31話 もう腹黒王太子から逃げられません
私は喝采を浴びる中、真っ先にフィル様のもとへ駆け寄った。フィル様は嬉しそうな笑みを浮かべている。
「ラティ、おめでとう」
「フィル様、やりました! 私、全部合格しました!!」
「うん、そうなると思っていたよ」
「そうなんですか?」
そう言われてみると、嬉しそうにはしていても驚いた様子はない。あれだけルノルマン公爵の判定試験は手を抜いたレポートだったのに謎だ。
私が考え込んでいると、フィル様が私にだけ見せる顔でニヤリと笑う。
「僕が負ける勝負を提案すると思う?」
「……いいえ」
「はははっ、久しぶりにその顔を見たな」
そうだった。フィル様はこういう人だった。きっと最初から、どれだけ私が足掻いてもフィル様が勝つような勝負だったのだ。
私の性格を把握したうえで、裏から審判たちを操り、巧みに私が合格ラインに到達するよう誘導したのだ。
半眼で睨みつけたら、楽しそうに笑い返された。
「…………」
「ラティ」
「……なんですか?」
急に真剣になったフィル様の言葉に、むくれながらも返事をする。
石鹸の香りがすると思ったら、抱き寄せられていた。フィル様は私の顎に指を添えて、視線を合わせる。
空色の瞳の奥に激情の炎をたぎらせ囁いた。
「ラティ、僕は君を愛してる。君だけを愛してる。だから僕のものになるって誓って」
「……っ!!」
今までフィル様は一度も口にしなかった。
なによりも私が聞きたかった言葉。
やっと『愛してる』と言ってくれた。
私の心は歓喜であふれ、視界がにじんでいく。
「僕だけのラティになってくれる?」
「……は、い」
フィル様の唇がそっと近づき、私に重なった。
ワッと歓声が上がり、ここは外だったと思い出す。フィル様の愛の言葉を聞けて、すっかり舞い上がっていた。
過去最高に赤くなって、全身から変な汗が吹き出している。
フィル様はにこやかに周りに手を振り、歓声を落ち着かせた。この図太い神経が羨ましい。
「さて、それでは早速結婚式について周知しよう」
「え? 結婚式?」
「一年後に結婚式を挙げることにした! 詳細は追って知らせる!!」
さらに国王陛下そっちのけで、私たちの結婚式の公示をしてしまった。これは、どこから突っ込んだらいいのだろうか?
「待ってください! もう決定ですか!?」
「え? だって僕のこと好きでしょう? 問題ないよね?」
さも当然のようにフィル様は言う。確かにフィル様を好きだけれど、仮にも王族でしかも王太子なのだから、いろいろと根回しとか調整とか、必要なのではないだろうか?
「たしかに好きですけど、展開早すぎだし、問題おおありですよね!?」
「そんな……また好きって言われた……」
ぽっと頬を染めるフィル様に見惚れそうになったけど、ここで流されてはダメな気がする。
「いやいやいや! 他にツッコミどころ満載ですからね!?」
「なにも気にすることはないよ。ああ、やっと僕のものになったね。愛してる」
愛を告げられ慣れてなくて固まってしまったのをいいことに、またフィル様の唇が降りてきた。触れるだけの軽い口づけは、私が我に返る前に離れていく。
それからいまだ動けずにいる皇太子へ視線を向けた。
「あれ、まだいたの? なに、君もこの国で留学したいの?」
「う、うるさい! というか、エルビーナが留学するのに、結婚相手が見つかるまでオレだけ帰れないだろう!」
皇太子も皇帝から命を受けてきたのか、帰るに帰れない状況のようだ。先程のやり取りで敵対心は薄れたのか、わりと平和的な空気が流れている。
「あ、そう。勝手にすれば。でもエルビーナ皇女同様、その態度は改めてもらうよ?」
「うぐっ……わ、わかった……配慮に感謝する」
フィル様はすっかり友人のような態度で、皇太子の相手をしていた。皇太子も態度が前より柔らかくなったようなので、しばらく様子見だろうか。
「うん、いいね。アイザック、手配を頼む」
「承知しました」
フィル様はいつの間にかそばで控えていたアイザック様に指示を出して、バハムートとフェンリルをもとに戻し私の手を取る。いつもの穏やかな微笑みを浮かべて、完璧に私をエスコートしてくれた。
その後、エルビーナ様から『お姉さま』と呼ばれ妙に懐かれてしまった。ことあるごとに私のそばに来るエルビーナ様に、フィル様の機嫌が急降下するのは別の話だ。
フィル様と一緒に私の私室へと一度戻ってきた。みっともないことに涙の跡が残って、ぐしゃぐしゃの顔だったし、ドレスもバハムートに乗ったからしわだらけになっていたからだ。
こんな自分でフィル様に告白したり、判定試験に合格したり、フィル様と口づけしたのかと思ったら、気が遠くなりそうだった。
