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冬のペディキュア  作者: ふなはしけんた
4/4

クリスマスイブ発、バレンタイン行き

 クリスマスイブ。私の誕生日。好きな人がいたら、なにかを期待する日。ましてや、恋人がいて、一緒に過ごすのなら。卓哉くんと私も大多数の恋人たちと同じように、一緒にいた。

 二人とも料理はまだ不得意だから、ケンタッキーフライドチキンでバーレルを買ってきて、ロゼとともに。そしてクリスマスケーキ。形だけはそれでなんとかした。でも、たぶん、お互い二人でいられればなんでもよかったのだと思う。一人暮らしを始めてお酒を何度か飲んだけれど、この日が一番飲んでいたと思う。今まではカクテルやチューハイなのに、ワインだったのだから。それまでより格段にアルコール度数が高いのに、口当たりの良さで飲んでしまい、私はなんだかいい気分になっていた。壁際に二人並んで座り体と体をくっつけていちゃいちゃしていた。普段の私と彼はそんなことはほとんどしない。彼の誕生日に初めてのキスをしたあとで、キスは頻繁にするようになったけれど、私たちはそれ以上進んではいなかった。

 クリスマスイブの魔法は私にもかかったようだ。卓哉くんが「プレゼントだよ」と言って取り出したのは……美しい星図集だった。大判で海外で出版されたものの、日本語版だけれど、けっこうなお値段。

「いいの……これ、高いよ」

「咲は、この本の価値がわかるし、活用もしてくれる。本にとって、一番嬉しいのは、持っている人の役に立つことだと思うから」

 この本だけで私の心はふわふわに温かくなっていたのに、「もう一つは……」と言い出したので私は目が点になった。

「もう一つって……」

「それはクリスマスプレゼント。これは誕生日プレゼント」

「え、でも、悪いよ」

「言ったじゃん。『断固として要求すべきだ』って」笑いながらそう言って。

 手のひらに乗っていたのは小さなボックスだった。その大きさがもしやと思えた。これは、明らかに指輪が入っているボックスなんじゃないの?

「十九歳の誕生日、おめでとう。よかったら身に着けてくれたらうれしい。月の化身、ルナの力がきっと咲を守ってくれる」

 それで、その中がシルバーリングなんだとわかった。


 十九歳の誕生日に、銀の指輪をもらえた人は幸せになれる。


 そういえば、高校時代に聞いたことがあったけれど、そのころの私には一億光年先の世界の話だと思い込んでいた。私は泣いていた。こんなに幸せなことばかり続いていいのって。そしたら、卓哉くんは私を抱きすくめ、いつもより激しい口づけをしてきた。

 キスの回数はあれから着実に増えていて、その質もより情熱的になっていたから、私も精一杯応えていた。舌と舌を絡み合わせているだけで恍惚となる。

 だけれど、その日はそれでは終わらなかった。卓哉君の手が私の胸を触った。


 あの日とは何かが違っていた。

 あの日とは。それは二か月前の十月中旬。私がひどい風邪をひいてしまい、寝込むハメになったときのこと。体調の悪化は坂道を下るがごとく、体温は三十八度を超えていた。遊びに来た卓哉君はすぐに私の異変を察知して私を寝かせた。買い出しに行って、レトルトのおかゆをいくつか。食欲がないけれど「食べないと元気が出ないよ」と言われて流し込む。冷えピタをおでこに貼り付けてベッドに横たわった。市販の風邪薬を飲んだ。完全無欠な病人だった。

「一時間ごとに体温を測る」

 卓哉くんがそう言って、本当にずっと私の傍らにいてくれた。夜中の三時。体温三十七度八分。氷枕と冷えピタで手当てしていたけれど、体温はあまり変わらない。

「咲。これから真面目な話する」

 ふわふわした視界の中で卓哉くんが険しい顔をしていた。こんなに体調の悪い時に何なの、と思っていたら、「これからキスする」という。

「風邪、移るよ」力なくいうと、「こういうじゃん。他人に移せば風邪は治るって」

 彼はキスしてくれた。激しく。わざと、唾液と唾液を交換しているように思えた。こんなことしてたら絶対に移るよ。キスされながら、私の意識は遠のいた。

 翌日、病院に連れていかれて、薬を処方されて飲んだら一日でよくなった。

 ……卓哉君がそのあと二日寝込んだけれど。


 私の記憶の中には、彼のディープキスが癒しになると刻まれていた。だから、精一杯応えたし、もしかしたら彼の舌を「味わって」いるような余裕もあったかもしれない。だからこそ、胸に走った感触に驚愕した。

