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27話 これが私の業務ですので


 翌朝、決意を新たに朝食の席へ向かうと、フィル様はまだ来ておらずエルビーナ皇女が腕組みして仁王立ちしていた。一瞬怯んだ心を自分で励まして挨拶をする。


「おはようございます、エルビーナ皇女様」

「ちょっと! 貴女がフィルレス様の婚約者でしたのね!?」


 今まで気が付いていなかったのかと、半眼になる。私のことなど眼中にないのはわかっていたけれど、知ったうえで無視しているのかと思っていた。

 それと挨拶もまともに返せない皇女には、相応の態度でいいだろうか。


「……はい、そうです。それがなにか?」

「貴女、図々しいわよ! 今すぐ婚約解消してフィルレス様を解放しなさいっ!!」


 図々しいのはどっちだ!

 という言葉を呑み込んで、治癒室で身につけた華麗なスルースキルを披露した。


「あら、エルビーナ皇女様、吹き出物ができてますわね。よろしければ、私が治癒魔法で治しましょうか?」

「え、本当!? ……じゃなくて! 貴女、本日から朝食は自室で召し上がりなさい!」


 ほんの少しだけ考えて、私はその提案を受け入れることにした。


「承知しました。それではそのようにいたします。フィル様には私から伝言しておきます」




 そのまま私室に戻り、程なくして朝食が運び込まれてきた。


 美味しそうなオムレツに、カリカリのベーコンが添えられて、具沢山のスープは野菜の旨みがギュッと詰まっている。焼きたてのパンはバターが香り食欲をそそった。

 他にもサラダや季節のフルーツなど盛りだくさんで、いつも美味しい料理を作ってくれる厨房の方々には感謝しかない。


 準備が整ったところで、私の伝言を聞いたフィル様が部屋にやってきた。

 若干顔色が悪く、これは治癒魔法が必要かと注意深く観察する。


「ねえ、ラティ。私室で朝食を摂るって聞いたけど、ひとりで食べるつもり?」

「おはようございます。フィル様の分もこちらに運んでもらうよう手配してあります」

「僕も? どういうこと?」

「エルビーナ様に私室で朝食を摂れと言われましたので、そのようにいたしました。朝食の席も健康観察の場ですので、これも業務の一環です」

「は……はははっ! ふふっ、なるほど、ラティは最高だね。ではここでゆっくりといただこう」


 ここまで話すとフィル様の顔色はいつもの様子に戻ったので、心配いらないようだ。


 いつもよりご機嫌なフィル様に、私も笑みがこぼれた。昨日の今日で気持ちを伝える勇気はまだないけれど、私もフィル様のように態度でしっかり示していこうと思う。


 今頃、食堂でギャンギャン騒ぐエルビーナ様を思い浮かべて、ちょっとだけスッキリしたのは内緒だ。

 それから食堂の担当者たちに迷惑をかけてしまったので、後で無償で治癒魔法を提供しようと心に誓った。




 私はこの手から離れていくものは、すぐにあきらめてきた。

 婚約破棄された日のように傷つくのが怖かったからだ。


 でも、今はなにがあっても他の人に渡したくないものがある。

 思えば、物にしても人にしても、ここまでほしいと望んだことがなかった。


 それにフィル様が言っていた。使えるものは使ってこそ価値があると。

 だから私は専属治癒士の立場を存分に使うことにした。


 それから三日後の朝。


「エルビーナ様、申し訳ございませんが政務の間も時間ごとにフィル様の健康観察をしておりますので、このソファを使用するのはお止めいただけますか?」

「なんですって!? 帝国の皇女のわたくしに立てというの!?」

「いいえ、エルビーナ様専用のソファをご用意いたしましたので、今後はそちらにおかけいただきたいと存じます」


 フィル様の執務室の角に、それはそれは豪華な装飾が施されたひとり用のソファが鎮座している。エルビーナ様のために特別に用意した逸品なので、座りごごちは抜群だ。

 ただ執務室は広いけれど来客用のソファもあり、空いているスペースの真ん中に置くと邪魔になってしまうためフィル様とほぼ対角上の角に配置するしかなかった。


 執務室のテイストにそぐわない豪奢なソファが浮いて見えるし、間に来客用のソファを挟んでいるので会話もままならないのは仕方のないことだろう。


 実はフィル様が会議で不在の際にアリステル公爵家へ出向き、イライザ様に軽く事情を説明してソファの準備をお願いしたのだ。

 昨日お願いして翌朝には執務室に設置されていて、私の意図を汲み取ったイライザ様が本当にいい仕事をしてくれた。


「なっ……! あんな部屋の隅でひとり座っていたら馬鹿みたいじゃないの!!」

「ですが、あのサイズのソファですと、あの角しか置き場がないのです。かといって粗末な椅子を用意するのも失礼かと思いまして……」


 困ったように眉尻を下げれば、エルビーナ様は真っ赤な顔でぷりぷりと怒りながら執務室から去っていった。


「ああ、せっかく至高のソファを用意しましたのに……!」

「ぶふっ! くくくくくっ、ちょ、ラティ……! もう、いいから……!」


 フィル様は腹を抱えて笑っている。

 こんなに笑っているのは初めて見たかもしれない。いつも飄々として、微笑んでいるのだ。


「フィル様、私はなにか失礼なことをしたのでしょうか?」

「いや……ふふふっ、ラティがちゃんと仕事してるだけなんだけど、ちょっとツボに入っちゃって……ははははっ!」

