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冬のペディキュア  作者: ふなはしけんた
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シルバーリングの意味

 夏が終わり秋が過ぎて、長野と北海道では雪が降り積もりはじめる頃、私たちはお互いのデータを交換していた。

 桜井卓哉くん。八月五日生まれ。身長一七五センチ、体重は六十八キロ。中肉中背。札幌の道立高校普通科在学。彼女は……いないそう。部活はバトミントン。え。天文部じゃなかったの?

「一応在籍してるけど、身体も動かしたかったから。そうそう、咲ちゃんの名字って素敵だね。芸能人みたい」

 鮮やかに話題が転換した。私の名字を初めて聞いた人はたいていそういう反応をする。夏の海と書いて「なつうみ」。だから、私のフルネームは「なつうみさき」。まるでアイドルの芸名みたいだ。ルックスが地味だから名前負けしてるような気がして、私は自分の名前があまり好きじゃなかった。

 身長は一五三センチ。体重は絶対教えないけれど、決して太っていない、と拓哉くんに力説したら、笑っていた。髪型は肩を少し超えるストレート。もちろん黒髪。私立女子高に中学から通っている。そして誕生日は。

「え。クリスマスイブ?」

「そうなの。だから、クリスマスプレゼントと誕生日プレゼントとお年玉を一度で済まされそうになっちゃう」

「そりゃ、ダメだよ。断固として要求しなきゃ」なんて一昔前の労働運動みたいな口ぶりで拓哉くんが言ってくれるのがおかしい。

 模試の結果も良くなってきた。私の場合、卓哉くんの存在が心の安定につながって、勉強に集中できるみたいだ。そして、私の誕生日。家族が祝ってくれる時間もあるので、夜十時に電話してもらうことになった。もちろん、母への根回しは済ませている。え、父? 当家の場合、母に話を通しておくと大丈夫な構造になっている。ふふ。

 予備校から夕食前に帰宅したら、「何か届いてるわよ」と母に言われた。

 何か? 

 何だろう。それは小さな小包だった。送り主は卓哉くんだ。さらにいうと、封書も。急いで開けようとしたときに夕食に呼ばれてしまい、そこからケーキの時間まで一時間半も拘束されてしまった。その間私の意識はずっと、自室の机の上に置いてある、卓哉くんからの小包と封書にあった。

「咲、心ここにあらずって感じね。まだあれを開けてないの?」

「……うん」

「もういいから、いってらっしゃい」

 母に言われてすぐに自室へ戻った。ハガキより一回りほど大きい。厚みは三センチ程度。振ってもなにも音はしない。箱を開ける。そこにはクラシカルなフォトフレームが入っていた。机の上に飾るものだ。その中には特に説明する手紙は入っていなかった。ということは、もう一つの封書?

 その封書をペーパーナイフで開ける。便箋が二枚ともう一つ紙片が入っている。取り出して、一目見て、心の奥底が震えるような気がした。柔らかな笑みをたたえた、男の子が写っている写真だった。もしや、これが卓哉くん? 同封の手紙を読む。


「Dear 咲ちゃん。

 紙の手紙を出すのは初めてだよね。誕生日プレゼントとクリスマスプレゼント、何がいいのか考えに考えました。まだ、僕たちは声しか知らない間柄だから、あまり重いものを送るべきじゃないし、でも、もう、メール交換という名の「文通」を二年近く続けていて、電話で話すようになってから四ヶ月経つし、そろそろ僕自身の写真を送ろうと思いました。フォトフレームと写真。飾ってほしいっていう意味ではないんだけど、そうなったらいいなあって、少しは思っています。それでここからはお願いです。僕にお年玉をください。咲ちゃんの写真がほしいなって思っています。受験まであと二ヶ月。お互い悔いのないようにがんばろう。そして、来年の春に、東京で会えたらいいなって思っています。

 Happy Birthday & Merry Christmas!」


 一気に読みきって、それで嬉しいときにも涙は出るんだって知った。卓哉くんはやや面長で鼻筋の通った顔をしている。印象的なのはその目。きれいな二重瞼で大きな眼差しがまっすぐ私を射抜いていた。簡単にいうと「イケメン」。こんな素敵な人だったんだ。私の心は瞬間湯沸かし器のように沸騰したけれど、次の瞬間零下になった。