 ビクンとした。自分の手では何とも思わないのに。やわやわと彼の大きな手のひらが私の乳房を揉んでいる。私の心の中に葛藤が生まれる。キスから四か月。そろそろ次だからという容認派と、流れのままに許していいの? という懐疑派。天使と悪魔が頭の中でやりあっている。私はディープキスされながら乳房への愛撫をそのまま受け続けている。いつのまにか私は床に横たわり、卓哉君は私のセーターをたくし上げ、ブラウスのボタンを外し始めている。このまま。進めていいのだろうか。

 わからない。私も十九なんだし。大好きな彼氏なんだし。

 だけれど、私の心の奥底にある何かがOKを出さなかったらしい。

 気付いたら、私は泣いていた。私が泣きじゃくっているのに気付いて、卓哉君は狼狽した。

「ごめん、咲、俺、調子に乗って……」

 彼はその場ですべての行動を止めた。焦っていたから、ほとんどボタンが外されて、はだけた胸元から、ブラさえ見えている状況なのに、そのままセーターを引き下ろして、もうこれ以上はなにもしないと意思表示したようだった。

「嫌いに、なった……?」

 沈痛な表情。違うの。

「違うの。ただ、急だったから……。恥ずかしいし。私スタイルよくないし」

「そんなことない」

 卓哉君は断言した。

「水着姿でも見たし、今も……この手で触ったけれど。咲の胸は大きいと思うよ。少なくとも小さくない」

「そう……?」

「うん。それに、前にも言ったけれど、きれいな胸だし。……触ってみてハリとか感じて、ますます素敵だと思う」

 卓哉くんがそんなふうに体のことばかり言うので、なんだか違和感を感じた。

「卓哉くん、体のことばかり言う……なんかちょっと、やだ」

 私がそういうと、少し彼は考えているようだった。

「勘違いしてほしくないから、俺が思ってることを言う」

「うん」

「普通の男女は、外見から入ると思うんだ。一目ぼれとかあるし、少なくとも外見で惹かれて、興味を持って話をしたいと思う」

「うん」

「それで、どんな人なのか話をして中身を知りたいって思う」

「うん」

「でも、俺たちはまず、中身から入ったと思うんだ」

 そう言われて、なるほどと思った。

「お互い、容姿も年齢もわからないまま、メールとホームページの中身で通じ合って、気になってきたんだと思う。二年も俺と咲は趣味や心の中身を教えあってきたと思うんだ」

 そう言われたらそうだった。私たちはそれだけ長い間、お互いの心の中を教えあっていたんだ。

「普通の男女とは逆で、俺たちは中身から入った。声を聞いて無性に気になって、写真を見て好きになった。そして実際に出会ったから。外見のこと誉めたいと思うの、悪いのかな」

「……」

 そう言われたら。

「特に咲は、理由はわかんないけど、容姿やスタイルにコンプレックス感じてるみたいなんだけど、俺にとってはドストライクだし、好きな人が落ち込んでるのを見たくないから、だから、外見のこと誉めてたんだ」

