2話
「がたんごとん♪ がたんごとん♪」
一行が目指すは、温泉ユガワラ。
交通の便は拍子抜けするほど簡単で、電車で一本。トーカイドー。
一泊二日の小旅行は、思いの外スムーズに実現した。
ゴールデンウィーク中にも関わらず、幸運にもボックス席に陣取ることができた俺たちは、楽しく過ごしては、いなかった。一人を除いて。
何か、間違いがある。
窓際に五日辰也。対面に壇ノ浦。
二人は今回の旅行の主賓だ。問題ない。
因みに、壇ノ浦の私服は、長袖ワンピースとノンブランドのジャンパー。スカートの下に七分丈のデニムで、相変わらずの防御力。残念ながら周囲の観光客と比べても埋もれてしまう約一名といった具合。毒にも薬にもならない。
五日辰也を誘うことには成功している。そうでなければユガワラに出発したりはしないのだから、自明である。
付き添いの俺こと今回の旅行のホスト役であり、一行の中で最年少の柳生岬は、五日辰也の横で通路側。これも間違いではない。欲を言えば、壇ノ浦と五日辰也を隣の席にしたかったが、人員の構成上、仕方ない。
間違いは残りの一席、目の前に存在している。
「がたんごとん♪ がたんごとん♪」
今時、ローカル線ならまだしも、基幹路線の列車は、そんな音を立てない。これは確かにダウトだが、そんな些細な間違いでない。
新キャラだ。
俺の対面の席、壇ノ浦の隣に、にぱーっと、満面の笑みで、頭の上に花が咲いているような、抜けた笑顔で。つい数十分前に会ったばかりの見知らぬ女性が座っている。
ミニサイズのTシャツと薄手のカーディガン、ミニスカート。アクセサリーは控えめで、雰囲気は『軽い』。
そして俺の口には、なぜかポッキーが一本。
咀嚼し、飲み込む。
「はい、あーん♪」
食べても、すぐさま補給される無限ポッキー。
「がたんごとん♪」
俺の目の前で電車の音を口ずさむ、脳が春めいた女性が原因だ。
「あれ? ポッキー飽きちゃった? じゃあ、飴ちゃん舐める?」
「…………」
出発後すぐ「お菓子食べる?」の一言が始まりだった。
困惑しつつも、なにも言わず食べていると、一定のペースで供給され、ポテチが終われば、じゃがりこ、更にプリッツ、ポッキーと。どこぞの拷問かと思う。どうすれば止まるのか、俺はずっと悩んでいる。
しかも場の空気は停滞気味。
壇ノ浦はだんまりを決め込んでいるし、五日辰也は不機嫌そうに窓の外を眺めている。
「……そろそろ、菓子は」「遠慮しないでねー」
口の中に丸い飴が放り込まれる。ポッキーと混ざって、良く分からない味になった。
壇ノ浦が五日辰也を旅行に誘う段取りは、比較的上手く言った。しかしその直後、五日辰也の親から、保護者の同伴を条件として提示されてしまい、一時暗礁に乗り上げてしまう。高校生だけの旅行に、親がいい顔をしないのは理解できる。五日辰也自身がそれに賛同している以上、了承を得ないまま強行する手は使えなかった。
アテも無ければ策もない。今回の計画は頓挫かと諦めかけた頃、気分的には長かったが実際には二日後、当の五日辰也から連絡が入った。内容は『保護者のつてがある』とのこと。俺たちは、完璧超人五日辰也様御降臨と湛えつつ、その提案に飛びついた。……この時、詳細を聞いておかなかったことが悔やまれる。
そして当日、集合場所の駅前に、件の保護者としてやってきたのが、脳天気な、その言葉通り『脳がいつも晴れマーク』の女性。名を園村真由子、というわけだ。
聞けば五日辰也の近所に住む大学生で、高校受験の時から、彼の家庭教師を勤めているらしい。大学生である園村が、ゴールデンウィークに予定が空いていたのは、旅行計画にとっては幸運な出来事だが、多少不思議な気もする。それなりの事情があるのだろう。詮索する気は起きなかったので、あえて尋ねてもいない。
「真由子さん。誰彼構わず餌付けするのはやめないか」
爽やかな声に顔を向けると、五日辰也が俺を睨んでいた。
ブランド物のポロシャツとスラックス。下手をすれば野暮ったくなる服装だが、この男は自然体のまま高いレベルで着こなしている。それを嫌味に感じる者も少なくようだが、大概が僻み。生真面目で多少規律にうるさいところがあるが、基本的に人当たりはいいらしい。
やや黒みがかった金髪に、涼しげな目元。スポーツマンらしく、均整の取れた体つき。成人女性向けの漫画で、年下の彼として登場しそうな、と言ったら本人に怒られそうだが、印象は概ねその様なもの。
あとどうでも情報だが、剣道部の爽やか王子の異名を持っている、と壇ノ浦が言っていた。残念ながら、異名はダサい。
「ふーん、辰也くんにはあげないもーん」
「いや、どうか、五日先輩にも」
「すまん。私は甘いモノが苦手なんだ」
