遺伝子
紙袋を下げてやってきた安居を交えて、水無の研究室で机を囲む。
まずは安居が切り出した。
「双子ってやつなんだ。もう一人は看護師をしてる。妹は天才で、姉は異才。ねえちゃんの方は、過去に戻ることが出来る。タイムスリップ、タイムワープ、タイムリープ、何て言うんだかねえ。ただ、一気に昔にひとっ飛びって訳じゃねえ。多分だけど、まだ今の段階では数時間が関の山だと思う。まあ、そこんとこの確認は、はっきりはしてないがな」
「もしかして、No.n3826475、ですか?」
「さすがだなあ、お前。蓬莱ちゃんも感心してたぞ~」
ここで、蓬莱 要も一員だということが知れる。
「他には?」
「お前なら、分かんだろ。クロはまあ、親を自死で亡くしてて、デボラに心底傾倒してっからなあ。説き伏せるのは、無理だと踏んだ。ルーイーとサヨリちゃんは論外。他に俺のお眼鏡にかなった奴はいねえんだわ、これが」
(クロがシステムに足を乗せると怒ってたのって、そういう理由かよ)
納得する。
(そんで、俺は安居さんのお眼鏡にかなっちゃったわけか)
机の上に一列に並べたプリンのラベルを、梶井はくるりと自分の方に向けた。
その様子を気味の悪そうな顔で見て、安居が言う。
「お前なあ……A型かよ。枝豆も並べてたよな。本当、顔に似合わねえ」
「キチンとしていないと気持ち悪いってだけですよ」
「お前の趣味って、確かファイリングだったよなあ。何だよ、ファイリングって、何集めんの? オタクか、オタク」
「安居さんがだらしないだけですよ。俺は順序よく整列させるのが趣味ってだけですよ」
「彼女、出来ねえはずだわ」
口での応酬では、梶井に分が悪い。
根拠は無いはずなのに、安居のこの説得力。
口ではいつも力ずくで押さえつけられていて。
だから、飲み屋に転がして置いてきたり、プリンのラベルを隠して意地悪するなどの、小さな反撃を工夫していると言うのに。
安居にプリンを選ばせる。
「おい、これ何味だ?」
「さあ、ね」
「お前の方に書いてあんだろ」
「……英語かあ、英語分かんねえ」
「梶井ぃ、意地悪しねえでキャラメル味、早く寄越せ」
「これかな? はい、どうぞ」
キャラメル味を自分の手前に引き寄せ、プレーンを差し出す。
「お前、覚えとけよ」
不服そうに言い捨てると、プリンの蓋を開けて、口に流し込んだ。
それを見ていた大賀が、ふふと笑いながら抹茶味を取っていく。
安居が美人だと評した顔が、薄っすらと笑みを作っている。
緊張していた空気が、ようやく少しほぐれたようだったが、それでも、水無は笑っていなかった。
どこを見ているのか分からないような瞳。
今、彼は漠然とした場所で、ふらふらと漂ってでもいるのだろうか。
掴み所のないこの雰囲気。
生きているのか、生きていないのか、自分が一番分かっていないのかも知れない。
梶井はそんな水無の様子を横目で見ながら、プリンを安居と同様に、口へと流し込んだ。
キャラメルのほろ苦い味が、喉に残った。
「でなあ、何がやりたいかっていうとな。お前を巻き込んで悪りいとは思うけど、まあ内部から瓦解、的なことをやりたい訳よ」
プリンを一足早くさらえた安居が、さっきとは打って変わって神妙な表情を浮かべている。
「俺はさあ、12年この仕事やってきた割に、結局のところこの仕事の真の意義ってヤツを理解できんかった。必要性を感じられんかった。人の生き死にに踏み込むことじゃねえよ。他人の人生自体に踏み込んじゃいけねえって思うんだ。しかも、俺たちは土足でなんだよ。相手が何が何だか分かってねえうちに、土足で踏み込んでんだよ。命を助けるどうこうじゃねえ、それ以前の問題だって思うんだ」
プリンのカップを少し距離のあるゴミ箱にスローインする。
「てめえがさ、何様だって思うんだ。てめえは神様かって、これは洗脳だろって、いつも自問自答だよ。おっと、これ以上俺が言うとなあ、梶井、お前に悪影響かもしれん、やーめたっと。水無先生と大賀さんに話聞いて、どうするかはお前が決めろ」
そう言い残して、安居は部屋から出て行った。
✳︎✳︎✳︎
