第二話
今回……というか前回からダークな感じです。微グロです。苦手な方はご注意ください。
それは歴史に名を残す大事件。
後に後世の歴史家たちに「運命の分岐点」と呼ばれることになるたった一夜だけの出来事。
それは数々の不運と偶然が生み出した結末。一人の青年の未熟さが招いた末の帰結だった。
◇◇◇
燃え上がる松明の炎が闇夜を明るく照らす。しかしそれは闇全てを打ち払うほどの明るさはなく、集落の至る所が闇に包まれていた。
「絶好の潜入日和ね」
「なんかシルファさんわくわくしてませんか?」
「え、そ、そんなことないわよ?」
「なぜ疑問形なんです? そしてなぜ目を逸らしますかそこで……」
視線を合わせてくれないシルファを横目に溜息を吐くシュウ。二人は既に闇夜に紛れて集落へと潜入している。
敵が来るとは思っていないのか、もしくは来てももっと後の事だと思っているのか、警備はそこまで厳重ではなく、比較的簡単に潜入することが出来た。
「さて、問題はここからね」
気を取り直したように……というよりも話題を変えるようにシルファが告げる。
「そうですね。まずは何が何処にあるのかですね」
シュウもシルファの意図には気付いていたが、指摘することなく付き合う事にする。
「武器、食料、馬……戦に必要な物の配置を確認。それから――」
その先を言いかけて、しかしシュウは唐突に言葉を切る。
「? どうした――」
「――静かに! 人が来ます」
訝しむシルファに小声で告げると彼女を伴って移動を始めるシュウ。今まで彼らが潜んでいたのは最も暗く、人の気配が希薄な場所だった。そんな所へわざわざ来る人間。それも複数の……
「よほど真面目な見回りか、あるいは……」
「後ろ暗い事を企んでいる奴か……だね」
素早く視線を交わすとそれ以降は口を開かない。じっと息を殺して待つことしばし、シルファがシュウの勘違いだったのではないかと疑いだしたころ、彼女の耳にも数名の足音、そして話し声が聞こえてきた。
(いったいどういう耳をしてるんだ――)
そう思わずにはいられないシルファ。
足音の主は兵士らしき男が三人と、黒髪の女性が一人。女性はぐったりしていて男達に半ば引きずられるようにして運ばれてくる。
「偶にはよ~俺達も新品の女使いたいよな~」
「そだな。上の連中が独占しとっからなぁ」
「いいじゃねぇか暴れなくて。上の連中この前噛み切られそうになったってぼやいてたぞ」
「それは……恐ろしいな」
そんな事を話しながら男達は女を地面へと下ろし、そのまま衣服をはぎ取っていく。女に抵抗するそぶりは見られなかった。
(どこか怪我してるのか? それともそんな気力もわかない? あきらめてる?)
そんな様子を冷静に観察するシルファ。軍属に付けばそういったことは起こり得る。その為軍学校では三年時から拷問や凌辱に対する耐性を付けるための訓練が行われていた。シルファも、未だ行為を行ったことはないが、授業の一環としてその時の対応は教え込まれている。
彼女にとって幸いだったことは、辺りが暗かった事だ。その為に行為自体は良く見えず、冷静さを保つことが出来た。
もし彼女が女性に付けられた噛み傷や、打撲痣、三人の男達が浮かべる欲望に塗れた表情を見ていたなら、女性の瞼から滴る涙を見ていたならば、そして絶望に沈む女性の瞳を見ていたならばとても冷静ではいられなかっただろう……
そして、シルファの横にはそんな光景を、はっきりと見ることのできる眼を持った青年がいた。そしてシュウは未だ一年生。拷問、凌辱に対する耐性訓練は受けていない。
「シュウ君!?」
彼女がその事に気付いたのは彼が飛び出した後の事だった。
(しまった。迂闊だった!)