悔しげに口を歪める五日辰也。
「先輩は、なぜそこで、嫉妬する?」
「や、柳生くん!? なにを!」
「あらら、寂しかった?」
「……お構いなく!」
また、窓の外に顔を向けてしまった。
場を和ませる冗談だったのだが。
これはまた、分かりやすい反応をありがとう。
「ねえ柳生くん。岬って呼んでいい?」
「お好きに、どうぞ」
「ねえ岬。その耳、可愛いわね?」
慌てて両手を頭に当てると、迂闊にも第二の耳が髪からはみ出ていた。
「岬さん、癖毛なんスよ」
ナイスフォロー壇ノ浦。殴るのは無理だが、あとで『しっぺ』くらいならしてやってもいい。
「気がつくと、はねているので」
「そういうときは、濡れタオルをレンジでチンしてから、押さえるといいのよん」
「今は電車なので、無理ですが」
髪は落ち着いた。
「しかし、更なる、想定外……」
一方通行の三角が目に見えるようだ。
壇ノ浦は五日辰也を、五日辰也は、園村を。
行き止まりの園村は、正体が見えない。
前途多難である。
さしあたって、飴は長持ちするのが、今の救いだ。
懸案は、もう一つある。というより、本来の問題。
壇ノ浦と五日辰也は、今日、会話らしい会話をしていない。出発駅で軽く挨拶をしたのみ。幼馴染みの関係が、それほど冷え切っているとの情報はない。
とすれば、イレギュラーの存在か。
待ち合わせ場所に五日辰也と一緒にやってきた女性。壇ノ浦は意識せざるを得ないのだろう。
意識し過ぎて、何を話して良いか、分からなくなっているのか。
園村真由子……この女、邪魔だ。
電車から降りて、菓子のループ地獄から解放された俺は、早速駅前バスターミナルへ向かった。迎えに来ているはずの旅館従業員を探すためだ。
ユガワラ駅前は、さすがにゴールデンウィークだけあり、観光客で賑わっていた。
ここでも悪の秘密協会が、広場の中央で大声を上げている。見慣れた光景だ。
悪の秘密協会。
もとはその名の通り存在自体が秘密だった協会も、今では街頭で演説するような、一見どこにでもある組織になっている。実際の経緯は複雑だが、表だっての理由は、構成員不足を補うためとされている。マイナーな組織である秘密協会は、人集めにも苦労する。事実、構成員不足で全ての協会が壊滅寸前にまで追い込まれた時期があった。
しかし、そんな時、ある協会が大々的に組織を宣伝し勧誘活動を始め、迷惑なことにこれが大成功。発案した協会は現在トップの一つとなった。他の協会もいくらか抵抗はあったものの、背に腹はかえられないとばかりに追従、広告型の運営を採用していった。
また、このやり方は予想外のメリットも生み出した。
秘密協会は、一定の縄張りを持っている。協会組織とは、つまるところ社会的弱者が集い、契約によって埒外の力を手に入れ一発逆転を計る組織だ。それぞれ主張が異なるのは当然で、同じ地区で活動すれば衝突するのはまず避けられない。抗争の果てに共倒れになることも珍しくない。
しかし駅前など目立つ場所で声を上げることで、縄張りの喧伝にもつながり、『秘密故、知らぬ間に同一地区で活動していた協会同士が、出会い頭に衝突して共々壊滅』などという、不本意な事故を防ぐことができた。
とはいえ、現実社会には弱い組織だ。悪の秘密協会イコール法を犯しているわけではないため(名前に悪と付いていても)、基本的にはスルーされているが、問題を起こせば簡単に潰されてしまう。一国を支配でもしない限り、覆せない現実だ。
広報活動で、組織が潰れてしまっては本末転倒。
それら妥協点を探った結果、比較的問題の少ない募金活動が主流となった。
言い逃れのためだが、募金活動自体は、由来の確かな慈善団体に所属し、実際に行っている場合が殆どだ。それなりの寄付金額になっているらしい。
今、目の前の駅前広場で声を上げているのも、それだ。
世界平和のために、ユガワラの湯のために、募金をお願いします。
見れば観光客数人が募金箱に小銭を入れている。
裏で拉致、改造を行っている組織かもしれないというのに。人間は時に軽率だ。
脱線してしまった。
そんな協会事情も、単なる温泉旅行者の俺たちには関係のない話。
「……ちょっと、岬さん、ちょっと」
タクシーの列を横目に歩いていると、後ろから壇ノ浦が袖を引いた。
「糖分過多で頭痛が、想定外なので、話しかけないで、欲しい」
「あの人、なんなんスか!?」
指差す先には、はしゃぎ回る園村の姿。何が珍しいのか、視線はきょろきょろとせわしなく、表情はどこまでも楽しげだ。微妙に離れて、五日辰也が立っている。他人のフリをしたいのか、好意を抱く相手との距離感が掴めないのか。
「五日辰也の、家庭教師。大学生で、保護者役、以上」