安居が出て行った部屋は、何故かがらんどうで空っぽの雰囲気になってしまったと、梶井は感じていた。
水無の様子には先ほどから変化はなく、深く沈み込んでいるようだったし、大賀はそんな水無の様子を気にしているようにも見える。
(でも、安居さん、大賀さんにも話を聞けって言ってたなあ)
黙りこくった三人が、顔を見合わせる。
居たたまれなくなったのか、大賀が話をし始めた。
「安居さん、丸投げなんて酷いな。いつも、あんな調子ですか?」
梶井は苦笑しながら、答えた。
「そうですね、いつもああですよ」
会話がそこで終わってしまう予感がしたところで、大賀が立ち上がった。
「プリン、冷蔵庫に仕舞っておきますね」
行儀よく一列に並んでいる、残り5個のプリンに手を伸ばす。
「先生は、何味が好きなんですか?」
梶井が水無に声を掛けた。
手を伸ばしながら、大賀が水無にちらっと視線をずらす。
水無の、どこを彷徨っているのか分からなかった瞳が現実の色をようやく取り戻すと、水無はすっと腕を伸ばして、一つのプリンを選び取った。
「これですよ、イチゴ味。あまおうっていう苺を使ったやつです」
「……先生、冷蔵庫に入れておきましょうか」
大賀がプリンを四つ重ねて、両手で一気に持とうとする。
それを見て、これ以上は持てないだろうと判断したのか、水無はスプーンの袋を破り出した。
「いや、食べるよ。ん、うま」
「意外と好みは定番なんですね」
「んー、まあね。周りの皆んなと自分が違っているとさ、嫌でも皆んなに合わせたくなるでしょ。普通ってのを求めたくなるんだね」
「そんなもんっすかね」
「天才やってるのも、楽じゃないんだよ」
そう言って満足そうに食べる水無と、冷蔵庫の前で手をプリンに塞がれて、おろおろしている大賀を見て、少しだけふっと吹き出すと、梶井は椅子の背もたれに背を預けて、両手を頭の後ろに組んだ。
肩甲骨が開いて、気持ちが良い。
背もたれから通常の姿勢に戻ると、頭の中がクリアになったような気がした。
大賀が席に戻るのと同時に、水無もプリンを食べ終わる。
そして、戻ってきた緊張感と共に、梶井は大賀の話に耳を傾けた。
「まずは何から話していいのかな」
「そうだね、君自身のことから始めよう」
水無に促されて、こくっと頷くと、大賀は梶井を真っ直ぐに見据えて話し始めた。
「じゃあ、まずは僕のことから。僕の、右腕の話から」
そう言うと、ワイシャツの袖のボタンを外すと、一気に上へと引っ張り上げた。
細い右腕には、たくさんの傷。
それは右手首の裏側の一番皮膚の薄いと思われる一箇所に集中して存在していた。
梶井は、あっと小さく声を上げたものの、すぐにそれが大賀自身による自傷行為だと理解した。
「こう見えて僕は優秀でね。けれどその才能は残念ながら僕の努力などは関係無くて、代々受け継がれたDNAによって成り立っているんだ。君は、ユダヤや華僑といった優秀な民族を知っている?」
「聞いたことはありますけど」
「多くの天才や富豪を生み出している、才能の宝庫だ。実はあまり知られていないけれど、日本にもそういう血筋というか、血統があるんだ。それが、純日本人の血だ」
「純日本人っても、もう外国人の血が混ざっちまって、そんなの判断が出来ねえんじゃ……」
日本人のルーツを探る研究がある。
日本人の祖先は大陸から日本列島に渡ってきたと言われているのだから、純血と言っても、もうその時点で怪しいものだ。
「そんなには遡らないんだ。そこまで遡ってしまうと、括りが複雑になるからね。まあ、優秀な血統を受け継いできたってだけで、本当に純日本人なのかは、怪しいところだよ。けれど、そういう少数民族が存在する。日本人の0.00001パーセントにも満たないけれどね。……僕もその一人だよ」
その苦く歪んだ大賀の表情を何とかしたくて、梶井は言った。
「この顔じゃ、間違いなく、俺はそこからは弾かれますね」
ふっと笑った。
そこへ、水無が入ってくる。
