第六話
~~~登場人物紹介~~~~
・ウイスト四世
ノーテルダム王国第六三代国王。エリシアの父
授業の合間に読書をした中庭。ランチを取ったカフェテリア。術を磨いた訓練棟……見慣れた建物、見慣れた庭のはず……なのにそこはアリシアの知らない場所だった。
まず空気が違う。張りつめたような緊迫した空気と、その中に漂う肉が焼ける臭い。なぎ倒された樹
木、ひっくり返ったベンチ。あちらこちらに激しい戦闘の爪痕が残っていた。そして嘗て人だったモノも……
「けっこう激しい戦闘が起きたみたいですね」
「そうのようだ。時間はあまり経っていないようだが……」
そう言うサクヤの視線の先には未だ燻っている小さな炎があった。
今、二人が立つのは正門から入ってまっすぐ進んだ先にある中庭。さらに進んだ先に闘技場があり、その先にはアリシア達が普段利用する第一訓練棟がある。現在辺りは静まり返っており、待ち伏せなどの様子は見られない。
「とりあえず闘技場へ行きましょう」
中に詳しいアリシアが先導して先へと進む。蒼組の教室のある校舎を右手に通り過ぎ、やがて学校中心部に立つ闘技場へと辿り着く。
「妨害がないのが不自然ですね」
「そうだな……正門だけに配置していたのか、もしくは他に何か狙いがあるのか」
念のためにと、慎重に闘技場へと足を踏み入れる。辺りを警戒しながら進み、観客席、控室、闘技場と順番に回る。
「これは……」
やはりというべきか、ここでも戦闘が起きたようで、戦闘の跡と共に幾人もの人の亡骸が横たわっていた。但し、その死の殆どが神霊術によるものではなく剣によるもの……
「この切断面……」
傷口を調べたサクヤがその表情を険しくする。
「まさか……」
アリシアには刀傷の事は良く分からない。しかしそれでも、彼が尋常でない切れ味の得物で斬られたことは想像することが出来た。
骨というのは意外と固い物だ。だから骨ごと真っ二つに切断するなどといったことは普通ならあまり起きることではない。
普通でない者、例えばサクヤやシュウならばそれも可能だが、それも切れ味鋭い名刀と、二人の技量あっての事だ。
今アリシアの前にある友人と呼べた男の遺体の切断面。それはそんな二人の剣士に並ぶのではと思わせる綺麗さ、そして見事さであった。
死因を冷静に分析する自身に嫌悪しながらも、アリシアの脳裏に一つの可能性が浮かんで離れない。今回の敵は神聖帝国、そして帝国には……
「最強の矛……」
「――っつ!」
サクヤの口から漏れ出た言葉に、息をのむアリシア。サクヤもまた同じ可能性にいきついたのだ。アリシアの脳裏に諸島連合での苦い思い出が蘇る。彼女自身は相対していないが、弟のエンジュを始め、カグラ、アリサが大怪我を負った。シュウもその心に傷を負い、第二小隊に敗北の屈辱を味あわせた男。そして神遺物スランサー……
「因縁だな……」
そう呟くサクヤにもスランサーは関わりがあった。
「もともとあれは諸島連合の物だ。返してもらおうか……」
今回の戦いに本当の意味で諸島連合側にも、サクヤ個人としても戦う理由が出来瞬間だった。
「行きましょう」
アリシアが促しサクヤと共に闘技場を後にする。戦闘の痕跡こそあったが、他には何もなかった。既に戦場は別の場所へと移ったのだろう……
そう考えながら闘技場の門を潜るアリシアとサクヤ。その二人の下に慌てた様子で駆け寄ってくる者がいた。
「も、申し上げます!」
そう言って肩で息をする男は、第一軍の部隊章を付けた下士官の一人だった。
「何があった!」
「この先の訓練棟で現在戦闘が起きています! 味方が次々と返り討ちに!!」
「な……んだと」
「くっ!」
慌てて走り出すアリシアとサクヤ。下士官の男もそれに続く。
「なぜ、私たちを待たなかった!」
「相手が少数だった為、御二人を待たずに攻撃を……」
アリシア達二人を待つ間、アヤネが偵察に何名か派遣し、敵を発見。少数だった為、二人を待たずに攻撃を仕掛けてしまったのだ。
「くそ……無事でいてくれ……」
今さら言っても仕方がないと分かっていても、つい口から悪態が出てしまう。急いで駆けながら無事を祈る事しかできないアリシアであった。
◇◇◇
「はぁ、はぁ、はぁ……っつ――ぐほ」
「レイさん」
「レイ・ハウセドール!」
「だ、大丈夫です」
何度目かになるか分からない血を吐きだしながら、それでも男は神霊術の行使を止めない。すでに目は霞み初め、とっくに限界を超えているというのに……
「しつこいな……まったく」
壁越しにそんな言葉が聞こえてくる。その声の主は今敵対している男。レイ達をここまで追い詰めた紅い直刀を持つ男の声だった。
神遺物最強の矛。それを前に防ぐ手立てはなかった。次々と仲間が斬られ倒れる中、レイに出来たことと言えば、王族二人と少数の有力者たち、そしてその護衛達を連れ出して逃げる事だけだった。
武術大会が襲われたとき、レイは観客席にいた。たちまち場が混乱する中、彼は共にその場にいた自分の小隊員を引き連れ貴賓席へと真っ先に向かった。
この学校において、四人だけの色を冠された存在。アリシアやシルファと並び称される男は高い判断力と責任感を持ち合わせていた。
その為自分たちが逃げる事よりも、要人を警護することを選んだのだ。
その判断が王国の国王を救い、代わりに彼の仲間を殺した。
「レイさん、頑張ってください……」
今、そう言って彼を励ますのはこの国の次代を担う後継者。その青年の肩に手を置くのはこの国の王だった。
いずれも肩や額など傷が幾つもある。しかしそれだけで済んだのはレイの仲間がその身を呈して王族を守ったからだった。
そして今は、レイだけが彼らを守ることが出来る。
レイの神霊術で作り出した壁を、神遺物スランサーがいともたやすく切り裂く。しかしその直後には再び壁が発生している。その繰り返し……
つまり、レイは防ぐ手立てがないスランサーを、神霊術を行使し続け、壁を生み出し続けるという手段でもって何とか防いでいるのだ。
すでに逃げ込んだ第一訓練棟は切刻まれ、防御の役割を成していない。レイが自分たちを囲う様に作り出している壁が文字通り最後の砦だった。
「何をしている!」
「いたぞ! 攻撃開始」
そんな時だった。たくさんの足音と共にそんな声が聞こえたのは。
「援軍か?」
「助かった……」
そんな声が他国の来賓達の間から漏れ出る。しかしレイや王の顔色は優れない。
(援軍? 誰が来た……対抗できる者なのか?)
