4話
「たっだいまー。あー、面白かった!」
「どうも」
「あ、おかえり」
「二人とも、遅かったな」
「何か、変わったことは?」
なさそうだった。
留守番組の二人の位置関係は、俺たちが出て行くときと全く同じ。
ひよこ顔が、両手で湯飲みを抱えているところまで変わっていない。
「少し話が、壇ノ浦、さん」
「はあ、なんスかね」
「廊下まで」
「まあ、いいスけど」
湯飲みを置いて、こちらに歩いてくる、ひよこ顔。
「忙しいな、柳生くん。少しは落ち着いたらどうだ」
「お構いなく。五日先輩には、園村真由子を、プレゼント」
手を向けると、脳天気な女が跳ねていった。
「はーい、五日くん。寂しかった?」
「ば、馬鹿にしないでくれ!」
これが惚れた弱みというものか。手玉だ。
出した手を廊下へ向け、
「では、壇ノ浦。行くとしよう」
「了解了解」
二人で部屋を出た。
廊下に人気はなかった。ここに来てから他の客の姿を見ていない。旅館の経営が少し心配になる。
とりあえず、内緒話をするには丁度良い。
壇ノ浦に園村真由子との協力体勢が確立したことを一通り説明すると、最初は戸惑っていた壇ノ浦だったが、一応、理解はしてくれたようだった。
「…………というわけで園村真由子は、俺の忠実な、下僕となった」
「いいように誇張しやがってますよね?」
「誤差の、範囲で」
「話半分に受けとっときますよ。しかし、園村さんは、意外に話の分かる人なんスかね」
「利害が、一致したので。でなければ、厄介な相手だった」
「普段も充分厄介っぽいんですが」
「そんなことより、壇ノ浦。もう園村真由子を、意識する必要はない。さあ、ここからずっと、壇ノ浦のターン。モテカワスキンシップで、大胆な自分を、演出しちゃえ」
「……なんてスキンシップで? ノリもよく分からねえんですが」
「自信を持て、ということ」
「わ、分かったような、てんで分からないような……」
「ここから勝負。後のことは、考えなくても良い」
「うっ…でも、ですね? やはりこう恥ずい……ス」
「五日辰也を、好きという気持ちは、嘘だった?」
「マジに決まってんじゃないですか!」
「では、やれるはず」
「…………そう……スね」
「壇ノ浦は、できる子」
「……え、ええ、覚悟決めました。やりますよ。壇ノ浦スミレはできる子!」
「決めて、こい」
「はい!」
颯爽と部屋の扉を開けて、壇ノ浦が行く。
明るいひよこ顔を見送って、俺は笑う。
「上手く、やれ」
呟き。
これから、しばらく見てやれないと予感していたから。
廊下の向こうから、走る音が近づいてくる。
「岬!」
俺は笑みを深くする。
動きが、あったようだ。
保長と共に旅館事務所に入ると、電話の音がけたたましく鳴っていた。従業員が慌ただしく動いている。
応接スペースに移動した俺は、早速保長に状況を尋ねた。
「アジトが分かった。首領もそこにいる」
「どこに?」
「ホテル西ユガワラの最上階だってよ。舐めやがって……」
「舐めている、とは?」
「あそこはユガワラの最大手なんだよ。あいつら、ここの支配者のつもりってわけだ」
「重要施設と、離れた場所で、間違いないか?」
「そうだな、源泉とも、配湯施設とも離れてる」
「では、後は、任せてもらう」
「……いやいやいや、駄目だって。源泉に爆弾でも仕掛けられてたらどうするんだ」
「首領が、アジトにいるなら、自然、爆弾は、遠隔操作。大丈夫、問題ない」
「問題あるだろ! スイッチ一つでドカンなんて洒落にならねえよ!」
「保長。俺は、大丈夫だと言った。温泉は守る。誓うべきものは、俺には、ないが。敢えて言うなら、友情」
「……信じていいのかよ」