 そうなんだ。そう言われたら納得する。

「それに……咲は俺だけにモテればいい」

 そう言われて赤くなる。うれしいけど、でも。

「でも……今日は……心の準備がないの」

 私も思うところを伝えてみる。

「私も十九だし、卓哉くんのこと好き。だから、最後までするの、いやってわけじゃないの。でも、私もその時になって、万全の準備と覚悟にしておきたいの」

 そういうと卓哉くんも得心したようだった。

「今夜は俺が早まってしまってごめん。俺も咲に素敵な思い出にしてほしいから。だから、覚悟が出来たら教えてほしい」

「うん。わかった」


 *********


「なーにぼんやりしてんの?」

 瑞希に言われて我に返る。

「ああ、うん」

 あきれ顔で私をのぞき込む。

「試験失敗した? 咲が失敗するとは思えないけど……あ、彼氏となんかあった?」

 いつもながら瑞希はするどい。

「何かあったんじゃなくて、これから何かあるかも……」

「なにそれ」

 瑞希なら……相談していいよね。聞いたことないけど、絶対、その、最後までしてると思うし。

「瑞希……その、初めてのとき、最後までしようと思ったときの決心ってどうつけた?」

 この質問だけで私の置かれた立場を察したようだ。

「なるほど。咲もそこまで来たか」

 うんうんと芝居がかったように頷きながらいう。

「もーう、こっちは一生一度のことで悩んでるんだからね」 

 そういうと、瑞希は「何に悩んでるの?」と根本的なことを聞いてきた。

「何に……て……」

「まさか、今時、結婚するまでは処女で、とか思ってる?」

「ううん」

「彼のこと、好き?」

「もちろん」

「それでなにを躊躇してるの?」

「え……」

「お互い好き同士。結婚するまでっていうこだわりもない。そのうえでなにに引っかかっているのか私にはわからない」

 少し突き放した感じで瑞希が言う。

「あ……いや……じゃあさ、瑞希の初めてのときのこと、どんな気持ちだったのか、教えて」

「どんな気持ちもなにも……ノリよ。勢い」

「へ?」

 優等生だと思っていた瑞希から、これ以上になくいい加減な答えが返ってきて私は驚く。

「ノリ、勢いっていう言葉がよくなければ、『タイミング』。そのときじゃないとダメっていうときがあると思うの。その流れに沿っていればいいんじゃないかな」

「それは、どう判断すればいいの?」

「それはその人それぞれだから、私にはわからないよ。ただ言えるのは、自分自身が決めるってことね」

「はあ……」

「例えば、彼が死んじゃう、もしくは誰か別の女を好きになって捨てられそう……なんて想像してみて」

「え……」

 思い出したのは江の島灯台だった。「ケジメをつけよう」と言われて勘違いしたあのとき。卓哉君を失うと思って、悲しくてどうしようもなかった。

「そのときの、彼を失う絶望と、今、躊躇してる気持ちを天秤にかけてみたら? 答えはすぐに出るでしょ?」

「……そうね」

 比べるまでもなかった。人は失ってから、その大切さに気付くというけれど、私は勘違いでそれに気づけた。あのときの絶望の深さに比べたら、確かにそれほど大した問題でもなかった。

「初めて会ったのが三月でもその前のつき合いが長いからね、二人は。だから、付き合い始めた期間の長短は気にしなくていいんじゃない?」

 それも少し気になっていたけれど、言われてみればそのとおりだった。イブの日に言われたとおり、私たちは中身から入ってるのだから。それで二年間ゆっくりとお互いに触れ合ってきたのだから。


 瑞希は高校二年のときに付き合っていた大学生としたそうだ。一人暮らしの彼の部屋で。

「痛いんじゃないかな、なんて悩んでるのかと思ってたよ。大丈夫、そりゃ、最初は痛いけど、そのうち慣れてくるし、そのあとは気持ちよくなってくるから」

「はあ……」

 にやりと瑞希は笑って、背中をとんと叩く。

「彼ならちゃんとしてるから、全部任せてみたら。なんとなく、彼は初めてじゃないような気がする」

「え」

 瑞希は何度か卓哉君と会っている。彼女の友達、友達の彼氏。そういう立場での完璧な挨拶を取り交わしたあと、そつない会話が続いていて、他人事のように聞いていた私は、そのコミュニケーションスキルに驚いたのだった。その中で感じ取ったのだろうか。

 瑞希にそう言われてまるで気付かなかった。考えもしなかった。卓哉くんは、経験あるんだろうか。キスのときもリードしてくれたし、イブの夜も戸惑ったようなところはなかった。もしかして、初めてじゃないのかな。


「高校一年のとき。家庭教師の大学三年生と、した」

 その日の夜。夜ご飯を一緒に食べてるときに、聞いたらあっさりと卓哉君は答えた。

「北大の学生だったんだ。勉強見てくれてたのは一年間、そういう関係だったのは後半の半年くらいだったかな。就職活動のために辞めちゃって、そのあと就職で札幌を離れて……今はどうしてるのか、わからないけど」

「好きだったの?」

「ん……かわいい人だったし、俺だって男だし、セックスってどんなことなのか興味はあったし」

「その人は卓哉くんのことは……?」

「そりゃ、そういうことするんだから嫌ではなかったと思うけど、彼氏はいたよ。だから、俺も本気にならないようにしてた。あくまで、セックスも「勉強」として家庭教師として教えてもらおうって。将来、本当に好きになった人とするときのために」

