3話
「すっごーい! ねえ! ここ本当に泊まっていいの!?」
飛び上がってはしゃいでいるのは、園村真由子。
この人を喜ばせるために、来たではないのだが……。
「柳生くん、本当にここなのか?」
さすがの五日辰也も、雰囲気に圧倒されたか、及び腰だ。
「見た目も中身も、一流なので。心配はいらない」
残る一人は、俺の背中に張り付いて震えている。
「……ああああ……あとで……どんな要求を……されるんですかね? それはもうとんでもないことを要求されるに違いないですよ。……ふわぁん」
一応、醜態を隠すだけの理性は残っているようだ。
「岬、岬っ! 君もしかして、いいとこの、お坊ちゃんだったりする!?」
「いや、特には。恐らく、友人に恵まれただけ」
「だってここ、ものすっごく高いんでしょ!?」
「料金のことでしたら、ご安心ください。既に柳生様からいただいております」
「保長、不気味だな」
「…………」
「クハハハ……良い目だ。さあ保長よ、我々を、案内せよ」
「…………岬、後で顔貸せ」
「言われずとも」
保長の先導で、玄関をくぐると、
「「「服部旅館へ、ようこそ」」」
和装の従業員が五人。横一列に並んでいた。
ほどほどの広さに、年経た木の香り。以前保長に聞いた話では、建物自体は何度か改装しつつも、建材の殆どをそのまま使い続けているらしい。
くつろぎの空間、と言いたいところだが、連れの三人には逆効果のようだ。
「……柳生くん。私たちは場違いではないか?」
及び腰継続中なのが、一名。
「仲居さんのレベルたかーい!」
テンションの針が振り切っているのが、一名。
「……もうもう、力が入りやがりませんんん」
相変わらず背中に掴まっているのが、一名。
「少なくとも、五日先輩はルックス上、問題ない」
堂々としていれば、某国の王子様だから。
「三人とも、先に部屋に。俺は保長と、話があるので」
「む? 柳生くんは一緒に行くのではないのか?」
「岬も行こうよー」
「おおお、置いてきやがるつもりですか……」
「後で、合流する。五日先輩、頼む」
「部屋に行くだけだろう?」
「壇ノ浦……さんが、気分が悪い、と。肩を貸して、やって欲しい」
「ぶ」
「ああ、そういことか。それなら任されよう」
快諾する爽やか王子。実に分かりやすくて、よろしい。
そして俺の背中で真っ赤になっている壇ノ浦に、軽く耳打ち。
「……自然に、肉体的接触を。しっかりと押しつけると、良い」
「ぶぶっ」
抵抗らしい抵抗もなく、五日辰也の手に渡る壇ノ浦。
肩の荷が一つ下りた。
「膝枕などすると、彼女は、喜ぶかと」
びくりと身体をを震わせる壇ノ浦。
「冗談。そんなことしたら殴られるよ」
それこそ冗談だろう。
マゾの変態が、人を殴るとでもいうのか。殴られて喜ぶのではないのか。
「では、後で」
「うむ」
「じゃーねー、岬-」
「…………」
仲居に先導される三人を見送る。
園村真弓は角を曲がるまで手を振り続けていた。あの態度は、単なる感謝からなのだろうか。
玄関に残ったのは、俺と保長の二人。
「顔を、貸そう。話の出来るところへ」
「分かった。こっちだ」
厄介なことに、なったものだ。
高級旅館にタダで泊まろうというのが、虫の良い話ではあるのだが。
旅館の事務所、応接用のスペースに通された。
青白い蛍光灯の明かりに、スチールの事務机。上には数台のパソコンと、乱雑に広げられた書類。
壁に掛けられた連絡用のホワイトボードには『緊急』と赤い文字が踊っている。
表と比べると、いかにも舞台裏といった風だった。普通のオフィスと変わらない。
「早速だが……ユガワラの温泉が、悪の秘密協会『猿マニア』に乗っ取られた」
「ユガワラの温泉とは? 具体的に」
「つまり、乗っ取られたのは、ユガワラの源泉を管理する組合だ。旅館とか、温泉施設に配る湯量を管理してんだ。みんなが勝手に温泉引いてたら問題だろう?」
「大本を乗っ取られた、と」
「奴らが使った手は多分、協会の洗脳装置ってやつだな。大手ホテルの幹部が殆ど取り込まれてる。組合の八割は掌握されてるぜ」
「発覚した経緯を」
「洗脳装置の効きが悪かったやつがいてな。ウチの旅館に密告してきた。どうやら、あの装置は完璧じゃないみたいだな」
「それは使い方を、誤っているから」
そもそも用途が違う。心理操作の補助的な装置として、内部から組織を破壊するために使う。信頼関係の破壊を誘うことはできても、乗っ取りには適さない。
「事実を公表しようと思った矢先に、『猿マニア』から脅迫の電話がかかってきたんだ。奴ら源泉、配湯施設を盾にしやがった」
「公表すれば破壊する、と?」