「その許可を出すのは、俺では、ない」
「……だな。今更か……分かった。それなら止める理由がないな。俺は鬱憤が溜まってんだ。思いっきりやってこい!」
「言われずとも」
夜までに、全て温泉を取り戻すために。
日が傾きかけている。
あと一時間もしないうちに、ユガワラは赤い夕日に染まることだろう。
ホテル西ユガワラは、保長曰く、ユガワラ最大手の温泉宿泊施設だ。立地も駅から徒歩十分。温泉街のただ中に立っている。
温泉最盛期の、ただ泊まるだけの施設からいち早く脱却し、部屋の改装、サービスの充実を図り、外観をコンクリートの白壁から木造風に変更した。
聳える建物は、一見、巨大な木造建築のテーマパーク。崩して書かれた大きな『西ユガワラ』の看板と各所から湯気を立ち上らせる様は、一種異様な雰囲気を供えている。
しかし、ホテル前は閑散としており、休業中の遊園地に似た奇妙な空気だった。
数メートル向こうには、普通に温泉街があり、多くの観光客が行き交っている。
ここだけが別世界。
『猿マニア』が人払いをしているのか。
温泉街を手中に収めた物の自信の表れか。
どちらでも構わない。
関係のない人間を巻き込まないで済むのなら、俺とって都合がいい。
戦闘準備。軽く息を吐き、力を抜いていく。
隠す必要の無い第二の耳を髪の中から立ち上げ、起動用蓄電池を体内発電機に接続、点火。待機状態のまま、骨導線を通じて試験信号を打ち、返信は八割弱。概ね問題なし。
暗示による枷を外すと、昂揚する攻撃衝動。
玄関の向こう、ロビーに数え切れない戦闘員の姿。
俺は西ユガワラに足を踏み入れる。
高校入学直後に、正義の味方と喧嘩した。
足を怪我し……すぐに直ったが、力のセーブが利かなくなった。
正体を隠す俺は、人前で走ることができなくなった。
当然バスケなど出来るはずがない。
唯一、友人といえる保長とも別の高校になってしまった。
ふて腐れた俺は、授業を抜け出し、学校の体育倉庫裏で、いつかの禁煙を破ってセブンスターを吹かしていた。
その時だった。
頭上から「けむい」と声がした。
見上げれば木の上に座る女子生徒。スカートの下にジャージを穿いた壇ノ浦だった。
一年先輩だが、俺のことを「岬さん」と呼ぶ。奇妙な性癖を持つ人間。
彼女は木の上で恋に悩んでいた。
その問題は、俺にとって良く分からないものだったが、とにかく大事で、凄いことのように思えた。
羨ましい、とも。
世の中には一人でいることが平気なもの、むしろ孤独こそを愛するものがいると聞くが、俺は違った。いつも不安で仕方なかった。
秘密協会を知る俺は、学校生活に溶け込めず。その中で保長だけが、クラスメイトとの接点だった。
しかし高校で保長とも離れた俺は、クラスに居場所が無かった。進学校で基本的に中高一貫。同じ中学の者たちで既にコミュニティができていた。
居場所を作る努力は、しなかった。分かっている。足の怪我を言い訳にしていた、という自覚もある。
実に簡単な話。俺はいじけていただけだなのだ。
しかし、俺は感謝する。
あの時、体育倉庫の裏で、壇ノ浦の悩みを聞けたことを。
少なくとも俺は今、以前ほど孤独を感じることはない。
戦闘員たちを音もなく昏倒させ、各階に設置されたトラップをすり抜け、最上階を目指す俺は、協会の主義などではなく、今、壇ノ浦の味方でいられる。
「何事だ!」
扉を開けた俺の耳に届いたのは、慌てた首領の声だった。
「お邪魔する。ここは、『猿マニア』のアジトで、間違いないか?」
赤ら顔に、丸く大きい耳。お猿の顔だった。
