眠り姫
「ねえ、もう直ぐ、君を壊しにいくよ」
水無は、幼い少女が眠る部屋で、彼女を見つめていた。
ガラスケースに手をついて、指で彼女の輪郭をなぞっていく。
「ごめんね、せっかく君が一生懸命考えて、創ってくれたのに」
消えそうな声で呟く。
「少し、髪が伸びたみたいだ。早く、大人になった君に会いたいよ」
ガラスに顔を近づけていって、左の頬をつける。
頬に感じるひやりとした感触に、水無は自分の生を感じずにはいられなかった。
眠り続けている環との間に、思いも寄らぬ強さで強いられる、この生と死の狭間。
環の横でこうして頬にガラスの冷たさを感じる時、環の顔を見つめながらあまおうのプリンを食べる時、環の側でうつうつとまどろむ時、どんな時にも、環の死と自分の生を結びつけてしまう。
(そうだよ、君は死んでるも同然なんだ。僕が殺したんだ、君はそんなこと、ちっとも望んでいないのに)
涙が頬をつたって、次々と零れ落ちていく。
(こうやって頬をつけると、君も冷たいと感じるのだろうか)
「環、」
大切そうに呟くと、涙はそのまま床へと落ちた。
✳︎✳︎✳︎
「悪いね、遅くなった」
言いながら駆け込んで入ってきた蓬莱に、梶井が振り向く。
「安居さんが更迭されたって、マジかよ」
そこへ後から入ってきた川瀬の姿を見て、梶井はぎょっとしてしまった。
蓬莱が川瀬を連れてくる、とは聞いていた。
その梶井の驚きの表情に川瀬は気づくと、バツが悪そうにして視線を逸らしてしまう。
(何だこれ、凄え似てきている)
この研究所にいる間、一日に一度、梶井は環の部屋に通っていた。
毎日、見ていても、その成長は分からない。
けれど、データと照らし合わせて確認すれば、少しずつどこかしらに成長の兆しが見つけることが出来た。
それは、髪であったり、足のサイズだったり、身長や体重だったりした。
そうやって、毎日見ていたからか、川瀬に会った途端、環の面影と重なって見えて、その双子の強い結びつきの要素に驚きを隠せなかった。
川瀬の顔から目が離せない。
「おーい、梶井ー。安居さんの話をして良いかー」
棒読み風に言う蓬莱へと、ようやく視線を戻した梶井は、ああ、と頷いて唾を呑んだ。
「多分、今公安で事情聴取だ。もうこれで、安居さんは動けない。ここも直ぐに封鎖されるだろうと思う。どうします? 水無先生」
「うん、そうだね、どうしよっか」
「まだアタックの方法が、確立していません。それに……」
大賀が気持ち、頼りなげに言い淀む。
「うん、そうなんだ。本当は『健康維持管理局』のオペレーター室から、デボラシステムに侵入しようとしていたのに、安居さんがそこに居ないなら、もうそれ自体出来なくなってしまったね」
沈黙が訪れる。
安居が更迭されたということは、事実上、『健康維持管理局』は公安の管理下に置かれているはずだ。
ここにいる梶井と蓬莱の社員証やパスワードは使えないと思って良い。
これで建物に近づくことすら、難しくなった。
内部にはもう、協力者はいない。
蓬莱が、はあっと溜息を吐いた。
その溜息に重ねるようにして、水無が聞いた。
「健康維持管理局の中に、誰か協力を仰げそうな人はいる?」
水無が提案する。
「もしいれば、その人にオペレーター室に入って貰って、サポートして貰うっていうのはどうかな?」
「でも、梶井くんと川瀬さんの二人が、その場にいないとダメなんじゃ?」
「まあ、できればその方が確実なんだけど。でも、ここからでも梶井くんが侵入することはできるんだ」
「え、どうやって?」
梶井が大仰な様子で聞く。
「だって、ここにはデボラ本人がいるんだよ」
皆が水無の顔を見た。
「でも、デボラはネットにリンクしてないって……」
言ってましたよね、と梶井が続けようとしたところを遮られる。
「ネットに接続していないとは言ったけれど、できないとは言ってないよ」
その言葉に一同、また沈黙した。