「ああ。それに今朝がた、まだ奴らに取り込まれていない温泉施設の配湯が止められた。デモンストレーションのつもりらしいな……」
「止められた?」
「あ?」
「ここも取り込まれて、いない?」
「もちろん、そうだ」
「つまり今日は、温泉は、営業できない?」
「ああ、無理だな」
「保長。それは話が、違う」
「だから俺も困ってるんだって。突然、配湯を止められたんだから。親父とお袋はあちこち走り回って、なんとかしようとしてるみたいだけどよ。とにかく、今日温泉に入るのは諦めた方がいい」
なんの冗談だ。
園村真由子だけでなく、悪の秘密協会までもが邪魔してくるのか。
壇ノ浦の恋愛成就をここで諦めろと。
俺の秘策『混浴ドッキンランデブー』を諦めろと言うのか。
「『猿マニア』、潰す」
「おいおいおいおい!」
「駅前で見かけた、即刻、根こそぎに」
「待てー! 確かに助けてくれって言った! けどよ! んなことしたら、源泉やら配湯施設やら、ぶっ壊されるんだっての!」
「構うものか。その様な、些末事」
「落ち着けよ! ぶっ壊されたら、復旧にどんだけ時間がかかると思ってるんだ!」
「……だからどうした」
「今日温泉に入れなくなるどころじゃねえだろ!?」
「……それは……それは、困る」
「親父もお袋も、ただユガワラに居たわけじゃねえ。昔の知人を当たって、『猿マニア』のアジトを突き止めようとしてんだ」
「ならば、俺も、手伝おう」
「岬は……駄目だ」
「なにもさせない、と? ではなぜ、俺に助け、を?」
「お前はそういうのに向いてねえんだろ。だから、その時まで待ってくれ」
「壊すことしか、能がない、と」
「そうは、いわねえけどよ」
「間違いでは、ない。取り乱して、すまない」
「ありがとうな。怒ってくれたのは嬉しいぜ」
「ところで、俺は、正義の味方では、ない。もしもの時は、覚悟を」
「……なるべく堪えてくれよ」
「正義の味方では、ないが、とりあえず、保長の味方では、ある。いかに?」
「岬が女だったら、今すぐ抱いた」
「男で、良かった」
「中学の時さ、修学旅行の夜に、クラスの男子の中で、誰か一人選べって話があったろ。俺、岬しかいないと思ってたぜ」
「クハハハ……それは、最高だ。覚えておこう」
何の因果か、俺が味方をする人間は、揃って変態ばかりだ。
愛すべき人間たちめ。
その笑顔のためなら、協会の一つや二つ、片手で壊してやろう。
保長からの指示は待機だ。本来の目的、壇ノ浦の援護に専念できる。
仲居に案内された部屋は、和風の十畳、角部屋だった。グレードは中の上といったところ。
そして俺は……部屋に入れなかった。
「またぐのは、失礼なので、退いてもらえると」
足下に園村真弓が俯せで伸びていた。入り口を塞ぐように、べったりと畳に倒れている。
「あ、岬。おかエロス」
「どうも」
テンションが一気に下がった。年上の女性の筈だが、小学生を相手にしている気になる。
目を上げると、五日辰也と壇ノ浦が座卓に付いていた。
「五日先輩、膝枕は?」
「本気だったのか? 壇ノ浦は、もう大丈夫みたいだぞ」
湯飲みを両手で持って、ちびちびと飲む姿は、拗ねているのか、凹んでいるのか。
「少し早く、着いてしまったので、時間が余っている。しばらく、自由時間」
その言葉に、いち早く反応したのは、足下の人間だった。
「じゃあさじゃあさ、旅館の中を探検しない?」
きらきらと期待した目で見つめられても。
「あなたは、一応、保護者では?」
一番の年長者が、しかし一番精神年齢が低い気がする。
「こんな立派な旅館に来る事なんて、もう一生無い気がするわ!」
「真由子さん。……頼むから、もう少し落ち着きを持ってくれ」
「では、五日先輩と壇ノ浦、さんは、ゆっくり休む、と」
「あ、ああ。そのつもりだ」
「ええ、勝手に動いて、うっかり何か壊したりしたらと思うと……」
その表情は不安ではなく、期待という。
「園村さん。俺が案内するので、探検にはならないが。いかに?」
「もちろん行くわ! 二人とも留守番よろしくねー」
素早く立ち上がり俺の手を取ろうとする。
「や、柳生くん!」
「なにか」
「……な、なんでもない」
「そうですか」
「早くっ、はーやーくー!」
引率役は、俺かもしれない。
「壇ノ浦、さん。ここで一発、キメると良い」
「ぶっ」
お茶を吹き出す音を背中に聞いて、俺は部屋を後にした。
俺は咀嚼しつつ、適当に旅館内を散策していた。
横を歩く園村真由子は、どこから取り出したのか、俺の口にビーフジャーキーを放り込み続けている。
「岬は、部活何かやってるの?」
