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冬のペディキュア  作者: ふなはしけんた
3/4

サマー・シーサイド

 七月の定期テストが終わって私は自由になった。夏休みだ。この世界有数の大きな街で、私はどんな夏をすごせばいいのだろう。さしあたって、バイトを探した。

 親からの仕送りで生活はできたけれど、それに甘えたくはなかった。趣味やデート代くらいは自分で稼がないと、と思い、ファーストフードのバイトに申し込んで、採用された。

 卓哉くんは家庭教師の派遣業者に登録して、家庭教師の仕事を始めたという。それでも私たちは月曜と水曜と日曜は二人のために休みを取っていた。


「咲ちゃん、今度、海に行かない?」

 卓哉くんの提案はそのまま私の願望だった。海のない場所で生まれ育った私は、海へのあこがれが強い。北の大地で育った卓哉くんは南の暖かな海への憧れが強かったようだ。「え、いいけど……でも、海に入るの?」

 おずおずと尋ねる。まだ、卓哉くんとはいえ、水着姿を見せる勇気はなかった。

「いや、俺も初めてだし。今回は偵察かな。江の島行ってみない? サザンの歌によく出てくるし」

「うん!」

 新宿駅から特急ロマンスカーに乗って江の島へ。ちょっとした旅行気分だ。一両目だったのだけど、驚いたことに車両の前の景色が見える。

「運転席は二階にあるみたい」

 夏の気分に、慎重な私さえ煽られてしまったのか、白色のノースリーブをおろしてしまった。体のラインにぴったりするからどうしようか迷っていたけれど、開放感が私を大胆にさせたと思う。

「咲、とても似合ってる。『夏の少女』って感じ」

「ホント?」

「とても素敵だよ」と卓哉くんは言ってくれて、それだけで私の心は幸せで満たされていく。普段は、私のことちゃんづけなのに、たまに呼び捨てで呼ばれて、そのたびにドキンとする。

 どんなルートでこの列車が走っているのか、まるで分らなかったけど、やがて終着駅の片瀬江ノ島に到着した。大きな駅で、南国っぽいあけっぴろげな感じだ。改札を出て駅舎を振り返ってみて驚いた。

「竜宮城を模してるみたい」

 卓哉君に言われて驚く。日本の企業ってまじめでそんなお遊びなんてしないと思っていたのに。

 七月初旬だともう海開きだ。サーフボードにボディボード、ビーチボール。海で楽しもうと思っている人たちがぞろぞろと流れていくので、私たちもついていく。海岸道路を超えると江の島が見えた。すごい。テレビで見た、そのまんまだ。当たり前だけど、なんだかそう思った。そして、その背景には。


 海だ。


 広い。

 視界の圧倒的面積を占めている。昼前の日差しで水面がキラキラ輝いて、まるでドラマのようで。潮の香りは少し生臭くて、いい匂いとは思わなかったけれど、何度も嗅いだら変わってくるのかな。さざめきのような潮騒の音。BGМはサザンオールスターズの「希望の轍」だ。って、さっきから卓哉くんが鼻歌で歌っていたからだけど。そんなふうにして味覚以外の五感は海の色で飽和していた。

 夏の太平洋って幸せな気持ちを運んでくる。以前、家族旅行で見た日本海とはやはり、何かが違う。


 江の島へ渡る橋を歩き始める。両側が海。吹き抜ける海風が私の髪を揺らしていく。

 江の島は古くから信仰の島だったという。島の向こう側には祠があるというので行ってみた。岩場に板を渡した通路を進んでいくと、波に侵食されてできたと思われる海蝕洞があった。江の島の南側は、すなわち、太平洋しかない。広い。百八十度以上の海が視界いっぱいに広がっている。空は青く、陽ざしが輝いていた。


