光の竜
◇
意識が深い淵の底に沈んでゆく。
暗くもなく、眩しくもない。漂う感覚に身を委ねると、身体の境界が曖昧になってしまいそうな心地よさだ。
ふと気がつくと傍らに誰かがいた。手を伸ばすと指先が触れた。
「エル」
優しい聞きなれた声は兄のアルドだった。
顔も知らない母の胎内で揺られていた時から、ずっと傍らに居てくれた。
エルリアにとって身内であり、友達であり、時にライバルでもある。そして何よりも誰よりも、大好きな「お兄ちゃん」なのだ。
温もりに満たされていると、エルリアとアルドの他にもうひとり、誰かが居ることに気がついた。
――あなたは、誰?
『……』
柔らかくて暖かい。日だまりのような光。
「あの時の、光……」
恐ろしい魔物――宝石級と戦った時、力を貸してくれたあの光だ。
淵の底で輝いていた光は、静かにエルリアが来るのを待っていたのだろうか。次第に光に輪郭が生まれ、明瞭な形を成した。
光り輝く鱗に包まれた身体、巨大で壮大な羽と長大な尻尾。それはドラゴンだった。
『……我が名は、エルリアルド・ジ・ドラギュゲイン』
「エルリアルド……」
――ドラゴンさんとわたしの名前……アルドの名前と似ている?
エルリアは気がついた。
『そうだろうとも、エルリア。汝の先祖らは形を変え、読みを変え。連綿とその名を密かに受け継いだのろう。しかし汝は半身……ひとりではなく、二人で一人のようだがね』
人の声で光のドラゴンは語りかけてきた。
見上げるほどの巨体だが、恐ろしいとは思わなかった。それどころか懐かしく、近しい存在にさえ思えた。
『ここに来た、ということは力を望むのだね』
――ちから?
そうだった。私はアルドやジラール、ペーター君たちを守るために魔法の力が欲しいと望んでここに来たのだ。
『よかろう。だが……すこしだけ真実を知って貰う必要がある』
黒い霧が急速にたちこめた。光のドラゴンを覆い隠そうとするように、冷たい闇がじわりとからみついた。ドラギュゲインが苦しげに身をよじる。長い尾が黒い霧を払おうとする。
「苦しいの? どうすればいいの?」
『優しい子だね。やはり、汝はあの者の子孫というわけか』
「あの者って?」
エルリアは尋ねた。
『これは……はるか昔の話だ。人間にとっては何世代も、昔の話――』
光の竜、ドラギュゲインは伝えててきた。
言葉を通じてではなく、イメージとして。
ドラギュゲインが竜として生きていたはるか昔。
空を、野山を自在に駆け回っていたある日、邪悪な魔女に狙われた。宝石の輝きによる巧妙な罠と、仕掛けられた毒により、強大な力を持つドラゴンとはいえども逃げ出すことが出来ず、追い詰められた。
だが、その時。偶然通りかかったエルリアの祖先――騎士が助けに入った。騎士は勇敢に魔女に戦いを挑んだ。しかし邪悪な魔法を駆使する魔女の前に破れ、力尽きた。
ドラギュゲインも命を落とし、騎士も瀕死の重傷を負うこととなった。
竜の血肉は魔女の手に落ちた。ドラゴンの血肉は不老不死の妙薬の原料とされていたからだ。
肉体を離れたドラギュゲインの魂は、瀕死の騎士に宿り傷を癒やし、竜の力を与えた。
騎士のもつ剣は光を帯び、ドラゴンの爪と同じ「魔を斬り払う力」を得た。
『……だが、狡猾な魔女は我が血肉を手に入れ、逃げ果せた。しかし我が力は、汝ら騎士の子孫とともにある。必要とあらば力を貸そう』
「それが、エルリアルドの……剣?」
『剣というのは媒体にすぎぬ。汝らは無意識に、我が力を不完全ながら引き出し使ったであろう』
エルリアは思い出した。
強い魔物を光るフライパンで吹き飛ばしたこと、ロリシュの矢に輝きを宿し魔物を倒したこと。
『汝ら、魂の記憶に宿りし我がドラゴンの魔力――、それは形を変えて伝わるものだ。水のように、光のように。水は清らかな流れで汚れを洗い流すが、渦は泥を巻き上げる。光は闇を切り払うが、必ず影を生む。その結果のひとつが……歪だエルリア、汝の半竜半人の姿の理由がそこにある』
竜の力を宿した歪が、何世代も経てエルリアに発現した。光のドラゴンはそういった。魔女の呪いのせいだと聞かされていたが、真実は少し異なっていた。
けれど、だとしても。それがなんだというのか。
「アルドは、わたしはこのままでも好きだって。そう言ってくれた」
『魂の半身……アルドだね。まだ力を持たぬが、魂は純粋だ。エルリア、汝が我が力を引き出す為には彼が、アルドが必要のようだ。これは君らの母上に仕掛けられた魔女の呪いのせいで、歪められてしまったらしい……』
光のドラゴン、ドラギュゲインは静かに顔を近づけてきた。
「光の力は、魔法ではないの?」
『似て非なるものだ。我が魂の……ドラゴンの力を付与するものだ。すでに、コツはつかんだであろう? あとはアルドと息を合わせて鍛錬するのみだ』
「はい、わかりました」
『そして、何を望む?』
――わたしの望むもの?
「私の願いは、私の……願いはただ……。アルドとジラールと、ロリシュちゃんとペータくんと……みんなと。普通に楽しく暮らすこと」
『その望みはエルリア、汝が歩む先に必ず叶う。だが今は、直面する苦難を乗り越えねばなるまい?』
恐ろしい魔物や邪魔をする魔女に負けない、振り払う力がほしい。けれど、誰も傷つけたくない。エルリアの複雑な思いが交錯する。
「ドラギュゲインさん、わたしに力を貸してください。皆を助けたいの」
『……いいだろう。そのためにここに来たのだから。我が魂に残された僅かな力なれど、魔法の力を授けよう。汝の進むべき道の一助にならんことを』
眩い光がエルリアの胸に宿った。
『エルリアルドの剣は、アルドとエルリア、汝ら二人が揃ってこそ扱える。だが、いま授けた魔法は汝、一人でも使える』
「ありがとう、ドラギュゲインさん」
『だが反動もある。魔法を使いつづければ汝は……竜の姿になってしまうだろう』
「わたしが……竜に」
その意味を理解する。魔法には対価が必要だという。その対価が人ならざるものへと変化する呪いをうけるということか。
『さぁ、急ぐが良い。危機が迫ってい――』
頭上の水面で、誰かが叫んでいる。
エルリアの意識は急速に浮かび始めた。
ここは夢の中で、目が覚めるのだとわかった。
声が次第に大きくなリ覚醒する。はっと目を開けると、見覚えのある部屋の天井だった。ここは、魔女の部屋の二階だ。
階下で激しくぶつかる音と、悲鳴が聞こえた。
「――アルドはエルリアを守って!」
それはロリシュの叫び声だった。
<つづく>




