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21話 ルノルマン公爵家の審判


 コートデール公爵領から戻ってきて、私は自身の変化に戸惑っていた。


 まず、朝の健康観察の時にフィル様にじっと見つめられると、変な汗をかくようになった。どうやってスルーしていたのか思い出せない。

 毎日の癒しの時間もそうだ。


「ラティ、昨日はあまり眠れなかった? 少し疲れているみたいだね」

「ち、近すぎです! フィル様!」

「そう? いつもと変わらないけれど?」


 私が焦って距離を取ろうとすると、嬉しそうに近寄ってくるフィル様を強く拒否できない。

 なんというか……フィル様の笑顔を見ると、私の心の中は花が咲いたみたいにふわふわと浮き立つ。誰かの笑顔はいつも心が温かくなるけれど、それとはちょっと違う気がする。


「フィル様、回復したなら政務に戻ってください!」

「ふふっ、そうだね。そろそろ戻るよ」


 はあああ、どうしたんだろう。前のように落ち着いて対応したいのに、うまくいかない……。


《ラティシア、なにフリーズしてんだよ》

「フリーズしてないわ。考え事してただけよ」


 足元の銀色の神獣となったフェンリルが声をかけてきた。ゴーレムを倒した後、幻影の森は平和を取り戻したので、フェンリルは仲間に森を任せてきたのだ。ゴーレムに負けたのが悔しくて、修行の旅に出るつもりで挨拶に来たのがあの夜だった。

 けれどフィル様が最強の生物だと確信して神獣になり、王都へ一緒にやってくることになった。


 とにかく次が最後の判定試験だから、ここで不興を買うしかないわ! 王太子妃に相応しくないと証明するのよ!




 それから三日後だ。私は決意を新たに、最後の判定をしてくれるルノルマン公爵家へ向かうことになった。


「私が審判(ジャッジ)を勤める、メイガン・ルノルマンだ」

「ラティシア・カールセンと申します。よろしくお願いいたします」


 通された部屋で待っていたのは、女当主であるルノルマン公爵様だった。淡い水色の髪にアイスブルーの瞳は鋭く、まるで氷のように冷たい印象を受ける。口調も端的で無駄な話をしない。

 そこで一枚の紙を差し出された。


「今回の判定試験では、この計画書通りに視察や交流をしてもらいたい。そして、後日そのレポートを提出してほしい」

「承知しました……あの、それだけでしょうか?」

「そうだ。そのレポートを読み、合格かどうか判断する」


 前の二件が結構ハードな内容だったので、拍子抜けする。それに、レポート提出だけで決められるとなると、不興を買うチャンスはあるのだろうか?

 どちらにしても私からは提案できないから受け入れるしかないのだけど。


「かしこまりました。レポートの提出期限はございますか?」

「翌日の夕方までに私のもとへ届けるように。では下がってよい」


 なるほど。予定は一日置きに組まれているのはそのためか。内容は街の視察や、孤児院の訪問、お茶会への参加だ。今回はレポート内容を酷く書けばいいだけなので、良心も痛まない。イケると、私は確信した。


 完璧なカーテシーをして、私は軽い足取りでルノルマン公爵家の屋敷を後にした。




 その翌日、計画書では街の視察へ向かうことになっている。

 朝の健康観察も終えて、フィル様に声をかけた。


「それでは、フィル様。判定試験のため街の視察へ行ってまいります」

「あ、ラティ、ちょっと待って」


 フィル様の執務室を出ようとしたところで引き止められる。フィル様は書類が積まれた机から立ち上がり、私の目の前までやってきた。腕を伸ばしてきたと思ったら、抱きしめられていた。


 突然のことで石のように固まって動けなくなる。

 意外とたくましい胸にギュッと耳が押し当てられて、フィル様の鼓動が直で聞こえてきた。その音はいつもより確実に速く刻まれて、私を包む石鹸の香りとフィル様の体温に頭が真っ白になる。


