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11話 アリステル公爵家の審判


 翌朝、私が目覚めた時には、すでに寝室にフィル様の気配はなかった。

 いつもはフィル様より早く目が覚めるのに、起きるのが遅くなってしまった。昨夜はなかなか寝付けなかったせいだ。


 フィル様に侍女をつけると言われたけれど、専属治癒士には必要ないと断ったのが裏目に出てしまった。急いで身支度を整えて、朝食が用意されている部屋へ向かう。

 部屋に入ると、王族仕様の長いテーブルの端の席で、優雅にお茶を飲むフィル様が目に入った。


「フィル様、おはようございます」

「おはよう。ラティはしっかり眠れた?」

「はい、問題ありません」


 フィル様はお茶に口を付けて、私が席に着くのを待って食事を始める。慌てていてしっかりと時間を見ていなかったけれど、朝食の時間には遅れずに済んだようで胸を撫で下ろした。いつものようにフィル様の斜め前の、実質的に隣の椅子にかける。

 こうやってフィル様と同じ席で食事をとり、そのまま一緒に王太子の執務室へ出勤するのだ。これも業務命令だった。


「そう、よかった。今日はアリステル公爵家から審判(ジャッジ)がやってくるから、頑張って」

「承知しました」


 フィル様はいつもとまったく変わらない様子だ。穏やかな微笑みを浮かべて、私と視線が合うと途端に甘く情熱的に見つめてくる。


 いつもは見せないフィル様の熱のこもった視線を、素直に受け止められたらどんなに楽だろうと思う。でも、心から誰かを信じるのは怖い。

 こんなにも臆病者になってしまった私は、いつか誰かを信じられる日が来るのだろうか?


「ラティ」

「は——んぐっ」


 呼ばれたので顔を上げると、フィル様がひと粒のマスカットを私の口へ押し込んできた。思わず噛みしめると、ジュワッと瑞々しくて爽やかな甘さの果汁が口の中にあふれる。あまりのおいしさに、勝手に口が動いてあっという間に飲み込んでしまった。


「ふふっ、これは僕の好物なんだ。ベイリーマスカットといって、皮ごと食べられるんだ」

「これ、すごく美味しいです」

「でしょ。まだ食べる?」

「はい、いただきます!」


 さすが王族の食事だけあって、食材は新鮮で丁寧に処理されているうえ、料理人の腕が当然のように素晴らしく、なにを食べても美味しかった。

 そしてフィル様はもうひと粒とって、私の口元へと運んでくる。


「はい、あ〜ん」

「フィル様。私、自分で食べられます」

「いや、これも僕の癒しの時間になるから。はい、素直に口を開けて食べてね」

「待ってください、これはいくらなんでも恥ずかしすぎます……!」

「これも治療の一環だから、業務命令だよ?」


 この腹黒王太子は、こともあろうかバカップルのようなイチャイチャを業務命令だとのたまってきた。これのどこが治療の一環なのか事細かに説明してもらいたい。いや、そうなったら、むしろ私がダメージを受けそうだけれど。


「くっ、こんな業務命令なんて聞いたことな——むぐっ!」

「ヤバい、餌付けって楽しいな」


 今、フィル様がなにか恐ろしいことを口走らなかった!?

 ところが、なにか言おうとすると、すぐさま次のベイリーマスカットが投入されて話せない。


「さあ、お腹いっぱい食べてね、ラティ」


 心底楽しそうに笑うフィル様に、私の精神は容赦なくガリガリと削られた。

 なのに、いつの間にか私の心からはすっかり重苦しい思考が吹き飛んでいた。




 拷問のような朝食を終えて執務室へやってきてすぐ、アリステル公爵家からの審判(ジャッジ)が到着した。


 現れたのは燃えさかる炎ようなウエーブの赤髪に、輝くような金色の瞳、絹のような真っ白な艶のある肌。メリハリのあるスタイルを存分に活かす、黒のレースで飾られた深い青のドレスを身にまとう傾国の美女だ。


「わたくし、アリステル公爵家からまいりました、イライザ・アリステルと申します。この度は僭越ながらフィルレス殿下の婚約者である、ラティシア様の判定試験の審判(ジャッジ)を務めさせていただきます」


 ——イライザ・アリステル。


 その名前を聞いて、私は胸が躍った。彼女はこの国で一番有名な貴族のお嬢様だ。

 傲慢でわがままで、人を人とも思わない冷酷な悪女。それがイライザ・アリステルだ。


 もしかして、もしかすると、一回目の判定試験で不合格がもらえる!?!?


