金杯の魔女メイヴ討伐戦【中編】
黒い嵐が徐々に勢いを増してゆく。
「終いだ……! 永久の繁栄を約束する黄金の力を、お前たちは拒んだ……! 未来は閉ざされた。国は灰燼に帰し、人は原初の獣に戻るがよい」
魔女メイヴが怒りに顔を歪め、金髪を振り乱す。
天に向けて両手をかかげると、闇の玉座たるドラモンティアと、金杯の魔女メイヴの周囲に、紫色の閃光がバチバチとはじけた。大通りの真ん中で、渦巻く風が魔女と巨人を覆い隠し、二階の屋根さえも越えてゆく。
「ロリシュ、メリアっ……!」
怪光線で破壊された二階の屋根に向かって、必死で呼びかけた。けれど返事がない。今すぐにでも助けに行きたいのに、荒れ狂う嵐――黒い竜巻と化した魔女メイヴがいる。
「た、竜巻!?」
「なんだこの暴風は!」
「魔女メイヴの魔法じゃ!」
背後から接近していたジラールの仲間たちは接近できずにいる。荒れ狂う風がアブクーラさんの放った洗濯物を、ズタズタに引き裂いた。
「あたしの魔法が……!」
洗濯物の魔法が破られ、魔女のアブクーラさんが悔しげに呻く。
魔女メイヴを邪魔していた魔法の防壁が一掃されるや、竜巻の勢いはさらに強まる。
『ギョギョッ!』
『ギイッ!?』
街路樹がなぎ倒され、周囲にいた魔物の軍勢さえも吹き飛ばされた。魔物は壁に叩きつけられ熟れた果実のように爆ぜる。
「メイヴの魔力は底なしかい!」
毛糸の魔女ケイトンさんが、赤い毛糸を槍のように束ね放った。自在に伸びる毛糸で魔女メイヴを搦め取ろうと試みる。しかし黒い竜巻に弾き返されてしまった。
「ケイトンさんの魔法も……!」
「届かない……きゃっ!」
「エルッ」
『メェエエ!』
僕もエルリアも風圧で飛ばされそうになる。ペーターくんに僕らは必死で抱きついて、飛ばされないように踏ん張るのが精一杯だ。
『……ウグォオオオ……オォ……!』
やがて、嵐の渦の中心から不気味な唸り声が響きはじめた。加えて岩に亀裂が入るようなピシピシという音と、金属片がぶつかり合う耳障りな音が聞こえはじめた。
キィイイ……と耳鳴りがする。
突然、風の渦が止まった。一瞬の無風と無音。
「風が……!?」
「耳が痛い……」
黒い渦も時間が停止したようにピタリと動かない。すると次の瞬間、黒い渦は逆回転をはじめ、猛烈な勢いで一箇所に収れんしはじめた。巨大化していた黒い渦巻が、次第に小さくなる。
「なんだ……あれは!?」
ジラールが大通りに飛び出し、目の前のコボルド斬り伏せた。
「魔女が姿を変えようとしていやがるのかッ!」
「冗談じゃねぇ、攻略作戦はどうなるんでぇ」
続いて他の剣士たちも姿を見せる。
「手の出しようがないぞな……」
総勢六名の反攻同盟は、魔女メイヴの目と鼻の先だ。周囲を囲むようにあと一歩まで接近したところで足を止めざるをえなかった。
「ジラール! 気をつけて!」
黒い竜巻は幾筋にも分岐し、青黒い影へと凝縮されてゆく。暴風が次第に収まると、影はいよいよ姿を明確にする。
そこには、魔女メイヴもドラモンティアの姿も無かった。姿を現したのは、人間を丸呑みにできそうな大顎に鋭い牙、眼光鋭い黄金色の目――。全身を黒光りする鱗に覆われた、ドラゴンだった。
「黒い……ドラゴン!?」
魔女メイヴと眷属は完全に別の怪物へと成り果てていた。
馬の何倍もある胴体に、丸太よりも太く長い尾、そして背中から伸びる蝙蝠じみた黒い羽――。全身が黒曜石、あるいは真鍮のような光沢を放つ鱗で覆われている。
「ばっ、ばかな……!」
「魔女が……!」
「竜になりおった!?」
『――我が高次魔術、滅殺黒竜をその目に出来た事、冥土の土産にするがいい……!』
ズゴァアアアアア――――!