普段の彼が落ち付いた青年だったこと。ファルノース戦で見せた冷静な分析と対応。それらにより、シルファはシュウの事を自身と同格に見てしまっていた。アリシアが人一倍信頼しているように見受けられたこともそれを助長した。結果、彼が未だ一年のただの学生であることを失念してしまっていたのだ。
「くっ!」
シュウは刀を持っていない。潜入任務だった為、彼女が置いてくるように指示した。あの剣は今フレアが預かっている。
「間に合え!」
慌ててシルファが駆け出す。
シュウは剣なしでも十分強かった。一人目を殴り飛ばし、勢いそのままに二人目を蹴り飛ばす。しかし所詮は大人と子供。片や十代の青年。片や戦場に生きる大人の男性。シュウの攻撃は男達へ致命傷を与えることはなかった。
「この糞餓鬼が!」
「ふざけんな、この!」
忽ち騒ぎは大きくなる。
「何だ、どうした!」
緩んでいても戦場に身を置く者達。あっという間に増援が駆け付ける。
「立って! 早く!」
シルファが女性を立たせようとするが、女性は呆けたままだ。
ここら辺りにシルファの未熟さが覗く。シュウ一人なら捕虜が逃げたとか、隠れていた黒髪がいた等と言い訳が聞いたかもしれない。そしてこの騒ぎに乗じてシルファが情報収集へと動くことも。
しかしそれも、たら・ればの話。事実シルファは咄嗟に飛び出してしまい、今また女性を放っておけずに結果的に後手に回ってしまっている。
「捕えろ!」
男の号令で一斉に秩序だった動きを見せる神聖帝国軍。シュウ達の本来の実力を持ってすれば脱出できたはずだ。しかし冷静さを欠いた二人は結局取り押さえられてしまうのだった。
「探せ! 仲間がいるかもしれん」
そして何組もの捜索隊が編成された結果……
「男女二名確保いたしました」
フレアとアオイの二人もまたつかまるのだった。
◇◇◇
「閣下、新たに捕虜とした者四名を連れてまいりました」
後ろ手に縛られ、シルファ、アオイ、フレアの三人は神霊術を封じる枷を嵌められ引き立てられる。連れてこられたのは一際大きな住居。元はこの集落の長の住まいだったらしい。
「しばし待て」
取次役らしき男が連れてきた兵へと命ずる。
部屋の中からは女性の悲鳴や、叫び声が響いてくる。思わず耳を塞ぎたくなるくらい悲痛な声が。その合間には男の笑い声が聞こえてくる。
「入れ」
どれくらい待たされただろうか。中から悲鳴が聞こえなくなった頃、そしてうっすらと空が明るみ始めた頃、ようやく四人は中へと入ることとなった。
扉を潜り、一歩家へと足を踏み入れた途端、鼻を突く異臭が四人と連行する兵を出迎える。
「血の匂い……」
不吉な予感しか沸いてこない。兵の一人がシュウへと視線を向ける。
「良いものが見れるぞ」
侮蔑、揶揄、嘲り、愉悦。およそ負の感情として思いつく物全てが込められた視線。その視線が神聖帝国軍の黒髪に対する接し方、価値観を雄弁に物語っていた。
「失礼いたします」
兵が二人中へと入る。そして後ろから突かれ、つんのめるようにして部屋へと足を踏み入れた四人。途端に異臭が強くなる。
「――ひっ!」
およそアオイらしからぬ、声にならない悲鳴が彼女の口から洩れる。
「外道が!!」
フレアが、シルファが部屋内部にいた男を睨みつける。そしてシュウは……
「…………」
言葉を失っていた。ただただ大きく目を見開いて部屋の中の惨状を目の当たりにする。
「全く、食事中なのですがね。私は」
中にいたのは恰幅のいい老人。皺の刻まれた顔に剃りあげた頭。真っ赤な唇。その老人が手にするのはワイングラス。中には真っ赤な液体が入っている。少しどろっとした粘性のモノが……
おぞましさに顔を背けようとする四人。しかしいずれも背後に付き従っている兵によって、視線を逸らすことを許されない。
「なんで目を背けるんです? 健康にいいんですよ、これは」
そう言うと、老人はグラスの中身を口へと運ぶ。一筋の滴が口の端から零れ落ち、床の絨毯に真っ赤な染みを作る。そして男はおもむろにフォークを手に持つと、机の上、皿に乗った物体へと突き立てる。
