「……貴方は本当に無口で無愛想ね」
ユニコーンはいつも周囲に結界を張っていて、わたしが呼んだ時だけ姿を見せて浄化を手伝ってくれる存在だ。話せるはずなのに無口で、必要最低限の接触しかしていない。
わたしはほんの一カ月前までただの侯爵令嬢だった。
あの日の夜、いつものように部屋で眠っていたら、突然目の前にユニコーンが姿を現した。闇世に浮かび上がる銀色の美しい体躯はわずかに光を放っているようだった。
《手を》
わたしにそう話しかけてきて夢かと思ったけれど、いくら目を擦っても頬をつねっても目の前の聖なる幻獣は消えない。
恐る恐る左手を差し出すと、額から生えた角をわたしの手の甲にそっと添えた。
すると角が触れたところに、なにかの紋様が浮かび上がる。蔓草がハートのような形で紋様を描き淡い光を放った後、わたしの手の甲に定着したようだった。
『えっ……これはなに!? 擦っても消えないわ……!』
《それは大地の神が認めた聖浄の乙女の証。この地の穢れを祓うのがお前の役目、私はそれを補助する存在だ》
ユニコーンの言葉の意味を理解すると、わたしは胸の奥から歓喜が湧き上がる。
わたしは選ばれた存在なのだ。特別な聖女に選ばれたのだと。
いつもいつもわたしの周りには手の届かないような令嬢がいた。
頭脳明晰で政治的手腕にも長ける、イライザ・アリステル。宝石すら霞んでしまう美貌のエルビーナ皇女。他にもコートデール公爵家の末娘は野蛮な女騎士のくせに皇太子に身染められた。
なのにわたしは平凡でなんの取り柄もなかったから、ただの貴族令嬢として埋もれていたのだ。
やっと、わたしを認めてくれる存在が現れた。
——それなら、伴侶も特別でなければならないわ。
聖女に選ばれたことを理由に、当時の婚約を破棄した。相手は王城の文官だったけど、悲しそうに「わかった」と言って受け入れた。真面目だけが取り柄のつまらない人だから、清々して気分が晴れやかだった。
ヒューレット王国には王子がふたりいて、王太子のフィルレス様は先日専属治癒士だった女と正式な婚約を結んだ。第二王子のアルテミオ様はすでにルノルマン公爵家の長女と婚約している。
聖女に選ばれるくらい優秀なわたしにふさわしいのは王子くらいだろう。わたしはフィルレス様なら見合う相手だと思った。さらに、フィルレス様の婚約者は伯爵家、しかも治癒魔法しか使えない女なのだ。
それなら魔力も豊富で攻撃魔法を操れる上、大地の神に選ばれたわたしの方が絶対にふさわしい。
「この国のためにも、フィルレス様の婚約者にはわたしが選ばれるべきなのよ……!」
なによりも国王陛下と王妃殿下が、わたしをフィルレス様の婚約者にしようと動いてくれるのだ。いずれわたしが王妃になるのも明白だ。
「ふふふ……わたしがこの国で一番の女性になるわ。聖女に選ばれた特別なわたしがいずれ王妃になるのよ……!」
いつの間にか姿を消したユニコーンは気にも止めず、わたしは少しだけぬるくなった紅茶を飲み干す。
これから訪れる自分の未来に、胸が高鳴っていた。