「灯台、昇ってみよう?」

 私も気になっていた、江の島灯台へ昇ってみる。「エスカー」という有料エスカレーターに乗り、上へ登っていく。有料のエスカレーターは全国でも珍しいらしい。

 シーキャンドル、と名付けられたタワー。回廊になっている展望台からは、これ以上にない夏の海と空が見える。


 夏の海。私の名前。あまり好きじゃなかった。

 だけど、この景色を見たら、がぜん大好きになってくる。

 それに。

 傍らには大好きな卓哉君がいる。

 この時間、この空気。この匂い。

 私は忘れないように記憶に刻み込む。


 そんな作業を無意識無言のうちにしていたら、予想もしていなかった言葉が頭上から舞い降りてきた。


「咲、そろそろ俺たち、ケジメをつけたほうがいいと思う」

 不意にそう言われて卓哉君の顔を見ると、これ以上にないくらい険しい顔をしている。 

 ケジメをつける? ってどういうこと?

 友達以上、恋人未満の、今のあいまいな関係を解消するってことなのかな。

 そうなのかな。

 そう思うと、もう、私の心はそれ以外にないような気がしてきた。


 思えば、ずっと甘えていた。卓哉君の大きな心に頼って、頼りすぎていたのかもしれない。私はまだ、自分の足で歩いていないような子供だった。

 うつむいた私は呼吸を整えるのに必死だった。必死で呼吸を殺して、異変を察知されないように。でも、私の目からはもう、涙の塊があふれ出てきて、そのままダイレクトに床へ落下していく。

 顔を下げたまま黙りこくった私。凍ったように動かないのに気付いて、卓哉くんが「どうしたの?」と声をかけるけど、何も答えられなかった。ただ、黙って首を左右に振った。それで、本格的に私がおかしいと思ったのだろう、「咲、どうしたの」って、私の両肩をつかむ。

「ね。顔を見せて」

 黙って頭を振る。だって、泣いてるんだもん。ブスになってるもん。世界で一番好きな人に、こんな顔、見せられないよ。

 そう思ってたら、卓哉くんが「ごめんよ」と言いながら、私のほおに手を添えて、半ば強引に私の顔を上げさせた。瞳に抱えきれなくなった涙が今度は頬をつたってく。

「ど、どうしたの」

 私の涙を見て、卓哉くんがうろたえてる。どうしたのって、だって、あなたがケジメをつけようって。

「ケジメ、つけるんでしょ」

「うん、そうしたい」

 そう断言されたから、もう私の心は飽和してしまった。涙が後から後からあふれ出てくる。

「卓哉くん、かっこいいし。モテるもんね。私なんか、やっぱり……」

「へ?」

 そこで初めて、卓哉くんは間の抜けたような声を出した。

「あ、えーと。ごめん。咲、なんか勘違いしてるかも」

 そんなこと言われても。何をどう勘違いしているというの?

「だって、あんな怖い顔して、ケジメつけたいって」

「あ……。俺、緊張すると怒ってるような顔になるって言われるんだけど、全然違うから」

 そう言い訳されても、怖い顔されたら誰でもネガティブなほうに考えちゃうよ。

「ごめん。俺の言い方悪かった。その、いつまでも友達のまま、デートらしきことしてて、それはそれで楽しいけれど、俺は咲と、もう少し先に進みたい」


 え。


 それって。それってつまり……なに?


「俺は、咲の、ペルセウスになりたい」


 へ?


 今度は私が間の抜けた声を出すほうだった。

「ペルセウス……? 私は? ……くじら?」

 そう言ったら、卓哉くんが爆笑した。

「さきぃ~~駄目だよ、まじめな顔してそんなボケしないでよ……咲は、アンドロメダに決まってるでしょ」


 そう言われた瞬間、話の骨格がすべてわかり、そして卓哉くんが何を伝えようとしているのかがわかった。


 ギリシャ神話。

 エチオピア王ケフェウス(ケフェウス座)の妃、カシオペア(カシオペア座)はその美貌を自慢したため、海神ポセイドンの怒りに触れてしまった。ポセイドンは災害を起こす怪物を派遣する。ケフェウスはその異変の元凶を神託で知り、災害を鎮めるためには、愛娘であるアンドロメダ(アンドロメダ座)を海の怪物(くじら座)に捧げるしかないことを知る。