「まさか、それは……」
真っ赤に染まる脈打つ物体。命の源とも考えられている心の臓……
慌てて周りに転がっている若い女性達へと視線を向ける四人。今度は兵達に邪魔されることはなかった。部屋にいた女性は三人。全員が未だ若い少女ばかりであった。全員が血に染まっているが、皆胸が上下に動いている。
「はは……ふはははは。驚いたかね? これは鴨の心の臓だよ」
そのまま老人はそれにかぶりつく。
「人間のも食べたことはあるが、糞不味かったな。最も、これは若い乙女のに限るがな」
そう言って手を伸ばすのは最初に手にしていたグラス。
「やっぱり……」
嫌な予想が当たり、顔をしかめるシルファ。
「なんで、こんなことが出来る」
低い、低い、シュウの物とは思えない声音だった。その問いは確かに老人へと向けられたもの。しかしシュウの視線は一人の娘へと向けられたままだった。
その少女は体のあちこちを血で染め、体の底から震えているようで、ずっと肩を抱えている。唇は紫に変色し先ほどから歯と歯がぶつかり合う音が絶えない。
「なんで? しいて言うならば出来てしまうからだよ少年。この世は強い物が勝ち、欲しい物を手に入れ、弱き者を虐げられる。従えられる。これは自然の摂理だと思わないかね?」
「強ければ何でもしていいと?」
「強い者こそが正義だよ」
「なら弱い者はどうすればいい?」
「弱い者は虐げられ、奪われてしまえば良い。全ては弱き自身が悪いのだよ」
歌う様に老人は告げる。そこに自分の言葉を疑う様子は微塵も感じられない。
「弱いのが悪いと?」
「そう言う事だ。君も黒髪に生まれた事を悔いるがいい。全ては生まれた瞬間に決まっていたのだよ」
「もういい、喋るな」
フレアや、アオイでさえもぞっとするような口調。そして声音だった。
「何を言うか。聞いてきたのは君だろう? ならば最後まで聞くのが礼儀というものだ。最も、君たち黒髪に礼儀と言って通じるかは不明だがね?」
部屋に笑い声が響く。老人に追従するかのように、兵達も大声で笑う。
「なんか、まずい気が……」
「僕も、やな予感がする……」
「何が? どういうことだ?」
フレアと、アオイの呟きを聞いて、二人の見つめる先へと視線を向けるシルファ。彼女の視線の先では俯き、表情が見えないシュウが……
「五月蠅い。囀るな」
顔を上げた所だった。真っ直ぐに老人へと怒りの眼差しを向けるシュウ。身を焦がすほどの憎悪、怒り、憎しみ。それらがシュウの意識を塗りつぶす。
「強ければ何をしても良い? 強ければ許される? ならば自身の弱さを悔いて消えろ」
言葉と同時、シュウの全身から黒き影が解き放たれる。それらは触れた物全てを消滅させてしまう。
「な、なんだこれは?」
「どうなっている!」
「止めろ、どうにかしろ」
触れた机が真中からごっそりと消滅する。椅子が足だけを残して消え去る。兵が右足のみを残して消滅する……
残る者達が恐慌状態に陥ったのは言うまでもない。
「逃げるぞ、我々の事も分かっているか分からん!」
今のシュウが果たして正気なのかどうか、シルファには自信が持てなかった。後ろ手に縛られたまま、部屋を脱する彼女に続き、フレア、アオイもその場を後にする。
「あの子たちは?」
部屋に残してきた少女たちを気にするアオイに、フレアが珍しく声を荒げる。
「今のあいつが俺達を襲わない保証がない。まずは身の安全の確保だ。でなければ何をしたところで意味がない!」
「――っつ……でも、シュウが正気だったら? 今は違っても、後から気が付いた時あの子達が無事じゃないとシュウが悲しむ!」
「あ、おい! アオイ!! くそ!」
踵を返し、たった今脱出した部屋へと戻ろうとするアオイ。舌打ちをしつつもフレアが後を追う。
「ええと、私は……」
どうするべきか一瞬だけ迷った後、やはりシルファも二人の後を追って、部屋へと戻るのだった。