疲労の中に居ても、レイの思考は未だ鈍ってはいなかった。そして彼の懸念はすぐに援軍に来た者達の悲鳴という形で証明される。
「うわ、あぁ……やめろーーやめてくれ」
「ぐぎゃぁぁぁ!!」
「たす……助けてくれ」
それらの声だけでどちらが優勢かは見なくても分かる。黙り込む来賓達。甘い夢が潰えたことを誰もが理解した。そしてついにレイの気力が尽きる……
「す……みません」
言葉と共に崩れ落ちるレイ。合わせる様にして彼らを守っていた壁が消え去った。壁で隠されていた状況が彼らの瞳に一気に情報として流れ込んでくる。
「ひどい……」
それは誰の口から出た言葉か……むっとするほど濃い血の匂い。血だまりに倒れ伏す王国の兵士たち。
「駆け付けたのは第一軍か……」
その装備から駆け付けたのが第一軍だと理解する王国国王。
「でも誰が指揮を……」
後継者である皇太子もある程度の内情は知っている。この状況下でいったい誰が指揮をとっているのか……
「あれは……アヤネ殿!?」
その答えはすぐに判明した。指示を出し軍を動かしているのは何故か他国の重鎮。
「なぜ彼女が……」
国王もまた今一つ状況を理解できていない。しかしだからと言って状況は待ってはくれない。こうしている今も、一人、また一人と凶刃に倒れる者、神霊術で倒れる者と、王国の民達が命を散らせているのだ。
「おやおや、これは諸島連合の……いい土産になりそうだな」
スランサーを手にする男もアヤネに気付く。この国の王族に関しては殺すように指示を受けている。しかし他国の者の処遇は男の判断にゆだねられていた。ただし選択肢は二つだけ……
「さて、殺すか、それとも連れて行くか……お前はどちらがいい?」
「どちらも御免こうむる!」
「我儘だな」
「ふざけるな!」
聞いていた皆がアヤネと同じ感想を抱く。我儘とかそういった問題ではないのではないか……
「陛下……今のうちに」
「いや、しかし……」
護衛官の一人が王を促すが、王は心がそれを許さない。今までも彼を……彼と息子を守る為に幾人もの護衛達が命を散らしていったのだ。そうまでして自分だけが生き残る事に意味があるのか。
「もうよい。私はここで見届ける」
「陛下! いけませんあなた様はこの国の――」
「分かっておる。言いたいことは全部」
「なら……」
「それでもだ。他国の者までもがこうして戦ってくれているのだ。今ここで逃げれば今後どう民に顔向けできようか……同盟各国にどう接すれば良いのか」
「しかし……」
護衛官の気持ちも分かる。彼にしてみれば、仲間が命を散らせてまで守ったのをここで無駄にするのかといった心持であろう。王族さえ生きていれば、ここで万が一国が潰えようとも再興は出来る。ここでの王としての役割は、何が何でも生き残る。もしくは後継者を逃がすことかもしれない。しかし彼は同時に思う。
「王とはただの記号に過ぎない。そして民なくして王は成り立たない。王とは民に生かされる存在なのだ」
それは嘗て存在した超大国シルフォルニア皇国の皇王が残したとされる言葉だ。
「船が沈む時、その船長は船と命運を共にするという……ならば私もこの国の命運と共にあろうと思う」
すでに残る護衛官は二人だけ。そしてここまで踏ん張ってくれたレイ・ハウセドールは既に力尽きている。そして今いる場所は軍学校の正門から最も遠い最深部。そんなあきらめの感情も少しだがあった。
もしかしたら、第一軍が神遺物とそれの操り手を前に全くの無力だった事も、そんな感情を持った理由の一端かも知れなかった。
――誰もあの男は止められない。
――逃げ道もないに等しい。
――このまま無駄な血が流れ続ける……
そう考えた王は、ある一つの決断を下す。
「降伏を。私の首を差し出す」
「父上!」
「陛下!!」
「この争いを終わらせる。私の首一つで済むのならば……安い物だ。王国は神聖帝国に下る。すまない……」
その謝罪は果たして誰に向けた物なのか……散っていった者達、この国を建国した先達達、次代を担うこれから成長する若者達、そしてこれから生まれてくる赤子……それは、全ての者への謝罪だったのかもしれない。
知らず知らずのうちに涙が溢れ出す。王の目にも、王子の目にも、護衛官達の目にも……
「聞いての通りだ。王国は神聖帝国へと下る。私の命で矛を収めてくれ……」
ゆっくりと王が身を起こし、敵の視線に我が身をさらす。
王国歴六五八年、第六三代国王ウイスト四世の降伏により、王国はその長き歴史に幕を閉じる――――




