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34話 星に願いを


 王太子妃教育は死に物狂いで終わらせて、やっと平穏な日々を取り戻した。


 なぜ、そんなに必死になったか? 当然、フィル様と離れて妃教育を受けるのだが、その際に朝昼晩と愛の言葉と、迂闊にも私から口付けすることになってしまったからだ。


 有能な臣下のアイザック様と、この国の利益を考えたやむを得ない決断だけど、羞恥心で悶え死にしそうな時間を早く終わらせたかったのだ。


 それにしても両親がきっちりと厳しく教育してくれたのと、治癒室で働いていた間に得た知識が本当に役に立った。

 治療に関わる薬草や文献を調べるうちに周辺国の言葉や地理的、民族的特徴などを覚えていて、礼儀作法のベースが出来上がっていたのが大きいと思う。あとは応用や、細かい作法の違い、王太子妃としての関わり方を学んだ。


 結婚式まではあと二カ月を切っている。

 そこで王太子妃になる前に、どうしても行っておきたい場所があった。


「ラティの領地へ行きたい?」

「はい、結婚式の前までに行きたいのです。許可をいただけませんか?」


 カールセン領には妃教育が始まる前に、一度訪れていた。その際に両親の墓参りもできたし、領地の管理人にも挨拶ができた。


 結婚式の準備は臣下たちが進めているので、私たちは衣装合わせがメインでそこまで忙しくない。

 少し考えた後でフィル様が口を開いた。


「……うん、いいよ。それなら、僕も一緒に行こう」

「あの、できたら一泊したいのですが、政務は大丈夫ですか?」

「ふふっ、一泊どころか一週間くらいなら問題ないよ。では調整するから出発は五日後でいいかな?」

「はい! フィル様、ありがとうございます!」




 こうして久しぶりに、我が領地へと旅立った。

 移動はもちろんバハムートだ。一泊しかできないので移動時間を極力削りたかった。


「カールセン領には何度か来たことがあるけど、ラティと一緒だと見える景色が違うね」

「そうですか? あっ、あの山! 私がバハムートと出会った場所です! あっちの山はよく魔物の討伐で来てました!」

「そうか、幼い頃のラティもかわいらしかったのだろうね。ふふっ、こんなに喜んでくれるなら、どこへでも連れていくよ」


 私を抱き込むようにフィル様が座って、耳元で囁かれた言葉はじんわりと私の心に浸透する。愛しい人の優しい言葉に、私は笑顔を返した。


「フィル様! 見てください! 鳥が一緒に飛んでます!」


 愛しい人と眺める故郷の景色は、本当に眩しくて懐かしくて、すべて私が守るべき大地なのだと深く刻み込んだ。

 そんな空中デートを終えて、私たちはカールセン家の屋敷へ降り立った。


「リードさん! お久しぶりです、いつも領地を切り盛りしてくださって、ありがとうございます」

「えっ! ラティシア様ではないですか……! しかも殿下まで!? もしかして、私なにかやらかしましたか!?」


 リードさんはカールセンの領地を代理で治めてくれている三十代半ばの男性で、フィル様が領主代理へと選んでくれた人材だ。真面目で実直、不正のふの字も感じられない、信頼できる人だ。


 もともとは地方の男爵家の次男だったが、身を立てるため商会でこき使われていたのをフィル様にスカウトされたらしい。

 就労条件がものすごく改善されたと泣いて喜んでいた。こちらとしては、妥当な条件しか提示していないのに、どれだけ酷い状況だったのか想像に難くない。


「ふふっ、違うよ。今日はラティの領地の視察といったところだ。お忍びだから気遣いも不要だよ。一泊していくから、部屋と明日の朝食の用意だけお願いできるかな?」

「はい、屋敷で一番いい部屋をご用意いたします! 朝食もお任せください! はあ、てっきり怒られるのかと思って肝が冷えました……」

「怒ったりなんてしないわ。リードさんが誠心誠意、この領地のために尽くしてくれているのはわかっているもの」

「ラティシア様……! なんと懐の深い領主様だ! 私は、この地をもっともっと発展させると誓います!!」

「ラティが人たらしすぎてヤバい……」


 フィル様の呟きは聞き取れなかったけれど、早速、視察に出かけることにした。

 ここはカールセンの領地だから、案内人は私だ。フィル様の手を引き、今度はフェンリルに乗って野を駆ける。山に囲まれ自然あふれるこの地では、フェンリルの機動力が十二分に発揮された。


 近隣の街を回って腹ごしらえをして、山の中へと向かう。山には魔物が出るのだけど、フェンリルを前にして牙を剥く愚者はいなかった。


 ここも以前と変わらず、木々が生い茂り山の恵みを民に分け与えて、暮らしを潤している。魔物は近寄ってこなかったので判断が難しいけど、街の人々はみんな笑顔を浮かべていたから問題なさそうだ。


