黒山羊のペーター君
薪を割るなら力は必要ない。
木目と木の繊維の流れを見て、刃先を入れるだけ。
あとの力は最低限、刀身の重さで落とし込む。
それがジラールの教えてくれた「薪割りの極意」だった。
『――ギッ!? アッ』
真上から落とした斧の刃先が、ゴブリンの脳天に深々と食い込んだ。そのまま重さに任せて振り下ろすと、何の抵抗もなく刀身が抜けた。
ゴブリンはほとんど悲鳴をあげることもなく、絶命。ばっくりと割れた頭の断面から紫色の泡を噴き出しながら溶けた。
頭から顔、首と肩、そして胸と両腕と、一呼吸ほどの間にドロドロと溶けて分解。あっという間に全身が紫色の泡となり、やがて黒い灰となって消えた。
――倒した……!
やった、僕はやれた。
恐ろしい魔物、ゴブリンを倒したのだ。
けれど喜んでいる場合じゃない。
斧を振り下ろした残心の構えを、次の動きへと繋げる。
後ろではエルリアが、もう一匹のゴブリンを相手に奮闘してくれていた。エルリアは素手で武器なんて持っていない。掴みかかろうと襲ってくるゴブリンを、人並み外れた体力と動きで翻弄しているのだ。
「……こっち!」
『ギイイッ……!?』
真正面から突っ込んでくる不気味な小鬼を、野兎が跳ねるように、右ステップで避ける。再び追いかけてきたところを今度はバックジャンプ気味に左ステップを踏む。
軽やかな身のこなしでゴブリンを引きつける。
「エルっ!」
「……うんっ」
距離は2メルにまで縮まった。そして1メルと縮まったところで僕と位置を入れ替えるように、さらに後方へと跳ねた。
「ありがと、エル」
攻守交代、ゴブリンはエルリアを見失い、代わりに僕が真正面で対峙する格好になる。
『ギッ!?』
エルリアの巧みな誘導のおかげで、完全に斧の間合いに入っていた。
「はぁ……っ!」
軸足を中心に回転しながら、下から斧を振り上げてゆく。柄を振り回すようにして加速させ、鉄の刃先の重さを乗せる。
――ここだッ!
刃先の軌道上にゴブリンの顔が来て、命中。ぐしゃりと醜い顔がさらに歪む。
『ギョアッ……!』
ばぁん……! と紫色の泡が散った。顔の半分を吹き飛ばすと首から下までが連鎖的に崩壊。地面へと倒れ込む間もなく、小さな体は黒い灰のようになって消えた。
「っしゃぁあああっ!」
思わずガッツポーズでくるっと一回転。斧に振り回されつつ、エルリアと向かいあう。
「……やった、アル!」
怪我もなく元気そうな様子にほっとする。
と、その時――。
チャリン、と金属が地面に落ちた音がした。
今しがた倒したゴブリンが黒い灰になって消えた場所。その付近に何か光る物が落ちていた。慎重に近づいて覗きこんでみると、なんと金貨だった。
「金貨だ!?」
貴重な金貨。家族で一週間以上暮らせる大金だ。
エルリアが、最初に倒した方にも一枚落ちているといって、指先でつまみ上げた。
「……おとしもの?」
「お金なんて……? ゴブリンが持っていたのかな」
まさかゴブリンの所持金だろうか。
普通に考えたらゴブリンがここにくる途中で、誰かから奪ったものかもしれない。
「……金貨、ぴかぴか」
「大金だから失くした人は困ってるよ。あとで返さなきゃ……」
お互いに一枚ずつの金貨をつまみ上げ、顔を見合わせたところで、肝心な事を思い出した。
――山羊小屋!