 かくして、崖に全裸で縛り付けられた美貌のアンドロメダ。くじらが近づいてくる。


 ところがそこにメデューサ(髪が蛇の魔物。見たものをすべて石に変える)を退治した帰りの勇者ペルセウス(ペルセウス座)がペガサス(ペガスス座)に乗って通りかかる。あまりのアンドロメダの美しさに、ペルセウスはくじらを成敗し、アンドロメダを助け出しエチオペアへ連れ帰った。ケフェウスとカシオペアに結婚の許可を得たペルセウスはアンドロメダを妻とし、子供を成した。そのうちの一人はペルシア王になる。


 つまり、簡単に言うと、私を恋人にしたい、ということ?


 なんだか信じられない。

「えーと……俺、けっこう自信あったんだけど、ダメかなあ……」

「ダメじゃない」

 即答した。

「私、バカだから。回りくどく言われたらわかんないから。だから、はっきり言って」

 悲しくされたことで、私の心の中に少しのいらだちがあったのかもしれない。


「好きだ。恋人に、なってほしい」

 相変わらず、怒ったような表情で、でも、はっきりと卓哉くんは言ってくれた。我慢しようと思っていたのに、再び、涙腺から涙があふれだす。今度はうれしい涙だけれど。

 私が再び泣き出したのを見て、卓哉くんは焦ったようだった。

「ごめん、またなんか地雷ふんだ?」

「ううん、違う。うれしいだけ」

 指で涙をぬぐいながらそういうと、卓哉くんはまだ微妙な顔をしている。

「……どうしたの?」

「……まだ、返事、もらってないんたけど」

 そう言われて恥ずかしくなった。だって、答えは私の中で当然のように決まっていたから。

「私も、好きです。ずっと、前から」

「俺もだよ」

「え……いつから?」

「初めて電話で声聞いた時に、心の中で何かが動いた気がした。決定的だったのは、やっぱり、写真を見たときかな」

「え……」

 私の反応に、どちらかというと憤然として卓哉くんはいう。

「咲は、自分の容姿に自信がないみたいだけど、とてもかわいいよ。少なくとも俺は、咲はかわいいと思う。声とルックスと、もちろん中身も。全部、丸ごと」

 そんなことを言われたら、私の涙腺は生涯最大級の稼働をせざるを得ない。

「泣かないで。俺は咲が悲しまないようにそばにいるから」

 卓哉くんがおずおずと私の肩に手をかける。触られてどきんとする。

「悲しい涙とうれしい涙は、味が違うんだって」

「どんなふうに?」

「悲しいほうは味が濃くてしょっぱい。うれしい涙はさらさらしてて味が薄いんだって」

 どこかで読んだ雑学を披露する間に、心を整えようとしたけれど、それは火に油を注いだ。

「どれどれ」

 そういいながら、卓哉くんが顔を寄せてきて、私のほおに張り付いていた涙を唇で吸ったのだった。

「きゃ」

 そう言ったものの、体は硬直する。

「あ、いけね」

「え?」

「悲しい涙の味がわからないから比べられないや」

「じゃあ、うれしい涙の味を覚えておいて……」

「いや」

 なぜだか卓哉くんは力強く話し始めた。

「俺がずっとそばにいるから、咲はもう、この先、悲しいことなんかない。だから、悲しい涙も流させない」

 もう限界だった。私は勇気を出して卓哉くんの胸の中に飛び込んだ。


*********


 八月五日。卓哉くんの誕生日だ。私はこじんまりと部屋でお祝いしようと考えていたのだけれど、当の本人は「海! 海に行こう!」っていうので、今度は海水浴の準備をして江の島海水浴場へ向かった。その一週間前、私は都内のデパートの水着売り場で、解けることのない方程式を前に苦悩しているような表情で、水着を選んでいた。傍らには卓哉くんもいる。

