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33話 身も心も捧げよ


 フィル様の婚約者として三大公爵家からも認められた私に待っていたのは、ハードな妃教育だった。


 確かに王太子妃ともなれば、礼儀作法から周辺国の情報までありとあらゆる知識が必要になる。


 十八歳で学園を辞めてから淑女教育とは無縁の場所で過ごしてきた。

 伯爵令嬢と王太子妃では求められるレベルが違う。そのための教育に追われる毎日だ。


「あああ〜、疲れた……っ!」


 午前中の妃教育を終えて、ランチを摂るため本来の勤務先であるフィル様の執務室に戻るところだ。


 でも、こんな疲れた顔をフィル様に見せたくない。私よりもさらにハードな政務をこなしているのだ。


 そう思っていたけど、疲労が溜まっていると見抜かれたのか、食事を終えたところで思わぬ言葉をかけられた。


「本当にお疲れさま。毎日の妃教育を熱心に頑張ってるって、みんな言っていたよ」


 フィル様は腹黒なのに、どうしてこんなにも気配りができる人なのだろう。いや、腹黒だからこそ気配り上手なのか?

 ともかく私はこの優しい言葉で、思わずたまりにたまった愚痴をこぼしてしまった。


「そうですよ……今までのツケが回ってきたみたいにハードなんです! たまには私にも癒しをください!!」


 しまったと思った時には、フィル様はなにか考え込んでいる様子だった。私よりよほど忙しくしているフィル様に話す内容ではなかったと、訂正しようと口を開きかけた。


「そうだね。僕ばかり癒されてるのも申し訳ないし、いいよ。ほら、おいで」


 そう言って、フィル様が両手を広げて微笑んでいる。

 これは……抱きしめてくれるのか? 最近は我慢できなくなるからと、以前のような触れ合いはなくなっていた。


 なにが我慢できないのか聞いてみたけど、まったく教えてくれなくて、私も淋しいけれど我慢するしかなくなった。


 だからフィル様の言葉に驚いた。


「えっ! 本当に……?」

「うん、ほら、早くおいで」


 おずおずとフィル様の膝のうえに乗る。前みたいにフィル様の首に腕を回してぎゅっと抱きついた。

 慣れ親しんだ、爽やかな石鹸の香りがふわりと香る。


「いつも頑張ってて偉いね。ラティは僕の自慢の婚約者だよ」

「うっ、うう……」

「泣くほどつらかった?」


 ぽろりとこぼれた涙は止まらず、フィル様を心配にさせてしまった。そうではないと、自分の気持ちを正直に話す。


「大変だけど嫌じゃないです……ちゃんと認めてくれて嬉しかったのです」

「大丈夫、僕は()()()()()()()()()()


 その言葉に今度は不穏な空気を感じた。なんとも言えない、拭いきれないモヤモヤした気持ちが胸に広がっていく。


「……リアルに見ていそうで怖い」

「まさか、そんなに暇ではないよ。少ししか見ていないから安心して?」

「!?」


 少ししか見ていない?

 少しでも見ているの?

 この人のどこにそんな暇があるのだろうか?

 そもそも本当に少しなのか?


 そういえば、アイザック様も最近お疲れの様子だった。もしかして、アイザック様に皺寄せがいっているのでは?