襲われていたことを忘れていた。すっかり目の前の二匹のゴブリンにばかり集中していたけれど、山羊小屋の中にも何匹か侵入していたはずだ。
黒山羊たちが騒いでいた叫び声も、気がつくと先程より小さくなっている。
嫌な予感が胸を締め付ける。
僕は駆け出した。
エルリアが地面においていた魔法のランプを拾い上げて追いかけてくる。
山羊小屋には黒山羊のボスであるペーターくんと家族たちが暮らしていた。お嫁さんと可愛い三匹の仔山羊たち。
「ペーター君ッ!」
小屋に駆けつけるなり簡単な「かんぬき」を押し上げて、古い木製のドアを開ける。
『ギッエエ……!?』
「わっ!」
開けた途端、ゴブリンが一匹飛び出してきた。慌てて避けて、斧を構えて襲撃に備える。
「……アル!」
けれど次の瞬間、物凄い勢いで黒い塊が疾風のように小屋から飛び出してきた。そのままゴッと音がするほどの勢いでゴブリンに体当たり。
『ギゲッ!』
小さな小鬼の体が夜空に舞った。
『ミェエエエッ!』
「ペ、ペーター君っ!?」
怒り狂ったペーター君だった。黒山羊とは思えない形相でゴブリンの落下予想地点で身構えた。
『ギエッ?』
タイミングを合わせ、湾曲した硬い角で突き上げる。角は見事にゴブリンの頭部にヒット。
バァンと破裂し、紫色の泡となって消えた。
『メェァアアアッ!』
黒山羊のペーター君は、勝利の雄叫びとともにザッザッと前足で地面を掘り、ブフゥと荒い鼻息を吐き出した。
「え、えぇ……っ」
強い……。
なんて気迫。まるで闘牛か猛獣みたいだ。
ゴブリン相手に苦戦していた僕は一体……。
でも全身傷だらけだ。体には痛々しい爪の跡、顔からも血が滴っている。
「……みんな!」
「無事!?」
エルリアが小屋の中をランプで照らす。僕が先に中に入って確認する。すると、3メル四方ほどの山羊小屋の隅に黒山羊たちが固まって震えていた。
「……あぁ……」
入口近くに仔山羊が一匹、倒れている。エルリアが膝をついて抱き上げるが、残念なことに血まみれで息絶えていた。
「くそっ」
「……ごめんね」
念のため中を調べたけれど、物陰にも天井にもゴブリンの姿は無かった。
代わりに小屋の奥の壁際、藁の隙間に金貨が一枚落ちていた。
『メェ……』
『ミィメェ!』
『メェー!』
ペーター君が山羊小屋に戻ってきた。
「痛ッ!?」
なぜかいきなり尻を角で刺された。
『メゲェエエ!』
「こんな時まで何なのさ!?」
「……『おそい、このばか』だって」
「えぇ……」
確かに。僕がもう少ししっかりしていて早く駆けつければ、仔山羊は殺されずに済んだかもしれない。
「ごめんねペーター君。それにみんな」
ペーター君は生き残った家族たちと無事を確かめあっていた。傷は酷いけれど、あの様子なら手当すれば大丈夫そうだ。
つまり僕らの家を襲ったゴブリンは全部で4匹。
最初に三匹が山羊小屋に侵入、仔山羊を襲ったのだ。
ペーター君は必至で戦ったけれど多勢に無勢。そこへ僕とが異変に気づき見張り役の一匹と遭遇、小屋の中から一匹が出てきて加勢したことで、小屋の中のゴブリンは二匹に減った。
そこでペーター君は一匹を仕留めた。
最後は子供の仇とばかりにもう一匹も倒した。
つまり二匹相手に互角……だったわけだ。
ペーター君の奮戦が光る。
つまり僕ら二人より強いってこと?
「はは……」
がっくりと全身から力が抜けた。急に目眩がしてフラフラと地面に片膝を落とす。
緊張が一気に解けて気が抜けたのだろう。
「……アル、平気?」
「だ、大丈夫。それより周囲を警戒する。まだ魔物の仲間がくるかもしれないし」
「……わかった」
僕は立ち上がって山羊小屋の扉を閉め、エルリアを家の中へと戻した。
魔法のランプと斧を手に家の周囲をぐるぐる回る。
真っ暗な新月の夜。
西の空だけが不気味に赤く光っている。
不安に押し潰されそうになるけれど、僕がしっかりするしかない。ぎゅっと斧の柄を握りしめる。
――ジラール、無事かな? 早く帰ってきて……。
<つづく>