 卓哉くんは私の写真がほしいって書いてきていた。夜十時の電話に間に合うように急いでお風呂に入っている間中、そのことについてずっと考えていた。

 でも。

 写真を送らない、という判断はなかった。彼は送ってきてくれた。そして、私の写真が欲しいと言っている。これまでどのくらい世話になったのかわからないのだから、写真くらい送らないといけない。だけれども、私の写真を見て、私の実像を見て、がっかりしないだろうか。今までつながっていたものが失われるんじゃないか。それが無性に心配になってきた。


 十時。ぴったりに電話がかかってきた。

「もしもし……」

「桜井です。着いた?」

「ん……」

「……あれ、ちょっと狙いすぎたかな……咲ちゃん、困ってる?」

「ううん、違うの……卓哉くん、かっこいいね」

「そう? ありがとう。まるでモテないけど」

 あはははって笑ってる。

「机に飾っていいの?」

「そりゃ、そうしてくれたらうれしいけど……いいの?」

「うん」

 そのあと、この話題だと私が沈んでいるのが伝わったのか、受験勉強の様子やお正月の過ごし方、そして最終の志望校の話をした。そういう情報は有意義だし私も積極的に話をした。だけど。心の奥に写真を送らないといけない、という重しが残っていた。

「今夜はちょっと遅かったからこのへんで切るね。お誕生日おめでとう。そしてメリークリスマス!」

「ありがとう。メリークリスマス!」

 そう唱和したけれど、私の心は沈んでいた。それでも、なるべくかわいく撮りたいから、町に唯一ある写真館に行って撮ってもらった。服装に悩んだけれど、制服にした。急いで仕上げてもらって、年賀状と同じように元旦に着くように。私の目よりも母の目のほうが確かなので、出来上がった写真を見せると「あら、お見合い写真によさそうね」という感想だったので、悪くはないと判断した。年賀状の文面とともに、その写真を封筒に入れ、表面に「年賀」と赤字で書く。

 十二月二十七日のメールで「送りました」と伝えたら、「とても楽しみにしています」と返事が来た。この年の年末年始は受験ではなくて、もしかしたら彼とのことが重圧だったかもしれない。

 年越しはジャニーズのカウントダウンコンサート。ファンのアーティストがいるわけじゃないけれど、ほかに興味がわかなくて。でも、番組中に確実にテンカウントしてくれる番組を選んだ。両親は紅白からゆく年くる年をみていたみたいだ。

 年が明けると同時にメールソフトに着信のアラート音が鳴った。誰だろう。もしやと思っていたけれど、卓哉くんからだった。

「あけましておめでとう。一足先に伝えます。三が日は家族で過ごしたいだろうから、三日の夜九時に電話してもいいかな?」

 短くそう書かれていた。三日。私の写真は元旦に届く。私の実像を見てどう思うだろう。中学から女子高で同年代の男子との接触がほとんどない私は自分自身にまったく自信がなかった。

 元旦、二日。毎年、いつもならお正月の特番を見ながら笑っていた私だけれど、今年は無理だった。卓哉くんがどんな態度で電話してくるのかを想像すると、ネガティブなことしか思い浮かばない。つらいこと、悲しいことが予想されるとき、いち早く心の中で想像して、耐性をつけようとしてしまう。それが私がこれまでの人生で培った、心の保護の仕方だった。

 それに。そもそも電話がかかってこないかもしれない。終わりを告げられず、ずっと私は一人ぼっちで放置され続けるのかもしれない。

 思うこと考えることがこれ以上になく暗い方向へ行ってしまう。気晴らしに勉強でもするかと思っても一行も頭に入らない。気付いたらパソコンで彼の作ったホームページを眺めていた。

 この画面の向こう側に彼がいる。かたわらに飾った彼の写真。ジリジリと心がすりつぶされていくような感覚に襲われる。大きくため息をつく。

 三日になった。朝から何も考えられない。ぼんやりと机に向かうものの、私はまさに「生ける屍」になっていた。この日は何をしていたのか、まるで覚えていない。ただ、九時に間に合うようにお風呂に入ることだけを考えていた。

 かかってこないかもしれない。でも、これまでの私と卓哉くんとのつながりだったら、もしかしたらかかってくるかもしれない。頭の中で綱引きを演じながら、電話機をにらんでいる。

 私は五分前から電話の前にいた。これまで、彼からの電話はほぼ予告時間ぴったりにかかってきていた。

 掛け時計の秒針がグラウンドを駆けるようにめぐる。刻まれていく地球の自転が私の心を重くしていく。ああ、あと十秒だ、というとき、電話機が鳴った。ワンコールで取る。「もしもし」