「ラティ、どうしたの? ああ、さすがに疲れたよね? 今日は急ぎの政務もないし、このまま部屋で休もう」
「はい……ちょっと精神的ダメージが大きいので、お願いします……」
フィル様の優しさが心に染みる。私が好きだと自覚してからは、フィル様と一緒にいることが心地いい。いつも私を見てくれて、些細な変化も気が付いてくれる。そして欲しい時に欲しい言葉をくれるのだ。
フィル様には少し待ってもらって、身だしなみを整えた。ドレスも着替えてフィル様の待つ部屋へ戻る。
「フィル様、お待たせしました」
「あれ、着替えてきたの? ふふ、このドレスもよく似合っているね。僕の瞳の色だ」
フィル様は愛おしそうに空色の目を細めて私の手を取ってソファへ誘導する。侍女たちはすでに下がっていて、いつもは側近として仕えているアイザック様も、皇太子たちの今後について手配している最中だ。
この部屋には私とフィル様しかいない。
ふたりだけになった空間には、自然と甘い空気が流れ始める。私の心臓の音がフィル様に聞こえそうなほど、ドキドキしていた。
私の頬をフィル様の長い指が滑る。指は耳元をくすぐり、肩から腕へ下りて私を優しく抱きしめた。
フィル様の心臓の音が聞こえて、こんなにドキドキしているのが私だけではなかったと安心する。
「ラティ、愛してる。僕は君しか愛せない。だから責任をとってもらうよ?」
「わ、私もフィル様が……好き、です」
「はあ、ヤバい。ラティがかわいすぎてなにもしたくない」
さらにきつく抱きしめられて、フィル様の身体にすっぽりと包まれたようになる。肩の上でぐりぐりと額を擦る様は、まるでペットがじゃれついてるみたいだ。
でもなにもしたくないとはマズいだろう。王太子であるフィル様にやってくる仕事は後を絶たない。
「じゃあ、もう好きって言いません」
「それはダメ! これからも朝昼晩は言ってくれないと!」
「なぜ朝昼晩なんですか?」
せめて一日一度にならないかと、ダメもとで尋ねてみた。
「定期的に聞かないと、不安になってラティを閉じ込めたくなる」
「閉じ込め……!?」
かなり物騒な発言が飛び出した。そんなに不安にならなくても、ちゃんとフィル様だけを見ているのに。
「大丈夫、僕が不安に駆られる前にちゃんと好きとか愛してるとか言ってくれれば大丈夫だから」
「わ、わかりました……でも、どうして、その、フィル様は好きとか言ってくれなかったのですか?」
私は思い切って聞いてみた。ずっと気になっていたのだ。あれだけ私に愛情を示してくれていたのに、言葉で伝えられたのは今日が初めてだ。
「ああ、それはね。最初から好きだとか愛しているとか言っても、信じてもらえないと思ったからだよ」
「どうして私が信じないと思ったのですか?」
「ラティの過去を知った時に、状況からすると男性不信になっているのではないかと思ったんだ。でも、どうしても好きになってほしかったから、まずは態度で示して信頼を得てから言葉で伝えるつもりだったんだ」
「な、なるほど……」
もしかしたらフィル様は、私よりも私を理解しているかもしれない。確かにあの頃好きだとか言われていたとしても、絶対にスルーしていた。
間違いなく、こんなに軽く好きとか愛してるとか言う男は信用ならないと、切り捨てていただろう。口ではなく態度で示してくれないと、信じられなかった。
「では早速、言ってくれるかな?」
「さっき言いましたけど?」
「衝撃的すぎて、記憶が飛んだからもう一回、ね?」
「えええ! それ、絶対嘘ですよね!?」
うっとりするような笑みを浮かべたフィル様は、私をまっすぐに見つめる。
「ラティ、愛してる」
「待ってください……もう! 私も、フィル様が好きです」
鼻が触れてしまうほどの距離で、私だけに見せる熱のこもった視線に逆らえない。まだ私からの愛情表現が慣れなくて、顔も耳も首も赤く染まってしまう。
「ラティ、僕は愛してるよ?」
これは……つまり、好きでは足りないということ? でも、つい最近気持ちを自覚したばかりなんだけど。
それでも、フィル様が望むなら。
「あ……あ、あー、あ、愛、して、ます」
言い終わるないなや、先程のキスが子供のままごとだったと思うほど、深く深く貪られた。
終わらない深い口付けに力が入らなくなって、フィル様の逞しい胸板にもたれかかる。
満足げに微笑んだフィル様は、ポツリとつぶやいた。
「……僕の月の女神。一生離さないから」
空のように澄んだ瞳で見つめられて、私は思う。
もうこの腹黒王太子から、逃げることなどできないのだと。