「もちろん、ビ・キ・ニでね☆」

 その言葉に私は反論できなかった。私たちくらいの年代の女子はほぼ100パーセント、ビキニなのだ。それにワンピースだと逆に体のラインが目立つのかなと思い、覚悟を決めてビキニを選んだ。いくつかの候補の中から卓哉くんが「これがいい」と言ったのは、ピンクをベースにしつつ、花柄が散りばめているもので、ボトムはパレオがついていた。

 試着して見せる。まるで全裸を見られている感じがして恥ずかしさで気が遠くなりそうだった。

「これ、いいよ。かわいい。これが俺はいいな」

 私にはとくに趣向はないから、「わかった、これにする」と言ってすぐにカーテンを引く。


 過去のいきさつが脳内をかけめぐる。でも、もう、私はそのとき買った水着に着替えて海の家の脱衣所から出なければいけないのだ。初めてのビキニを着て。どうしても気になって体の前を腕で覆いながら外へ出ると卓哉くんが待っていた。

「明るい中で見ると違うね。前よりいいよ」

「……そう?」

 疑り深い目で見ていたのかもしれない。またまた、卓哉君がまっすぐ私を見て伝えてくれる。

「咲はどう思っているのかわかんないけど……その……とても素敵だよ。女の子らしいラインもきれいで」

「やだっ、もうっ、見ないでっ」

 思わず言ってしまうと、「見ちゃうよ、そんなにきれいなんだから」って言ってくれた。でも。

「じっと胸見られるの恥ずかしい」

「あ。。。ごめん。でも、うん」

 なんだかよくわからない返事をしている。

「咲の胸のライン、きれいだから」

 唐突に卓哉くんが言ったものだから、「もう、エッチ! 変態! すけべ!」って思わずバシバシ叩いてしまった。だけど、彼はそれに動じず「いや、そういうんじゃなくて。確かに俺は、咲の胸を見てたけど、エッチな気持ちじゃなくてさ。ただ、きれいな曲線だなあって。美術の教科書に載ってた彫像みたいだなあって」

「え。。卓哉君、それ、ほめすぎてて、信憑性逆にない」

「そう言われてもそう思ったから、じっと見ちゃった」

 そんなふうに言われたら顔を赤くして、うなづくしかなかった。


 穏やかでほとんど波のない夏の海。周りにはたくさんのビキニの女の子。ワンピースを着てたらかなり目立ってるところだった。

 二人でデッキチェアとビーチパラソルを借りて、いっぱしのサマーリゾートみたいな感じにしてみる。デッキチェアの真ん中にある小さなデスクにはカクテル。本当はダメだけどこんなシチュエーションでブルーハワイみたいなお酒を飲むのに少し憧れがあったから。

 なんだか唐突に頭の中に「彼氏と夏の海で遊んでいる」っていうキーワードが浮かんで、自分で信じられなくなる。しかし、それを実感したのは夕暮れだった。

 波打ち際で、海の中で、浜辺で二人で遊んで日焼けして。海の家でカレーライスを食べて。正統派の夏の海を満喫していたら、いつのまにか陽は傾いてきていた。

 夕暮れ時。西の空がオレンジ色に染まり、富士山のシルエットを浮かび上がらせる。きらきらと輝く光が海の上に一本の道を形作っていく。私はほおけたようにその夕焼けを眺めていたら、卓哉くんが隣に来て「きれいだね」と言った。

「うん」何の気なしにそう返事したら、「でも、咲のほうがきれいだよ」なんて言うから、「もう、からかわないで」って彼に向きなおったら、抱きすくめられて。私はそのまま固まってしまった。

「誕生日プレゼント、もらうね」

 視線と視線はつながったまま。卓哉くんが近づいてくる。私は目を閉じた。

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