剣式(ソード・ロジック)
◇
正面から三体のゴブリンが向かってくる。
『ギョハァッ!』
『ギヒイッ!』
『イギッ!』
知性の欠片も無い叫び声に、欲望を滾らせた濁った眼。こん棒や錆びた剣を持ち、威嚇するように振り回している。
「アルド、剣式を意識!」
「はい、師匠!」
背後から冷静なジラールの指示が飛ぶ。
後ろ10メルの位置には馬車が停まっている。馬車の荷台にはエルリアと傷ついた黒山羊のペーター君、その家族たちが乗っている。
一夜明け、僕たちは森の番人こと『木こりギルド』の拠点へ向かう途中だった。
馬車が足止めされたのは森の中のすこし開けた場所。東西を貫く林道へ向かうため、近道を選んだ事が仇となり魔物に遭遇した。
御者を務めるジラールは手綱を握ったまま、戦いの推移を見守っている。
今は前衛である僕が絶対阻止ライン。ここは死守しなきゃならない。
――剣式、ソード・ロジック。
正式には『剣術理論から導かれる戦闘術式』という。
それは騎士や戦士が学ぶ「剣術」の枠に囚われない戦闘理論。
剣式という呼び方は、「勝利への方程式」の意味が込められているらしい。
野戦や市街戦など状況に応じた剣による戦い方の極意。考え方は、味方の有無、敵の数、敵の能力、魔法の有無。それに天候や地面の状態、さらには己の力量や疲労具合など、ありとあらゆる状況を考えに入れて瞬時に戦術を編むことだ。
けれど僕にはまだ使いこなせない。知識も経験も足りないからだ。
ただ、ジラールが剣術の修行の後、聞かせてくれたことがある。戦闘経験から得られた戦いの極意。最適な剣の振り方、戦いの進め方。敵の行動を予見し、リズムを見極めることなどなどだ。
一番大切な事は、常に冷静であること。勝利に対する謙虚で前向きな姿勢、負けないという強い意志を持つこと。そうした心構えが大切だと。
初めは単なる昔話か思い出話かと思っていた。けれど違っていた。来たるべき実戦を見据えた秘伝――剣式の伝授だったんだ。
「敵をすべて斬り倒そうと思うな」
「わかりました!」
呼吸を整え、ジラールから託された短剣を両手で構える。
状況を整理する。
許された時間はせいぜい瞬き一回分。
時刻は朝の9時、東から昇った太陽を背負っている事は、此方に有利。
敵は三体、いまのところ狙いは僕。
足下は踝を覆い隠す高さの草が生い茂り、朝露で湿っている。気を抜くと滑ってしまう。
朝露を蹴散らしながら迫るゴブリンとの距離はおよそ10メル。左手から来る個体が僅かに速い。
ゴブリンは昨夜とは色が違う。灰色が一体、緑色が二体。おそらく銀貨と銅貨の魔物だ。
ここまで来る途中、何度か遭遇した魔物との戦いを経て、倒すコツはつかめた。
銅貨の魔物――スライムや大ナメクジなら中心核、体の中心部分でぼんやり光る部位を突き刺す。
小鬼や大鬼だとそれは無い。
頭を狙わなきゃ倒せない。
僕が狙うのは急所であるゴブリンの頭部。
斧に比べて短剣は握りやすくて振り回しやすい。反面、軽くて相手を叩き斬るには重さが足りない。
ジラールは重い長剣を軽々と振り回し、まさに一刀両断。真っ二つにして倒してしまった。
刃先の重量で「叩き割る」ことが出来る斧と違って、短剣では「斬る」か「突く」のが基本となる。慣れるまではこれで苦戦した。
頭部を叩き潰すには、素早い振りによる加速で威力を倍加するしかない。
『ギッシャアア!』
まず一体目、ゴブリンが振り下ろしたこん棒の軌道を見極め、最小限の動作で避ける。
「とっ……!」
操作に連続性を持たせ、身体をひねる。そして両腕で加速させた短剣の刃先を、側頭部に叩きつける。
ゴリッ……! という嫌な手応えとともに、ゴブリンの左側頭部から紫色の泡が噴出する。
『ギョノレェ!』
灰色の身体が頭からドロドロと崩れ落ちるのを横目で確認しつつ、間近に迫る二体目を迎撃する動作へ移行。
左側に振り抜いた剣先を、流れるような動作で腕を回しながら頭上を経て右後ろへ、そして右手に剣を持ち替える。この時、絶対に相手から目を離さない。
二匹目のこん棒は簡単に避けられた。空振りしてドスンと地面をえぐる。
「はあッ」
『……ッ!』
タイミングを見計らい、右腕のリーチを活かし剣を振る。がら空きになっていたゴブリンの頸を切断すると、剣は抵抗もなく抜けた。
声を上げる事も無く、二体目のゴブリンも泡となって消えた。
相手は魔物、人間じゃない。
けれど頭部が弱点という事は同じ。
でも胸に在るはずの心臓を狙うのは危険だと、ジラールは言った。連中は硬貨から生まれた魔物。生き物の形を成していても、心臓や肺がその位置にあるとは限らない。だけど頭部は別。硬貨の実体が脳の中心にあるからだ。
眉間の奥、こめかみの真横。そこに衝撃を与えることでダメージを与え、魔女の呪法で囚われた硬貨を開放することが出来る。
残るは一体!
