襲来
◇
暖炉に薪を放り込むと、火の粉が散った。
ぱちぱちと爆ぜながら炎がゆっくりと薪を包む。
部屋の中も暖かくなったところで夕飯の始まりだ。今夜のメニューは定番のライ麦パンと山羊のチーズ。それと腸詰肉と野菜のトマトシチュー。
ジラールとエルリアとテーブルを囲む。
「美味しいね! 腸詰肉だいすき」
焼いてよし、煮込んでよし。台所にぶら下がっているのをそのまま食べてもよし。
「いいぞアル、いっぱい肉を食え」
「……エルも」
「エルは肉ばっかり食べないで野菜も食え」
「……ぶー」
ジラール特製のトマト煮込みのシチューはとても美味しい。腸詰肉のほかにジャガイモやニンジンがゴロゴロ入っている。
「ねぇジラール」
剣術の稽古以外は「師匠」を付けなくてもよいのだ。湯浴みをして汗を流した後なので、少しウェーブしたブロンド色の髪を下ろしている。
隣に座っているエルリアも緋色の髪がまだ濡れている。
「なんだい?」
ライ麦パンをちぎりながら、優しい視線を向けてくる。
僕たちはこんな風に、食事を取りながらいろいろな事を話す。
正式な食事の作法としてはルール違反なのだけど、家族として過ごすひとときぐらい、いいじゃないかとジラールは笑う。
「黒山羊のペーター君は、なぜ僕を狙うの?」
まるで親の仇みたいに。
「親を腸詰肉にされたと思ってるんじゃないか?」
「えぇ!? 僕はそんなことしてない」
「今度じっくり話し合うといい」
「そんな無茶な」
ペーター君は突撃してくる。剣術の稽古のとき、あるいは僕がぼーっと油断しているスキを見はからって。
「……ふふ。アルは好かれている」
「好かれ? うそでしょ」
「……ほんと」
「だからって体当たりするかなぁ?」
エルリアがくすくすと笑うと、背中の羽も一緒に動いた。半竜の妹はごく普通の女の子だ。ちょっとだけ他人と姿が違うだけ。
テーブルの上では、光の魔法を封じ込めた水晶がランプ代わりに光を放っている。
街の市場で買った中古品なので、普通の蝋燭よりも暗いのが難点だ。こうして食事をしている最中も光がゆらめく。まるで風に吹かれた蝋燭の炎のように。
「このランプも限界だなぁ。明日、街にいって魔女に魔法を充填してもらおう」
「街に行くの!? 僕も行く」
「……エルも」
「あぁいいとも。いこう」
街には生活に役立つ魔法を使う魔女たちがいる。薬草を売る『薬草の魔女』や、ランプに光に詰めてくれる『技工の魔女』だ。
彼女たちの「良き魔女」の力は生活に欠かせない。それに、行きつけの魔法工房には僕らと同い年の魔女見習いの女の子もいてエルリアと仲が良い。
「明日が楽しみ……」
そういって窓の外を見た時、異変に気がついた。
歪んだ曇りガラスの向こう側。西の暗い空が赤黒く染まっていた。
椅子から立ち上がり窓を押し開けてみると、王都アルテンハイアットの方角の雲が赤黒く光っている。夕焼けにしては時間が遅い。ジラールも異変に気がついたらしく僕と同じ窓から身を乗り出すようにして外を眺める。
「ジラール、あれって」
「王都が……燃えている!」
「えっ!?」
「王都とここの間に村は無い。あの方角と距離は王都だ」
ジラールは髪を後ろに結ってまとめると、素早く着替え外套を羽織った。そして半メル(約50センチ)ほどの短剣を腰の後ろにくくりつける。
「ジラール、どこへ!?」
「王都の様子を見てくる。近くまでいって状況を確認するだけだ」
入り口に立てかけていた杖を手にする。杖の先には暗い森の中や夜道を照らす黄色い水晶がはめ込まれている。『魔法の光』を放つ魔法のランプと原理は同じものだ。
「僕も行く!」
「アルはエルを守れ。家の光と暖炉の炎も」
ドアを開けると生温かい不穏な臭いのする風が吹き込んできた。
森も山も闇に沈み見えない。漆黒の闇。空気が重い。
「わかった」
「よし、頼むぞ」
ジラールが『燈火よ』と小声でつぶやくと杖の先の水晶が光を放ち始めた。羊小屋の方へと向かう後ろ姿を見送りドアを閉めた。
うちには黒山羊が五頭と年老いた馬が一頭いる。ジラールの愛馬だったという白い馬は散歩も嫌う出不精だけど彼女の言うことはよく聞くみたいだ。
ドドドッと蹄の音が遠ざかっていった。黄色い光が西側の森の向こうへと吸い込まれてゆく。闇がジラールを飲み込んでしまうんじゃないか、という嫌な妄想を心の奥に押し込める。
気がつくとエルリアが不安げな様子で、僕の服の袖をぎゅっと握っていた。
「大丈夫。ここにいれば安全だから」
「……うん」
「僕も支度をする。寝間着のままじゃ何かあったとき困るもの」
「……エルもじゅんび」
二人で外着に着替えて警戒しておく。窓の外の赤黒い光は心なしか、ますます強くなっている気がした。
◇
黒山羊たちの声で僕はハッと起き上がった。
暖炉の前の椅子に座ったまま、ウトウトしていたらしい。横ではエルリアもテーブルの机に突っ伏している。
外から『ミェー』『メメェェエ』と黒山羊達の声がする。 僕たちのいる山小屋から数メルしか離れていない山羊小屋の方が騒がしい。
「……アル!」
「エルはここで待ってて、見てくる」
気がついたエルリアが呼ぶよりも早く僕は外に飛び出した。咄嗟にドアの横にあった斧を手にして身構え、暗い山羊小屋の方に目を凝らす。
今夜の月は細く明かりの足しにはならない。
狼か森の野獣か、あるいは――。
斧を持った手にじっとりと汗がにじむ。
小屋のドアを閉め、ゆっくりと慎重に山羊小屋へと近づく。黒山羊達の悲鳴はまだ聞こえている。けれど暗くてよく見えない。
すると、小屋の窓を開けて、中からエルリアが魔法のランプを外に向け、山羊小屋の方を照らしてくれた。
おかげで暗闇の中に山羊小屋が浮かび上がった。
『……ギギ……ギッ』
不気味な唸るような声がした。何かが闇の中で蠢いていた。
「なっ……!?」
淡いランプの光に照らされた異様な姿に僕は息を飲んだ。
異様な姿の小鬼たちがそこにいた。
僕の半分ぐらいの背丈のやせ細った小鬼。黒い皮膚に黄ばんだ目が不気味に光っている。口は耳まで裂け鋭いキバが並んでいる。
――まさか……ゴブリン!?
お伽噺の挿絵でしか見たことのなかった怪物がそこにいた。
思わずその不気味な姿に立ちすくむ。
他に何匹いるのか、窓からの明かりだけでよく見えない。
けれど黒山羊の小屋に入り込み、襲っているのは間違いない。
『ギ、ギヒィイッ……!』
一匹が僕に気がついた。そいつはニタァと嗤ったように見えた。
<つづく>