南の砦 ~アルベクルト第一王子
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夜更けの地平から、生臭い夜霧が漂ってくる。
西から地を這い進んでくる霧は淀み、死臭混じりの瘴気そのものだ。丘を越え、無人となった集落を飲み込む灰色の霧のなかに、ひとつふたつと赤い鬼火がゆらめいた。やがて影のような黒い無数の人の形をした「何か」が列をなし進んでくるのが見えた。
「な、なんだ……ありゃぁ!?」
警戒にあたっていた兵士が呻き声をあげる。
押し寄せる霧のなかで蠢く無数の鬼灯色の光は、黒い影たちの双眸だった。窪んだ眼窩の奥に不気味な光が揺らめいている。血まみれの体、ダラリと垂れ下がった腕、外れかかった顎。青白く生気の失せた半ば崩れた顔、顔、顔――。
それは、動く屍の群れだった。
「魔物、いや、あれは死人の群れだ! 百……二百……いや、千体はいやがるぞ」
「悪夢だ、西の砦の兵士じゃねぇか……!」
死体が身に着けているのは間違いなく、王国軍の甲冑だった。
「なんてことしやがる! 魔女か魔導師だか知らねぇが、ぶっ殺してやる!」
鍛え上げられた兵士たちは恐怖よりも怒りが勝った。
「まず本体に伝令だ。魔法通信……はまだ不通か。仕方ない、早馬で急報を」
「隊長、我々は……」
「ばか野郎、撤退だ。我々の任務は壊滅した西の砦に展開する敵戦力の偵察だからな」
「はっ!」
勇猛果敢なるギルドバルド将軍閣下なら、突撃! とご命令を下しそうな場面だが状況が状況だ。現場指揮官権限で、引き返す判断を下す。
「こりゃぁ軍法会議かな」
隊長はやれやれと天を仰ぐ。烏合の衆たる魔物どもならいざしらず見たところ常軌を逸した魔女か、魔導師の仕業だろう。偵察部隊十名程では出来ることは無い。
ナルリスタの王国軍は、魔女による中枢テロによる攻撃により指令系統が壊滅、大混乱に陥っていた。各部隊への魔法通信が途絶し、残存部隊は独自の判断による反撃を強いられた。それぞれが状況の把握に腐心しているのだ。
幸い王国軍の主力、精鋭部隊が南の砦に駐屯しており無傷で残っている。魔物の上位個体とされる一団による急襲を受けたが、これを撃退、反転攻勢の構えをとっていた。
現在の南の砦を指揮しているのは、ナルリスタ王国第一王子にして王家の正統なる後継者。次期国王を期待されるアルベクルト殿下だ。
砦を急襲した三体もの上位個体を撃破。その場面を多くの兵士が目撃し、混乱と不安の中にあった兵たちの士気が大いに高まったという。
流石は剣聖との誉れ高い王子だと、南の都の民も喝采を送っている。だからこそ危機を確実に伝えねばならない。
「隊長! こいつらの侵攻方向は王都ではありません」
「らしいな。俺たちと鉢合わせしたのが何よりの証拠だ」
死者の軍勢は目前まで迫っていた。
うめき声さえも発せず、屍の大軍がズルズルと進んでくる。その数は数百、いや千を越えているだろうか。
死体は王国の兵士の鎧を身に着けたものが多いが、商人や農夫らしい屍も交じっている。
屍どもが向かう先は、ナルリスタの王都アルテンハイアットからはるか南。南国と国境を接する、街道の要衝として栄えた城塞都市ニュールデウス。
通称、南の砦だ。
◇
王都アルテンハイアットから早馬を乗り継いで、三刻ほどの距離に位置する要衝、城塞都市ニュールデウス。
古くからナルリスタ王国、第二の都として栄え、交易が盛んな商業都市として発展してきた。
貿易相手国であり警戒すべき隣国、南国ヴェトムリア小国家連合に対する睨みを利かせる戦略拠点でもある。
「殿下、アルベクルト殿下!」
若い将兵が執務室に駆け込んできた。立ち止まり一礼。報告をせんと姿勢をただす。
「なんだうるせぇな」
アルベクルト殿下と呼ばれた青年が、骨付き肉を食いちぎる。
猛禽類を思わせる金の瞳に高い鼻梁。自信に満ちた精悍な輪郭を素直な赤毛が覆い、鬣のように見せている。
執務室の中央におかれた大きな黒塗りのテーブルには、広げられた地図と書類が散乱していた。食事は炙った骨付き肉とライ麦のパン、それに銀杯に入った葡萄酒がサイドテーブルに置かれている。
執務室には他にも二人の人物がいた。
疲れ切った表情の初老の近衛参謀インスタニアと、軍服を身に着けたヒゲ顔の中年の将軍、ギルドバルド将軍閣下だ。それぞれ別のソファーに腰掛け地図と書類を眺めていた。
「状況はどうですか?」
近衛参謀インスタニアがしわがれた声をかける。
「ご報告申し上げます! 王都方面、北方より魔物の軍勢、総数約三千。進路上の村や集落を蹂躙しつつ、進軍しております」
兵士は懐から魔法の水晶球をとりだし、録画された映像を映し出した。
地響きと土煙が近づいていた。不気味な唸り声をあげながら、無数の魔物の群れが接近してくる。
青黒い巨人族を先頭に、赤い大鬼と黒い小鬼の大部隊が続く。進路上の村や集落を蹂躙、破壊しつくしながら進軍しつづけている。
先頭には上位個体らしき人型の魔物が二体。赤と青の輝く個体が、獅子のような野獣の背にそれぞれ乗っている。