「自分では評価しにくいだろうから僕が言うけど。非常にね、優秀なんだよ。まあ、見れば分かると思うけど、外見も美しいね。僕たちの常識では、外国人の血が入った方が優性だと思っている。でもそれはある意味間違いで、純日本人は頭も良くて、見目にも透明な美しさがある。そしてその血族は、ノーベル賞受賞者、オリンピックメダリスト、ミスユニバースなどを排出しているんだ。そんな可能性に満ち溢れた、優秀で美麗なその血を絶やさないようにしなければならない。政府はそれに躍起になっているんだよ」
話が見えてきたように思った。
梶井は、ゴクリと唾を飲んだ。
その様子を見て、大賀が立ち上がって、常に温かいコーヒーが用意されているコーヒーメーカーの方へと歩いていった。
「だからこそ、このデボラシステムなんだ。貴重な民族を絶やしてはいけない、無論それを自死によってなど到底、失うことはできない。絶滅から救えなかった、日本オオカミや日本産のトキの二の舞を演じないように、と。そういう理論で始まったんだ」
「でも、今みたいに全国民を対象にしなくても。このデボラシステムなら希少民族だけを守ってたって、国民には分かんねえ、ってか分からないですよね。だって当の本人ですら、脳内を操られているって知らねえんだから。それなのに、どうして今の状態になったんですか?」
「無論、政府も最初はそのつもりだったんだ。デボラシステムの開発だけで、莫大な費用を使い込んでいたから、手広くやるとは思いもしていなかった。僕は初期からこのプロジェクトに参加しているから分かるけれど、国家予算でまかなえる額じゃ無いんだ。だから天才と言われた双子の妹、川瀬 環と、僕。才能は揃っていてもそれを活かせる金がない状態が続いていた。それでも、細々と続けていたんだ。その時点で純日本人のデータや対象者のリストは手元に用意されていたからね。やり方を試行錯誤しながら、純日本人のかけがえのない命を救っていた。少なくとも……僕はそう思っていた」
一瞬の間がある。
けれど、直ぐにその口は開かれた。
「けれど、ある日スポンサーがついた。莫大な金を政府の目の前にちらつかせ、日本国民全体にデボラを施して欲しいと言ってきた」
「アルファ・クォーツ社か」
「そう、今ではαウォッチのあらゆる権利を政府から任されているね。いわば独占企業だからライバルはいないし、会社の幹部役員の懐に入る金以外は、会社を大きくするためとこのデボラシステムを維持する費用に充てられている」
一気に話して疲れたという風にして、ふぅっと息を吐く。
「今のシステムになった所以だ」
大賀が両手にマグカップを持ってきた。
梶井と水無の前に置こうとした時、右手で持っていたマグが、一瞬ぐらっと揺れた。
けれど、零すことなく、机の上に置かれた。
「僕の時は、間に合わなかったんですよ」
もう一つのマグを取りに行き、自分の前へと置きながら、大賀がそのままイスに腰掛けた。
「いや、違うんだ。大賀くんの時は、デボラシステムが機能しなかった。彼には効かなかったんだ。ポジティブシンキングに持っていくつもりが、逆に彼を煽ってしまってねえ」
水無が苦虫を噛み潰したような顔を見せる。
コーヒーを一口飲んだ大賀を見て、梶井もマグの取っ手に指を引っ掛けた。
けれど、口には運ばなかった。
「大賀くんをデボラでは止められなかったんだ。だから、僕と安居さんが直接、彼の所へいった。そこで、」
言葉は一瞬、呑み込まれた。
顔色がみるみる青ざめていき、大賀も隣で同じような顔で俯いている。
その二人の様子から、それが凄惨な現場であったことが窺い知ることが出来た。
「大賀くんの家で、僕が救急車を呼んでいる間に、安居さんが彼の救命処置を……」
泣くのかと思った。
二人の眼から、涙が流れてもおかしくないと思った。
それがどうしてなのか理由は分からないが、自分の眼から涙が零れ落ちている。
梶井はマグの取っ手に添えてあった手に力を込めると、ガタガタっと微かな震えがマグの底を打ちつけた。
水無と大賀がその音で二人同時に、顔を上げて梶井を見た。
そして、驚きの表情と苦笑とを交互に浮かべると、水無は席を立って部屋を出ていった。
そして、大賀は。
後ろの棚からボックスティッシュを取ると、梶井の前に差し出して、同じようにして部屋をするりと出ていった。