――あれ、消えた?
「アル、対空戦!」
ジラールが叫んだ。
「上!?」
『キッショァアアア!』
三体目は上から襲ってきた。錆びたボロボロの剣を高く振り上げている。二匹目の背後から忍び寄り、倒れた背中を踏み台にして跳んだのか。
落下軌道は変えられない。予測は簡単だ。突き刺すか、切り伏せるか――。
どちらでも確実に仕留められる。
いや、ダメだ!
上から飛びかかってくる勢いを、まともに相手にするのは危険。防具らしい防具を着けていない今の僕は、怪我を負う可能背がある。
剣式を変更、ここは「まともにやり合わない」。
「はっ……!」
僕はサイドステップを踏んで真横に避けた。落下予想地点から距離を取りゴブリンの落下を待つ。
『ギョッ!?』
獲物を見失ったゴブリンは、下手に勢いをつけて飛んだのが裏目に出た。着地した途端に足を滑らせ体勢を崩す。
――ここだ!
『ゲヒッ』
僕は踵を返すようにして地面を蹴った。駆け抜けざまに側頭部へ一撃を入れる。
振り向くと、ゴブリンは紫色の泡に包まれ崩れていた。
「ふぅ、剣式終了」
「よくやった、アル」
馬車がゆっくりと動き、近くまで来たジラールが及第点だと褒めてくれた。
怪我をしないのが基本。
無理をしなかったのが良かったみたい。
「うん、今回はまぁまぁの出来だったと思う」
「だが三匹目から目を離したな。動きを目で追わず視界のすみで認識するだけでもいい」
「難しいなぁ……」
「だが大分よくなってきた」
「はいっ」
倒した三体のゴブリンたちは、紫色の泡から銀貨、銅貨へと戻っていく。剣先で弾いて地面から拾い上げ、革袋に入れる。
ジャラジャラと振ってみると、結構貯まった感じだ。
でも、これは僕のじゃない。あとで王国に返さないといけない大切なお金だ。
「……ひやひや、心配」
「そう? 結構上手く出来たと思うけど」
「……次はエルも戦う」
「だめだよ、エルは黒山羊たちのお守りをしてて」
「……ぶぅ」
エルリアは頬を膨らませた。さっきも僕の戦っぷりを心配そうに見ていた。イザというときに助太刀出来るようにと万能武器のフライパンを握りながら。
鉄製のフライパンは殴ってよし、守ってよし。女の子には扱いやすい武器だと、ジラールのお墨付きらしい。
「さぁ進むぞ、あと半刻も進めば木こりギルドの砦だ」
何度か魔物に遭遇しながらも馬車は西へ進み、やがて森の入り口付近までやって来た。王都の方からは灰色の煙がたち昇り、上空の空をどんよりと漂っている。
「王都は大丈夫かな」
「大勢の兵士や騎士たちがいる。一方的にやられるはずも……」
御者席でジラールの横に座り会話を交わしていると、師匠が森の入り口の方に険しい視線を向けた。
「……アル、戦いの準備を。嫌な臭いがする」
「は、はいっ」
<つづく>