「うっ」
「きゃ」
凄まじい咆哮に思わず耳をふさぐ。翼を広げた衝撃で建物の窓が全て砕け、僕らも吹き飛ばされて地面を転がった。
『メ、メゲェ……』
衝撃に耐えたペーター君が僕らの前に立ち、唸り声をあげる。
背中の黒い羽を広げたドラゴンの翼端は大通りの両側に届いていた。ざっと見積もって翼の幅は十五メル、頭から尻尾までは二十メルを超える巨大さだ。
「あんなの、でかすぎだろっ!」
「アル、ジラールたちが!」
滅殺黒竜が長大な尾を横に薙ぎ払った。街路樹が次々と圧し折れ、十数匹の魔物が引きちぎれた。
「ぐっ、おおおおっ……!」
ジラールの仲間、筋肉質の大男が尾を斧で受け止めた。刃は鱗を数枚砕いたけれど、衝撃には耐えきれなかった。そのまま引きずられるように壁に叩きつけられる。
「ぐはっ」
「バイデン!」
「おのれ……!」
「アブクーラ、いけるかい?」
「当然さ、ケイトン!」
その時だった。吹き飛ばされて全身ボロボロだった二人の魔女は、再び立ち上がると手を重ね魔法を励起した。赤い毛糸が空中で網へとすごい速さで編み込まれ、ロープを形成。
「……風さえ無けりゃ!」
「こっちのものさ……!」
二人が同時に手を振りかざし、赤いロープを放った。ギュルルと、しなやかに動く太いロープが、ドラゴンの首と羽に絡みついた。
『――ヌ、ウゥウ? 貴様ら……まだ……抗うか……』
「当然でしょ」
「抗うわよメイヴ、不死のアンタと違って」
「あたいらはこの時代、この場所でしか……」
「生きられないんだからッ……!」
二人の魔女は全魔力を開放した。凄まじい気迫とともに、赤いロープで滅殺黒竜を締め付け、動きを封じ込めた。
『――グッ!?』
「魔法の洗濯ノリを染み込ませた毛糸さ……!」
「今度は簡単に、千切れやしないよ!」
「今だ!」
ジラールが動いた。勢いをつけ建物の壁を蹴る。そして竜の背中に飛び移る。
「はぁ……あっ!」
そして両手持ちの大剣を渾身の力を込めて叩きつける。剣先は鱗を砕き、深々と突き刺さった。
『――ガ、アッ!?』
「気圧されるな! ここから先は……我らの戦いだ!」
ジラールの叫びに、仲間たちが一斉に斬りかかった。
「皆の者、続くのじゃ」
「おうっ!」
「王都の真ん中で、竜に好き勝手暴れられて、たまるかよ!」
老剣士が目にも留まらぬ速度で駆け抜けて脚を斬り裂き、腹の下に潜り込んだ女剣士が深々と剣を刺し、横に斬り開く。
『――グゥオオオオ!?』
――いけぇえええっ! アルド!
誰の叫びだったのだろうか。聞き覚えのある、張りのある声。
姿の見えない声に背中を押され、僕は駆け出していた。
光の剣で、竜の、魔女メイヴの心臓を貫くんだ。
けれど次の瞬間。
『――愚かな』
竜が嗤った。
牙だらけの顎の端を微かに持ち上げ、爬虫類の眼を細めると、ゴゥウウ……と、息を吸い込む。
『――戦慄せよ、滅びを、その眼に焼き付けよ』
ドラゴンの喉の奥から紫色の光が溢れ出した。光は瞬く間に強烈になり、目も開けていられないほどに輝く。
「……やばいっ!」
「まずいぞ」
「退避――」
――滅殺黒竜死の吐息!
