17話 コートデール公爵家の審判
非常に残念なことに、アリステル公爵家の判定試験を合格してしまった私は、次の判定試験のためにコートデール公爵家に領地へ向かっている。
本来は王都から二週間かけて馬車を乗り継いでいく土地なのだが、バハムートに乗せてもらい旅路についた。これで日程は三日ほどで済むので、かなりの時間短縮になる。
なぜかフィル様が強く勧めてくれたので、ここはお言葉に甘えることにした。
「ねえ! 見て、渡り鳥がびっくりしているわ!」
《うむ、我は生物の頂点に君臨する竜だからな》
「それにすごい勢いで景色が変わるの、いつ見ても面白いわね!」
《ラティシアを乗せるのは久しいな》
「そうね、それにこんな長距離は初めてだわ! 空の旅って楽しい!」
久しぶりに乗ったバハムートの背中は、私がまだ幸せだった頃となにも変わっていなかった。カールセンの領地でこっそりと乗せてもらった大きな背中は、今も温かく私を受け止めてくれる。
雄大な景色を追い越しながら、私は空中旅行を存分に楽しんだ。
コートデール公爵が治める領地には、魔物が多く出現する幻影の森がある。木が鬱蒼と生え、魔物が次々に襲いかかってくる危険な場所だ。コートデール領では森から頻繁に魔物がやってくるので、冒険者や騎士の活躍がめざましい。
コートデール公爵も元騎士団長として、王都で活躍していた御仁だ。強力な魔物を討伐するときに大怪我を負って、騎士から引退し領地で過ごしているとフィル様に聞いた。
領地に戻られてからのコートデール公爵はすっかり気難しくなり、親族もあまり立ち寄らないのだとフィル様が教えてくれた。それは年齢のせいなのか、怪我をして引退したことが原因なのか、その両方なのか、とにかく私にとっては不合格をもらいやすい相手に違いない。
それならなにも怖がることはない。むしろ積極的にダメ出ししてほしいくらいだ。今回は不合格の期待が高いので、より気合が入った。
やがてコートデール公爵家の領地に入り、要塞のような造りの城が見えてくる。ぐるりと囲む城壁は高く、とても頑丈そうで余程のことがなければ壊されることはなさそうだ。
「バハムート、あれがコートデール公爵様のお屋敷よ! 知らせは届いているはずだから、敷地内に降りてくれる?」
《承知した》
バハムートが訓練場のようなスペースに降りると、早速ひとりの騎士が声をかけてきた。夕陽色の短髪が印象的な、穏やかそうな青年だ。
「ラティシア・カールセン様ですね?」
「はい! フィルレス殿下から通達が来ていると思うのですが、この度は王太子妃の判定試験でやってまいりました」
「もちろん、伺っております。私はコートデール家の嫡男オリバーと申します。父が待っておりますので、ご案内いたします」
「オリバー様ですね、よろしくお願いいたします」
小さくなったバハムートを肩に乗せて、オリバー様の後に続く。要塞のような城に足を踏み入れると、城の中は飾り気がなく無骨な印象で、扉も凝った装飾などされていなかった。
「このような城で窮屈かと思いますが、用意した部屋はマシかと思います」
「いえ、部屋を用意してくださっただけでありがたいです。それにしても、まるで要塞のようで逆に安心感がありますね」
「ははっ、そのように言っていただいたのは初めてです。妻もそうでしたが、貴族のご令嬢たちは堅い笑顔を浮かべるだけでした」
「コートデール領は魔物の出現が多い土地ですから、民を守るためのものでしょう? それに無駄な装飾をしないのは、そこへ費用をかけずに防衛に回しているからではないのですか?」
上空から見たけれど、城壁周りは堀になっていて跳ね橋が下されていた。敷地は広く取られていて、街の住民が避難してきても受け入れられそうなほど余裕があった。跳ね橋を上げれば、敵の侵入を防げるだろう。違う角度で見るとわかることがたくさんあるものだ。
「……前にもこちらに来られたことがあるのですか?」
「いいえ、今回が初めてです。バハムートに乗ってきましたが、とても楽しい空の旅でした」
「すごいな、初見でそこまでご理解いただけるとは……」
「空から見ればみなさん気が付くと思いますよ?」
「いや、フィルレス殿下が自らお選びになったわけが理解できました」
最後のひと言がよくわからなかったけれど、そんな話をしているうちにコートデール公爵様の執務室に着いてしまった。オリバー様がノックをしてから扉を開ける。
扉を開けた正面に座っていたのは、眉間に深い皺を刻み、口はへの字に下げた厳つい男性だ。椅子に深く腰掛け、深緑の瞳はギロリと私を睨みつけている。鍛え上げた身体から放たれる覇気が半端ない。オリバー様と同じ夕陽色の髪なのに、穏やかさなんて微塵も感じなかった。
「よく来られたな。私がウォルト・コートデール。今回の審判だ」
今回は予想通り、コートデール公爵様が審判! よかった、これで不合格になる確率が上がったわ!!
内心の喜びが漏れないように、慎重に挨拶を返した。
「ラティシア・カールセンと申します。しっかりとお役目を果たしますので、なんなりと課題を提示してください」
「では早速だが、課題を発表する。我がコートデール公爵家では、魔物討伐ができるかどうかで合否を決める」
「魔物の討伐ですか……?」
王太子妃になるご令嬢となれば、高位貴族から選ばれる。それならほとんどが攻撃魔法を操れるので、この課題も無理難題ではない。だけど、私は、カールセン家の一族は治癒魔法しか使えない。
——つまり、不合格確定では!?!?
