王都炎上――『金杯の魔女』メイヴ
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ナルリスタ王国、王城――地下宝物庫。
「綺麗は汚い、汚いは綺麗……っ♪」
女が鼻歌交じりに薄暗い廊下を進んでゆく。
壁に備え付けの『魔法の常明ランプ』が、まるで作り物のように整った横顔を照らす。
すっと通った鼻筋に蒼黒の瞳。ふっくらとした唇に浮かぶのは薄い笑み。金糸のような髪は腰まで届き、艷やかで魅惑的。その美しく妖艶な姿は、男を魅惑し虜にせずにはいられないだろう。
肉付きの良い身体を包み込むのは、胸元を大きく開けた紫色のロングドレス。手首に指先、首や耳。あらゆる体の部位を宝石と金の装飾具で飾り立てている。
女はまるで散歩でもするかのような軽い足取りで薄暗い地下通路を進む。ナルリスタ王城の中枢にして最深部、重要な区画にも拘らず警備する兵士の姿は無い。
「さあ追いかけなさい。霧のなか、汚れた空へ」
ドウッ……と、何か重いものが落下した音が背後から聞こえた。幻の金貨を追う間抜けな兵士が、窓から転げ落ちた音だろう。
城内の衛兵も役人も、騎士でさえも。多くの人間たちは「空から降り注ぐ幻の金貨」を血眼になって追いかけ奪い合っている。
今や城内は大混乱。半狂乱状態の人々で見えない金貨の争奪戦による流血の事態にまで陥っていた。
「……ふふ、おばかさんたち」
後ろを一寸だけ振り返り、また奥へと向かって進む。
女が通り過ぎた後は魔法のランプの光が失われた。水晶に封じ込めた光の魔法が霧散したのだ。廊下の奥まで整然と並んでいた魔法のランプが次々と朽ち果て光を失った。崩れ落ちた水晶の欠片が、廊下に雪のように降り積もる。
やがて、女が扉の前で足を止めた。
目の前には厳重に施錠された鉄製の扉がある。
頑強な扉には巨大な「かんぬき」が二重に据えてあり、侵入者を拒絶していた。更に魔法の鍵と鎖で厳重に封印するという念の入れようだ。なぜならここはナルリスタ王国の宝物庫。王国にとっての生命線。金銀財宝を保管する金庫であり、国家を運営する資金が集められているのだから。
辺りに常駐しているはずの警備兵の姿も無い。代わりに上階から狂乱の声が聞こえてくる。
――『金杯の魔女』メイヴの名において命ずる
鉄の扉に手をかざすと、黄金のブレスレットがシャラリと音を奏でる。
『冥王の御前にて光の加護は闇に溶けよ、鉄は朽ちよ腐王の盃を以て――』
容姿からは想像もできないほどに野太く、魔神が唸るような声色だった。
喉の奥から発せられた魔法は古代ケルトリア語だ。
魔女だけが使う禁忌の魔法言語。世界に満ちる魔素を己の欲望のために操り、悪しき力を顕現する。
魔法の鍵が次々と錆びて崩れ、ジャラジャラと鎖が滑り落ちた。
「不変なのは黄金だけ……」
石壁にかんぬきを留めていた金具がみるみる変色し、破断。重さに耐えきれず崩落すると、鉄のドアがゆっくりと手前に倒れた。
地鳴りとともに埃が舞い上がる。流石の魔女も一歩後ろに下がり、不快げに口をドレスの袖で覆う。
埃がやや収まると、魔女は魔法の明かりを灯した。青白い鬼火を周囲にゆらめかせ、宝物庫の中に侵入する。
宝物庫の入り口に立って中を確かめる。宝物庫の中は整然としていた。棚ごとに納められた金貨、銀貨、銅貨が積み上げられている。
千枚袋にそれぞれ硬貨が詰まっているのだろう。とはいえ国庫という割には山積みというわけでもない。盗賊だったら肩透かしを食らったと落胆するだろう。
他にも価値のある宝石、宝飾品などが几帳面にケースに納められているが数は少ない。
「……思っていたよりも少ないわねぇ。まぁ貧乏小国じゃ、こんなものかしら」
蔑むようにつぶやくと『金杯の魔女』メイヴは、全身からどす黒い魔力の波動を放つ。
そして、近くにあった金貨入りの袋に手を添える。
「どれほど溜め込んだのかしら? 汚らしい欲望を見せてご覧なさいな」
次の瞬間、ボコボコと金貨入りの袋が蠢いた。
まるでネズミでも閉じ込められていたかと思うほど、袋の内側から波打つ。パンパンに膨れ上がった袋が破れ、中身が床に飛び散った。
ドチャァ……! と湿った肉の音がした。
もはや金貨の音ではなかった。
金貨から滲み出た不浄な紫色の泡が、金貨本来の輝きを覆い隠している。床に落ちたコインは更に腐った肉のような不気味な塊が生じ、肥大化してゆく。
「おぉ、よく育つこと」
金貨から生じた肉塊同士が集まり成長し、不気味な化け物の姿を成してゆく。
『……ギッ……』
『ギョギッ』
小人のような小鬼、大きな体を持つ大鬼に1つ目の化け物。背中から蝙蝠のような羽を生やした悪魔のような怪物もいる。
金貨一枚でゴブリン、五枚でオーガ。上出来だわとほくそ笑む。
宝物庫の中の全ての袋が一斉に蠢き始めた。金貨、銀貨、銅貨。袋が破れ宝物庫から怪物たちが生まれてゆく。
「貴様、そこで何をしてい――」
ようやく異変に気がついて駆けつけた兵士の声は途切れた。
王城の地下から、「闇」が溢れ出した。
狂乱と歓喜の声が、悲鳴と断末魔へと変わってゆく。すでに上階は地獄絵図となっているだろう。
爆発音と悲鳴、崩れ落ちる衝撃音が連続して響く。
ナルリスタの王城が、王都が炎上していた。
赤く燃える炎、逃げ惑う人々。それを容赦なく襲う無数の魔物たち。兵士も衛兵も、自警団も。組織的な反抗などままならない。
あまりにも不意打ち。王城の中枢から端を発した災厄の渦に、人々は成すすべなく飲み込まれてゆく。
「さて……お前たちは見どころがある」
魔女メイヴが残った宝石を愛しげに眺め、指を添えた。
人間の欲望をたっぷりと吸い込んでいる。その総量たるや金貨や銅貨の比ではない。よりよい上質な魔物を錬成するにはうってつけの素材だ。
「特別に力をやろう。人語を解し、魔を操り、卑劣な策謀を考えられるほどにね」
ダイヤモンドにルビー、サファイア、トパーズ、トルマリン、ラピスラズリ……。美しい輝きを放っていた宝石が、次々と紫色の肉に覆われてゆく。
その姿は先程の金貨の怪物たちとは明らかに違っていた。知性を感じさせる顔、そして禍々しい光を宿す瞳。人の形を模した種、魔族と呼ばれるものたちだ。
「ひい、ふうみい……。おぉ13体とはツいてる。おまえたちは我が子よ『ダウス・ジュエリア』。さぁお行き……! アレを見つけ出し破壊するのよ」
魔女メイヴが直属の配下に命じると、13体の魔族どもが次々と散ってゆく。
「あぁ、名を口にするのもおぞましい」
不死身の魔女を殺すもの。
――エルリアルドの剣……!
◆
<つづく>