 さっきまで潤んでいた瞳が、一瞬で乾く。


「フィル様。ひとつお聞きしたいのですが」

「うん、なに?」


 フィル様は、ニコニコと笑顔を浮かべて私を見つめる。


「具体的にいつ、どれくらい私の様子を見てるのですか?」

「だから少しだよ。日に何度か、タイミングをみて」


 一ミリも表情を変えず言い切るが、具体的なことは口にしていない。フィル様と出会ってもう半年が経つ。最近ようやく、フィル様のやり口を掴めてきたところだ。


 フィル様は決して嘘は言わない。

 だからこそ話には信憑性があるし、辻褄が合わなくなることもない。ただ意図的に情報を隠して、時にはうまくミスリードを誘うのだ。


 今までの私なら自分なりに解釈して、日に一度か二度、政務が落ち着いたタイミングでと受け取っていたと思う。


「それでは具体的な答えになっておりません。正確な情報をお願いします」

「懸命に学んでいるラティの邪魔をしたくないから、あえて具体的なことは伝えたくないんだ。わかってくれる?」


 この流れはまさに、貴族たちを煙に巻くときのやり方と同じだ。君のためだと言いつつ、はぐらかしている。


「フィル様。正しく教えていただけないのでしたら、朝昼晩の愛の言葉はなしにします」

「えっ!? なんで!? それは僕が耐えられない!!」

「では、正しい情報をください。もし嘘をついたら、一生愛の言葉は口にしません」


 愛の言葉を伝えないなんて卑怯かと思うけど、正直に話してくれないのだから仕方ない。これは交渉術の一環だ。


「ラティが僕の急所を容赦なく突いてくるなんて……ははっ、これも妃教育の賜物かな」

「…………」

「はあ、わかったよ。ええと、昨日は五回、一昨日は七回、その前は八回で、平均すると七回前後かな」

「……一度の時間は?」

「これも平均すると二十分くらいかな。ラティを見ているとあっという間なんだ」


 日に七回、二十分ずつ使っていたら、およそ二時間半になる。しかもそこまでの移動時間も考えると、四時間くらいは無駄な時間を過ごしていることになる。


「……フィル様。今後は妃教育の様子見は禁止です」

「待って、それだとラティと接する時間が極端に減るでしょう!? ただでさえ短いのにちょっとそれは……」

「その代わりに——」


 私は考えた。

 どうしたらフィル様がこの奇行を止めてくれるのか。


 きっと妃教育で、ともに過ごす時間が減ったからなんだと思う。それなら、そんなことが気にならないくらい、一緒にいる時に満足感を与えればいいのだ。


「愛の言葉に、口付けをプラスします」

「なん……だって?」

「朝昼晩、愛の言葉とともに口付けします。ですから、日になん——」

「わかった! それなら様子見は今後しないよ」


 私の言葉を遮り、フィル様が了承してくれた。口付けひとつで政務が滞りなく進み、アイザック様の負担も減るなら万事解決だ。


「では、早速お願いできる?」

「はい……フィル様、愛してます」

「うん、僕もラティだけを愛してる」


 そして私はそっと瞳を閉じた。

 触れ合うだけの口付けなら、すぐに終わる。そう思って待っていたのに、フィル様の温もりがいつまでたってもやってこない。


「フィル様?」

「うん? あれ、ラティ? 早く口付けしてくれる?」

「……はい?」


 どういうことだろう?

 愛の言葉とともに口付けをすればいいはずなのに、フィル様は不思議そうに首を傾げた。


「え、だって、ラティが『口付けする』って言ったよね?」

「はい、言いました」

「だから僕は()()()()()口付けしてくれるのを待っていたのだけど?」


 黒い笑顔を浮かべたフィル様が、意味のわからないことを楽しそうに話している。


「私から口付け? いったいどういう……あああああっ! そういうことですか!?」

「うん、そういうこと。やけに積極的だなと思ったけど、まさか今更勘違いだなんて言わないよね?」


 フィル様は()()口付けすると言ったから、私から行動を起こせと言っているのだ。


 なんという墓穴っ……!! だからフィル様は私が発言を撤回する前に、その言葉の意味を理解する前に素早く約束を取り付けたのだ。


「ラティ、ほら。僕はいつでもいいよ」


 そう言って目を閉じたフィル様が美形すぎて、ときめいてしまう自分が余計悔しい。


 これも臣下であるアイザック様と、この国の民のためと、湧き上がる羞恥心をなんとか抑え込む。


 ああ、この考え方、妃教育が身についてきたなと考えながら、そっと触れるだけのキスをした。



 その後、フィル様に「足りない」と言われ、貪られるように深い口付けを受ける羽目になった。


 王太子妃は、国母となるべく身も心も捧げよ。

 そう教本に書かれた言葉が、頭の中でぐるぐると回っていた。


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