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食べちゃいたいくらい

作者: 鉄下駄

 眠っていた私を起こしたのは外に居る雀のさえずりだ。

 窓から降りかかる光が私の周りを優しく温める。目の前に広がるのは青くて固い透き通った壁。何時もの光景だ。恐らく私は死ぬまでこの光景を見続けるのだろう。

 暫くして遠くから足音が聞こえて来る。その音の主は、私の家の目の前までやってくると、その大きな手から茶色の塊を私の家に振りかける。

 家の屋根が揺れる音と共に、鼻孔をくすぐる匂いに私の心は膨らむ。朝と夜の二回、この瞬間が私の唯一の楽しみだ。

 私はその茶色い塊に向かって上昇すると、一つ口に含んで噛み締めた。うむ、いつも通りの味だ。

 私が食事を始めたのを確認して、大きな生き物はまた足音を鳴らしながら去って行く。

「今日もご苦労」私の声が届く事は無いが、食べ物を持ってくるあの大きな生き物にねぎらいの言葉をかけてやる。チップも欲しがらない無欲なウェイターだ。

 屋根に浮く茶色い塊を一つまた一つと口に入れて行く。今日は何をしようか。自慢の赤い鱗を一つ一つ綺麗に磨いていこうか。身だしなみを大切にしている私ならではの過ごし方だ。

「ウナーーオ」

 突然背後からこの世の物とは思えない声が聞こえて来る。何かと思い、振り向こうとした瞬間、私の目の前に黒く巨大な柱が突き立った。その柱は私の周りをグルグルと大きく回り始めると、私の家にある全ての物が回りだす。

 そのあまりにも強大な回転力は私の何倍もの大きさの渦を作り出し、私はその渦に巻き込まれる。そこで私の意識は一度途絶える事になる。

 私の平穏な人生は、其処で脆くも崩れ去ったのである。


     ※


 どれくらいの時間が経ったのだろうか、目が覚めた私の耳は、今まで聞いた事が無いくらいの喧騒を捉えた。聞き覚えのある足音がそこかしこから聞こえて来る。

「やっと起きたのね」その声に私は振り返ると、其処には黒い毛だらけの生き物が此方を見つめているのが分かる。私が生きて来た人生の中では見た事の無い生き物だ。

「私の家を荒らしたのはお前か?」私がそう尋ねると、その生き物はニッコリと笑って頷いた。

「そうよ。家の窓が開いているのを偶然見つけてね。その窓の近くに貴方が居るのをこれまた偶然見つけてしまった。丁度お腹が減っていた所だったからこっそり連れて来たの。これも日頃の行いかしらね」

「とてもその姿では行いが良いとは思えないがね」私は薄汚れた毛を見てしかめっ面をする。私の美しい姿とは随分と対照的だ。

「これから食べられる相手に何て言い草かしら。命乞い位言ったらどうなの?」誰が言うかと私は悪態吐く。こいつに食われるくらいなら自分で死んでやろうとも思う。

 しかし困った物だ。自分で死んでも結局はこいつの腹の中に収まる未来は変わらない。死ぬのが先か食われるのが先か、これでは私の腹の虫が治まらない。

「では早速」私が考え事をしている間に、目の前の黒い生き物は、私の家に手を突っ込んだ。あの時の謎の柱はこれだったらしい。しかし、今回は様子が違う。その先端からは、何か白く鋭い物が飛び出ていた。それは私の近くまで物凄い勢いで迫って来ると、私の横を通り過ぎ、右のヒレを突き刺した。

「ぐむっ!?」突然の痛みに私は顔を歪める。何とか逃げようと体を動かすとビリッ、と嫌な音が響き、私のヒレは破れてしまった。

 感じた事の無い痛みに先ず驚きの感情が浮かんだ。しかし、それ以上に、目の前に見える切り離された自分の一部を見た事に言葉を失った。それはゆっくりとした動作で前の生き物の眼前に運ばれると、悪魔のような大きな口を開けてあっけなく飲み込まれた。