 最近はバハムートがこの山に頻繁に様子を見に来ているらしく、魔物の動向も落ち着いていると聞いた。リードさんも頼もしいから、これからは心置きなく私のお役目に専念できる。


 ひと際高い山に登り、少しひらけたところでひと休みした。倒木に腰かけ空を見上げると、もう太陽が沈みかけている。

 こうなるとすぐに暗くなって、闇に包まれるのは早い。フィル様がランプに火を灯してくれた。


「本来は馬で領地を回るのですが、フェンリルのおかげで小回りが利くので細部まで見られて助かります」

「意外と役に立つね。契約しておいて正解だったな」

《主人、意外とって失礼だぞ! オレは神獣なんだからな!》

「そうよね、フェンリルのこの毛並みのおかげで夜もぐっすりだわ」


 私の言葉でその場の空気がピシッと凍りついたような気がした。

 フェンリルはガタガタと震え始めたし、フィル様の目が笑っていない。どうしてこんな空気になっているのか、意味がわからずポカンとしてしまった。


「ちょっと、それどういうこと? 僕が隣で寝ているのに犬の毛並みのおかげって?」

《ラティシア! 主人の前でそれは……!》

「ふたりとも、帰ってからじっくり聞かせてくれる?」

「はい……???」

《はい……》


 フィル様がなぜかお怒りのようだ。

 ただ、風呂上がりにもふもふを堪能してから眠るのが、そんなにダメだなのだろうか? フェンリルまで涙目で訴えかけるように見つめてくる。

 どうしよう、フィル様とフェンリルの言いたいことがわからない。

 そんな私を見て、ふたりはなにかヒソヒソと話し出した。空気の読めない私に呆れてしまったのだろうか?


「……はあ、どうやってラティに理解させようか」

《主人、ハッキリとヤキモチだって言わないとわかんねえと思うぞ?》

「……それは僕が狭量だと言ってるのと同義だろう」

《いや、思いっきり狭量だよな?》

「フェンリル。お仕置きされたくないなら黙れ」

《……っ!!》


 会話が終わったのかと思ったら、フェンリルはビクッとしてフィル様の影の中に隠れてしまった。こうなったらフィル様が呼び出すまで出てこないだろう。


「申し訳ありません、私の理解力が足りず……」

「ああ、ラティは悪くないよ。内緒話みたいになってごめんね、少し静かにしていろと言ったんだよ。ラティとふたりきりになりたくてね」

「そうだったのですか。あの、私に呆れていたのではないですか……?」

「まさか! 愛情が募ることはあっても、呆れるなんてことはないよ。ただ……」

「ただ?」


 フィル様の真剣な眼差しが、私を捕らえて離さない。


「ラティはもっと僕だけを見て」


 そのひと言に込められた想いは、フィル様がいつも隠している本心だと思った。


 王太子妃の前にフィル様を愛する女でいろと?

 王侯貴族の義務ノブレス・オブリージュである博愛よりも一途な愛を捧げろと?

 そんなの、言われるまでもない。

 私の心の真ん中にはフィル様しかいないのだ。


 フィル様が私の隣に腰を下ろして灯りを消すと、一気に暗闇に包まれる。わずかな灯りを求めて空を見上げると、そこには満天の空が広がっていた。

 幾万の星の光と細い三日月だけが私たちを見下ろしている。フィル様の温かくて柔らかな唇が私に重なった。

 目を閉じるときにフィル様越しに見た、流れ星に願いをかける。


 フィル様とずっとこの先も一緒にいられますようにと——。




     * * *




 君は僕の気持ちをどれほど理解しているのだろうか?

 こんな灼けつくような嫉妬を抱えていると知ってる?

 君の笑顔がどれだけ僕の心を救ってきたかわかっている?


 どんな者にも手を差し伸べて、その心に寄り添って、花の咲くような笑顔を向ける。だから周りの人間は、すぐに君に夢中になってしまう。

 だからかな。すごく不安になるんだ。


 本当はいつだって君の自由を奪って閉じ込められる。だけどそれをしないのは、君がそばにいると、僕を愛していると言ってくれるから。

 あの隔離塔から出てから、自分と大切な人たちを守るために裏では卑怯なこともしてきた。こんな屑みたいな僕を知ったら、君は離れていくのかな。


 今も君の愛らしい唇を僕のものにしているのに、もっともっと僕だけでいっぱいにしたくなる。だから深く貪るようにキスして、僕のことしか考えられなくするんだ。


 頬を上気させて、潤んだ瞳で見つめる君はとても扇情的で。

 こんな表情を知っているのが僕だけだと思うと、少しだけ黒く渦巻く感情が落ち着いていく。


 ねえ、これからもラティのそんな表情を見せるのは僕だけにして。

 でないと、嫉妬で狂ってきっと君以外を全部壊してしまう。


「ラティ、僕は君を絶対に離さないよ」


 ——僕のすべてをかけて、君を繋ぎ止めるから。


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