そして、その沈黙が終わりを告げる頃、皆の視線が川瀬 町子に集まった。
妹が生きていることを、きちんとはまだ知らされていない。
神妙な面持ちで佇んでいる川瀬は、どうして自分がこの場に同席しているのがまだ分からないといった顔で、ただ突っ立っているしかないように見える。
(驚くだろうか、死んだと思っていた妹が、実は生きていて、実験体のような扱いを受けている。それにきっと、いや、確実に。……泣くだろうな)
梶井は顔を歪めると、川瀬へと近づいていった。
そして、梶井と川瀬を残して、他の皆は部屋からそっと出ていった。
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「環、たまちゃん、嘘みたい、本当にたまちゃんなの?」
梶井から事の概要は聞いてはいたけれど、俄かには信じ難いその事実が、川瀬の頭の中をぐるぐると空回りしているようだった。
まだ幼い妹の姿を見て、驚きを隠せず、混乱している。
妹の名を何度も呼ぶ。
今まで何度も人の死というものを体験してきた。けれど今回だけは、生を前に据えた死。
死を前に置いた生。
それのどちらなのかも、分かっていない。
混乱に、頭が、感情がついていかない。
そうして、混乱する頭と心を抱えながらも、再度こうして環の顔を見られることが、川瀬には嬉しく思えた。
単純に、会いたかった。
(お母さんも死んでしまって、私は今、独りぼっちなの。だから、たまちゃんにまた逢えて嬉しい。これで私たち、やっと二人になれた)
そう心で話しかけた瞬間、涙がどっと溢れてきた。
身体がビクビクっと震え、嗚咽が喉から込み上げてきた。
声は抑えていた。
梶井が同席している。
(たまちゃん、たまちゃん……)
両手をガラスに置くようにして、身体ごと近づく。
環の身体は自分よりも背が低いようだけれど、顔はいつも鏡で見る自分の顔とそっくりだった。
せり上がってくる嗚咽に堪えながら、覗き込む。
(話せたらどんなに良いだろう、笑い合えたらどんなに幸せだろう)
「似ているね、私たち」
思いがけず、声に出してしまって、後ろの梶井の存在を気にする。
梶井は多分、遠慮してこの部屋から出て行くんじゃないかと、川瀬は思った。
けれど、背中に体温を感じて、小さく驚く。
梶井はあろうことか、川瀬を後ろから抱き締めた。
「か、梶井さ、ん」
背の高い梶井に抱き締められると、川瀬の頭の上に梶井の顔がくる。
頭頂部に、シャープな梶井の顎が乗せられているのを感じて、うろたえた。
「すみません、イギリスではこうやって人を慰めるので」
背中が体温に包まれて暖かい。
横たわる環を見る。
いつも病床で死に向き合う時、じわじわと募ってくる冷ややかな気持ちと、その後やってくる虚しさは、今はまだ自分の中には存在しなかった。
それは、そこに横たわっているのが赤の他人であるいつもの患者ではなく、血の繋がった妹の環であったからなのか、その生命力は弱々しく見えるけれど、環が確かにまだ息をしその生を紡ぎ続けているからなのか、それとも背中に梶井の体温を感じているからなのか、川瀬には分からなかった。
「梶井さん、自分は日本人だって、言ってませんでした?」
そう言葉にすると、自分でもおかしくなってきて、クスッと笑う。
梶井もふっと吹き出し、川瀬の黒髪を揺らす。
それほど、梶井と近い距離にいることを思わされて、川瀬は改めてどきりとした。
「今は、イギリス人だから」
梶井の答えがおかしくて、顔が火照ってくるのを感じながらも、再度ふふっと短く笑う。
「じゃあ、日本人に戻ったら、教えてください」
「……もう戻りました」
そう言うと、背中から離れていき、そして部屋からそっと出ていった。
川瀬は、環を再度見た。
環をどうしてこんな目に遭わせたんだと、怒りが湧いてくるのかと思っていた。
けれど、怒りはいつまで経っても現れず、そして川瀬はもう、泣くことはしなかった。