「あんな破廉恥大学生が保護者なんですかね?」
「その死語、一回りして面白い」
「蔑まれてるのか、なんなのか、良く分からんのですが、なぜか気分は高揚すんですよね」
「園村真由子を、どう思う?」
「ぶっちゃけ、あの色気には勝てる気がしねえです」
戦意を喪失してしまったか。
「では、彼女がいなければ、いけると」
「……できますよ」
「五日辰也に、女らしさで迫ることができる、と」
「……や、やりますよ」
「いざとなれば、押し倒せ」「それは、やらねえんで」
押し切れなかったか。
「俺に考えが、ある」
「任せてもいいんスかね……」
「きっと、素晴らしい未来が待っている、さ」
「だといいんスが」
「さて」
バスターミナルの終端に、作務衣姿の親友を発見。
「旅館から、迎えが来た。さあ壇ノ浦、二人を呼んでくるがいい」
「あいス。了解了解」
離れている二人の元に向かう壇ノ浦。
それを見送ってから、俺は親友に近づいた。
遠目からでも一発で見つけられる大柄な男。精悍な丸刈りは、前に見たときと寸分変わらない。紺の作務衣が似合う、巌のごとき剛の者。
その、三歩前。
「覚悟!」
獰猛な獣のごとき唸り。
大きくはないが、威圧感だけはたっぷり乗った彼の声を聴き、こちらも答える。
「どうぞ」
紺色の壁が襲ってきた。
全身から発せられる気配は、誇張ではなく壁。
そして、虚仮威しでない踏み込みの速度。
例えばコインが落ちる半分の時間で、一歩。
滑るような二歩目で間合いと姿勢は十分、俺の顔に右の拳を照準する。
作務衣の裾が、後を追うように翻る。
最短距離で打ち出される拳は、空を割る砲弾。こちらも右手を出し、パーで答える。
拳が手のひらに触れた。
真に力が打ち込まれるのは、この瞬間だ。
前の動作は、拳を打撃位置まで移動させ、瞬間に最も力を加えることのできる姿勢を取るため。拳を速く動かしても、威力はさほど上がらない。地面から拳まで、力の伝達経路がつながることで相応の威力となる。押し込む感覚に近い。
手を押しのけ、ごつい拳が突き進んでいく。
しかしその速度は急激に緩くなっていく、
砲弾から、剛速球へ。剛速球から、スローに。
拳を無理矢理引き戻しているように、距離二十センチ強の間に、緩く緩く力が逃げていく。
失速。
俺の鼻先に手の甲が触れて、動きが止まった。
保長の作務衣が重力に負けて、ゆっくりと下りていく。
音はない。
「ぽん。俺の、勝ち」
「ジャンケンじゃねえよ!」
鼻を鳴らして、拳を収める保長。
いつものやりとりだった。
「保長は、意外に強いので。前にチョキで、負けた」
「掌底を指二本で止めんのは、負けとは言わねえ……。悟空かよ」
「いくらなんでも、失礼だ。子犬をあしらうのは、慣れてる」
「はっ……まだまだ子犬扱いか」
「久しぶり。保長」
「おう、受験以来か?」
温泉旅館の息子であり、俺の親友の服部保長。
ゴールデンウィーク中、実家を手伝っている。
急な旅行計画にも関わらず、予約をねじ込めたのは、偏にこの男のお陰だ。
「そういえば、バスケ止めたんだって?」
「もう老いたので、激しい運動は、苦手になった」
「高校生が何言ってんだ」
「保長。時間はみなに、平等ではないんだよ?」
「達観すんなよ。童貞が」
「クハハハ……それは、楽しいことだ」
中学の頃は楽しかった。
ああ、とても楽しかった。
そして昔を懐かしむように、やはり俺は老いたのだ。
「すまんが……岬。一つ頼みを聞いてくれるか?」
「彼女なら、紹介できない。なぜなら、童貞だから、ハハハ……」
「悪い。マジな話」
真剣な保長の表情に、嘘はない。元々裏表のない人間だ。
「聞こう」
「俺が言えた義理じゃないんだが……。旅館を、いや、ユガワラを助けてくれ」
「分かった」
「即答!? いいのかよ!」
「親友の頼みなら。しかし、その前にチェックインを、させて欲しい」
振り向けば、壇ノ浦が二人を連れて、こちらにやってくるところだった。
「お、おう……どっちが彼女だ?」
「どちらも恋愛関係ではない、が、複雑な関係。後で、説明する」
「よろしくな」
それから、バスターミナルの端に止まっていたバン、胴に服部旅館と筆文字で書かれており、旅館の従業員らしい男の運転、に乗り込んで移動。
後ろから話しかけてくる園村に、やや疲れを感じつつ、十五分。
ようやく最終目的地に到着した。
服部旅館。高級志向の温泉旅館。
高台のやや奥まった閑静な土地にあり、しっとりと落ち着いた木造の表が、格調の高さを思わせる。
敷地面積に対して、建物はさほど大きくなく、客室も二十に満たない。
そして貸し切りの露天風呂。今回の計画では、最も重要な施設だ。