「では、次は食事の席でもきちんと仕事をいたします」

「ぶはっ! それは楽しみにしているよ……ふははっ!」


 王太子にはあるまじき笑い方だけど、涙を流して笑うフィル様は大変貴重だと思い心に焼き付けた。

 その日の政務は久しぶりに捗ったようで、集中したフィル様はどんどん書類を捌いていった。各部門の事務官がちょっとだけげっそりしていたような気がする。




 そして運命の昼食がやってきた。

 私は忠実に自分の職務を果たし、偶然にもエルビーナ様が離れていく結果になったけれど今回はうまくいくだろうか? 今日で決着をつけるべく、私は気合を入れる。


 昼食を摂るために食堂へ行くと、すでにエルビーナ様が席に着いていた。私とフィル様が来たことに気が付くと、すぐに立ち上がりフィル様に擦り寄ってくる。


「フィルレス様! 来るのが遅いですわ! とんだ邪魔が入ってしまいましたが、やっとゆっくりお話ができますわね!」

「そうですか? おかげで政務がとても捗りましたが」

「そんなに照れなくてもよろしくてよ。わたくしがいては、この美しさに気が逸れてしまうのでしょう? 仕方のないことですわ」

「……僕の好みは月光のように輝く白金(しろがね)の髪と、神秘的な紫の瞳なんです。それ以外には興味も湧きませんね」

「あら、ではこれから好みが変わりますわ」


 笑顔でズバズバ切り捨てるフィル様に食いつくエルビーナ皇女のガッツがすごい。

 ある意味このガッツを他に向けたら、とんでもない逸材になるのではないだろうか。だけど私だって王城の勤務と治癒室の業務で鍛えられてきた。


 この昼食後、いつも癒しの時間と称してフィル様に治癒魔法をかけていた。今日からはそれを復活させようと思っている。これはソファのお願いをしに行った時に、イライザ様に提案された。


 イライザ様は治癒魔法の最中に何度か執務室へ訪れたことがあり、その様子を目にしていた。自信満々で効果抜群だから絶対にやれと言われたのだ。

 私が恥ずかしいのを我慢すればいいのだから腹を括った。


 食事中はいつものペースでエルビーナ様が話しかけまくり、フィル様は適度に冷たくあしらっている。それでもエルビーナ様はへこたれない。

 食事が終わり、いつもならお茶を飲みながら少しまったりするところでフィル様に声をかけた。


「フィル様、今日からはその、癒しの時間を持とうと思うのですが、いかがでしょうか?」

「えっ! いいの!?」

「はい、フィル様が嫌でなけれ——」

「嫌じゃない! むしろ癒しの時間がなくて元気が出なかったんだ!」


 満面の笑みを浮かべるフィル様に、エルビーナ様は不思議そうな顔で尋ねる。


「なんですの? その癒しの時間とは?」

「ラティだけができる、僕の治癒の時間です。悪いけれど今後の政務に支障が出るので、お待ちいただけますか?」


 黒い笑顔のフィル様の顔には(邪魔したら容赦しないよ?)と書かれていて、お願いだからエルビーナ様は大人しくしていてと心の中で祈った。


「そ、そう……わかったわ」


 引きつった笑顔だったけれど、了承してくれてホッと胸を撫で下ろす。


 そして私は今日一番の気合を入れて、フィル様の膝のうえに腰を下ろした。

 背中に腕を回すとフィル様はキリッとした目元を緩めて、私にだけ向ける甘い眼差しで見つめてくる。

 エルビーナ様はポカンとして、その様子を眺めていた。


「はあ……これができなくて、もう限界だったんだ。ラティの柔らかさも、花のような香りもたまらない……!」


 ぎゅうっと抱きしめて、私の胸元に顔を埋めるフィル様をただただ受け止める。

 最初は寄り添っているだけだったのに、手を繋ぐようになり、抱きしめられるようになり、膝のうえに座るか添い寝するか選べと言われたのは、専属治癒士になって二週間ほど経った頃だったか。


 本当は恥ずかしくて誰にも見られたくなかったけれど、背に腹は代えられない。


 フィル様の背中に回した手のひらから、そっと癒しの光(ルナヒール)を送り込み、午前中の政務の疲れを解消した。深く深呼吸するたびにフィル様の熱い吐息を感じてソワソワするし、心臓は壊れそうなほど鼓動しているけれど、平静を装う。


「な、なにをしていますの……?」

「エルビーナ様、これがフィル様を癒すことになるのです。専属治癒士である私の大切なお役目なのです。お目汚しして申し訳ございませんが、少々お待ちいただけますか?」

「……へ、へえ。それならわたくしが代わりに——」

「特別な治癒魔法が使えるラティだから成り立っているのです。代われる者はいません」


 フィル様の言葉に遮られたエルビーナ様はやっと口を閉ざした。

 私は羞恥心に耐え、変な汗をかきながらフィル様の好きにされている。それでもじっと耐えに耐えていた。


「……わたくし気分が悪くなったので失礼いたしますわ」


 それから五分も経たないうちに、エルビーナ様がそう言って席を立った。


 私はどうやら勝利したらしい。

 この身を張った勝負に勝ったのだ。さすがイライザ様のアドバイスは的確だ。そして——


「やっと邪魔者がいなくなったね。これで心置きなくラティを堪能できるよ」

「そ、そうですね……ははは」


 フィル様の獲物を狩る猛獣のような視線に逆らえるはずもなく、その後一時間もそのままだった。


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