黒いマントを羽織り、首の回りは何かの毛皮か。手に持った杖の先端には、ダイヤっぽいものが嵌っている。後ろには、背もたれの高い椅子。頂点に威嚇のつもりか牙をむいた猿の顔が付いていた。
精一杯好意的に見れば猿の王様と言えるかも知れないが。ぶっちゃけ安っぽい。ここにあと蟹の着ぐるみでもあれば、幼稚園のお遊戯と勘違いしてもおかしくない。
「貴様。温泉街の刺客か」
「概ね、その様なもの、で」
「……どうやってここまできた」
「それは、愚問かと」
「おっと、それ以上近づけなよ。さもなくば、源泉はドカンだ」
「嘘をつくのは、苦手なので。正直、それは困る」
「……その姿、本物か? 貴様は正義の味方ではないのか?」
いぶかしげな顔をされてしまった。やはり第二の耳が悪いのか。
「ちゃんと、人の耳もある。つまり改造人間と」
「では、こちら側だろう? 協会を敵に回す気か」
「珍しいことでは、ない。『猿マニア』など、潰れたところで、協会全体にとっては、『産毛が一本抜けた』程度のもの」
「名乗れ、どこの者だ」
「所属は、もう無い。元なら、秘密協会『迷子の狼さん』」
「……聞いたことがないな。はぐれ怪人か」
「知らなくても、構わない。『猿マニア』は、潰れる。
「立場を分かっているのか?」
得意げに、懐から四角い箱を取り出す猿顔の首領。面の一つに大きな赤いボタンが見えた。
「このスイッチを押せば、源泉は粉々だ」
「では、一つ、冥途の土産を」
「聞け!」
しかしスイッチを押す気配はない。
協会の者は大体がそうだ。決め台詞、変身中に攻撃しないし、自分の存在を無視されるのを非常に嫌う。律儀なことだ。俺も含めて。
「押したければ、押すが良い。用を、成さないが」
「貴様本気か?」
「だが、白い狼は、電波を操る、と、聞いたことが、無いか?」
「……狼だと?」
「火花が飛ぶので、気をつけると、いいんじゃないか?」
俺の第二の耳が小さくパリ、と音を立てた。
主観、首領の持つ箱から火花が散り、破裂する。
「な、なんだ!? それは!」
配線の焦げる音、白い煙が、辺りに漂う。
「電子レンジに、アルミホイルを入れて、使ったことは?」
原理は単純だ。金属などに電波、マイクロ波を当てると、発熱する。熱量が大きければ、自然、爆ぜて、電子機器は壊れる。
「大昔のこと、生体レーダーの実験。単体で、あらゆる航空戦力を遠距離にて、捕捉」
「大戦期の生き残りだと!?」
「当時、シールドと収束が、不完全で、受信機と言語中枢の、一部が損傷した、ので。レーダーとしては、失敗作。それが、約六十年前」
冷凍保存された俺が、目覚めた時、大戦は既に終わっていた。
「秘密協会、『迷子の狼さん』に、回収され、再改造。受信機を外し、代わりに、発電能力と発信器を一新。バンドはマイクロ波、通常稼働で、イージス艦並の出力を、出せる」
当然のことだが、余程強力なマイクロ波でもなければ、電子機器を破壊することはできない。
電子レンジですら、ブレーカーを落とす原因となるのだから。
「なぜだ? それで、なぜ名が残っていない?」
「資金が、尽きたので。『迷子の狼さん』は、それで、解散」
猿顔は言葉も無いようだ。
「連絡は、不可能。電波攪乱中は、電子戦用改造人間の、十八番」
「馬鹿な……」
「のろしでも、使えば、良かったんじゃ、ないか?」
とはいえ、アジトが判明した時点で、負けは決定していたようなもの。
「最後に穏便な提案。大人しく、秘密協会ライセンスを渡せば、あまり痛くしない。でなければ半殺し」
「くっ、勝手にしろ……」
「では何か、言うことは?」
「怪人くらい、出させて欲しかった」
「下で伸びてるので、お前も、おやすみ」
「…………」
そうして、悪の秘密協会『猿マニア』は壊滅した。