「その時に僕は初めて、デボラシステムの存在に疑問を抱いた。自殺やうつ病を止めるはずが、それを促進してしまう危険性もはらんでいるなんて、それまでは思いも寄らなかったんだ。前向きな言葉は、時に人を傷つける。頑張れと言われて、百人が百人、それを前向きに捉えるとは限らないんだ。そして、僕はようやくそこで気がついた。それは安居さんが言う、他人が踏み込んではいけない領域なのではないか、ってね」
水無が部屋から出て行く間際に言った言葉が蘇る。
それは安居の言った言葉をも次々と連れてきて、梶井の頭の中でぐるぐると回り始めた。
梶井は大賀が置いていった箱からティッシュを一枚引き抜くと、目元を拭って鼻をかんだ。
✳︎✳︎✳︎
「お前にはさあ、こんな機会が巡ってきたら一度聞いてみたいと思っていたけどな。昔さあ、デボラがお前を救ったってことになってるじゃん、建て前え上さ。それについて、どう思うよ」
館内は禁煙だというのに、咥えタバコの煙をゆらゆらと燻らせている安居と、狭いエレベーターの中で肩を並べていた梶井は、白衣のポケットに両手を突っ込んでから、思考を始めた。
6年前の自分を思い出す。
あの時は、安居とこのデボラシステムに対して反感を持っていたから、安居を前にして、自殺なんてしねえ、余計なことをするなと怒鳴りつけたんだったっけ。
けれど今思うと、当時の自分に一種の危うさのようなものを感じていたのも事実だった。
両親を二人を一度に亡くし、途方に暮れたかった。
それなのに、毎日朝はやってきて、その日一日をちゃんと生きろと強制される。
仕事は激務で、ヘトヘトになって帰ると、ぽっかりと空っぽな部屋が自分を飲み込んでいった。
もう眠りたい、このまま眠りたいと思っているうちに、また朝はやってきて、無理矢理にも腕を引っ張り上げられて立たされ、会社へ行けと背中を押される。
そんな毎日の中で、よく生きてたなと思うからだ。
安居がタバコを指に挟んで、フゥッと細く煙を吐く。
「火災報知器、鳴りますよ」
「あはは、んで、どうよ」
「安居さんに助けて貰ってどう思ったか、ってことでしたっけ」
「まあ、俺が助けたなんて微塵も思っちゃいねえけどな、これはマジ心底な。あー、聞きたいような聞きたくねえような……いや、それ聞くとさ、色々考えちゃうだろうし、決心も鈍るっつーか。聞かねえ方が良いかなって思ってもみたんだけどよ。な、そうだろう。うん、やっぱ止めた。言わんで良し」
そこで、押したボタンの階で、ドアが開く。
『開』を押して、安居に出るように促す。
「うん、やっぱ聞かねえ。それが良いなあ」
梶井が口を開こうとすると、安居が両耳を手で覆った。
「あわわわわ~、何も聞こえない~聞こえない~、あわわわわ~」
子供か、心で突っ込みながら、梶井ははあっと溜息を吐いた。
「な、梶井。俺は監視されてっから、ここにもあんま長居は出来ねえ。こっちでの段取りはお前に任せるから」
「分かりました」
梶井の前を歩く安居の表情は見えない。
「気が変わったら、早めに言えよ。俺にも俺なりの段取りっつーもんがあるからよ」
「電話します」
「あ、電話ダメ。多分帰ったら、課長室に盗聴器つけられてっから。メールもだめ、手紙にして」
「この時代に手紙て!」
タバコをまた咥える。
「まあ、お前はなあ、大丈夫さあ」
「何が大丈夫なんですか」
「いやあ、分かんねえけど」
「根拠は?」
「ねえよ。けど、お前ん中にもそういう根拠的なもんって、一つもねえだろ。それがお前の強みだよ」
お互い、ふっと吹き出すと、玄関のドアを出た。
外へ出た瞬間、温い風がすいっと頬を撫でていった。
安居は手を軽く上げると、門に向かって歩いていった。
不思議と、この後ろにそびえ立つ、白く高い壁が安居を取り囲んで飲み込んでしまうように、梶井には思えた。
その背中に向かって、さっき言わせてもらえなかったことを心で言う。
(デボラに助けてもらったなんて思いませんけど、あんたの言葉には俺、マジで救われましたよ)
『共に今日を生きよう』
梶井は当分の間、玄関で佇んでいた。