「……っ!?」

「本当は一分たりとも離れたくないけれど、判定試験だから我慢するよ」


 耳元で囁かれるフィル様の切そうな声に、ギュッと心臓が掴まれたような感覚に襲われる。

 心臓の異変なんて、心拍の異常か、血の巡りが悪くなるか、本格的にマズいのは痙攣だけど、そんなことしか知らない。こんな風におかしな反応をする病がなかったか、必死に考えていた。


「どうか気を付けて。僕のラティ」


 抱きしめられている腕の力が緩んだので、勢いよくフィル様を押しのけて「いいいい、いってきます!!」と執務室から走り去る。

 私の心臓はおかしくなったと思うほど、バクバクと大きく鼓動していた。




 王城を出て街に入り、私は大通りを歩いていた。

 すでに心臓は平静を取り戻している。計画書ではルートも決められていたので、きっとその中でレポートにしてほしい場所や状況があるのだろうと考えた。


 ということは、それを外してレポートを書けば不合格間違いなしよね?

 指定されたルートは貧民街の近くを通るものだから、きっとこういった問題点に関して意見がほしいのかしら? それなら問題点はフィル様に直接伝えて、レポートには別のことを書けばいいわ。


 うきうきと街の中を歩き回り、いよいよ貧民街が見えてきたところで私はガラの悪い男たちに取り囲まれた。


「おい、こんなところでなにしてんだ?」

「遊び相手を探してるなら、俺らが楽しませてやるよ」

「なあ、いい女だから連れていこうぜ」


 こんな男たちに絡まれるなんてついてないと、短くため息をついた。

 治安の悪さはフィル様に相談するとして、このままでは危険だ。早くここから立ち去らないと。


「ごめんなさい、もう用は済んだのでこれから帰るところなのです。それでは」

「ちょっと、待てよ!」


 そう言って方向転換しようとしたところへ、男の手が伸びてきた。


「あっ……!」


 マズいと思った。でも、もう遅かった。


「ぎゃあああああっ!!」


 悲鳴を上げたのは、手を伸ばしてきた男だ。

 ばたりと倒れた男と私の間には、手のひらサイズのバハムートが渦巻く風の中に浮いていた。バハムートはギロリと男たちを睨みつけ、臨戦態勢を取っている。


 こうなると思ったから、避けたかったのに。バハムートは私の危険を察知すると、すぐに現れて助けてくれる。しかも神竜になってパワーアップしているから、男たちの方が危ないと思う。


《我の友人に手を出すとは、いい度胸だ》

「うわっ! ド、ドラゴンか!?」

「くそっ! おい、行くぞ!」

《逃さん》


 男たちは逃げようと背を向けた瞬間、バハムートが容赦なくドラゴンブレスを吐き出した。


「ぐわあああ!」

「ぎああああっ!!」


 この騒ぎを見ていた街人が通報したようで、警備の騎士が駆けつけ事情聴取を受けた。

 その日のレポートには、大きな騒ぎを起こしてしまい申し訳ないと書いておいた。順調な滑り出しだ。




 その二日後は、王都の外れにある孤児院への訪問だった。


「ラティ、僕がそばにいなくても、他の男にうつつを抜かしてはダメだよ?」

「そそそ、そんなことしません、絶対!!」


 フィル様に抱擁され、もしかして毎回そうなのかと卒倒しそうになった。

 息も絶え絶えに王城を後にして、束の間ひとりの時間を味わう。考えてみればフィル様の専属治癒士になってから、ずっと誰かと一緒で、あまり自由になる時間がなかった。


 今だって判定試験の最中ではあるけれど、バハムートやフェンリルの加護がついているからと、護衛なしで出かけている。

 前回と同じように問題点はフィル様に伝えて、レポートには適当なことを書こう。


 そんなことを考えながらやってきた孤児院は、教会と住居が一緒になった様式のかなり古い建物だ。孤児院なら子供たちの元気な声が聞こえてきそうなものなのに、ずいぶん静かだと思う。