 これほど評判の悪女であれば、きっと私にも嫌がらせをしてくるに違いない。前に患者としてやってきた他のご令嬢から、イライザ様の噂は聞いたことがある。


 うまく立ち回れば、一発アウトになるかもしれない。そうなったら私の未来は安泰だ。

 また、あの居心地のいい世界に戻れるのだ。


「イライザ、よく来てくれたね。よろしく頼むよ。では、判定試験について詳しく話そうか」


 フィル様に促されるまま、私が普段待機しているソファに腰を下ろした。いつものようにフィル様が私の隣にかけるとイライザ様は、大きな瞳がこぼれ落ちそうなほど見開いた。


「まあ、そういうことでしたのね」

「イライザならわかってくれるだろう?」

「ええ、もちろんですわ。それでは、わたくしから判定試験についてお話しいたしましょう」


 フィル様とイライザ様の、ふたりでわかり合っているみたいな空気が居心地悪くてなんとなく視線を下げた。あれだけ私を口説いてきていたのは、やっぱり気まぐれだったのだ。


「判定試験は、それぞれの審判(ジャッジ)が出す課題をクリアすることによって、合否が判断されます。合否を決めるのは三大公爵家から選出された審判(ジャッジ)のみとなります。その代わり、わたくしたちは公平な目で判断し、妃殿下となるに相応しいか私情を挟まず判断いたしますわ」

「公平かどうかはどのように判断されるのですか?」


 もしも最悪の場合、こっそり不合格のお願いしてみようと思い聞いてみた。


審判(ジャッジ)に選ばれたものは、この判定に関していかなる不正も贔屓もしないと、太陽の創造神に魔法宣誓しております。もし誓いを破れば命はありません」

「わ、わかりました」


 そんな命なんて懸けないでほしかった……!!

 でもそれならいくら不合格にしてくれとお願いしても、話は聞いてもらえないわね。最悪、生涯無料治癒をつけて頼もうかと思っていたのに……!


 不興を買うのは簡単だけど、できるだけ穏便に進めたい。まあ、でも王太子の婚約者の判定試験なのだから、厳正さが必要なのは納得だ。


「そこで今回出す課題は——わたくしが好きな殿方に嫁げるようにしていただきたいのです!」


 ……え、それが課題?

 悪女と名高いイライザ様を好きな人のもとへ嫁げるように? うーん、この課題……わざと失敗するのは良心が咎めるわね。好きな殿方がフィル様だったら、喜んで身を引くけれど。


「あの、ちなみに好きな殿方というのは、どなたですか?」

「そっ、それは……! その、ええと……ジル、ですわ……! わたくしの護衛騎士のひとり、ジルベルト・モーガンですわ!!」


 顔も耳も真っ赤に染めながら、好きな殿方を暴露するイライザ様は純情な乙女のようだ。本当にこの方が噂の悪女なのだろうか?


「それは、アリステル公爵家からの正式な申し入れなら、お相手様はお断りできないのでは?」

「ええ、それはそうなのですが、問題はお父様ですの」

「アリステル公爵様ですか?」

「父はわたくしを王太子妃にしたくて、何年も前から裏で画策していますの。今回のエルビーナ皇女の件もおそらく関わりがあるはずです」

「えっ!」


 フィル様に視線を向けると、知っていると言わんばかりに頷いた。この腹黒王子のことだ、きっとエルビーナ皇女よりイライザ様の方がいいと思ってなにもしなかったに違いない。

 私と出会う前のことだけど……でも目の前のイライザ様を王太子妃に考えていたとなると、それはそれでなんだかモヤモヤとする。


「ですから、お父様にはわたくしが王太子妃になることを完全に諦めてもらい、ジルこそが夫に相応しいと認めさせたいのですわ」

「なるほど……簡単にはいかなそうですね」

「ええ、わたくしもできることはしておりますのよ。例えば、性悪女のふりをして暴力を振るわれて婚約解消したいご令嬢の相手を(そそのか)して破談にしたり、婚約者がいる男性にいい寄る恥知らずなご令嬢にはとてもきつい言葉を投げたり……そうやって、王太子妃に相応しくないとアピールしてきましたの」


 なんと悪女の噂は自作自演だった。しかもちゃんと相手を選んでいて、本当に辛い思いをしているご令嬢たちを救っている。その正義感の強さや家柄からも、私はイライザ様こそ王太子妃に相応しいと思うのだけど。


「わたくし、もう十年もジルを想っていますの。彼以外を夫にするなんて考えられませんわ」


 その言葉に、ジクリと心の傷が(うず)く。

 私が知らない、私には与えられなかった、一途な愛の話だ。


「ラティシア様。ジルはこんなわたくしでも好きだと言ってくれています。ジルもお父様に認めてもらおうと努力していますが、もう他に手がないのです。わたくしはジルが夫でなければ、生きている意味がないほど彼を愛しているのです」


 こんなにも強く相手を想うことがあるのかと思った。

 これほどの一途な愛は、とても眩しくて、羨ましくて、わざと失敗するなんてできないと思った。


「承知しました。この課題、なんとかこなしてみせます!」

「ラティシア様! ありがとうございます……!!」


 炎のような紅眼が潤んで、キラキラと輝いて見えた。


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