「昔、バスケ部を。今は、やっていない」
「おおっ、かっこいい。でも勿体ないわね。どうして止めちゃったの?」
「足を怪我した、ので。激しい運動は、できない」
「……悪いこと聞いちゃった?」
「リハビリ中、なので。いつか復帰できる、かもしれない」
「あ、ああ……そうなんだ。よかった」
彼女が馴れ馴れしく構うことに、そろそろ何か意味を見いだすべきだろうか。
例えば、俺の行動を監視する役。
悪の秘密協会『猿マニア』と繋がっているとしたら、二重に邪魔な存在だ。
その場合、早めに退場を願うことになるが。
例えば、俺とお笑いコンビを結成しようと企んでいる。
どうもこうもない。興味がないし、笑いが狭すぎるので、拒否だ。
「俺の方からも、一つ質問しても?」
「どーぞ、答えられる範囲なら、答えて上げるわよん」
「下ネタは、禁止だろうか?」
「それは質問一?」
「撤回する、質問は複数」
「ま、いーけど。下ネタは、あんまり好きじゃないわね」
「おかエロス、は」
「生々しいのは駄目ね」
「そうか」
小学生レベルの会話になる理由。
「五日辰也の好意には、気付いているか?」
「ま、ね。おねーさん、これでも大学生だもの」
「では、それに応える気は?」
「無理よ」
「しかし今は、断る気も無い、と」
「告白されたら断るけど。今のまま諦めてくれたら、それでもいいと思ってるわよん。卑怯だと思う?」
「見守る立場は、順当。年上の余裕?」
「恋愛対象として見てないから」
「割り切っている、と」
「無邪気でいいじゃない」
「では、園村真由子は、俺の敵?」
「その予定はないわよん」
「では、腹を割って話せる。今回の旅行、本当の目的を明かそう、と思う」
ビーフジャーキーを持つ手が止まった。
「……ただの思いで作りってわけじゃないのよね?」
「壇ノ浦の恋を、成就させるため。相手は、五日辰也」
「……壇ノ浦さんて、岬の彼女じゃないの?」
「誤解を解いておくと、園村真由子が五日辰也の、彼女ではないのと、同じ」
「ああ、そういうこと」
「五日辰也を誘った理由を、理解した?」
「そうよね。もし彼女なら彼は余計だもん」
「協力してくれる、だろうか?」
「そうしたら、岬は何をしてくれるの?」
「俺は、園村真由子の、味方になろう」
「是非協力させてもらうわ」
「なぜ、即答?」
「うふふふ……」
深く考えない方が良い気がした。
「……とりあえず、良かった。正直に言えば、園村真由子は、邪魔だった。流れ次第では、排除の予定も」
「邪魔って……分かるけど、その言い方は傷つくー。んー、でもいい機会かもね。わたしも五日くんの気持ちが宙ぶらりんのままじゃ心苦しいし」
毛ほども『心苦しい』など、思ってない口振りだった。
「もう一つ、無礼を承知で尋ねるが、構わないか?」
「この際、なんでもどうぞん」
「下着の色」「ブルー」
その笑顔は晴れやかではなく、にやけていた。
「……生々しいのは、駄目では?」
「そんなもん、可愛い可愛い」
「ところで、この時期、大学生に、スケジュールの、空きが?」
「えっと?」
「空きがあれば、サークルか友人と、過ごすものでは?」
「そりゃ、五日くんから連絡があったから、空けといたんだけど」
「三日前に、都合良く?」
「どうしても聞くの?」
「嫌なら、別に」
「やー……まあ、はっきり言っちゃうとね。サークルはもう随分行ってないの。もう人間関係、どろっどろで、ヤになって。部室がラブホ代わりなんて、マンガかよーってね。で、友達関係も、ばっさりよん」
「友達、少ないのか」
「人に言われると、ぐさっとくる」
「俺も、少ない。気にする必要は、ない」
「見た目通りね」
「この旅行に参加する前、五日辰也から、ユガワラに行くと聞いた?」
「そりゃあ、相談されたからねえ」
「俺が発案とは?」
「一通り、聞いたと思うわよ。えと、まとめると……幼馴染みの子が、柳生って男の子と、旅行計画を立てたらしくて、自分も誘われたんだけど、保護者の同伴が条件で困ってる、って感じかしら」
「園村真由子は、何故、俺に構う?」
「よくわからないけど……」
「理由もなく、そうしなければ、いけないと?」
「うん、そう」
「分かった」
俺は銀色のボールペンを取り出して、園村真由子に見せた。
「最後の質問。これに、見覚えは?」
「……なにそれ?」
「協会が、使う洗脳装置、と」
「また冗談?」
笑いが引きつっていた。
先端から漏れる青白い光が、園村の瞳を捕らえて放さない。
徐々に消えていく表情を見て、胸が少しだけ痛む。
「俺は、誰の味方かという、冗談みたいな、そんな話」
そして役に立たなければいい、保険。