「あけまして、おめでとー」

 受話器の向こう側からは、これ以上になく能天気な卓哉君の声が聞こえてきて、私は虚脱感と安心感がないまぜになってへなへなと椅子から崩れておちた。

「ん、ガタガタしてるけど、どうしたの?」

「……なんでも、ないよ」そう言いながらも、心の奥底から湧き上がってくる涙の塊を押しとどめることができなかった。がんばれ、気付かれないように。そう思うけれど。

「どうしたの?」卓哉くんが聞いてくる。私は嗚咽を止めることが出来なかった。

「もしかして、泣いてるの……どうしたの? 何があった?」焦った感じで卓哉くんが聞いてくる。私はやっとのことで答えた。

「電話、かかってこないかと……思ってた……」

 そう言いながら、私は卓哉くんのことがどうしようもなく好きになっていることに気付いた。

「へ? どうして?」

「だって、私かわいくないし……自信ないし……」泣きじゃくりながらやっとのことでそれだけ伝えたら、卓哉くんがこれまでとは違う感じで話し始めた。

「咲。自信をもって。咲はかわいいよ。もらった写真、すごくかわいいよ。さっそく机に飾ってみたら、咲の優しそうな視線に力づけられたみたいで、勉強がとてもはかどるんだ。かあさんには『あら、だあれ、このかわいこちゃんは』なんて言われたし。だから、自信持って。今の俺は、この子に会うために東京へ行くために勉強するんだってがんばってるよ」

「ホント?……ホントに?」

「うん。だから、春になったら東京で会いたい。だから、がんばろ?」

「うん」

 最後のほうは私のほおも緩んでいた。私、認められた。それに「咲」って。「咲」って呼ばれた。まるで彼女を呼ぶみたいに。自分の名前がいっぺんに好きになった。

 卓哉くんに会いたいって言われた。私の写真を見て、それでも会いたいって言ってくれた。私の態度から、私の好意は彼には伝わっているはず。だけれど、それを隠せるほど私は器用じゃなかった。私もがんばろう。春に。四月に彼と同じ場所に立てるように。

 机に飾った彼の写真は私を鼓舞してくれた。あれほど不安定だった心は彼からの電話のあと、碇を下したようにずっしりと安定した。メールと電話と。それ以降ももちろんやりとりをして、受験に取り組んだ。

 そして、私たちはお互い、第一志望の大学に合格した。


 三月になると、私は母と一緒に上京した。一人暮らしの部屋を探すためだ。そして、その時に。卓哉くんと会うことになっていた。彼もお母さんと部屋を探すために上京するというので、ご挨拶かたがた会うことになった。目白駅が待ち合わせ場所。

 母はすでに私と彼のことは知っていた。私がどれだけ彼を信頼しているのかはわかっているようだった。そのいきさつを教えていた。二年半の「文通」と、八か月の電話で。

彼の作ったホームページを見せのが一番良かったようだ。星の話を散りばめたホームページは、母の心も打ったようだった。

「咲を女子高にやって、失敗だったかなあって思ったこともあるの。あなた引っ込み思案だし、男の子に免疫なさそうだから、それじゃあこの先困るなあって思ってたんだけど。彼が咲のことを変えてくれてたみたいだから安心してるのよ」

 母はそう言っていた。

 通りいっぺんのあいさつのあと、不動産屋に行く。最初はまるで考えもしていなかった結論に、三十分のうちにたどり着いた。

 母は一応「オートロックのあるマンション」で、「電車で20分以内」という条件で探していた。私が通う大学と、卓哉くんの通う大学は同じじゃないけれど、山手線で三駅の近さだった。だから、必然的に住みたいエリアも重なってくる。それで。

「今日出てきた物件だから、部屋は選び放題だよ」という不動産屋の煽り文句に私たちは乗せられてしまったのかもしれない。

「桜井さん。初めてお会いして不躾なお願いなんですが、咲は女子高育ちなせいで引っ込み思案で心配なんです。でも、おたくの卓哉くんにとても信頼を寄せているようですから、ぜひボディガード役をしてもらいたいな、なんて」

「お母さん!」

 言うに事欠いてなんてこと言い出すんだって思ったけれど、卓哉くんの「任せてください。咲ちゃんのことは僕が守ります」って言葉で終了してしまった。卓哉くんのお母さんは苦笑いしてて「あんた、そんな大役大丈夫?」なんて聞かれていた。


 私と卓哉くんは同じマンション、同じフロアの部屋を選んだ。

「本当にいいんですか?」卓哉くんのお母さんが心配そうに聞いている。「なんでそんなに心配するんだよ」と卓哉くんが不満げに抗議しているけれど。

「二人はもう二年以上の"つきあい"ですし。それに私たちが東京で監視するわけにもいきませんよ。こういうのは、なるようになるもんです」

 お母さんが言っている。どういうこと?