 そこまで食べられる部分も無いというのに有り得ないほどの長い時間、粗食され続けた。口の中で千切れ、バラバラになっているだろうそれの姿を、私は茫然とした様子で想像するしかなかった。

 やがてゴクリと喉を通った音が聞こえて来る。次の瞬間目の前の生き物は私をキッと睨んで「美味い!」と大声を上げた。

普通ならばその言葉に私は怒りの感情を芽生えさせるのだろう。しかし、目の前の生き物の態度が私にそれをさせなかった。「今まで食べてきた物とは次元の違う美味しさだわ! 貴方の身体ってどうなっているの!?」

「…………」私はそれを聞いて再度驚いた。どうやら私の身体は恐ろしい程に美味だという。そしてそれを聞いた私の頭はかつてない速度で回転した。

「それじゃあもう一口」御馳走を前にした捕食者は、当然の如く料理の続きを堪能するべく此方に手を伸ばしてくる。そこで一つの賭けをする事にした。

「あーあ……、もっと長生きする事が出来れば、私はもっと美味しくなる事が出来るのに……」わざとらしく落胆した声を上げる。そこで生き物の手が止まった。私はしめたっ、と心の中でほくそ笑む。目の前の生き物は信じられないと言った顔で、私を見つめて来る。

「本当なの?」生き物の質問に私は小さく頷く。

「そう……、それじゃあ少しだけ、待ってみようかしらね」

「そうか。それじゃあ交渉成立だ」

奇妙な共同生活の始まりだった。


     ※


 あれから、私達は一度も離れる事なく生活し続けた。その中で分かった事は、彼女の名前は猫だという事と、彼女が女だという事。それ以外は知る必要も無いので聞かなかった。私に名前など無かったが、彼女は私の事を金魚と呼ぶので私はそれを名前にする事にした。

 彼女は私が死なない様に手を尽くしてくれた。家の水を替えてくれたり、自分の食糧を分けてくれたりと、私を食べるという目的が無いのなら嫁にしたい位の女だった。

 その代わりと言っては何だが、私は彼女に清潔にする事の大切さを教えたり、身体にある鱗を少しばかり分けたりしていた。鱗を剥がすのは多少の痛みはあるが、それを口にする度に、涙を流して喜ぶ彼女の姿があまりにも面白いので我慢する事にしていた。

 そんな生活も数か月が経った頃、私はある事に気付いていた。

「今日はネズミを見つけたわ。まぁまぁと言ったところね」そう言う彼女の顔は明らかに優れていなかった。彼女は手に取ったネズミの腹に噛みつくと、肉を引き千切る。そして口の中に入った肉を噛み締めると、それだけでネズミを捨ててしまった。残された大部分は口の中に収まらずに地面に落ちて哀れな末路を遂げる。

「君、一段と食べなくなったんじゃないのか? 少し前までは半分くらいは食べていたような気がするが……」

「そうだったかしら? いつも食べている量なんていちいち気にしてないから分からないわ。ほら、貴方も食べるでしょ?」そう言って彼女は粗食した肉の一部を私の家に入れる。これでは彼女の食べる量が減る一方だ。

「そんな事言うならそろそろ鱗をくれても良いんじゃないの?」

「……そうだな。もう新しいのが生えたからな」私がそう言うと彼女は表情を輝かせて、家の中に手を入れる。その先から出てきた爪に私はピッタリと張り付くと、力強く擦りつける。ペリペリッ、と鱗の剥がれる軽い音が響き、数枚の鱗が水面に浮かぶ。

 彼女はそれを掬い上げると、嬉々とした顔でそれを口に放り込んだ。

「はぁ……、やっぱり貴方のが一番ね……」そう呟く彼女の声は何処か妖艶で、私を惑わせる。

 やがてポツポツと水滴が私の家の屋根を叩く。これが彼女の涙である事は確認しなくても分かる。最近彼女が私を食べた時はいつもこうだ。彼女本人には分からない正体不明の涙が零れる。