「こんにちは! ラティシア・カールセンと申します! ルノルマン公爵様の使いでやってまいりました!」


 入り口でノックして声をかけると、静かに扉が開かれ十歳くらいの男の子が姿を見せた。


「あの、ごめんなさい。シスター様はもうすぐ来ると思うので、ここで待っててもらえますか?」

「……そう、わかったわ。ではシスター様にルノルマン公爵家の使いが来ていると伝えてもらえる?」


 少年はこくりと頷き、建物の中へ戻った。それから十分ほどして、ようやくシスターが現れた。


「まあまあ、お待たせしてごめんなさいね! ラティシア様ね、さあ、どうぞお入りになってください」

「はい、よろしくお願いいたします」


 今日は終日孤児院の手伝いをしろということなので、ここにいる六人の子供たちと一緒に過ごすことになる。

 そして私はすぐにおかしな空気に気付いた。


 シスターは穏やかな笑顔を浮かべて、子供たちにさまざまな指示をする。生きていくための術を教えるために、手伝いをさせることはよくあることだ。

 でも実際にやっているのは子供たちだけで、シスターは手を出すことがない。


 子供たちは、カサついた肌と唇、艶のない髪、年齢よりも小柄な身体、サイズの合わない服、最近は木枯らしが吹くのに薄いシャツ一枚、そんな様子だ。

 私が頭を撫でようと手を伸ばすと、ビクッと怯え肩をすくめる。


 笑わない子供、極度に静かな子供、頭に手を伸ばすと怯える子供——


「ああ! シスター! ごめんなさい、この子が火傷をしてしまったので、私が手当てをしてきますね!」

「え? いえ、それは大丈夫です。私が処置しますから」

「いえいえ! ルノルマン公爵家の名に泥を塗るわけにはいきませんので、私が! 早く手当しないと! あちらの部屋をお借りしますね!」


 私は慌てたふりで男の子の手を引き、有無を言わせず隣の部屋に移動した。手を引かれてきた男の子は困惑している。


「お姉ちゃん、ボクは火傷なんてしてないよ」

「急にごめんね。私は治癒士だから違うところを怪我してるって気が付いたの。内緒で治してあげたくて」

「でも……シスター様に怒られる」

「火傷と一緒に治してくれたと言えば大丈夫よ。私からも話すから。悪いところは全部治したいから、診せてくれる?」

「……わかった」


 そう言って男の子がシャツを脱ぐと、そこには隠れた部分にだけ打撲痕や裂傷痕がびっしりとあった。


「これはシスター様が?」

「うん、僕たちは悪い子だからお仕置きだって。僕たちがちゃんとすればご飯ももらえるし、痛くされないから、僕たちが悪いんだ」

「君たちが悪いことなんてひとつもないわ。みんな痛いことされるの?」

「なにか失敗したり、うまくできなかったりしたら、みんなお仕置きされる」

「わかったわ。今すぐ治してあげたいけど、先に済ませないといけない用事があるから待てる?」

「うん、待てる」


 私はゆっくりと立ち上がり、細く長く息を吐いた。

 治癒士をしてきて、さまざまな患者を見てきた。貴族のお嬢様なら目にしないような患者もいた。その中には親から虐げられている子供もいた。


 私が気付かないと思っていたのだ。公爵家から来る使いは身分もしっかりしているから、こんな状況の子供がどんな風になるか知らないとでも思ったのだろう。だけど、こんなの見逃せないし許せない。


「フェンリル」


 低く短く、新しい友人の名を呼ぶ。私の声に呼応して、影の中からすぐに私の背丈ほどのフェンリルが現れた。


《ラティシア、呼んだか?》

「ええ、害虫駆除なんだけど、頼めるかしら?」

《虫は好きじゃないけど、仕方ねえな》

「シスターを捕捉して。吐かせたいことがあるの」


 それからほんの数分でケリがついた。

 フェンリルに咥えられたシスターが、泣き叫びながら補助金の着服と子供たちへの虐待を認めたので、騎士へ引き渡した。今回は控えめに暴れたので誰も怪我はしていない。


 子供たちの状況確認が終わり、すぐに治癒魔法をかけてルノルマン公爵様へ後のことを託した。

 その後シスターは投獄され、子供たちはルノルマン公爵様の伝手でちゃんとした家に養子に出されることになった。


 今回のレポートは、フェンリルを暴れさせて申し訳ないと書いておいた。


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