ますます歓喜が湧き上がるけれど、グッと堪えた。ニヤけそうになるので俯き、肩が震えるのは笑いを堪えているからだ。でもコートデール公爵様は私が課題に困窮していると思ったのか、さらに説明を続けた。
「森からやってきた強力な魔物が領地に住みつき、民が被害を受けている。どんな方法を使ってもいいから、この魔物を討伐してきてほしい。オリバーもカールセン嬢に協力するように」
「かしこまりました、精一杯やってみます」
「父上、承知しました」
まずは旅の疲れがあるだろうということで、明日から魔物の討伐に参加することになった。
故郷でお兄様たちと一緒に治癒士見習いとして参加していたと思い出し、懐かしく感じる。討伐は騎士たちに任せて、治癒に専念すれば役立たずだと周知できるだろう。今回でフィル様の婚約者から解放されるかと思うと、ウキウキして仕方がない。
それでも翌日からの魔物討伐に備えて、早めに眠りについた。
翌朝、オリバー様とともに魔物の被害があった地域へと向かった。道には魔物の爪痕が残り、馬車では進めないので騎馬で移動することになった。
途中で数日前に魔物に家を壊されて寝る場所もままならない民や、家族を魔物に殺され悲しみに暮れる民を見かけた。魔物に畑を荒らされて収穫目前の野菜がダメになったと、苦笑いする民もいた。
私は、なにを喜んでいたのだろう。
私は、判定試験の合否しか考えていなかった。コートデール公爵様やオリバー様が、民のために要塞のような城を建てて、懸命に魔物と戦おうとしているのに、私は自分のことしか考えていなかった。
コートデール領に入って、不合格確実だと思っていた自分が恥ずかしい。
私が治癒魔法で怪我人を治すのも、コートデール領の民を助けるのも同じことだ。
父が教えてくれた治癒士としての誇りは、忘れていない。治癒魔法でも援護するけれど、他にできることは本当にないのだろうか?
そう考えながら、まずは今できることをしたくて口を開いた。
「オリバー様、もし怪我人がいたら教えてください。私が全員治療します」
「本当ですか? それは助かります! 身体さえ無事なら、いくらでも復興できますから」
「病に冒された民も、数年前の怪我でも、すべて私が治します。治癒士の誇りにかけて」
オリバー様の新緑の瞳を見据えて、私は宣言した。
破顔したオリバー様の案内で、怪我人や病人を治癒しながら領地を回った。
手当たり次第治癒しながら進んだので、目的の場所までは辿り着けなかったけれど、日も暮れてきたので一度戻ることにした。
こんなに治癒魔法を使ったのは、治癒室以来でクタクタになったけど気持ちは晴れやかだ。
「ラティシア様、本当にありがとうございます。民たちもその治癒魔法にど肝を抜かれておりました。欠損した四肢も治すなんて、初めて見ました」
「カールセン家の一族は治癒魔法しか使えませんが、その分効果が高いのです」
「なるほど……では、もしよろ——危ない!」
オリバー様の声で後ろを振り返ると、熊型の魔物、レッドグリズリーが猛然と私に襲い掛かろうとしているところだった。
大きな巨体に見合わないスピードで私に向かって駆けてくる。涎を垂らした口には、鋭い牙が並んで噛まれたら一巻の終わりだ。
「私の後ろに隠れてください! くそっ、こんなところでレッドグリズリーが出るなんて……!」
確かに、レッドグリズリーは本来森の中で生息する魔物だ。人が住んでいるところに出てくることはほとんどない。
なにか子供が攫われたり、敵を追いかけてくるなどがなければ。
そこでハッと気付いて、ずっと寄り添ってくれた友人の名を呼ぶ。
「バハムート! お願い!」
《我に任せろ》
一陣の風とともに現れて、ドラゴンブレスを一息吐いた。
「ギャアアアアアォォォォ!!」
その威力は、地面を焦がしただけでなく、レッドグリズリーの骨まで灼いた。
断末魔の絶叫が耳に残るが、目の前にはもうあの巨体の欠片もない。本当に炭すら残らず、跡形もなく消え去った。
「え……? なに、この威力。え、もしかして神竜になったから、パワーアップした?」
《むう、そうらしい》
以前とは比べ物にならないドラゴンブレスの威力を目の当たりにして、ジルベルト様が死ななくて本当によかったと思った。
「なんと……神竜の力はすごいな! しかし、神竜はフィルレス殿下のものではないのですか?」
「あはは、バハムートは私と友人なんです。だから危ない時は助けてくれるのです」
「なんですと……!!」
《ラティシア、こちらに来い》
オリバー様の質問攻めから逃れたくて、すぐさまバハムートのもとへ向かう。バハムートは近くにあった木の根元をじっと見下ろしていた。
そこにいたのは、怪我を負った子犬だった。息も弱く、怪我をしているのか血まみれになっている。
「この血の匂いにつられてレッドグリスリーが来たのかも。オリバー様、この子犬を連れて帰ってもよろしいですか?」
「そうですね、怪我も治して綺麗にしてやらないと、また魔物がやってきては民に被害が出てしまう。私が抱いて帰りましょう」
「ありがとうございます、怪我は私が治します。元気になったら、また野生に返すか飼い主を探します」
「そうしましょう。私も協力します」
そうして、弱った子犬を保護したのだった。