「なんということか」
「で、住民の避難は?」
「アルベクルト王子……いや殿下のご指示通り、軍の早馬にて各村に伝令してあります。このニュールデウスへの避難を優先させており、被害は最小限です」
近衛参謀がアルベクルト王子に恭しく告げる。だが被害報告よりも視線は水晶珠の向こう側に向けられていた。
「しゃらくせぇ、数だのみのクソ雑魚どもが」
アルベクルト王子が忌々しげに、魔物の群れを睨み付けた。
南の砦、城塞都市ニュールデウスは、アルベクルト王子が国王より拝領、統治する直轄領だ。
アルベクルト王子はここで軍事と政治の基礎を学んでいるという。精強な正規軍の指揮官としての大役も仰せつかっている。
と、そこへ更に別の兵士が駆け込んできた。一礼をして報告する。
「申し上げます! 西方索敵部隊からの報告によりますと、西の砦から出現したと思われる軍勢が、こちらに接近中。数はおよそ千」
「友軍か!?」
ギルハルト将軍閣下が腰を浮かす。だが兵士は表情を曇らせ、告げる。
「いえ。敵です。全て……魔物。動く屍と化した元友軍と思われます」
「なんですと!?」
「屍が動いていると申すのかぁ!?」
ゴン、と分厚いテーブルを殴り付ける。
「偵察隊からの報告によりますと、西の砦の戦死者が、そのまま敵の軍勢に加わっているとのことです」
「ふむ……死者が動くとなると『金杯の魔女』の仕業ではありませんな。強力な魔導師、あるいは『死肉の魔女』のような別の魔女が加勢しているのやもしれません。これは、やっかいですな殿下」
白髪頭を後ろに撫で付けた近衛参謀が、熟考しつつ王子に進言する。
「わが兵を死者の軍勢などに……愚弄するか魔女どもめぇ!」
「殿下、動く死体となったものは完全に腐るまで、動き続けると聞き及びます。燃やすのが最良でしょう。この都に達する前に」
「メシが不味くなる話ばかりだな、さっきから」
手に持った骨付きの肉を不機嫌そうに眺め、再び大口をあけてかぶりつく。
「失礼しました殿下。お前たちも報告ご苦労、下がって休んで良いぞぉ」
「ははっ」
「はっ!」
「インスタニア、状況を整理してくれ」
骨に残った肉をかじり、ワインを飲み干しながら命じる。
獅子を思わせる逆立つ赤毛、不敵かつ獰猛な光を宿す赤銅色の瞳。名工の手による装飾が施された黄金色の軽装甲に、燃えるような色合いの赤いマント。
鍛え上げられた身体には、一切無駄な贅肉などは無い。輝ける肉体から繰り出される剣技は、剣聖の名にふさわしい切れ味だという。
「お口直しに、状況を整理しましょう」
近衛参謀、インスタニアが手元の書類を読み上げる。
――三日前の夜半、王都でテロが発生。
魔物が王都中枢で暴れだし、王城の被害甚大。
国王陛下は生死不明。以下王妃、その他王侯貴族も多数行方が知れず。
「あぁ、おいたわしやアルベクルト殿下のお父君がぁ……」
ギルドバルド将軍がボロボロと涙を流す。
「どうせ老いぼれジジイだ。構わん、続けろ」
首謀者は『金杯の魔女』と目される。
歴史の書にも時折名が記される真の魔女の一人。
普通の魔女と違い、悪魔と契約し不老不死の肉体を得たと云われているが、真偽は不明。
「不死だとぉ?」
「あくまでも伝説です」
「心配ねぇ、オレ様の剣なら殺せる」
アルベクルトは傍らに置いた大剣に手をかけた。銀色の鞘には豪華な装飾が施されている。
「続けます」
魔物の大量発生により都市機能は麻痺、王政府は崩壊、機能不全に陥っています。幸い、残存の王都守備隊と民間の自警団が、王都の魔物をほぼ制圧したとの報告があり。
「正しくは、魔物どもの多くが王都郊外に流出ぅ、何を思ったか、こっちに押し寄せてきてやがるわけだぁ」
「その通りかと。発生した魔物のおよそ八割が域外に移動。魔物の群れは、魔物の上位個体に導かれ中隊規模に分かれ、各地の抵抗拠点を襲撃したとみられています」
東の砦は国境から離れているため、戦力は置かれていなかった。となれば、管理していた民間のギルドでは絶望的。
先の報告通り、西の砦は陥落。異形の軍勢と成り果てた元友軍が迫っている。
残るはここ、城塞都市ニュールデウス。
初日、敵の精鋭と思われる魔女と魔物の群れに襲撃を受けた。だが、アルベクルト王子の活躍で撃破――。
「魔女や魔物の上位個体の目的は不明ながら、狙われる理由にしては十分です」
「捕虜にできりゃぁ良かったが、王子が粉微塵にしてくれましたからなぁ、ガハハ……失礼ぃ」
「ここまでが把握されている戦況です」
「西の砦が魔物に攻め落とされた、という知らせが届いたのが、半日前かぁ。それから僅かな間で死者の軍勢と化し向かってやがるたぁ」
「西と北、魔物どもは合流してここを挟撃するつもりですかな。魔物の上位個体には、戦略に通じたものがおるようです」
「殿下ぁご命令を! わがギルドバルド精鋭部隊二千、出撃の準備は整っております故ぇ、蹴散らして見せましょうぞ!」
床を踏み鳴らし大声で叫ぶ。
「死体だろうが魔物だろうが構わん。一匹残らず蹴散らせ。オレ様も出る……! 作戦は以上だ」
<つづく>