「泣くなら私の家の上では止めてくれないかな? 周りの水が塩辛くなるだろ」これはいつもの決まり文句だ。こうなると彼女はここを離れないし、私も離れてくれとは思っていない。

 私は彼女がくれた食事を口に含むと、ほんのりと彼女の涙の味がした。私はそれを美味しいとは思わない。だから私は涙を流す彼女の気持ちが分からなかった。

 私は食事を終えると家の下に潜ってじっと動かなくなる。最近の私はあまり動こうとは思わなくなっていた。


     ※


 私と彼女が出会って半年が経った。彼女はより一層物を食べなくなり、私はより一層動く事を重要視しなくなった。

 今や彼女が口にするのは私の鱗と私の住む家の水を飲むだけとなっている。少し前にその事を追及すると、彼女は弱々しく笑って誤魔化した。

 その数日後、私は眠った振りをして彼女の観察をする事にした。すると、彼女が道端に落ちていた食べ物を口にした瞬間、顔を歪めて吐き出したのを見つけた。そこで私は確信した。彼女は私以外の物を食べる事が出来なくなっているのだ。その理由も見当がついていた。

「次元の違う味か……」彼女は初めて私を食べた時にそう言っていた。そして鱗による定期的な配給で、その期待は膨らむばかりだ。そんな状態では他の物を食べられなくなるに決まっている。

「どうしたの? そんなに真剣な顔をして」やつれた彼女はそう言って私を見つめる。

「いや、何でもないよ。それよりも、今日は食糧調達には行かないのかい?」

「良いの。最近は貴方とこうしているのが楽しいわ」案の定、彼女は首を横に振ると、私の家の横で丸くなる。最近の彼女はいつも私を見つめている。でもその事に私は恐怖を感じない。私を見る彼女の目が優しいからだろうか。

「それは奇遇だね。私も君とこうしているのが好きだよ。何故だかね」私が答えると彼女は優しく微笑む。

 出来れば家の端まで泳いで彼女ともっと近づきたいが、どうしてか身体を動かす気にはなれない。最近は長い事、動いていない気がする。

「知っているかい? 私と君が会ってからまだ半年しか経っていない事を」

「そうなの? 何だか人生の半分以上を共に過ごしていた気がしていたわ」彼女は最近、私と同じ事を考えている。それは私にとって喜ばしい事であった。

今の私達は限りなく同じなのだ。食事の量も、動く量も、考えている事も、互いに思う感情も、全てが同じなのだ。

そして、これからの過ごす時間も、きっと同じくらいなのだろう。

そうだ。今からその時に備えて言葉を考えておこう。きっと彼女なら聞いてくれるだろう。


     ※


さぁ、これで最後だ。ここまで良く我慢してくれた。

君は私と初めて出会った時と、随分と変わったような気がする。そして私も君と出会って随分と変わったと思っている。

君と出会ってから数日間の私は、生き残る事に必死だった。そして私は君という存在を憎んでいた。

君と出会ってから数週間の私は、君の事を知っていた。そして君という存在に興味を持っていた。

君と出会ってから一か月の私は、君に親しみを持っていた。そして君と過ごす日々を楽しむようになっていた。

君と出会ってから三か月の私は、君に好意を持っていた。そして君の変化に気付いたのもこの頃からだった。

君と出会ってから半年の私は、君に愛情を抱いていた。それは君にとって残酷な事だった。

そして君と出会って最期を迎える私は、君に感謝の気持ちを伝えたい。もし君が連れ出してくれなかったら、今の私の感情は無かっただろう。それは私にとって何よりも恐ろしい事だ。

君は私を食べる時、きっと涙を流すだろう。その涙がいつもの私の鱗を食べる時の涙だという事を期待している。君を悲しませるのは私の思う所では無い。

さようならだ。私の愛した君へ……


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