それから僕は、自分の首を触って生きていることを実感するようになった。
彼女はいろいろな髪型をする、肌の白くてどちらかというとふっくらとした一つ年下の女の子だった。その子は、一ヶ月間だけ僕の恋人だった。あるときは髪を下ろして、あるときはポニーテール、あるときは頭のてっぺんから三つ編みをしていて、また髪の毛を半分だけ結ってお団子にしていることもあった。
僕と彼女が知り合ったのはプログラミング同好会という名の部活で、彼女はプログラミングなんて微塵も興味がないのにそれに所属していた。僕の同級生が彼女にべたべたに惚れていて、口を開くと彼女の話をした。どうやら彼女は彼に声をかけられ同好会に入ったようだった。僕は、彼はその子を恋愛対象として好きでいるんだと思っていたけれど、彼女は彼から、どういう意味の好きかはわからない、でも君に恋人ができたらきっと耐えられない、そう伝えられたことがあると言っていた。そんなことを言われたというのに彼女は悪びれもせず彼女のそばにいたがる彼を拒むことがなかった。それでもそんなふたりは見ていて不快な感じはせず、さらに彼女が彼に僕のことをよく相談していたと知ったときはとても驚いた。彼女に対する想いが曖昧だった彼は彼女の僕に対する気持ちをはじめ恋愛のそれだと思わず話を聞いていたらしく、僕は彼はそもそも恋とか愛とかそういう類の感情を理解していなかっただけでやはり彼女のことを好きだったのではないかと思う。
彼女が僕に想いを打ち明けてきたのは、知り合ってから半年後くらいだった。僕が三年生、彼女が二年生のときだった。夏が近づいていた六月のあたま、いつも通り同好会の部室で仲間と喋っていたところに、彼女はやってきて、僕の名前を呼び、「今、大丈夫ですか?」と聞いてきた。僕はまさか告白だなんて思いもせずに頷き、教室から出て行きすこし先を歩く彼女に疑問を抱きながらついて言った。少し歩いた先で彼女は不審な顔をしていたのであろう僕に気づき立ち止まり、「好きです。付き合ってください」と、これ以上にないシンプルな言葉で僕に想いを告げた。頭が真っ白になった。断る理由もなくて、僕は、彼女のそれを受け入れた。
彼女は口下手で、僕と彼女の会話が盛り上がることはこれといってなくて、むしろ微妙な沈黙に困ることが多かった。僕はなぜ彼女が僕を好きなのかが全くわからず、別れるまでの一ヶ月間、悩み続けた。結局、僕はその自分の気持ちに耐えられなくて彼女を振ってしまった。彼女は素直に、それを受け入れた。
それから月日は過ぎて、僕は彼女に別に恋人ができたことを知った。嫉妬とかそういう類の感情はなかった。ただ、そうか、と、それだけ。彼女の新しい恋人と彼女がふたりでいるところに何度か遭遇した。彼女はなんでもないように振舞っているように見えた。彼女の新しい恋人は僕より少し背が高くて、肌の白い彼女よりずっと白い僕よりもずっと焼けた肌をしていて、余計な肉の付いていない、けれど男子としては少し筋肉の足りないように思える、眼鏡をかけた男の子だった。僕は無意識に、彼と僕の共通点はなんなのだろうと考えた。しばらくして風の噂で、彼女が彼を選んだのでなく彼女が彼に選ばれたんだということを、彼女にべた惚れだった同級生から聞いた。彼は彼でまた、彼の想いを知りながらそれに応えることのない彼女をずっと想っているようだった。彼女の新しい恋人と、僕の同級生との違いは、彼女を選び、それに彼女が応えたか応えなかった、だった。そんな彼女に選ばれた唯一の男がお前なのに、と、同級生は僕に言った。僕はそれから何度か学校で見かけるむかしの恋人を、不思議な気持ちで見ていた。
彼女は同好会とは別に管弦楽部に所属してして、演奏会では上手にMCをしていた。無駄のなく落ち着いた、聞き心地のいい声だった。そういえば、彼女はあんな声で僕の隣で喋っていたかもしれない。初めて、彼女を手放したことをもったいなく思った。演奏会で、彼女の座る斜め前の席に、彼女の恋人がいた。なるほど、管弦楽部だから筋肉が足りなかったのか。そんなことを思った。そういえば、彼女は僕の腕を好きだと言ったことがあった。彼の腕は僕の腕に似ていた。
卒業の日、僕は彼女に呼び出された。別れた日から、直接彼女と接するのは初めてだった。彼女は、私のことを殺してほしい、と言った。僕のことを忘れられなかったのだ、と。新しい恋人はどうしたのかと聞くと、彼では僕と別れた悲しみは埋められなかったのだと答えた。彼女は僕の腕を取って自分の首に回した。僕は手にぐっと力を込めた。そのまま彼女の顔を首ごと自分に近づけて、キスをした。手の力を緩めると、彼女は涙を流して僕のことが好きだと言った。首には僕の手の跡が残っていた。僕はなにも言わずに彼女を見つめていた。どうすることもできずにいると、彼女の恋人がやってきて、彼女の手を取った。僕と少し似ている腕に血管を浮かべ、彼女を自分の方に抱き寄せた。しばらくて、彼は僕の方を見て、なにも言わずに彼女を連れて去っていった。
僕と彼女が会ったのは、それが最後だった。