目の眩むような邪悪な輝きが、悪魔の咆哮と共に放たれた。音を超えた衝撃が周囲を吹き飛ばし、破壊し尽くしてゆく。
地面が石畳ごとめくれあがり、次々と連鎖的に爆発を引き起こし、周囲の建物が倒壊。爆風と土煙に覆われて視界が奪われた。
煙が晴れると、あたりの様子は一変していた。廃墟となった通り、黒焦げになった人間や魔物の死体が転がっている。
ジラールや仲間たちがどうなったか、まるでわからなかった。
「げ、げほっ……」
近くに動く影は無かった。はるかずっと向こうでは魔女の軍勢の残存部隊が、衛兵や応援の兵士たちと戦いを繰り広げていた。けれど突如出現した巨大なドラゴンと、破壊的なブレスの威力を目の当たりにして、完全に動きが止まっていた。
「ジラール……、ジラールッ!」
僕とエルリアは無事だった。けれど、僕らを庇うようにして立っていた黒山羊のペーター君が静かに崩れ落ちた。
「ペーター君ッ!?」
『メェ……』
「アルド……どうしよう」
生きてはいる。けれど衝撃をまともに浴びてしまったらしい。
「あんなの……勝てっこない……!」
絶望が心をじわりと侵食する。
未来を予見して挑んでも……勝てる相手じゃなかった。
魔女メイヴの力は想像を超えていた。
巨大な黒い竜が再び翼を広げた。空に舞い上がろうというのか、ブォオオと何度か羽ばたき始める。
『――次は王都全体を……焼き払ってくれようぞ……!』
ダメだ。
もう逃げよう……と言いかけたその時。
『……メェ』
びし、と弱々しくペーター君が僕の脇腹を蹴りつけた。
「え?」
――逃げるんじゃねぇよ。
その目は確かにそう言っていた。
黒山羊は震える体をひねり、地面に前足を立てる。踏ん張ってヨロヨロと立ち上がった。
「ペーター君?」
エルリアも声にならない様子でその体を支える。
「そんな、無理だよペーターくんっ」
『メゲェ……!』
――まだだ……! お前もオレも、まだ戦えるはずだ……!
『メグェ』
――守らなきゃならねぇんだよ妻子を。そして……お前ら、半人前の人間どもをな。
ペーター君は立ち上がりドラゴンを睨みつけた。
「……そうだ」
そうだよね。
諦めたら、ここで終わりなんだ。
僕は足に力を込めた。衝撃で吹き飛ばされて痛む身体を引きずって、立ち上がる。
まだ光を宿す剣を真っ直ぐに構え、ドラゴンに向ける。
エルリアもよろよろと立ち上がると、ペーター君の横でフライパンを構え直す。
「待て……メイヴッ! 僕はまだ、生きているぞ!」
『――小僧……? その……剣……!』
黒いドラゴンが此方に注意を向けた。ゴファアア、と不気味な緑色の残り火を揺らし、息を吐き出す。
それだけで恐怖が心に押し寄せた。
本能で危機を感じ、全身に震えが起こる。
それでも、勇気を振り絞り、歯を食いしばる。
「お前には……負けない!」
何があってもエルリアを守るって決めたんだ。
『――大口をたたくな小僧、貴様に……何が出来る。哀れな、人間風情が』
黒い竜が嗤った、その時だった。
「……ヒヒヒ、言うねぇ坊や、いい男になるよ」
倒壊した建物の向こう側、屋根の上からひょっこりと姿を見せたのは、野菜の魔女ヴェシータだった。
「ヴェシータ! それに……ロリシュも!」
近くにはロリシュとメリアの姿もあった。
――無事だった……!
『――貴様のようなクソ雑魚の魔女が出てきたところで何が出来る……? 臆病で、薄汚く、力さえ持たぬ貴様に、何が出来る!』
嘲笑と威嚇。巨大な黒いドラゴンが首を曲げ、屋根の上を睨みつけた。
「ヒィイイッ、ヒッヒ? そうさねぇ。あたしにゃぁ確かに何も出来ないけど、野菜を食べた良い子の健やかなる成長を……手助けぐらいはできるさぁね!」
ドォン……と反対側の建物の屋根が突如崩落したかと思うと、巨大な影が出現した。
「な、なんだありゃ!?」
「野菜の……巨人?」
『メゲェ?』
それは緑色の葉っぱが寄り集まって出来た、人型の鎧に見えた。カボチャの蔓が絡まって骨格を成し、キャベツの葉が幾重にも重なり、騎士が身につける甲冑のようだ。けれど首に当たる部分は空洞で、ぼっかりと前後に大口を開けている。
「ヒヒヒ、これは超魔導野菜生体装甲……! これを着こなせるのは……アタイの魔法の野菜をたぁっぷり食べた、良い子だけさぁね」
ヴェシータが細い両腕を振リ動かすと、野菜の鎧がカエルのように跳ね、僕らの前に着地した。ズシャァ……と全身が柔らかい操り人形のようだ。
『メェゲェエエッ!』
「えっ!?」
「あっ!?」
唖然とする僕とエルリアの眼前で、ペーター君が跳ねた。そして野菜の鎧の入り口、ぽっかりと開いた首の部分に、その黒い体を沈めていた。
「イヒヒヒ、いいね黒山羊ィ……魔導直結も完璧だぁね。さぁて、戦闘開始といこうじゃないか!」
<つづく>




