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メリークリスマス・アンハッピーガイ

作者: 油脂ナッツ

メリークリスマス、親愛なるどこかの誰か。


 頬をはたかれたような感じがして目が覚めた。


 勢いよくベッドから身を起こし、数瞬遅れて朝の冷気に身を震わせる。


 いつの間にか、涼しげで心地よかった時節も過ぎ、季節は肌寒い朝にまどろみを名残惜しませる真冬へと変わっていた。


 時刻は午前6時30分。鳴り響いていたスマホのアラームを止めて、意識が明瞭になってきたころ、不意に現実が俺のこころを刺した。


 思い出したのだ。たった二行の伝言を。


 固く繋いでいた手が刹那見ぬ間に腐り果てたようなあの感覚を。


『私、他に好きな人できちゃった。だから、そういうわけでお願い』

 

 心臓を万力で締め上げられたような圧迫感に襲われ、眩暈が起きた。気を失いはしなかったが、その場で力なく座り込んだのを覚えている。


 別れよう、とは書かれていなかった。


 それだけが救いであったが、同時に呪いでもあった。


 ドッキリなのではないか、罰ゲームで送らされたのではないか、愛を試されているのか、なんて未練たらたらで気持ちの悪い妄想もした。


 フられた、という現実に直面したくない一心であったが、意を決して彼女に電話をかけてみた。


 その数十七回。一日でだ。我ながら呆れる。


 これではまるでストーカーではないか。いやしかしちゃんとかける時間帯は分けた。仕方がないじゃないか、たった一回も出てくれなかったのだから。


 ……それが自分への言い訳にしかなっていないことに気付き、自分に嫌気がさして辞めた。


 結局彼女の友人に頼み込んで聞いてもらったところ、「運命の人と出会えた」と喜んでいた、とのことだ。


 思い返すたびに胸が苦しくなる。


 俺は二度寝を決行した。


 午前8時30分。


 ベットから這い出て、まず暖房をつけた。駆動音の静けさが何となく寂しい。


 テレビをつけた。どうやら大雪注意報が出ているらしい。あ、中継しているニュースキャスターさんが滑って転んだ。


 テレビの画面ごしに、クリスマスシーズン到来に乗じているらしい商店街のにぎやかさが伝わってくる。


 開店30分前の話題のケーキ屋には、すでに人だかりができているようだ。見て取れる範囲では大半が女性だ。


 たまに男性も目に映るが、隣にいる女性とぴったりくっついているところから推察すると、カップルだろう。


 

 ……………………。



 テレビを消した。リモコンを持つ手は若干震えていた。

 どうにも気分転換がしたくなった。


 散歩でもしようか。


 俺はてきぱきと着替えると、その上に防寒具を着込んで積雪している道路へ足を踏み出した。


 滑らないように、しっかり足に力を込めて歩く。


 特に行きたいところなどない。しかしふと思いついた。


 近くの公園には大きめの池があるのだが、この寒さで凍ってはいないだろうか、と。


 見たいから行くのではない。


 見に行く理由があるわけでもない。


 ただ、ここで公園のことを思いつかなかったなら、きっと俺は回れ右でもして、そのまま家に帰っていたに違いない。

 



