12話 溺愛アピール
さて、覚悟を決めたのはいいものの、今の私になにができるのだろう?
そもそもアリステル公爵に会うことができるのか? 本当に気がすすまないけれど、フィル様の婚約者である立場を使ったら面会くらいはできるだろうか。
例え会えたとしても、フィル様の婚約者である私が説得するのはかなり難しいかもしれない。
「いったいどうすれば説得できるのかしら……」
ひとり言のように呟いた言葉に、フィル様が答えてくれた。
「そうだね。基本的に貴族たちは僕に逆らわないから、ラティが僕の寵愛を受けていると見せつけるのが、一番手っ取り早いね。邪魔するようなヤツがいたら遠慮なく処分できるし」
「そうですわね。その後でジルを認めさせるよう、山場を作りましょう」
「え? あの?」
フィル様は寵愛を見せつけるとか、邪魔なヤツは処分とか過激なことを言うし、イライザ様も当然のように受け止めて山場を作るとか乗り気になっている。もしかして王族や高位貴族の方々にとってはこういうのが普通なのだろうか?
私が困惑していると、それに気付いたフィル様が優しく微笑んで、そっと手を握ってきた。大丈夫だよと言うように私に温もりを与えて、話を続けていく。
「よし、イライザ。茶会を開いてくれ」
「規模は?」
「貴婦人たちをできるだけ集めてほしい。あと、君は悪者になるけどかまわないよね?」
「承知しました。悪者など……悪女のわたくしに対して、かわいいことをおっしゃるのですね」
ふたりの間でどんどん話が進んでいくが、その速さに課題をクリアするはずの私自身がついていけない。これはさすがによくない気がする。
「あの! 待ってください! これはズルではないのですか!?」
今のところ私の関与はゼロだ。課題をこなすと決めたのだから、すべての準備を整えてもらうのは違うと思う。
「あのね、ラティ。課題をこなすのに協力を得てはいけないというルールはないんだ」
「そうですわ。つまりフィルレス殿下もわたくしも、ラティシア様の味方ということです」
「そのルールはありなのですか?」
その考え方でいくと、課題は自分でこなさなくてもいいということ?
「もちろん。そもそもどんな課題が来るかわからないのに、ひとりでこなせなんて無茶な話だと思わない?」
「確かに……」
「そうだよね。それに僕はラティに苦労をしてほしくない」
「この判定試験は王太子夫婦となる、おふたりの絆の深さを見るためのものでもありますの。これから国を担っていくのですから、互いに支え合うことが必須ですわ」
「なるほど……!」
イライザ様の説明に深く納得すると、フィル様が珍しくムッとした顔になった。珍しいなと思って見ていたら、またいつもの甘ったるい微笑みを浮かべて耳触りのいい言葉を並べた。
「まあ、そんなものがなくても、僕はいつでもラティの味方だけれどね?」
「そうですか、ありがとうございます」
当然いつものように華麗にスルーだ。なんの気持ちも込めないで即返答する。
「うふふ、さすがのフィルレス殿下も苦戦しているようですわね」
「ははっ、これはこれで楽しいけどね」
イライザ様の苦戦の意味がよくわからないけれど、フィル様に楽しまれているのが腹立たしい。さっきからイライザ様とはよく理解し合っているようだし、婚約者は私でなくてもいいのではと強く感じる。
「ではラティ、茶会で着るドレスを選ぼうか?」
「それでは、わたくしはお茶会の支度をしてまいりますわ。ラティシア様にだけ招待状をお送りしますので、よろしくお願いいたします」
「うん、頼むよ」
「よ、よろしくお願いいたします」
そう言ってイライザ様は執務室を後にした。フィル様から今回の作戦の全貌を聞こうとしたのに、当日のお楽しみだと言って教えてくれなかった。
三週間後、イライザ様から届いたお茶会の日になった。
フィル様が手配したお茶会用のドレスは、淡いパープルのドレスに黒いレースとリボンの飾りがついたものだ。フィル様はリーフ柄が上品なジャガード織りの黒いジャケットを羽織り、胸元には淡いパープルの花の飾りが添えられている。
どこからどう見ても仲のいい婚約者にしか見えないが、これも作戦のうちだと言われた。
そして私はアリステル公爵家へ向かう馬車の中で、ようやくこの計画の全貌を聞かされる。その内容に絶句し、あの一瞬でよくそこまで考えられるものだと感心してしまった。イライザ様にはすでに詳細を伝えてあるらしい。
「はあ……本当に腹黒」
「うん? なにか言ったかな?」
「いえ、なんでもありません」
つい本音がこぼれてしまった。慌てて知らないふりをする私を、フィル様はうっとりと見つめてくる。
「ああ、ちなみに腹黒は僕にとって褒め言葉だから」
「聞こえてた……!?」
「王太子教育のおかげで、読唇術もできるんだ」
「いやいやいや、そのスキル今すぐ破棄してください」
「それは難しいね」
そんなやりとりをしている間に馬車は公爵邸へとついてしまった。これからイライザ様の愛を叶えるための、作戦が始まる。
私は気合を入れて、馬車から降りた。
「まあ! フィルレス殿下だわ!」
「相変わらず麗しいわね……あら、あの方が……」