「二人とも長い付き合いで、受験を突破したんだから。あとは二人の意思にまかせましょう」

「そうですね、夏海さんがそうおっしゃるのなら……、卓哉、しっかり彼女を守るのよ」

 親同士がよくわからない同意ののち、部屋の契約、引っ越し準備、引っ越し。

 三月二十八日。区役所で手続きをして私は東京の住人になった。


 春から梅雨にかけてはお互いの学園生活に慣れるのに必死で、いや、東京という世界有数の大都会のペースに慣れるのに必死で毎日が過ぎていった。それでも私たちは週に二度は会って、東京の街を散歩した。

 池袋、新宿、渋谷。

 お互いが初めて歩いた街を紹介しあうといった感じで。それはデートというのだろうか。わからない。でも、最初は微妙な空隙だったものが、手をつなぎ、腕を組んで歩くようになったから、デートだと思う。


 頭の中で過去を反芻していた私。我に返る。歩美の質問だった。


「咲はなにしてたの? クリスマスイブ」

 またもやいじわるそうな質問を歩美が投げかけてくる。

 イブ。私の誕生日。

「部屋にいたよ」

 それは事実だった。あの日は……。言おうか言うまいか躊躇する。円満な学園生活のために、私はもてないキャラを演じたほうがいいのだろうか。そうしたら。

「彼氏といたんだよね」

 瑞希があっさりバラした。その瞬間、歩美の顔が少しゆがんだことに気付く。

「え……彼氏……? いるの?」

「うん」

「だって、そんなの聞いてないし」

「聞かれてないし」

 そうなのだ。誰も私には彼氏なんていないと思い込んで、決めつけていた。

「彼と部屋にいたってこと?」

「そう」

 そのとき、静香の目が私の指に注がれているのに気付いた。

「その指輪……去年つけてなかったよね」

「あ、うん」

 それを聞いて歩美が「ちょっと見せて」と私の手を強引にひっぱってく。瑞希の顔が険しい。

「これ、シルバー?」

 右手の薬指を見ながら、すこしあざ笑うような感じで歩美が言ったから、いくら温厚な私でもイライラが募ってきた。卓哉くんのプレゼント。私が抗議しようといた瞬間、瑞希が低い声で話し始めた。

「イブはね。咲の誕生日でもあるの。十九歳の誕生日。古来、欧米では十九歳の誕生日には銀の指輪を送る風習があるのよ。知らないの?」

 そう言い切ると、歩美のグループは沈黙した。

「父親の場合もあるし、恋人の場合もあるけれど、シルバーは月の化身と考えられていて、その人にふりかかる邪悪なものを浄化するって考えられているの。あなたたちの好きなゴールドでも、プラチナでもなく、シルバーにしかない力よ。そういう話を咲の彼氏は知っていてあえて贈ったの。さすが天文学で結びついた二人だなあって思ったわ。とてもロマンティックで、知的。私の彼にも見習ってほしいくらい」

 瑞希がこれ以上になく核心をついた発言をして歩美は完全に表情が固まった。

「ほんとに彼氏いるの?」なんて失礼極まりない質問を美穂がしたから、「写真みせてあげたら」と瑞希に言われたので、手帳に入れてあった写真を見せた。

 二人で並んで撮ったプリクラ。どう見ても卓哉くんはイケメンで。しかも、その写真で私は卓哉くんに肩を抱かれて頬と頬をくっつけていた。

 四人はその写真を見て沈黙した。最後になんとかイチャモンをつけようというのか、歩美が「彼氏は学校、どこ?」と聞いたので、「早稲田の政経」って答えたら、今度こそ四人はお通夜のような顔になってしまった。 


「ごめんね、咲。あまりにむかついちゃったから、私の精神衛生を保つために攻撃的になっちゃって」

 瑞希が笑いながら言っている。あのあと、「ノートなら、例によって男に借りたら?」って駄目押しの一撃を放って、席を立ってきたのだ。

「んーん、私も同じこと言いたかったから、代わりに言ってくれて助かった」

 そういうと、瑞希は「咲も強くなってきたね」って、笑って頭を撫でてくれた。

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