 吐き出す息は今なお降り続ける雪のように白く色づいて、タバコの煙のように消えていった。


 ザクザク、と雪を踏みしめる音が何となく心地よい。


 つむじあたりに薄く積もった雪を片手で払い落とし、もっと着込んどけばよかった、と後悔したころ、いつの間にか例の公園についていた。


 池の水は凍っていた。予想通りではあったが、これといった達成感が得られるわけでもなく、踵を返して帰路へ足を運んだ。


 途中でコンビニエンスストアに立ち寄って、手持ち無沙汰に右往左往して五分ほど時間をつぶしていたところ、お菓子コーナーに「あくまのおやつ」を発見した。


 わずかながら、感情が高揚した。


 これはいわゆる辛味スナック菓子であり、俺は小学生の時から好んで食していた。思い出のお菓子、というやつだ。


 しかし近くのスーパーが販売するのをやめてからは、それっきり食べる機会が減っていき、ここ数年は目にすることさえなかった。


 存在自体忘れていた時期もあった。


 最初は何かの罰ゲームで食べさせられたんだったか。


 舌にフォークをぶっ刺されたのかと錯覚するほどの辛さで、幼いころの俺は「舌が出血した!」とパニックになったっけ。


 だがその強烈な刺激に魅せられて、「舌がおかしくなるよ」との親の忠告も無視して口にしていたものだ。


 おかげで俺は、辛くないものにあんまり食欲がわかない不健康児になっちゃいましたとさ。


 マスタードにラー油はもちろん、トウガラシに西洋わさび、日本わさびなどを日々使い分けて食事に使用している。そこ、過剰摂取っていうな。


 ジョロキアは無理。いやほんと無理。


 あれは辛味中毒者が愛用する奴だから。


 まだ辛味中毒者じゃないんだよ俺。ラー油をコップいっぱいに入れて一気飲みするでもしないと満足できない、とか平気で言うような人外魔境には足踏み入れてないんだって! 


 彼女からは散々呆れられていたけれど、自分の嗜好を押し付けたことなんて一度も、



 ……………………帰ろう。



 五袋ほど「あくまのおやつ」を購入することにした。


 家に帰ったらゆっくり味わうとしよう。


「袋、いりますか?」

「お願いします」


これが今日初めての会話だった。


 ほかに客はおらず、店内に流れる音楽の陽気さにもかかわらず、機械的で事務的な声と平坦で色を失ったような声がやけに店内に響いていた。


 店員はこちらを憐れむような眼をしていた。


 きっと俺も、そうしていたに違いない。




 さて、俺はひとつ、長い間勘違いをしていたのかもしれない。いや、思い違い、というべきか。それとも単なる思いつき、のほうが正しいかもしれない。


「あくまのおやつ」は、悪魔が作ったのかと言いたくなるような辛さをしている。正直に言って製作者の悪意を感じる。


 パッケージにプリントされている悪魔は、悪だくみでもしていそうな笑顔をこちらに向けている。


 俺は一袋「あくまのおやつ」を開封し、歩きながら懐かしの味を口に放り込んだ。


 一口食べればほら、人によっては地獄の始まりだ。


 刺すような痛みが駆け抜けると同時に、あまりの痛さに舌の上で暴れる悪魔を幻視した。


 なるほどまさに「あくまのおやつ」だ。


 思い出補正なんてなまぬるいものはなかった。辛味に慣れた今の自分でもなかなかにきついなんて、何かの冗談じゃないだろうか。


 もう一度パッケージの悪魔に視線を戻すと、心なしか笑みが深まっているように見える。


 人に苦痛を与えることしか念頭にないようなお菓子を創り出した製菓会社員は、相当精神が悪魔に寄っているようだ。




 だが、これを食べる人が悶絶している姿を目にして、周囲が愉快そうに笑っているさまこそ本当の、「悪魔」なのではないか、と今さらながらに思うのだった。




 昼ご飯はデリバリーのクリスマスセットだ。


 ピザにチキンナゲット、フライドポテトにコーラ。


 ちゃんと一人分だ。当然のようにクリスマスセットが二人前かそれ以上の量になっている店は見習ってほしい。クリスマスに多人数で過ごすことを前提にするなバーカ。


 マスタードをたっぷりつけたチキンナゲットにかじりつこうとしたその時だった。


 玄関のチャイムが鳴った。


 頭より先に身体が動いていた。はじかれたように立ち上がり、出しうる最高速をもって玄関までたどり着く。

 

 一縷の望みをかけてのぞき穴に目を近づけた。


 この時俺の息は上がっていた。


 彼女が来てくれたかもしれない、という緊張ゆえか、ろくに運動してない身で急に全速力を出したがゆえか、それともその両方か。


「…………あ」


 思い出した。


 ケーキを、頼んでいたのだ。


 この時、この時間に、届くように。


 二人だけのクリスマスを、分かち合いたくて、一番大きなサイズのホールケーキを。


「こんな量食べきれないよ」なんて微笑みながら、隣で、幸せを頬張りたくて。噛みしめたくて。


 とっておきのサプライズになりますようにって、伝えないままにしていた。


 君の驚いた顔が、喜んだ顔が見たくて。


 メリークリスマス

 

 その一言さえ、俺には伝える権利はないようだ。







 一口目、口の中にクリームの甘ったるい味が広がった。

 おいしい、とは感じるが、それ以上の感想がどうにもわいてこない。

 



 二口目の後、唇の周りについたクリームを舌でなめとった。どうしようもないほどに涙の味がした。




 三口目を終え、ケーキは小分けにして冷蔵庫にしまった。




 もう、おなかはいっぱいだった。


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