「どうしてあんな一介の治癒士が婚約者なのかしら」
「フィルレス様、お可哀想に……きっとなにか弱みを握られているのだわ」
「そうよね、でなければ他に相応しいご令嬢がいますものね」
耳に入るのは私が婚約者になったことへの罵倒だった。
悲しくなるどころか、むしろもっとフィル様に聞かせてほしい。なによりも、私が一番そう思っている。
「ラティ、まずは主催者へ挨拶しよう」
「はい、かしこまりました」
「ここは段差があるから気を付けて」
「ありがとうございます、フィル様」
そう言って「うふふ」と幸せそうに私たちは微笑む。普段は隙のない笑みを浮かべて決して崩れないフィル様が、甘くとろけるように微笑んだ。その様子を見ていた周りの貴族たちが、ざわりとどよめく。
「イライザ様、本日はお招きいただきありがとうございます」
「元気だったかな? イライザ嬢。すまないけれど、今日は私も参加させてもらうことにしたよ」
「えっ……フィルレス殿下……!? わたくしが招待状を送ったのは、ラティシア様だけですわ!」
「ああ、そうらしいね。愛しい婚約者のそばにいたくて僕が勝手についてきたんだ。気にしないでくれ」
「なっ……!!」
「では、今日は楽しませてもらうよ」
イライザ様は悔しそうに顔を赤らめて、ブルブルと震えている。悪女を自作自演してきたおかげか、演技力が半端ない。
挨拶もそこそこにテーブルに着こうと、イライザ様に背を向ける。複数のテーブルが通路をあけて並んでいて、フィル様はそのなかのひとつに目をつけたようだ。
「ラティ、ここでお茶をいただこう」
「はい……ですがフィル様。椅子の空きはひとつしかありませんわ」
フィル様が声をかければ席を用意することができただろうけど、そのまま空いている椅子に腰を下ろした。
そして——
「大丈夫だよ。ほら、ラティは僕の膝が指定席でしょう?」
「そんな……! い、嫌ですわ」
「ラティ?」
作戦中だということを忘れて、本気で嫌がってしまった。笑顔のままのフィル様の無言の圧力に焦りながら、なんとか言い訳を考える。
「ごめんなさい、その、私恥ずかしくて……」
「っ! その不意打ちはずるいな。ラティの恥ずかしがっている顔が見たい」
「きゃっ」
優しく腕を引かれて、そのままフィル様の膝の上に腰を下ろしてしまった。
もう恥ずかしいのは間違いない。こんなご婦人たちが見守るなか、フィル様の膝に座りイチャイチャするなんて想像もしていなかった。
「ねえ、今自分がどんな顔しているかわかる?」
「わ、わかりません……」
でも顔と耳と首も赤くなっているのは理解している。心拍数は上昇して、呼吸も速い。おまけにフィル様の体温に包まれて、変な汗もかいている。ふわりと香る爽やかな石鹸の匂いに頭が痺れそうだ。
テーブルに座っていたご婦人たちは、ひと言も話さずこちらを凝視している。そこへ先ほど挨拶を終えたばかりのイライザ様がやってきた。これも計画通りだ。
「ちょっと! ラティシア様! 席なら他にも空いているでしょう!? 私の采配が悪いように見せつけて、どれだけ性悪なの!?」
「……イライザ嬢。僕がこの席がよかったんだよ。それにこんなことで恥ずかしがるラティはかわいいだろう?」
「フィルレス殿下、この際ですから言わせていただきますが、ラティシア様では家格に問題がありますわ! 一介の治癒士の分際で——」
ここでフィル様のまとう空気が変わった。
それはこの会場にいる者なら、誰もが畏怖するほどの魔力を込められた覇気だった。
「イライザ、もういい。僕の婚約者を侮辱するのは、例え君でも許さない」
「……っ! 本気、ですのね……?」
「当然。やりすぎはよくないね」
一瞬だけフィル様とイライザ様の視線がからむ。
イライザ様は短く舌打ちして、踵を返し屋敷に消えていった。
その後のお茶会は、フィル様と私を観察する会になった。ここぞとばかりに、フィル様にメロメロに甘やかされて私は本当に天国が見えた気がした。
参加したご婦人たちの興奮は冷めることなく、社交界にはフィル様が私を溺愛していると光の速さで広まった。
いつもの執務室での昼下がり、フィル様は最近の社交界での噂話を仕入れてやけにご機嫌だった。
「ふふ、これで僕と君はどこからどう見ても相思相愛の婚約者だね?」
「あああ! わかっていたけど、納得いかない!!」
「あはは、そろそろ諦めたら?」
「嫌です! 諦めません!!」
まだ判定試験は終わっていないのだ、希望は捨てない。
「僕はこのまま結婚しても全然構わないんだけど」
「私にはフィル様のような腹黒の相手など務まりません! 婚約解消を熱く希望します!!」
「あはは、相変わらず面白いね。……ラティはこのまま変わらないで」
フィル様が急に真面目な顔になり、おかしなお願いをしてくる。でも、今の私はそれどころではない。まだアリステル公爵にジルベルト様を認めてもらえてないのだ。
「ああ、僕に惚れて態度が変わるのは大歓迎だから」
「誰が腹黒王太子に惚れるか——!!!!」
「ふふっ……いつか、ね」
フィル様の呟きは、絶望に染まった私の耳には届かなかった。