 それを聞いて、なんだか複雑だった。

「本当に好きな人としなくてよかったの?」

「うーん……そのときはそういう子はいなかった。はやく童貞を捨てて、どうしたらうまくなれるのかに興味があったから……こんな俺は、いや?」

「え……」

 そう問われて。完全無欠だと思ってた卓哉くんに、そういう部分があったと思うと残念な気がしたのは確かだ。だけれども、正直に言ってくれてうれしいのも確か。

「高二になってその人と会えなくなって、そのあとは?」

「部活に全力投入かな。家庭教師はやめて敢えて塾通いにしたし、それから、ホームページも」

「あ……」

「最初はその人のこと忘れるためだったんだけど、作ってるうちに『より完璧なものを作りたい』って思いはじめて。完成したころはもうあの人のことは忘れていて。ネットでたくさんの人と知り合って、女の子とのつきあいは別にいらないかな、なんて思ってたくらいだし。しばらくたったころだったかな、咲から、初めてメールが来たのは」


 全部がつながっているんだ。彼にもいろいろな過去があって、それを乗り越えた頃に私と出会ったんだ。


「卓哉くん……バレンタインデーに会いたい」

「あ、うん……一応空けてあるよ」

「それから、その次の日も」

「え?」

「その次の日も」

「へ?」

 卓哉くんの顔には「疑念」「不審」なんていう単語が表情になって現れていた。

「二月になって寒くなってきたから、温泉行きたい」

「あ、うん」

 ぽけっとした顔で卓哉君が聞いていた。耳から入ってくる言葉の意味を吟味しようとして理解できない、みたいな顔をしている。

「素敵な旅館を見つけたから二泊予約したいの」

「ええ……だって、その、泊まりってことは……」

「……よろしくお願いします」

 私は頭を下げていた。


********************


 二人の、初めての旅行は東伊豆の下田。二月といえど伊豆半島の南まで下ると黒潮のせいか、かなり気温は上がる。新潟へスキーに行こうかとも考えた。二人とも雪国育ちだからスキーは得意だ。だけど、実家が長野の私が新潟に行ったところで、それほど気分一新して旅行を楽しめるとは思えなかった。それに今回の目的はスキーのような娯楽じゃない。千葉の南房総と伊豆とを天秤に掛けたら、温泉地がたくさんある伊豆に軍配があがったのだった。

 東京駅から出発する「スーパービュー踊り子」という特急がかなり素敵なよう。終点の下田まで連れて行ってくれる。旅館と列車を押さえて、私はその日を待った。


 二月十三日。前日、私たちは敢えて、会わなかった。気持ちを貯めたいと思った。声も姿も知らなかったあのころから、ずっと積み重なってきた気持ちの先に、明日がある。それまでとは違う感情がわきあがる。観念ではなくて、身体の中から彼を求める衝動が湧き上がっている。それが「性欲」なんだと気付いて自分自身に驚く。


 落ち着こう。このままじゃ眠れない。


 日付が変わるころにベッドに入る。頭の中でいろんなシーンがぐるぐる巡る。そのうち眠りに就いたけれど、緊張のせいか浅くて安眠できなかった。このままじゃ、特急の中で眠りこんじゃう。車窓からの素敵な景色を楽しみにしているのに。

 結局、朝になるまで浅い眠りを繰り返した。


 睡眠時間だけは長かったので、それほど眠いとは感じなかったけれど、考えすぎて頭の中が疲れている感覚が残っている。さまざまな妄想・想像・予想・シミュレーションが巡りめぐっていて疲れていた。


 ふと、脳裏をよぎる言葉。


「冬のペディキュアってなんだか、やる気まんまんって感じじゃん」


 思わず笑ってしまう。そうなんだ。今の私はいうなれば「やる気まんまん」なんだ。そう、卓哉君に抱いてほしくて。求めてる。それに気づいたから。

 初めて、ペディキュアを施すことにした。凝ったことはできないけれど、足の先まで見られても平気なように血色よさげなピンク色を塗ろう。

 カーテンを開けて、冬の透明な陽射しを招き入れた。彼も好きだという今井美樹のアルバムを薄く流して、爪先に視線をはわせる。


 これが、私の、覚悟。


 それだけで強くなった気がする。

 

 たくさん愛してもらおう。そして。


「たくさん好きって言おう」


 口に出した言葉が部屋の中に溶けていく。


 きれいに塗れた。なかなかうまくできたと思う。それまでより少しきれいになった気がした。


「よし、行こう」


 今回の旅行のために買った、ピンクのトランクを引いて、彼の部屋の向かう。心持ち大きなストライドで。階段を一つ一つ昇るつもりで。

 もう、昨日までの私じゃないと思いながら。


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